3月5日 明後にの土曜日だが、関東学生潜水連盟の監督コーチの集いがある。
2014年の水中科学協会シンポジウムで学生連盟の監督、顧問、OB会長、学連の現役責任者などに集まってもらって、パネルディスカッションをやった。パネルディスカッションの僕としてのテーマは、やがて、多分2008年だろうか、学連50周年をむかえる。40週年の2008年には新宿の住友ビルでOBの集まりがあり出席させてもらった。50年続くということは、一つの文化と言えるかもしれないが、それは、100年を目指すという前提があってのことだと思う。100週年を前にした50週年、51年目から100年までの50年をどのようなスタイル、どのような活動をして行くのか、そのための50週年だから、OBも現役学生も、そして僕も大昔のOBとして、と言いたいが、実は僕が学生だった時、関東学生潜水連盟は、まだなくて、僕が卒業してから10年後ぐらいに連盟ができた。だからOBではないかもしれない。しかし、発足の時から、お手
伝いをしているし、40周年の時には、OBとして一番先輩としてたててくれた。
だから、50周年も、と思ったのだが、このシンポジウムの延長線上でできた、監督、学生のミーティングで、僕が50周年の話を持ち出すと、自分たちでしっかりやりますから、ほっといてください。言葉は少し違うけど、自分たちだけでやり遂げます、ということだった。
頑張ってもらえばそれでよいのだから、僕は距離を置かないまでも、積極的にかかわるのは遠慮しようと思った。
その前の2013年に、2003年から続けてきたSAIという学生連盟の安全のための集いがノーチャージになり、それでは、僕が監督、コーチの役割をするわけではないので、監督とコーチの集まりを作り、それで、自分なりの責任を果たしたことにしようと考えた。僕の生命ももはや尽きようとしているのだから、10年やったからSAIはもういいだろう。50周年も生きて迎えることが出来るかどうかわからない。
それでも学生連盟には思いがあるから、話だけは聞き、もはや出来ることもないけれど、出来ることはしてあげようという気持ちで、5日には出席させてもらうことにした。
学生の活動の特徴は、継続性がないことである。2014年に、50周年を立派にやり遂げますと胸を張った子も、2016年には就活にいそがしく、2017年にはもう居ない。そのことを言おうかともおもったが、言っても言わなくても結果はわかっているので、頑張るようにとはげました。
5日には、中央大学の海洋研究開発機構会の藤島監督が 期の引き継ぎについて話をしてくれる。バトンタッチがうまくいかないといけない。
中央大学は、今や居ない僕のバディ、鶴町で副会長だったことなどもあり、名誉顧問にさせてもらっている。そして、数日前、その鶴町の奥さんから、中央大学OB会会長の吉野さんのメッセージを見せてもらった。吉野さんは、僕のグラフィティの出版記念会にもおいでいただいたのだが、しっかり話すこともできず、お帰りになってしまった。体調が悪いのを押して来ていただいていた。
そんな思いもあり、古いブログから、抜き出してきた。
Feb 21, 2006
関東学生潜水連盟SAIシンポジュウム
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関東学生潜水連盟のSAIシンポジュウムで、医科歯科大学の酸素治療タンクに入らせてもらった学生たち。40人近くが一緒に入れた。まるで電車に乗っているようだが、治療タンクの内部であり、10mの圧力がかかっている。減圧症治療に使われている、ヘリウム60%酸素40%のガスを吸わせてもらっている。ヘリウムを吸うとドナルドダックボイスになるのがおもしろい。ディズニーランドみたいな気分。
これで5年になるだろうか。関東学生潜水連盟の安全対策を応援している。母校の東京海洋大学も連盟創立時の構成団体だったし、娘と娘の亭主の母校である法政大学も中心になっている。17の大学のクラブで構成されている連盟で、1968年の創立だから38年続いている。38年の間には、言うまでもなく、山もあったし谷もあったが、この10年は下り坂だったと言えるだろう。どちらかと言えば体育会的な雰囲気の潜水部、アクアクラブのあつまりである。同好会的なクラブ、中にはダイビングショップがやっている大学クラブがあるのだが、ただただ楽しいだけ、普通のダイビングショップとほとんど変わらないクラブが盛況になり、関東学生潜水連盟の方は減少して行く辛い年月だった。母校の海洋大学潜水部は、50周年を迎えるのだが、その数年前には新入部員が1名になってしまった。私もがんばって、なんとか盛り返したストーリーをこのブログの11月13日に書いた。
継続こそは力、伝統は文化なのだから、何としてでも関東学生潜水連盟も衰退させたくない。そして、そのためにはなによりも安全が第一である。
人の命は、何時でも何処でも、誰でも大事である。特に学生の命だけが大事なわけではない。
ダイビングに携わっていれば、すべての局面で安全性の向上のために自分の力をそそがなければならない。大人たちが最善を尽くして見守らなかったために起こった事故が過去にあった。
この20年、関東学生潜水連盟の事故は起こっていないが、今でも学生の事故は起こっている。ダイビング関係者は、それぞれのポジションで、できることのすべてをやらなければならない。極端なことを言えば、安全のためならば、人の心を傷つけても良い。人の立場を失わせても良い。ついつい遠慮したために危険なことになってはいけない。
私の関東学生潜水連盟に対する応援を無益なものを見る人も少なくない。それぞれの大学には顧問の先生も居るのだし、コーチ役のOBもいる。かかわっているショップもある。まかせておけば良いのではないか。まかせておいたら衰退する。衰退し荒廃すれば安全性が失われる。顧問の先生は先生、私は私で最善をつくす。
顧問の先生は、学生のすべてのダイビングに同行するわけではない。中には名前を貸しているだけなのに、重い責任を追わされている気の毒な先生もいる。合宿が飲み会になっていることを顧問の先生が知らない時代があった。中には率先して、一緒に飲んでいる先生も居たけれど。ダイビングの前には、酒を飲んでぐっすり眠った方が良い、と言っていた先生が本当に居たのだ。
コーチ役のOBも、世話をしているショップのインストラクターも、すべての局面で同行しているわけではない。これは学生だけでなく、すべてのダイバーに共通のことなのだが、ダイビングとは、何時いかなる場合でも、何処でも、ダイバーの技量の程度にかかわらず、Cカード講習中であっても、Cカードを取得した後でも、アドバンス講習中でも、マスターダイバーになった後でも、自己責任なのだ。インストラクターが講習中ならば、賠償責任保険はもらえるかもしれない。でも命はもどらない。Cカードを取って、自分たちだけで潜水していたら、賠償責任保険ももらえず、命も戻って来ない。
「すべてをインストラクターにまかせています。ガイドダイバーにまかせています。遊びのダイビングですから、経験豊富なベテランにまかせた方が安心です。」スクーバダイビングの事故が起こるのは、このためなのだ。
関東学生潜水連盟を始めとする学生のクラブは、一般の初心者ダイバーよりも恵まれていて、安全度が高いと思える部分もある。すべてマンツーマンに近い形で新入生講習が行われる。しかし、そのマンツーマンの指導者は二年生、子供が子供を教えているのだ。教える側の二年生の子供を急速に進歩させるシステムが無ければいけない。二年が一年を教える過程を監視する役割の三年生の教育システムが無ければならない。
その指導者の役割をスチューデントアシスタントインストラクター、略してSAIとしようとした。この名称は学生が考えたものだ。
アシスタントインストラクターと言う名称は、各指導団体で、カード資格として使われている。
学生の身分で、アシスタントインストラクターというのは困るという抵抗があった。あからさまに私に言っては来なかったが、圧力を感じた。
資格よりも先に、まず、安全性を向上させるためのマニュアルを作ろう。マニュアルを作る過程は安全のための勉強になる。マニュアルは実例によって常に改訂する必要があるから、ニヤミスを集めて改訂する作業も安全に役立つ。
そんなことでSAI(スチューデント・アシスタントインストラクター)のシンポジュウムを開いた。2006年2月18日これが第二回目である。東京医科歯科大学の真野先生のご好意で、医科歯科大学の立派な講堂をお借りすることができた。真野先生、山見先生には、講義もしていただいた。他に順天堂大学病院の河合先生も、この関東学生潜水連盟のSAIをバックアップして頂けることになっている。
SAIと言うと、何の権限があってアシスタントインストラクターを名乗るのだと問題視する人もいたが、実は関東学生潜水連盟では、安全対策主将会議というのをやっている。関東学生潜水連盟のホームページにその会議の報告が載っているが、ずいぶん頑張っている。安全対策主将、すなわちSAIのことではないか。ただ、安全対策主将などと言うと、同好会を好む学生たちは尻込みしてしまう。そんなところに、関東学生潜水連盟が人数的に後退していった要因があるのかも知れない。ただ、アシスタントインストラクターと呼ぶと、指導団体から白い目で見られるが、安全対策主将ならば、何も言わないという面はある。
しかし、ここまで来たのだから、お世話をして頂いているインストラクターの補佐をするとともに、インストラクター不在の場所での安全管理をする役割を果たす資格として関東学生潜水連盟のSAIを確立させたい。
このプロジェクトをはじめた時、学生の中には、そんな責任のある資格はつくりたくない。責任はすべてお世話をしてくれるインストラクターまかせで良いという人も居た。責任は既に負ってしまっているのだ。自分の命に対する責任、一緒に潜っている仲間に対する責任はダイビングをはじめた瞬間から負ってしまっている。事故の場合に法的な訴追を受けるか受けないか、それはまた別の問題だ。
今2016年に2006年に書いたものを見る。自分は、ずいぶん変わったとおもう。
SAIは、なくなったけれど指導者のミーティングができた。
それでよかったのかどうかわからないが、今わかっていることは、僕の位置から見て、学生連盟をお世話することは、監督コーチの居ない学生をお世話するのか、監督、コーチを応援するのか二者択一で、そして、学生との付き合いは、賽の河原の石積みと同じ、必ず毎年、突き崩され、また積み上げる。2003年から2013年までその繰り返しだった。繰り返えしを否定するものではない。毎年、それなりに楽しかった。