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0328 スキンダイビング・セフティ

スキンダイビング・セフティ (仮題)について、

スキンダイビング・セフティという本を書いている。しかし、セフティというタイトルなのに、危険に就いてばかり書いている。セフティとは危険を避けることだから、まず、どんな危険が会って、どうしたら避けられるかをかくわけだから、まず、最初に危険ありき、となるのだが、どうしても危険と事故例の列挙になってしまう。
こんな本を出したら、スキンダイビングをやってくれる人などいなくなるのではないかと心配する。
この心配、どこかでしたことがある。この道はいつか来た道、だ。1960年代、最初にアクアラングの本を書いた時だ。危険だなんてい知らせたらだれもダイビングなどやってくれなくなる。
僕も心配したが、スクーバダイビングの講習をビジネスにする、つまり誰かが言っていたスポーツを商品にするにあたっては、この商品は危ないです。近寄ると危険ですではだれも買ってくれそうもない。第一、危険なものを売ったりしてはいけないのではないか、と悩んだ。

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今度の本ではスキンダイビングを区分けした。①スノーケリング、これはフローティングベスト着て、浮くベストを着ているわけだから潜れない。だからダイビングとは言えないでスノーケリングなのだ。
だから、スノーケリングの定義は、水面に浮いて、フィン、マスク、スノーケルで海の中を覗き見ながら泳ぐ、海水浴よりも安全な遊びだ。
できれば海水浴も沈まないようにフローティングベストを着けるべきだ。
昔、僕の小学生時代、戦争が終わって直後だが、水の事故でずいぶん沢山の子どもたちが毎年死んだと思う。そのころは、3人兄弟でも少ないと思われたのだから、5人、6人兄弟は普通だった。一人ぐらい死んでも仕方がないと思われていた。だから、わんぱくなんて言葉が通用した。もちろん死んで良いわけがないが、体を鍛えないと生き残れないのだ。体を鍛えても、18歳ぐらいになると、結核で死ぬ子が、これも水死とおなじくらい。そんな時代だった。
やがて、社会が少し豊かになると、「われは海の子」をうたった臨海学校が東京の各区に幾つもできた、夏休みになると、都会の学校が臨海学校をやる。日本は海の国だ。しかし、臨海学校でも水の事故がおこる。そして少子化だ。臨海学校はやがて壊滅した。一人でも水死事故がその学校の臨海学校で起きたら中止が検討される。
 .しかし、日本は海に囲まれた海の国だ。臨海学校の全滅は困る。そこで、絶対に近く水死事故がおこらない方法として、フローティングベストが提唱された。
 僕が常務理事を務める社会スポーツセンターでも、このスノーケリング協会を作った。僕もスノーケリングシンポジウムなどを開催してフローティングベストの宣伝につとめた。
しかし、フローティングベストを着けるスノーケリングは、潜水、ダイビングではないのだ。自分でも提唱し宣伝にも加わっていたのだが、スノーケリング協会の役職につく事はできなかった。
僕が活動するホームグラウンドの一つ、浦安市営の屋内プールで、市の主催行事として、スノーケリング講習会をやることになった。このプールは、可動式の床で、水深3mまでになる。可動式だから水深90cmでもいいわけで、沈まないスノーケリングもできる。しかし、習いに来る子は、スイミングスクールなどに行っている子がかなり居て、水泳ができる子にフローティングベストを着せて浮かせて泳ぐのでは、習いに来る子も僕も面白くない。水深3mまで潜らせるスキンダイビングを教えるようになった。片方で、スキンダイビングを教えながら、スノーケリング協会の会長になるわけには行かない。

しかしながら、今度、スキンダイビングの安全追求をやると、スキンダイビングの事故例を集めると、フロートを着ける遊泳がまちがいないとも思う。一方で、潜るスキンダイビングで子どもたちが潜って遊べる、より安全なスキンダイビングを追求シたいとも思う。
スノーケリングガイドブック、スノーケリングテクニックガイドという本、これは二冊とも、長谷川孝一という方が書いていて、ほぼ同じような本を二冊も書くくらい売れている。写真を見ると、水深2mぐらいは潜っていて、ドルフィンスイミングも中に含まれている。そして、その写真を、僕のバディで、今はない鶴町が撮影していて、今かわいがっている鶴町の娘である、映美と美帆がモデルをしたりしている。今度のスキンダイビングセフティの共著者、岡本美鈴も出てくる。主として楽しいことが沢山出てきて、危険なブラックアウトとか、肺水腫のこととか、溺死の例などは出てこない。

 まあ、スキンダイビングと呼ぶか、スノーケリングと呼ぶかだけのことなのだが。

 

0329 お台場 クラゲ 

 3月末、桜も咲いたというのにお台場の水は冷たかった。水温13℃とか。ダイブコンピューターの水温表示はあてにならないけれど、素手で入ったら、3分ぐらいの間冷たかった。天候は晴れから曇り、やがて小雨も降ってきた。 
 準備をしていたら、管理事務所の人が、水中人間が場所を占拠しているので、半分明け渡すようにと言ってきた。そういう電話があったという。行事届けをしているのだから、と突っ張れば突っ張れないことも無いけれど、と迷った。ロシアの四島占拠という前例もある。争っても仕方がないので、四個のテーブルを、二島変換した。器材を洗う段になったら、また三島占拠した。

 冷たかったので、2回めの潜水を早めに切り上げて、2時半には終了した。
 それでも戻ってきたら、眠くなり、2時間寝てしまった。

 もしかしたら、メバルの幼魚が見られのではないかと期待したが、本当に小さい、ようやくプランクトン卒業したぐらいの子が2-3尾、岩の陰にちょろっと見えた。そのためのマクロだと設定を変えているうちに消えて見えなくなった。岩の奥深くに逃げたのか。魚を子と呼ぶ人がいるけれど、そんな人が子を食べている。僕は子を食べないけれど、子とは呼ばない。でも、本当に子という感じの幼魚だった。写真はない。

 本当に魚も蟹も見当たらない。奥の杭まで行き、蟹の穴蔵を覗きこんだが、留守、どこに避寒しているのだろうか。
 クラゲに出会っただけ、クラゲでカメラの比較をしよう。

 お台場に限っては、偽ものと言われるUMOX HDのウエアラブルカメラ、1万4千円が気に入っている。4万円のGoProよりもずっといい。それと、今日はニコンの30m耐圧と比べて見ることにした。二つ並べて、ニコンが真ん中、HDは右隅み、ライトは左に2500,右に700ルーメンだ。

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   アカクラゲ HDウエアラブル ここから下、何枚かは全部HDウエアラブル

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   アカクラゲの触手の先端 このくらい撮れれば 実用にはなる。

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   カミクラゲ

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  清水まみ さんに出会った。

 此処から先が ニコンCOOLPIX
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  アカクラゲはあんまり 偽HDと差がない。今後ニコンは不要?

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       カミクラゲ このくらいまで寄ると、差がでてくる。

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       拡大すると

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       偽HD の拡大、さすがにニコンの方が良い。


      二人で何やら瓶の中を撮影している。
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       プランクトン時代のクラゲの幼生、尾島さんの奥さんが採ってきた。この人は偉い。
       ニコンのマクロで撮影。

 さて、ニコンCOOLPIXの水深表示だが、カメラの画面には表示される。PCで処理すると消えてしまう。やり方があるのかもしれないけれど、このままでは意味が無い。水深はダイブコンピューターで見れば良いので、再生画面に取り込めなければ、面倒な設定などして、表示する必要はない。やはり、潜水したことのない技術屋の道楽か。 でもこのカメラは使いやすいので悪くはない。そんなことまで期待するのは、この価格では無理か

 

0330 夜桜

 夜桜を撮りに、ニコンのCOOLPIXとオリンパスTG2を持って街にでた。毎年、ここからとっているという定点だ。どちらも思うように撮れない。ペンタックスの方が良かったのかなと思ったりするが、とにかく撮った。パターンを色々変えて撮ったが、所詮はこんなものか、というレベルだ。意外なことに、みなさんが構えているスマホの方が、よく撮れているのではないか?
道行く人のほとんどがカメラ、スマホを構えている。
一緒に並んで撮影するのが恥ずかしい。
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後期高齢者と呼ばれるようになると、後何回この花をみることになるだろう。そんなことをフェイスブックに書いたら、慶応大学の教授である萩原先生が、「人生の扉」という曲を贈ってくれた。サクラソングの最高傑作だとおもっている。萩原先生が贈ってくれたことがとても嬉しかった。
 この歌が好きで、だから竹内まりあも好きで、聞くと涙ぐんでしまうけれど、80歳は大丈夫、90まで生きる、と簡単に励ましてくれても困る。、高齢者クラス会のともだちどうし集まって、また来年も会おうねと肩を叩き合って幸せには生きられないDNAだ。
 最後までファイティングポーズを取って生き、死にたい。ファイテングポーズを取っていれば、パンチも飛んでくる。幸せではない。
 夢と冒険を追うことをキャッチフレーズにして生きて来たのだけれど、ここまで来るともう夢は無くなって冒険だけが残る。生きているだけで冒険だ。などと自分を励ますのだが、やはり夢を追っている。しかし、夢のサイクルが短くなっている。2年以内に実現しなければ間に合わない。突進しなければいけないのだが、突進するパワーが無い。同時に二つの事を回転させられない。
 でも愚痴はなるべくいわないようにしようと心に言い聞かせている。
 JAUSのことも、なんとか形をつけて行かなくてはと焦る。他の団体とは仲良くしよう。お父さん、前はもっと尖っていたのに、と娘に言われる。しかし、残りすきない時間だから、できれば、人と競わず、自分でなければ出来ないことをやりたい。ようやく80歳80mの構想が固まりつつある。プロとしての混合ガス潜水をどのようにやって行くかを追いたい。成功すれば、プロが集まる団体を目指すことができる。今の形はホールドして、新しい分野を目指さなければ、自分としての存在意義がない。大きく構えると、とても今年のうちにはできそうにない。でも、先を見るのが夢だから、今年で終わるよりも良いかもしれない。しかし、第一段階をやり遂げてゆかないと、自分の生命がまにあわなくなってしまう。
 僕の「人生の扉」だ。

0402 スキンダイビング・セフティ

「スキンダイビング・セフティ」を書いている。
その総論部分で 「危険と安全についての基本的な考え方」を書いたが、すっきりしない。どうしてもその文章が気に入らない。
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 自分の意志でコントロールできない自然の中に入ってゆく、それが、人間が呼吸できない水中であったならば、それは、危険である。人間には、社会生活の中でも、日常の生活でも、敢えて困難な状況に立ち向かって行く本能のようなものがあり、これがなければ人間は進化してこなかった。その、敢えて困難な状況に挑むという活動を、冒険という言葉で表現する事ができる。水の中に入って行く活動、水の中で行う労働、水中で行われるスポーツ、つまりダイビングは全て冒険と言える。冒険はいけないというのならば、水中に入って行く活動は否定される。
 よく、「安全潜水」などという言葉が使われるが、これは、「ダイビングとは安全なのですよ」という意味ではなく、「ダイビングとは、危険を避ける手段、危険を避けずに克服する手段を常に追求し、想定し、実施していなければ、生還できない冒険なのですよ」という意味だと解釈する。「安全潜水」とは、「安全を追求している潜水」であり、「潜水とは安全なものですよ」ではない。 スキンダイビング・セフテイというタイトルも、スキンダイビングの安全の追求という意味である。
危険と安全の追求は天秤秤の両側に載せる重錘のようなもので、危険が重くなれば安全追求の重錘を増やさなければならない。この釣り合いを微妙なものとせず、圧倒的に安全追求を重くしておくことが、安全、つまり生還の可能性が大きくなる。
ここで、いちいち「安全追求」と書くことを「安全」と省略しているのが「安全潜水」という標語になる。

ここまでの説明がくどい。気に入らないのだが、これを全部カットしてしまうと、どうなのだろう。カットしたほうが良いか?カットしてしまって「安全潜水」などというから、ダイビングは安全という意味にとられる。それとも、こんなことにこだわっているのは自分だけなのだろうか。
くどい説明を全部カットしてしまって
例えば
  安全に、絶対の安全がないように、絶対に不可避な危険もない。危険を避けるためには、存在する危険を知り、分析して、避ける方法手段をもっていなければならない。スキンダイビング・セフティ は、安全なスキンダイビングを行うために、スキンダイビングに内在する危険、そして克服のためのトレーンングと危険をさける手段、手法を中心として述べた。
安全追求のために必要なことは、想像力である。危険とその発現について明確に思い浮かべて、事前に対処することが要求される。具体的な事故例を幾つか述べたのはそのためである。
とにかく、ここからは、くどい説明、エクスキュースをカットする作業に入る。
そして、各論を書く共著者の書いたものを全部見てから、総論にもどろう。総論にそって共著者に書いてもらおうなどというのは、思いあがりにすぎない。



0403 マリンダイビングフェア

マリンダイビングフェアから戻ってきて、寝てしまった。昨日は辰巳のプールで、よく疲れ、今朝は、そのプールの会員登録の整理と進行中のスキンダイビング・セフティの連絡とか、割りと良く働いて、12時30分頃に慌ただしく、でかけていった。15時30分からはじまる、鈴木あやの のオリンパスでのトークを見にゆくという、口約束、ではなかったフェイスブック約束をしていたので、それに間に合うように部屋をでた。
 なにか、今朝のオープンでは長蛇の列が出来たとかで、混んでいるのかと思ったら、それほどでもなく、こむのは明日の土曜と明後日の日曜日なのだろう。
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 中村征夫の写真展、フォトコンテストは、横目で通り過ぎる。カメラ器材のところでも、別に見るものもなければ、話をすることもない。1月のビズショウでその辺りはおわっている。ガイド会の川村さんがおられたので、挨拶した。これもフェイスブックでよくわかっているけれど、初対面だ。初対面でもこちらから声を掛けたくなるような人だ。久米島の鯨に水に入って撮影出来る理由。慶良間は一切、潜ってアプローチすることが許されず、20年ほど前だったか、テレビ番組の撮影で、強引に僕が慶良間の鯨を撮影したことなどはなした。しかし、なぜ、鯨にスキンダイビングでアプローチしてはいけないのだろう。言ったことはないけれど、トンガでも、潜れるようだし、潜れる国が捕鯨に反対で、潜れない、日本が捕鯨をしている。それは、鯨にとっては、射たれて殺されるのも嫌だし、潜って追いかけられるのも嫌かもしれない。写真を見ていると、別にダイバーをそれほどうるさいとは思って居ないようにも見受けられる。そんな、話をした。
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 アクアパッツアで、色とりどりのハウジング、中程度の大きさのハウジングが並んでいて、僕は今、TG2とかCOOLPIXにこだわっていて、このクラスのカメラでどんな写真が、どんなふうに撮れるかを見ているが、隣のフィッシュアイのような超高級機と、ここのやっているような中級のハウジング、そして普及機で、そのまま水中に持ち込めるカメラ、そしてウエアラブルカメラと四層に分かれている。アクアパッツアの層があること、存在価値と理由があることはわかるのだが、隣のオリンパスが超立派なカタログをだしているプロテクターとの勝負は難儀なことだろうと、エールは送るけれど、購入には至らない。
 
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 多分自分のプロジェクトでお世話になるゼロは、かぶりもの、フードとか腰にまくサロンとかが中心で、ここでは本業の?ドライスーツはだしていない。このごろの冠りものは、ウミウシが中心だ。なるほど、この頃の子はウミウシになりたいのか、と、なっとくするようなしないような。
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 PADIのダイビングショップは、昔のどこかの客引きのようなビレッジを作っていて、その突き当りにSSI がある。CMASとかJPとかJUDFの陰も見えていない。深く考えても仕方がない。
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 PADIでは、我がJUDFの唯一のここに出店しているPADIショップである熱海いずさんダイビングショップの大久保衛さんと話しこむ、そこで、レクリエーション用人工魚礁の設置は、ここだったと今更のように目が覚める。もう遅いかもしれないけれど、アプローチしてみよう。こういうふうに、歩いていて、動いていて、気づくことも多いとこのごろ思う。座っていたては見えないことが多い。後期高齢は視野狭窄だから、なおさらだ。

 日本全国のダイビングサービスが軒を並べている、けれど、知っている人も少なくなり、。こちらもJAUSをやっているので、名刺を持っていちいち挨拶するべきなのだろうけれど、パンフレットを差し出され、黙礼して通過。

 海外、毎年ヤップ島の安井と挨拶するのが恒例、ここで記念撮影をしようとCOOLPIXを出したらバッテリー切れ。昨日、プールで使って充電していなかった。TG2と両方持ってくるべきだった。水中撮影ではバッテリー切れに神経を使うのに、陸上の撮影ではいいかげんだ。昨年、イスタンブールでバッテリー切れで泣いたのに、経験がいきていない。ヤップ島には、もう一度行きたい。けど。
 チュークを見たら、太ったおばさんが一人座っていた。ブルーラグーンの人?と声をかけようと頭をかすめたが、実行するわけがない。

山入端さんのところで椅子に腰掛けて記念撮影。僕のカメラはバッテリーがない。
社会スポーツセンター、DAN, レジャー・スポーツダイビング産業協会 これは建前えコーナーでちょっとばかり、しなくても良い話をする。

15時30分になったので、約束?の鈴木あやの のトークを聞きに行く。聴いても聞こえない。いつもスッピンの内輪付き合いだけど、メークするとさすがに美人!!。5分でさよならした。手を振るわけにもいかない真面目な商品説明していた。


 池袋からサンシャインは遠く、サンシャインの行き止まりの会場、往復歩いて、会場でも立ちっぱなし。疲れたから戻ってきた。明日は海洋大学で社会スポーツセンターのセミナーがある。明後日は原稿で超忙しいはず。
終り頃に行った方がよかった。要領が悪い。

0405 マリンダイビングフェア-2

 疲れて、午前中は横になって本を読んでいたのだが、ダイビングフェアで、新しいプロジェクトの打ち合わせで、人と会うことになって、出かけていった。
 ガイドの写真展、それぞれが、自分のテリトリーのベストを見せようとしていて、とても良かった。器材のレベルも撮影テクニックのレベルも高くなっているのだから、何を何のために撮るのだという目的意識がはっきりしている写真が見やすいし、気持ちが良い。ただひとつ注文は、キャプションと撮影したカメラマンの名前などの表示が、下の方にあったので、見難く、なお字が小さすぎた。写真点数は、上の二枚だけで良いので、もっと大きく見やすい位置に、置いてくれた方が、見る人にとっても、撮った人のためにも良いのでは?
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 新しいプロジェクトの打ち合わせは、とても良いと賛同したし、自分の80歳80m潜水のためにもなるので、これは良かった。

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 シーラカンスは、 このようなところに、こういう形でいるだろうと予想した通りの写真が撮られて、本になっていて、発表もされている。水深120mでの撮影というから、40mまでしか潜れなかった僕が手がけて居て、どうにもならなかっただろうけれど

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大岩先生が、おいでにならずにパネルだけの展示
溺水+心血管疾患 対 減圧症はおよそ90:1 減圧症で死ぬ人などいない。たいていは病気か溺れだ、というのは僕の持論でもあるのだが、では、どうしたらいいのだ。高齢者はダイビングをやめるのが正しいのか?僕の最後のチャレンジのテーマだ。スキンダイビングの本でもそのことを書いていた。
「ダイビング参加者の健康の確認について。
 高齢であるということが、すでにいくぶんかは健康障害者である。いわゆる健康診断を受けて、医師がダイビングをやって大丈夫ですと責任を持って健康診断書を書いてくれる状態の人は少ない。持病があるならば、定期的な診断を受け、血圧が高ければ、常時血圧を測定し、コントロールして、禁煙はもちろん、飲酒もほどほどにひかえて、できれば禁酒、日々、出来る範囲のトレーニングを継続することが、参加の条件であろう。」
 という他ない。
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  ヤップ島の安井さん。 一昨日カメラの電池切れで撮影できなかった。毎年、このフェアでだけおめにかかれる。もう一度、ヤップ島に行くチャンスがあるだろうか?

0408 スキンダイビング・セフティ

 僕の書いた本のほとんどが共著である。
1966年「アクアラング潜水」浅見国治 と共著
 浅見国治は、東京水産大学の僕の一級したで、創立時の日本アクアラングに入社してアメリカに行き、NAUIの多分二期目のインストラクター、日本で始めてのインストラクターになった。PADIはまだその時点では存在していない。故人になってしまった。
1972年 「水中写真の撮影」小池康之と共著
 小池康之も水産大学の後輩で、後の水産大学の講師、准教授になった。水中撮影に限らず、生物写真の撮影で、百科事典などの写真を多く出していた。
1976年 「スポーツダイビング入門」竜崎秀夫と共著
その当時、竜崎は新宿のDOスポーツの指導責任者デアリ、後に潜水指導団体JPの代表、
1978年 「潜水と水中撮影入門」 後藤道夫と共著
後藤道夫は生涯の親友、 故人
2014年 「よくわかる潜水士試験 完全攻略テキスト&問題集」工藤和由と共著
工藤和由は札幌のポセイドンで店長、北海道、大学、専門学校の潜水の講師をいくつも引き受けている。
2014年 ニッポン潜水グラフィティ」これは共著ではないが、須賀潮美の協力がなければ、出版できなかった。

共著の良いことは、親戚同様の付き合いになること、情報を共有できて、自分も共著者も進歩する。本の内容程度も高くなる。

そして、今度2015年、「スキンダイビング・セフティ」
千足耕一(東京海洋大学准教授)藤本浩一(東京海洋大学准教授)岡本美鈴(フリーダイビング、アジア、日本記録保持者)そして僕、の4人の共著になる。
それぞれが力を合わせれば、スノーケリング、スキンダイビング、フリーダイビング、そして、大学実習の情報共有、互いの進歩が期待できて、この本そのものが息こらえ潜水についての、画期的なテキストになるとともに、互いに親しくなることで、日本の潜水文化に新しいものを付加できるとおもう。そして、何よりも、自分が勉強している。
 千足耕一は、筑波大学卒 鹿屋体育大学での海洋教育センター長、をへて東京海洋大学に移った。
藤本浩一は、フリーダイビングについての生理学的な研究をしている、自らもフリーダイバーであり、男子の日本記録保持者の篠宮君の生理学アドバイザーもやっている。篠宮くんも大好きで、この共著におねがいしようという考えもあったが、現在沖縄で活動中で、大至急働きが目標のこの計画には無理のようだとあきらめた。
 岡本美鈴は、垂直潜降、コンスタントのチャンピオンであるだけでなく、所々で、息こらえ潜水の安全のための講義などを引き受けていて、その縁でこの計画が始まった。
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 昨日この本のための撮影を浦安海豚倶楽部の練習会に場所を借りて行なった。千足先生もきてくれて、岡本さんと本当に良いチームワークで、レスキューの撮影ができた。

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 本当のことを言うと、共著チームに加わって貰いたい人が、何人も他にいたのだが、まとめ役としての僕の能力キャパシティが間に合わない。そして、本当に速攻でつくろうとしてために、4人にとどめた。
 この本の経験を活かすことで、また別の何かが生まれるだろう。
なかなか良いチームで、僕が居なくなった後にも、母校である東京海洋大学で何かができるかも知れない。

 次の僕のプロジェクトは、自分の80歳80m潜水を軸にして、混合ガス潜水の研究デアリ、これも、本を書けるような形でまとめたい。問題は、良いチームができるか否かであり、とても難しい。

0410 スキンダイビング・セフティ

 なんてったって、人間、ダイバーは深く潜りたいのです。1964年の90m、1996年の103m,201?年の80m、僕は、その時々で自分ができる範囲、限界で深く潜ってきた。
スキンダイビング・セフティという本を岡本美鈴、千足耕一、藤本浩一と一緒に作っている。スキンダイビングの安全と言いながら、実はフリーダイビングにかなりの力点をおいていて、フリーダイビングについてのスペースが半分です。スノーケリング、スキンダイビングと対比的に見ることが、フリーダイビングの本質が見えるとともに、スキンダイビングの安全、スノーケリングとは?が見えてくるというコンセプトです。

 ほっとけば、野放しにすれば、人間は深く潜りたいので、深く潜って行き、深く潜るのが好きです。そしてまた、猫が箱に入りたがるのと同じように、ダイバーも洞窟に入り込みたがり、沈船の狭い隙間に入りたがるのです。大深度、洞窟、沈船、この三つが、ダイビングの冒険的、かつ一般的な目標です。それを引き止めているのは、危険だから、ではなくて、経済的な理由です。

まず、大深度について、道具(水中呼吸器)を使って潜ろうとしたのが、スクーバです。
水中呼吸器を使わずに、生身の自分だけで潜ってゆこうとしたのが、フリーダイビングのはじまりです。ダイバーを引き止めているのが、危険ではなくて、経済的な理由であるとすてば、金のかかるテクニカルダイビングよりも、フリーダイビングという選択になるのでしょう。これから先、フリーダイビングがどんな展開になってゆくのか、昨日、岡本美鈴と対談しました。三つを比べる、対比して論じるためには、まず定義が必要です。
 スノーケリングは、フローティングジャケットを着けて、水面に留まる。潜ることによってすべての危険が発生するわけですから、これは一番安全。次が、スキンダイビングで、僕は、これを5mクラスと、10mクラスに分ける事を提案しています。10m以上潜る手段の習得がフリーダイビングになります。ダイバーは深みを目指すから、これから、多くなると思われます。多くなることは混乱、そして事故は人数に比例するから、事故は増えてゆくと思われます。そんなことを昨日話した。
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 そして、その事故は、スキンダイビングの定義の範疇で起こることが多いと予想されます。だから、スキンダイビング・セフティなのです。実はこのことは、最初から見えていたことではなくて、この本を作りながら、岡本美鈴、藤本浩一(彼もフリーダイバー)千足耕一と話し合いながら、見えてきたことなのです。
 フリーダイビングの技術を習得したダイバーがスキンダイビングをやる。まず、セフティルールを提示しておく必要があります。僕の論では、セフティルールとは、ローカルルールのことです。ローカルルーフとは、そのグループ、もしくは個人が、ある水域で、どういう状況で、何を目指しているか、によって定めて置くべきルールで、このルールが無い、もしくは間違っていると事故発生の可能性がたかくなり、またレスキュールール(これも個別ですからローカルルールですが)が確立されていないと、重大事故に陥ルのです。

 全然違くことを書こうとしていたのに脱線して、ここに来てしまった。この頃、このことを考え続けていた、頭から離れないからでしょう。

0411 スキンダイビング

 今日は館山の人工魚礁潜水の日だったが、波が高くNG. 原稿も含めて、デスクワークが山になっているのだけれど、なんとなく、手が着かない。ブログをようやくひとつだけ。

スキンダイビングについて持っている本、

スポーツ潜水 鶴耀一郎 1973
ジュニア スキンダイビングマニュアル 木村京子 1991
イルカと海に還る日 ジャック・マイヨール・関邦博 1993
アプネア ウンベルト・ペリッツアーリ 早川信久 1996
ダイブ ピピン・フェレーラス 2005
スノーケリング指導者教本 日本スノーケリング協会 2006
ブルーゾーン  篠宮龍三 2010
スノーケリングテクニックガイド 長谷川孝一 2013

 時系列で並べてみると、これらについて、論じてゆくと、スキンダイビングがどういうものか、見えてくる。その延長線上に今書いているスキンダイビング・セフティがある。
もしかしたら、ここに書くことを整理して、スキンダイビング・セフティに載せてもよいのだが、スペースがない。

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   この表紙だが、鶴の写真ではなくて、なぜかダイブウエイズ社長の武田さんが写っている。


スポーツ潜水 鶴耀一郎 1973
 まず、ここから見てゆこう。
 この本はスキンダイビングの本というわけではなくて、スクーバも含んだスポーツ潜水全般について書かれている入門書になっている。
 しかし、鶴耀一郎といえば、息こらえで魚を突くことについては、不世出といってもよい。彼は、1967年に発足した日本潜水会の最初からの中心人物である。その日本潜水会が、趣味的、スポーツとしての魚突き、スピアフィッシングを禁止にしていまった。スクーバのスピアフィッシングはいけないとしても、スキンダイビングのスピアフィッシングは、国際大会もあることだし、認めたらどうだ、と最後まで議論を重ねたが、漁業者でなければ、禁止するべきだということになった。ならば、漁師に、漁業者に慣れば、魚付きも認められるだろうと、奄美大島で潜水漁師になった。魚を突くことについては、漁業組合員になり、漁として行えば、良いのだろう。
 魚突き禁止(自分たちのルールとして)が1967年、この本は1973年なのだが、巨大魚を突いた写真がふんだんに載っているし、彼のブルーオリンピック(国際的魚突き大会)での活躍も載っている。
 ダイビング全般の入門書ではあるが、その50%はスキンダイビング関係である。
 そして、スクーバダイビングの基礎はスキンダイビングであるというフィロソフィーを通している。
 
 書かれているエピソード、ブルーオリンピックのこと、シャークハントのこと、息こらえ競争のこと、ジャック・マイヨールのこと、どれもが興味ふかいが、ここでは、息こらえコンテストと、ジャック・マイヨールについて取り上げる。
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 息こらえコンテストについて
 たしか南米の何処かの国から来た、息こらえの世界チャンピオン(当時)を迎えて、テレビのバラエティ番組で鶴曜一郎が挑戦者として出演した。スタジオだから、風呂桶、それも小さい風呂桶に入れられての競争だった。
「女性代表で出場して海女さんは、1分前後でストップ、そして世界チャンピオンが持っている記録は5分35秒
私も過去に何回か失神した経験がある。しかし、渡しの場合は長い間素潜りをやってきた中で体得したユニークな技術がある。それは、限界までこらえていて、もうこれ以上ダメだという状態の時には、必ず水面に顔を出していて、一回呼吸してから10秒可20秒失神するのだ。
 自分で言うのもおこがましいか、この一回呼吸するまでは理性の強さというか、限界を見極める一つのバロメーターを自分自身でしっかりつかんでいるという自己管理につながっているのだと思う。
 結局この挑戦は、チャンピオン氏が4分30秒でストップ、私はそれを横目で見ながら、5分17秒まで我慢した。そして、水槽から立ち上がり、一呼吸してからぶっ倒れた。つまり失神慕わかだが、①呼吸してあるので、人工呼吸などを受けなくても、20秒ぐらいで正常にもどれた。」
 
 今行われている競技は、失神、ブラックアウトしたら失格だから、失神できないが、顔を出したら直ちに何回か吸い込ムということは大事だ。
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 マイヨールについて
 「マイヨールが日本に来て伊豆の伊東(海洋公園)で潜った時、私達はボンベを着けて、水深80mのところにいた。この水深では、ボンベがあっても命がけで潜らないと潜れない深さだ、
 ところがマイヨールは、素潜りで80メートルまで潜った。公式には、80mのところにある札、を拾えずに、76メートつの札だったので、記録は76mになった。」

鶴曜一郎も80mに素潜りで潜りたかったはずだ?
しかし、こう書いている。
「日本人はやはりエコノミックアニマだから、夢よりも現実をもとめてしまう。深く潜るよりはダイビングショップの方がというわけだが、私を含めてだが、私も深度にいどくことはまず無いと思う。
 しかし、彼らの様に素潜りで深度に挑戦するということは貴重だ。」
 鶴曜一郎は、たしかに、金銭感覚にきびしい奴だった。お金にならないと潜らなかったけれど、潜れれば潜りたいと思ったに違いない。
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0412 ジャック・マイヨール

イルカと海に還る日 ジャック・マイヨール・関邦博 1993

フリーダイビングを調べたり、フリーダイバーの美鈴さんと、一緒に本を書いたりしていると、いまさらのように、ジャック・マイヨールが、フリーダイビングの原点だったのだと思う。そしてこの本「イルカと海に還る日」も、大きな影響を与えている様に思う。
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 この本は関邦博訳、となっているが、訳本のすべてがそうであるように、関さんのセンスと才能が、特に今の僕が参考にしたいような、後半の字が小さくなっている技術的な部分では、ほとんど関さんが書いたのではと思う。今、彼が日本に居たならば、相談できたのに。
今、月刊ダイバーに60歳の時の100m潜水のことを書いている。その中のエピソードで、地中海コルシカ島の宝石珊瑚採りダイバーを訪ねるところを書いている。一人で100m潜るスクーバダイバーのアランだ。アランは関さんに紹介してもらった。
関邦博博士は、風のうわさでは、南米のボリビアで麻薬の研究をしているとか。

今、なんとか関さんとメールがつながるように、努力しているけれど、アドレスが見つからない。彼は、メール魔だから、繋がりさえすれば、と思う

また脱線している。本筋のマイヨールにもどろう。マイヨールについても書くことがたくさんある。また脱線しそうだ。「イルカと還る日」にもどろう。
 「イルカと海に還る日」から抜粋。
「マイヨールが長く息をとめて潜れる理由のひとつに、ヨガによる呼吸法を身につけていることが挙げられる。彼はそれを独自の呼吸哲学と共に身につけていった。
人間はふだん、呼吸するときは意識していない。ほとんど無意識のうちに、息を吸ったりはいたりしている。マイヨールによれば、これと同じ状態に水中でなるのが理想だという。つまり、息をするのと同様に、息をしないのも無意識になるである。」
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また、彼は日本の伊豆海洋公園に来た時に禅をまなんでいる。
「私が100mの深さに挑んだ時、潜水時間は3分40秒だった。今から自分が呼吸を停止する時間を思って、心理的に圧迫をかけてはいけないので。
つまり、息を上手に長く止めるには、息を止めることをあまり考えてはいけないのだ。呼吸行為そのものが無意識下で行われるように、呼吸停止そのものも、無意識下で行われるのが望ましいのである。
私が禅を学んだ日本の伊豆では、大師から非常に大切なことを教わった。
大師は座禅する私に笑いながら、こういったのだ。
「ノーシンキン、ノーシンキン」
 このメッセージは、余計な言葉など無く、直接的でしかも完全なものだ。」

 これを読んだ僕は、深く潜るには、「ヨガをやらなくてはいけない。そして座禅を組んで、何も考えてはいけない」と要約して、とても出来ない、と思った。
確かにヨガと禅は神秘的であり魅力的だけど、実際には、ヨガとかしなくても、練習によって3分程度まで息をとめていられるようになるし、この頃のスタティック競技の練習をする子たちの多くは、3分を超えて息を止めることができる。
その辺りの秘密については、スキンダイビング・セフティで追求している。

マイヨールとも何度か席を同じくすることがあったし、マイヨールが自殺した時、いろいろと考えて、ホームページに「マイヨールはなぜ死んだ」を書いた。

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 これは月刊プレイボーイ2002年4月号

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  これは上記のプレイボーイ誌から、マイヨールが亡くなった、エルバ島の家だ。

この写真を撮ったのは、ヨットの写真家で名が通っている添畑薫、僕の親友だ。
なぜ死んだ?といえば、孤独、だと思う。
何処へ行ってもフリーダイビングの世界だったら、ちやほやしてくれるとは思う。
死ぬ直前まで、館山の成田均のところにいた。成田くんも誠心誠意、彼に尽くしていたと思うが、24時間付いているわけには行かない。
未だ、書くことはたくさんあるけれど、今日のテーマではない。脱線だった。


0415 ウンベルト・ペリッツアーリ

  ウンベルト・ペリッツアーリ、書きにくい。ぼくらはペリザリと呼んでいた。この本「アプネア」がでたのでウンベルト・ペリッツアーリになった。ついこの前だとおもっていたら、1996年20世紀のころだったのだ。
 ウンベルト・ペリッツアーリは、マイヨールのフアンで、エルバ島のマイヨールの家を度々訪れている。
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 マイヨールの時代には、まだコンスタントという競技名はないみたいだ。サボーラと呼ぶブレーキ付きの錘につかまって潜る、このサボーラを使う方法はヴァリアブルと呼ばれる。1991年ペリザリはコンスタントで67m、1995年に72mの世界記録(当時)を出している。ヴァリアブルでは、1996年に110m、アブソリュート、これは、浮上するときに膨張させた浮袋に掴まって浮上してもいい。錘で潜り、浮きで浮いてくる。なんでもありの種目で131mの記録を出している。
 だから、この本「アプネア」を出した時に、彼は三冠王になっている。
 その頃、ペリザリは、慶良間の座間味を訪れている。
 
 この本を訳した早川信久とは、名古屋の男で、1990年頃知り合いになった。岐阜の長良川をアアク・エイトの吉村と一緒に撮影している時に、わざわざ、宿に訪ねてきてくれたのだ。熱心に語り合い、一緒に撮影の仕事をしたいと誘ってくれた。相棒の吉村、‘(トラック島の沈船の撮影、木曽三川の撮影を手がけていた。僕の撮影会社がアアク・ファイブ、彼のために作った会社がアアク・エイトである。惜しいことに一昨年に亡くなってしまった。)、吉村に「どうしよう」と相談したのだが、吉村はあまり良い返事をしない。これで、三人組の話はうやむやになってしまったが、もしも手を組んでいたら、ウンベルトが座間味を訪れたテレビの撮影を一緒にやっていたかもしれない。そしてこの本も僕が関わっていたかもしれない。すべてイフの話だが、その後のアプネアとも僕は絡まっていたかも知れない。
 なぜならば、この早川君とウンベルト・ペリッツアーリをつないだのが、マイヨールのイルカと海に還る日、作った関邦博さんで、関さんと僕は、いっしょに日本のCMASを立ち上げた仲だった。そして、今、月刊ダイバーに連載している続グラフィティで、来月6月にでるコルシカ島の珊瑚採りダイバーの話も、彼のつなぎだった。
 その後の成り行きを見てみると、どうなったかわからないが、こうして僕は、ウンベルトにも接触せず、アプネアともかかわらなかった。
 もしかしてこの「アプネア」という本も関さんが作った本かも知れない。この本の後半の潜水技術の部分、そして、マイヨールと同じようなヨーガ、プラマナヤ についての部分は関さんが書いている。スキンダイビング・セフティの共著者、岡本美鈴もプラマナヤをやる。たしかヨーガの指導員だったはずだ。
 
 このへんの時系列が混乱している。この本の発行が1996年の10月で、ウンベルト・ペリッツアーリが三冠王になったのも1996年で、この本に記録が載っている。記録樹立と本の発行が同じ年だ。多分、1996年の夏に彼は記録を作ったのだろう。
 そして、その1996年の7月22日(海の日)に早川は、横浜ランドマークタワーで第一回国際水中映像祭をプロモートして世界から水中の映像を集め、日本からもNHKを始めとしていくつかの作品が出展された。そしてその映像祭の審査員に僕は早川君に呼ばれて行き、椎名桜子と、変な外人のローリー・イネステーラ、三人の鼎談までやっている。そして、その審査員に、当時館山にいたジャック・マイヨールが名を連ねていて、館山、坂田の成田君は、会場のパシフィコで、マイヨールの名入りのトレーナーなどを販売する出店をしていた。なんだか混乱した話しをしている。潮美が編集だったら、直ちに書き直しになる。ブログの用に書いてはいけないと。しかし、これはこれで、面白いと僕は思っている。
 椎名桜子さんは、作家で女優で翔んでいる人で、瞬間的ではあったが一世を風靡した。もしかしたら、覚えている人もいるかもしれない、その風靡している時に、この映像祭があり、この「アプネア」という本の発行人も椎名桜子になっている。その後、なにかで躓いて消えてしまったが、素敵な人だった。

 こんがらかった糸のような年だったが、僕とウンベルト・ペリッツアーリは、顔を合わせていない。顔を合わせていないが、たしか、その1996年の大晦日、日本テレビの年越しの番組にウンベルト・ペリッツアーリと早川君が出演している。
 元日のカウントダウンでフリーダイビングのコンスタントを、たしか鹿児島湾で行なって、日本新記録樹立を実況放送しようということだった。
 水中撮影は日本テレビから受けて、中川が担当した。僕は行かないで、大晦日、テレビで見て録画していた。だからこの録画は今でも持っているが、水中からの実況を、藤城美奈子さんにやってもらった。上手な水中レポーターで美人、その後も親交があり、結婚して生まれた子供がもう中学生?月日は飛んでゆく。
 その時の目標のコンスタント、男子 日本新記録は36m、これまでの記録、35mを破るということだった。選手は二人で、そのうちの一人にスポットライトを当てていて、彼のお母さんと妹さんが、東京のスタジオで見ていて、コメントする。テレビは、時間稼ぎのために、本当に馬鹿なことをする。
 一人は36mに成功、もう一人も、このシチュエーションでは、絶対に成功しなければならない。こういう状況に追い込んでこの競技をやったらいけないというパターンだった。必死を狙うのではなくて、目標を設定したら、その時の全力を尽くして、まだ、あと1mは行けるなとおもうところで浮上する。
 彼は36mのタグを取り、浮上する。そして、水面下50cmぐらいのところで停止して、背中を上にする。ウンベルト・ペリッツアーリが、水面でアシストしていた。直ちに顎を水面に持ち上げて、マスクを取る。ブラアックアウト レスキューの見本みたいなもので、無事だった。記録を達成したとテレビ的には盛り上げていたが、お母さん、妹の前で、死ななかったとしても、心マッサージで除夜の鐘を聞き、新年を迎えたら。どうだったのだろう。
 このシーンのリプレイでは、ブラックアウト部分はカットされていたけれど、実況だから、全国に流れた。

 その後、早川くんの国際水中映像祭は、トカラ列島で、次の年に行われたはずだが、僕に招待状はとどかなかった。
ネットで追跡したのだが、トカラの映像祭はでていない。
 国際水中映像フェスティバルというイベントもあって、その日本事務局長をやっている江本豊久くんも友人だが、神戸ポートピア、そして2008年沖縄那覇で行われた。
 国際ではない水中映像祭は、最近30回が行われ、成功している。

0417 ピピン・フェレーラス -1

スキンダイビング・セフティを書いている。スキンダイビング、フリーダイビングについて書いた本を参考書にしている。その参考書について、ブログに書いたならば、それはそれで、スキンダイビング、フリーダイビングのことをわかる手助けになるだろうと、書き始めた。参考書の事を書くのだから、材料が目の前にある。だから容易だろうと考えたらとんでもなかった。自分のこと、自分の考えを書くほうが容易だった。
特にこのピピン・フェレーラスは疲れた。要約のしようがないのだ。危険、また危険で、切り捨てようがない。途中でギブアップしようと思ったが、耐えて、その第一回。支離滅裂だが、整理している時間的余裕が無い。スキンダイビング・セフテイの原稿も書かなくてはいけない。締め切りが迫るのに、まだ全部の原稿を手にしていない。
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 ピピン・フェレーラス この人ともすれ違っている。ピピンとウンベルト・ペリッツアーリは、ちょうどマイヨールとマイオルカのように、深さの記録を抜きつ抜かれつした。錘に掴まって潜降し、水中で膨らませたバルーンで、矢のように水面に戻ってくる競技がアブソリュート、浮上は自分の力で、フィンキックとロープを手繰って上がってくる競技をヴァリアブルと呼ぶ。
 アブソリュートでマイヨールが100mを越したのは1983年の105mだ。そして、1988年にマイオルカは101mを潜っている。
 次に、アンジェラ・バンディーニが1989年に107mを潜り、同じ1989年にピピンが112mを潜っている。ウンベルト・ペリッツアーリが1991年に118mに潜ったが、ピピンに128mに潜って抜き返されたのが1995年、そして、再びウンベルト・ペリッツアーリが1996年に131mで抜いた。手元の資料最新ダイビング用語事典では、207年にオーストリアのハーバー・ニッチが214mに潜り、2012年には同じニッチが249mに潜ったが、脳動脈にガス栓塞を起こし、これ以上のチャレンジは無理、とほぼ人間の限界を極めている。

 たしか1989年のことだった。僕のところに、キューバと行き来しているという日本人のおばさんが訪ねて来た。ピピンという若者が、素潜りですごい記録を作っている。取材しないか?ということだった。当時、ニュース・ステーションの潮美の番組をやっていたので、水中撮影については、日本を風靡していた、と思っていた。しかし、それはカメラマンとしてであって、番組製作者ではない。でも企画書は書くことはできる。キューバにも行きたい。ニュース・ステーションの潮美の番組のプロデューサーに相談した。良い返事が戻ってこない。おばさんは、潜る練習のテープを持って来て、自分のことが信用できないのならば、むこうの事情をよく知っている人を、よこすから聞いてみてくれという。テープは、コンスタントの練習だった。70mのロープをおろして、潜っている。
 事情をよく知っているというおじさんに会った。ところが、彼はおばさんのことをギャランティしないのだ。サンプルの映像を見れば、カメラマンとして、撮りたいという魅力を感じる。しかし、ニュース・ステーションの潮美の番組は好調だったし、別の事をして、二兎を追うものになってもいけない。話を進めなかった。
 それからしばらくして、セイコーのCMにピピンが登場して、同時にニュース・ステーションでも特集として、何回か放映する。カメラマンは僕ではない。「しまった」とは思ったが、僕は忙しく撮影の仕事があったし、一人の人間が同時に二箇所で仕事ができないとも悟っていたからそれまでの話だった。

 ここから先はピピンの書いた「ダイブ」2005年 ソニーマガジンズ からの引用とそれにまつわる話だ。
ピピンは、1962年、キューバに生まれる。4歳から海に潜り始め、やがてスピアフィッシングの達人になり、ぶるーおr、機会をえてフリーダイビングの世界に入り、1987年にコンスタントで67mの世界記録を立てる。そのころに前述した売り込みが僕のところに来た。
ペリザリとは、当初良い友人関係で、一緒にトレーニングをしてりするが、競り合うようにして、記録を更新してゆく。
やがては、ウエイトを付けたスレッドでもぐり、リフトバックをふくらませて浮上するノーリミッツに嵌り込む。26歳で三つ年上のイタリア人のマネージメントの才能のある女性と結婚(二度目)をして、彼女の売り込みのお陰かテレビシリーズにでたり、170mの記録を作る。記録を作ったりテレビ・映画の撮影をしたり、コマーシャルにでたりで大きなお金がはいり、キューバで5軒の家をもち6台の車を乗り回すようになる。すべてフリーダイビングで稼いだものだった。
しかし、イタリア人女性と離婚し、
三度目の結婚をした。
1993年ペリッツアーリとの対決というタイトルで、ペリッツアーリはコンスタントで73mの記録で世界新記録、ピピンはノーリミッツで120mの記録を立てる。
しかし革命政府との折り合いが悪くなり、アメリカに亡命する。無一文になるが、まだまだ賞金稼ぎができた。水深70mで大きなハタを射止め映画などを作りある程度の成功を収める。
そして、カポ・サンルーカスで、カリフォルニアの大学で海洋生物学を研究している21歳の学生オードリーとであい、直ちに恋に落ちて一緒に暮らすようになる。
その頃、8ヶ月の間に二人のセフティダイバーを原因不明で失っている。
フリーダイビングのセフティダイバーというのも、危ない仕事だ。
そして、ダイビングに才能を示し始めたオードリーがセフティダイバーになる。
オードリーは、スタティックでも良い記録を作り、ノーリミッツでも80mの記録をつくる。
 1997年、ピピンは二呼吸、ツーブレスのダイビングを考えるようになる。潜降の途中でセフティダイバーから空気をもらって、さらに深く潜ろうというものだ。
スレッドで潜降し75mの地点で空気を吸い、150mまで潜ってリフトバックで浮上した。ピピンはアプネアのAIDAと喧嘩別れをして国際フリーダイバー協会(IFDA)を作る。1998年には日本のセイコーがスポンサーになり、IFDAをブレイクさせるために、
タンデムのノーリミッツを企てる。オードリーと二人で、ノーリミッツで潜るのだ。そのタンデムで115mの記録に成功する。そして、155mのツーブレスに挑み、成功するが、減圧症になってしまう。
 オードリーの献身的な看護で回復し1999年、二人は結婚する。

 ピピンは次から次へと生命を賭けるチャレンジを続ける。アブソリュートで身体を立てて落ちてゆくスレッドも考えた。タンデムも考えだした。これは、映画とかテレビ受けのためのものとして成功した。ツーブレスも、もしかすると減圧症の原因になったのかもしれないが、やった。
 そして、結婚、ここで終了すれば、ハッピーエンドになる。が、外で書いていて、PCのバッテリーが尽きた。ので、続く。

0419 ピピン

  「穏やかな日々が訪れた。天気がいい時はテストダイブを二三回行い、その帰りにはしばしばスピアフィッシングを楽しむ。
 オードリーは軽々と100m級のダイブをして、顔を輝かせて浮上してくる。全く楽にこなしたので、これならば、125mは大丈夫だと言ってやる。「耳抜きができないわ」とオードリー「その深さじゃあ無理なのよ。」
 確かに深いところでの耳抜きは難しい。肺に残っている空気が少なくなれば、耳抜きに使える空気もそれだけ少なくなるからだ。その点わたしは決定的に有利だった。肺の容量が大きいということもあるが、それよりなにより、ウエット・イクアリゼーションという特別な耳抜きをするからだ。これは鼻腔に勢い良く水を通して圧を抜くもので、効果は抜群だった。もちろん決して気持ちいいものではない。というより、苦しい。頭はひどく痛むし、鼻から多少出血することもある。
 「鼻にホースを突っ込まれたみたい」最初にトライしたとき、オードリーはそんなことを言った。「頭のなかが塩水の洪水を受けたみたいよ」」

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 何だ、この耳抜きは、ウエット・イクアリゼーションなんてあるのか。だれか、日本のフリーダイバーでできる人が居るのだろうか。調べてみよう。

 それからしばらク、ピピンたちは海のドキュメンタリー映画に次々と出演する。そして、「オーシャンメン、海へもっと深く」というアイマックスのグランブルーのドキュメンタリー版の撮影が決まる。ウンベルトとの共演になる。いろいろな経緯があり、ウンベルトはコンスタントで、ピピンはノーリミッツで別々の場所でおたがい世界記録に挑戦することになる。ウンベルトとピピンの仲は決定的に悪くなっている。まず、ウンベルトは、80mという記録を出す。そしてなぜか、ピピンのやるはずのノーリミッツもやってしまって、150mの記録をだしてしまう。そしてAIDAはこの記録を世界記録として承認する。
 ピピンはこれを上回らなければならない。
 2000年、1月16日、164mの記録に挑戦する。天気は最低、風邪も強く波も高く、ボートをアンカーで固定するのも無理だった。カウントダウンを始めるころには潮流も激しくなる。セフテイダイバーは延期しようというが、カメラマンはカメラを回してしまっている。強行してしまう。164mに手が届いたので、スレッドを切り離そうとするが、指が動かずに、12秒もかかってしまう。そして 浮上するが水面まで3mのところで、ブラックアウトしてしまう。
 「何人かに助けられて、私の身体が上げられた。誰もがパニックになり、セフテイダイバーがマウスツーマウスの人工呼吸をしようとする。ブラックアウトに陥ったら、決して無理やり意識を目覚めさせようとしてはいけない。失神するのは生体に備わった防衛反応出会って、目覚める用意ができて時には、自然に目覚める。無理矢理に空気を流し込んだり、胸をたたいたりすると身体に取り返しの着かないダメージを与える可能性がある。この時に適切に振るまったのはオードリーだった。「彼から離れなさい。」と怒鳴りつける。
 私は40秒間意識を失っていた。」
 ブラックアウトすれば、記録は認められない。二日後に、再挑戦して、162mに成功する。しかし、AIDAは、これを公式記録として認めなかった。AIDAのルールではなく、AIDAの審判が立ち会っていなかったからである。カメラもまわっているし、見物人もいたが。
 2000年5月、オードリーは125mのノーリミッツに挑戦し成功する。

 つぎにピピンはタンデムの国際フェスティバルを企画する。女性二人、男性二人の記録挑戦で、それぞれのパートナーはAIDAのダイバーだった。女性チームは110mに成功するが、そして、男性のタンデムでピピンは118mで、ピンが抜けずに20秒を無駄にして、ブラックアウトしてしまう。今度はまるまる1分気を失っていた、心肺蘇生を受ける。親しい医師の診察を受けるが医師はしばらくはフリーダイビングは続けられないと診断する。
 オードリーはAIDAとのトラブルはないと、今度は、AIDAの審判が立ち会って、130mの記録を作る。しかしそれも、2002年の夏、ターニャ・ストリーターが160mの記録を達成してしまう。そしてオードリーは161mに挑戦する。

 2002年9月、万全のサポート体制で、チャレンジが行われた。
 「私はリリースコードをひっぱった。そして、錘とともにオードリーは海の中に消えた。
彼女は今群青の海の深みへと向かっている。わたしも同じコースを何度も潜っているから、オードリーがたった今どんな状態にあるかを正確に感じ取ることができる。ウエットスーツが身体にはりつき、耳は耐え難い痛みを感じているだろう?錘にぐいぐい引っ張られて目標地点に向かっていくあの感触、全身にくまなくのしかかる一平方センチあたり18.6キログラムの水圧。肺はオレンジの大きさほどに縮まり、心拍数は1分間にわずか20回にまでさがるのだ。
 この時彼女は自問自答を繰り返している。窒素酔いを防ぐためだ。うちの電話番号は?フランスの首都は?私は何歳?上で待っているのはだれ?
 その時ざぶんという音をたててロープが跳ね上がった。ストップウオッチを見る。1分42秒、予定よりも14秒も早く目標深度に到達したのだ。練習時のどのダイブよりも良いタイムが出た。
 カルロスが叫ぶ。「2分経過」
マスクを通して水中をのぞいてみた。オードリーの浮上を告げる空気の泡が浮かんでくるはずだった。しかし、見えるのは、光にゆらめくインディゴ色の海だけだ。
一秒が数時間に感じられた。いったいオードリーはどうしたんだ。
3分がたった。まだオードリーの姿はない。
タンクをよこせ、とクルーに怒鳴った。すでに5分が経過していた。私は妻を探しに海の深みへとむかった。」
 そこから先は長くなる。もとの本を読むのが良い。
 リフトバックをふくらませるポニーボトルの空気が充分でなかったのだ。
 呼吸停止から7分以上、オードリーは生き返らなかった。

 新記録を目指すダイブでこんなケアレスミスが起こるなんて。

 起こるのだ。
 
続く

0420 ピピン・フェレーラス 3

 ニュース・ステーションの撮影は中川にまかせて、僕は三浦洋一さんと一緒に日本の海を巡る撮影をしていた。傍ら、ダイビング指導では社会スポーツセンターでの社会体育指導者をダイビング界に導入することのプロデュースをしていた1988年のことだ。第一回の社会体育指導者研修で300人を集めて、茅ヶ崎にあった地産のホテルで一週間の合宿をやった。300人を二つに分けて150人づつだが、振り返れば、よくもそんなことができたものだとおもう。その合宿中、その日の講習を終了して、宿でくつろぎ、仲間と一緒に夜10時からのニュース・ステーションを見た。その日は潮美が、船橋の三番瀬からの水中中継を行う。
潮美が水中からスタジオの久米宏さんに挨拶して、話を始めようとした時、突然、潮美が画面から消えた。見ているこっちもどうした?と騒いだけれど、スタジオも現場も大混乱になったはずだ。5分後に潮美は水中にもどり、機材のトラブルでしたと、言い訳したが、もう放送は成立していない。
 原因は、潮美の空気が無くなったのだった。その日、リハーサルでもぐり、機材もテストした。そして、本番間際では、潮美は久米さんとの会話をどうするかに集中している。リハーサルでは、まだ充分な空気を残していた。100キロぐらいだろう。水深が3mと浅いから、十分だ。と彼女は思っていた。誰かが気を使って新しいタンクに替えた。そのことを潮美は知らない。替えた人は、タンクにビニールテープで封をしてあるものをつかった。そのタンクは誰かが使ったもので、潜水の事を知らない人が、ボンベの肩に貼ってあったビニールテープを再び巻きつけたらしい。終わったら巻きつけておくものだとおもったのだろう。中継現場には潜水をしらないスタッフが沢山いる。誰かが気を使った。
 潮美は自分が潜水直前にゲージチェックをしなかったからいけなかったと、全員に謝ってあるいた。浅いから命に別状はなかったが、中継の費用、おそらく1000万近くのお金が捨てられたことになる。その後、半年ほど、潮美は謹慎することになった。もしも、この日の中継が水深20mからだったら、どうなっただろう。
 日本の高気圧作業安全衛生規則では、空気のチェックは事業者の責任になっていると、僕は彼女をかばったが、本人の責任だとする潮美が正しい。バディチェックなど二人で確認したりするが、最後の最後は自分で確かめる。
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      写真で見てもゲージはついていない。

 ピピンの場合にもオードリーが自分でチェックするべきだった。
 ところで、このサボーラのミニボトルにゲージは付いていたのだろうか。付いていれば彼女はチェックしたはずだ。写真で見ると、ゲージは付いていないようだ。欠陥だった。
 
 その遠因はピピンにあると思う。本で読んだだけだが、思い込みが激しく、自己中心敵でわがままであり、AIDAと争いを起こしたりしている。

 ピピンのことを僕のところに持ってきた、おばさんは、キューバの田舎の若者だけどとてもいい子だと言っていた。その自然児のままで成功し、登りつめて行く。その歪、手作りで、お金をかけられない。この事故を起こしたと思う。誰にでもあることだろう。特にダイビングの関係者では、僕を含めてありえると反省する。
 1970年代、アメリカの海底居住のビッグプロジェクト、「シーラブ」で、リブリーザーの炭酸ガス吸収剤が入っていなかったために死亡事故が起こり、アメリカの海底居住計画はストップした。

 ところで、この「ダイブ」、ジェームス・キャメロンが映画化するという。もしかしたら、すでに映画化して、僕は見過ごしてしまったのでは、と慌てたが、未だのようだ。

 いかにも映画的なストーリーである。グランブルーよりもわかりやすいメロドラマにつくれる。グランブルーのラストシーンはよくわからなかった。海に逝っちゃったのか、自殺なのか。その理由も釈然としない。観た者に考えさせようというのは無責任だ。僕は死んだのだと思っている。しかし、スレッドの綱を引いて、海に消えて、映画の終わった後で、どこかに戻ってきていて、続、グランブルーが作られるのかもしれないとも思った。
 
 映像的にも、サボーラは絵になる。そして、160mで、リフトバックが膨らまない。少しだけの浮力で上がろうとするが、速度がない。息が尽きて、リフトバックを手放して落ちてゆく。サポートダイバーが居るのだが、空気を渡そうとしない。ここで空気を吸ったら、肺のダメージがあると思ったのだろうか。100mを越して潜っているダイバーに冷静な判断を求めることはできない。慌てて抱き上げるがすでに呼吸は停止している。映像的だ。
 ネットで調べると、ジェームスキャメロンは、アバターに続く3D映画として、2008年に次回作として話題にしているが、ようやく、2015年1月、ジェニファー・ローレンスの主演での制作を公表している。来年ぐらいには、観られるのだろう。

0421 ブルーゾーン

  ブルー・ゾーン 篠宮龍三・牧野出版 2010年
 僕は、龍三くんのフアンだけど、この人は、詩を書こうとしている。本でも、ダイビングでも。
「生と死が海をなか立ちにして円環を描く、潜ることは死に向かうこと、還ることは生にもどること。」
 自分の冒険の説明にも使える。「潜ることは死に向かうこと、還ることは生にもどること」生にもどること、だから究極のリフレッシュができる。80歳になって潜りに行く、重いタンクとウエイトで潜る時、死ぬかと思う。そして、生に戻って来るので、生きる力を取り戻す。
 「死に向かうこと」などしてはいけない。と言われたら生もない。「海は教えてくれる。命の本質はひとつ、生も死もただの概念に過ぎない。」正々堂々とこんな言葉を書いてしまうところがいい。

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 岡本美鈴と本を書いている。彼女はバハマに言っていて、龍三くんといろいろ話しているということだ。彼女にも僕にも悩みがある。フリーダイビングの危険をどのように説明したらよいのか、そして、その中にある危険とは別の何か、「楽しみ」という表現ではあまりにも軽い、何かを説明、表現したい。

フリーダイビングに限らず、人間が息をとめて水に潜ることは、つねに相応の危険がある。危険が大きければ、安全を確保する手段も万全なものにしようとする。トレーニングも真剣になる。極限までは潜らないスキンダイビングもいい加減にやれば、危ない。でも、気楽に、自然にリラックスしたい。スキンダイビングにのめり込んだ人は、フリーダイビングのトレーニングをすれば良いと思うけれど、自分の中に、安全のためのコード、基準を持ってもらいたい。あまりストイックにならないというコードも悪くない。
ダイビングは、美しさの追求であるという表現も悪くはない。

何を、どこに楽しみのポイントを置くか、それをどのように表現すれば良いのだろうか。美鈴さんはバハマで悩んでいるだろう。幸せだとおもう。僕は東京の一室でデスクに向かって悩んでいる。不幸せだ。そのことを2行で表現したい。

そう、フリーダイビングもスキンダイビングも機械にたよるスクーバダイビングよりも、精神性、スピリチュアルなフィールドが大きい。それは、危険が自分の生きる仕組み、身体の内側にあり、それを見つめてコントロールしようとするからだと思う。

ピピンの事を書いてきた。
サボーラという器械、それも中途半端な器械に乗って人跡未踏の深みに潜ってゆく。その矛盾がオードリーを殺してしまった。器械に頼るのか自分を頼るのか、器械に頼りながら、器械を重視していなかった。

篠宮くんは「ブルーゾーン」を「美しい日本語で僕が海から学んだことを伝えていきたい」と結んでいる。

僕たちの本は、安全確保、安全のためのセグメントとして、スノーケリング、スキンダイビング、フリーダイビングと分けたけれど、それは、一つのことでもある。

0424 スキンダイビング・セフティ

  スキンダイビング・セフティ 
 スキンダイビングとはいうものの、潜らないスノーケリングから、極限まで潜ろうとするフリーダイビングまでを扱っている。これらは全部、スキンダイビングとしてくくられていたものであり、技術の進歩、多様化によって活動範囲を拡大してきたために、それぞれの安全管理、つまり危険度と、責任を負いうる限界が違うので、三つの区分、スノーケリング、スキンダイビング、そしてフリーダイビングの三つに区分けした。スノーケリングはフローティングベストを着けて、水面に浮いている、つまり潜らない水遊びであり、フリーダイビングは今もなお進化を続けている、生理学的にハイテクな潜水だ。
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 ハイテクとは、生理学的にも、工学的にも、ひとつ間違えば生命がない。人間は陸棲の動物だから、息を止め続ければ死ぬ。だから、スキンダイビングでもやり方を間違え、安全管理が粗雑になれば、危ない。しかし、危険を排除するプログラム、マニュアルに沿って行えば、安全は確保される。フリーダイビングは、極限を追求している限り、その危険は大きい。危険は潜水しようとしている水深に比例する。そして、その人のフィジカルな能力にも比例する。具体的に言えば、共著者の岡本美鈴が90m潜ろうとするのと、今現在の僕が20m潜ろうとするのと、僕の20mの方が危険が大きいと思う。
 そんなふうに、その人の極限を追求することは、生命にかかわる。
 では、なぜ人はそんなことをしようとするのだろう。
 僕も80歳で80mを潜ろうとしている。
 この「なぜ?」については、スキンダイビングやスクーバダイビングの本では書けない。
 ところで、ダイビング業界というもの、そのほとんどをこの「なぜ?」に負っているのだ。
 本を書くために、鶴曜一郎、ジャックマイヨール、ウンベルト・ペリッツアーリ、ピピン・フェレーラス、篠宮龍三君の本を読んできた。一生懸命にこの「なぜ?」を書こうとしていたのは、篠宮くんだった。しかし、この「なぜ?」は、それぞれの人のものだ。
 スキンダイビングもフリーダイビングも、突き詰めて行くと、その人の生き方、フィロソフィーに関することになる。今度の本では、「なぜ?」のフィロソフィーについてはかけなかったが、岡本美鈴との対談では、ちょっと触れようとした。しかし、この本はセフティに就いてが主題だから、突っ込んで行かなかった。
 
 22日に共著者の一応の原稿が集まってきた。此処から先が僕のまとめになる。
共著者4人の視点が違うので、ばらばらで重複もあるけれど、最初の予定のように、このまままとめて行く。危険について4つの視点からグレードをわけて見て行けば、読者の頭のなかで、一つにまとまるだろう。美鈴さんはバハマの彼方で、もう少し柔らかに、です・ますで書いた方が、等と言ってきたが今の文体の方が凛としていて、競技者の書く雰囲気で僕は良いと思う。生理学の藤本くんは、難しい言葉の羅列でわからないのでは、と思ったが、僕でもよく分かる。すごく面白い。今度の潜水士テキストが、減圧表の部分が、ほぼ判じ物になっているのとは好対照だ。千足先生は、大学教官としての文章で、高校生以上のスキンダイビング入門の教科書になる。そして僕は?
 問題は分量で、このまま行けば250Pぐらいになる。そのくらいに収めよう。
 
 

0425 スキンダイビング セフティ あとがき

  これから何度も書き直すであろう。あとがきのプロトタイプ
 未だ、届かない原稿もあります。ので、

 あとがき
 ようやく、すべての原稿の整理が終わった。4人の共著であるから、フリーダイビングの生理学的視点からの藤本さん、実践的視点の岡本さんの記述が重複している。さらに対談で重複部分がある。限りのあるスペースなので、整理して簡潔にしたいという誘惑に駆られた。しかし、別の視点から、表現を変えて、重ねることで、理解が進むので、重複を気にしないで書いてほしいと、最初から重複は計算にいれて共著をお願いしている。
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   生涯スポーツとしてのスキンダイビングの写真として使わせてもらおうとおもっています。
   もはや、おばあさんという言葉が死語になる、孫がいるからおばあさんと、よばれる。


 フリーダイビングはもちろん、スキンダイビングも決して安全が保証され確保されている活動ではない。だから、この本が必要だと考えた。それでも途中で、ここまで事故例を並べれば、危険が強調されて、スキンダイビング、フリーダイビングを楽しもうとする人が減るのではないかと心配になった。岡本美鈴も競技に出かけているバハマから、そう言ってきた。
 振り返ってみると、1960年代、1970年代には、スクーバダイビングの普及について、同じように悩んだ。危険だと言ったらお客が来なくなるのではないか。そして、1980年代に入り、BCの普及とともに、スクーバダイビングでは溺れの可能性が低くなった。スクーバダイビングは、安全な商品スポーツだと唱えられるようになり、結果として致死性の高い商品スポーツだと言われることになった。
 僕たちは、スキンダイビングを、フリーダイビングを商品だとはおもっていない。もちろんプロとなれば、その指導、その活動はビジネスであり、利益を追求する。それは、その知識、経験、形式知と暗黙知を売っているのであり、フリーダイビングという商品を売っているのではない。知識と経験による指導と安全管理を買ったそれぞれが、自分の責任でダイビングを楽しむものだ。
 岡本美鈴は、練習の安全、活動の安全は、それをコントロールするフリーダイビングの協会、指導する指導者、そして参加するメンバーすべての協力で達成されることであり、
「海でもプールでも水に入るごとに「自分と仲間全員が安全にダイビングを終え、無事に帰宅する」という意志を皆でしっかり持ってほしい。」 と述べている。これは、フリーダイビングでもスキンダイビングでもスノーケリングでも、そして、スクーバダイビングでも同じことであり、水中での活動は、決して安全の保証を指導者とか団体がするものではない。みんなで達成するものなのだ。
 この本は、フリーダイビングとスキンダイビングの安全について書いたものだが、考え方とか、事故についての対処については、スクーバダイビングの指導者にも参考にしてもらいたい。一つには安全についての意識の問題、そして、もう一つ、スクーバで空気が無くなった時、故障した時、行動はスキンダイビング、フリーダイビングにスイッチが切り替わる。テクニカルダイビングで、水深90mでギアが故障して、酸素分圧がおかしくなった時どうするか、美鈴が90m潜る時の心構えとトレーニングに共通したものがあり、共感を覚えると思う。
 とにかく、この本が、すべてのダイビングについて、安全のための努力(知識の習得とトレーニング)を重ね、最善のローカルルール(手段、計画)を選択して、安全で楽しいダイビングを目指す一助になれば、著者一同、嬉しい。

0427 4月26日お台場


 天気も良くて、みんなTシャツでもいられるくらいに暖かかった。
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      僕たちの海 ゴムボートで風呂田先生らが、水質調査をしている。
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      午後は人工砂浜で遊ぶ人たち 多数の水辺


 透視度は2mぐらいだろうか。先月にはあまり見えなかったメバルの稚魚が目立ってくるはず。
 とにかく先端の杭まで行こう。
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      杭 何のためのものだったのか謎だけど、きちんと撮影しておけば図化できる。

 ドライスーツだけれど、ほとんど冷たさを感じない。来月には、ウエットスーツだが、着替えるのが面倒なので、ここでは、このままドライスーツを続けるかな。とか考えながら泳ぐ。
 一回目のカメラは、ニコンCOOLPIXと、HD,(ウエアラブルカメラで最も安価で14000円)。このところ、陸上撮影では操作がし易いので、ニコンの方を多く使っている。
を並べる。
先端の杭まで行くと、予想通りに、メバルの稚魚が5-6尾群れていて、スチルのシャッターを押す。これまで、魚の姿も見られなかったので、メバルとシマイサキが1尾、が見られて幸せな気分になる。杭の並びを見てゆく、ワタリガニの姿はなくて、トサカギンポもちらっと姿を見せただけ。
 岸に戻ってカメラをチェックすると、ニコンのピントが合っていない。マクロに切り替えたところからピントが来ていない。スクリーンが見難くて、しっかりピントが確認できなかった。
 午後、二回目の潜水は、ニコンのバッテリーが少なくなっていたこともあって、オリンパスTG-2 と、GoProの2を並べる。TG-2は、スクリーンが見えた。
午前とほぼ、同じ撮影をくりかえす。
 岸にもどってくると、人口ビーチは、子供の砂遊び、水遊びがたくさん。ここは東京のビーチなのだ。ソシテ、子供の遊んでいるところから、10mも離れないで、転石があって、磯になっている。

 戻ってきて、映像のPCへの取り込みと整理、ソシテ、動画を短く切ってフェイスブックにのせたりする。
 ニコンCOOLPIXとオリンパスのTG2 の比較、今回は、TG-2 の方が良い。スクリーンが見えることが、あたりまえだけれど重要、しかし、水中マクロでとっていて、そのまま、水面を切って撮ってしまうと、これも当たり前だがだめだ。
 TG-2 の方がバッテリーの持ちも良い。耐圧が30mと15mの差でニコンをためしているけれど、TG2,にプロテクターを買って深く入った方が良かったかも知れない。
 こんどTG4 がでた。プロテクター(ハウジング)は、TG3 と同じで良いらしい。
 2台並べた動画は、お台場に着いては、安いHDの方が色でもシャープネスでもわずかに良い。辰巳プールでは、絶対的にGoPro2が良いのだから、水と被写体距離によっての差だろう。
 ここで、大きく反省することになった。
 動画のカメラワークがよくない。見られるものになっていない。スチルの方ばかりこだわっていて、最近では動画の液晶モニターを外してしまっている。完全にサブの扱いでカメラワークをしていない。していないのだから、悪いに決まっている。
 元来、僕は動画のカメラマンであったはずだが、1万円前後のカメラでは、真面目にカメラワークする気持ちになっていなかった。カメラの大きさと価格は、時代変化とともに、小さく、安くなってきたのだから、ソシテ、動画からの静止画切り出しで、COOLPIXとかTG2 のランクのスチルと報告書のレベルでは、ほぼ同列なのだから、安くても真面目に動画のカメラワークをやって、動画を主、スチルを従にしなければ。となると、そろそろGoPro2も買い替え時が来ている。GoPro4 をと考える。

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   いつも水面から頭を出してみる木、何の木なのだろう。天気が良いので見に行ってみた。
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   どうもタブの木らしい。とフェイスブックで教えてもらった。

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   ニコンCOOLPIX
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   その拡大 

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   オリンパス TG2
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   その拡大
 どちらも同じよな結果だが、TG2の方が水中で液晶がみやすかった。

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    14000円HG 動画からの静止画

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    GoPro2からの静止画
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    水中で出会った、尾島さんの奥さん、水深の浅さがよくわかる。この人はよく動きまわり、生物を見つけることが得意だ。今日も、僕が見つけなかった、トサカギンポの群れを見たという。腕に乗ってきて可愛かったという。信じられない。

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   HGからの静止画、清水まみさん、大きな一眼でとっている。画質の良いスチルは任せたのだが、結果は?お楽しみだ。



0428 スキンダイビング・セフテイ コンテンツ

スキンダイビング・セフテイ 連休前にまとめて成山堂書店に渡し、連休中に構成してもらって、連休明けにこっちに戻ってくる。そんな連休返上のスケジュールとなった。できるのだろうか。とにかくコンテンツはまとめたが、初校までに全部見なおして置かなくてはならない。
 とにかく、ボールは投げた。どう返球がくるのかわからない。未だ解決しなければならない部分が幾つもある。
 それはそれとして、共著者の美鈴さんはバハマのブルーホールでそろそろ、本格的な潜水に入るのだろう。生理学の藤本君は、准教授に4月になり、初めての授業が始まっている。生涯でこれまで未経験の忙しさだという。それぞれ、頑張ってもらった。コチラは、全体の構成、配置を考えて、自分の分をかいた。これでよいのかどうか不安だが。とにかく進むほか無い。

 目次の案だ。

スキンダイビング・セフティ 
 著者 千足耕一:東京海洋大学准教授  
藤本浩一:東京海洋大学准教授
    岡本美鈴:アジア・日本 コンスタント(垂直潜降)記録保持者
 須賀次郎:日本水中科学協会 代表理事

      目次
§1 概論    須賀次郎
1-1 息こらえ潜水  
1-2 危険と安全についての基本的考え方
1-3 区分けとネーミングについて
1-4 プログラムとローカルルールについて
1-5 海女・海士の素潜り漁
1-6 スキンダイビング
1-7 フリーダイビング
1-8 スノーケリング

§2 スキンダイビング入門  千足耕一
 健康状態や技能の確認
 練習方法の基本
 スキンダイビングの指導段階
  器材の選択
プールや限定水域での練習
海でのスノーケリングとスキンダイビング
グループとしての安全管理
調査法に触れることを意図した練習
海洋リテラシーについて

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     スノーケリングからフリーダイビングまで
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§3 スキンダイビング活動  須賀次郎
3-1 スクーバとスキンダイビング
3-2 スノーケリング講習(親と子のスノーケリング)
3-3 生涯スポーツとしてのスキンダイビング

§4 息こらえ潜水の生理学 藤本浩一
 4-1 ブラックアウト
 4-2 ブレイクポイント
 4-3 ハイパーベンチレーション
4-4 耳や鼻のトラブル
 4-5 肺の損傷
 4-6 パッキング
 4-7 神経系DCI
 4-8 活性酸素
 4-9 脳へのダメージ
 
§5 スキンダイビングの事故例(学生の部活動について) 須賀次郎
5-1 ブラックアウト 事故例1 
5-2 ブラックアウト事故例  大学部活でのプールトレーニング中
5-3 ブラックアウト事故例 大学の部活で海でのスキンダイビング検定
5-4 事故例4 大学の部活での海での昼休み時間中での事故
5-5 学生の部活動
5-6 学生のダイビングにおける安全のためのローカルルール


§6 器材について
6-1 大学実習のフィン、マスク、スノーケル 千足耕一
6-2 スキンダイビングのフィン、マスク、スノーケル 須賀次郎 
6-3 フリーダイビングのフィン、マスク、スノーケル 藤本浩一、

§ 7 フリーダイビングの器材と技術 岡本美鈴 
7-1 マスク
7-2 ロングフィン
7-3 モノフィン
7-4  スノーケル
7-5 フリュードゴーグル(リキッドゴーグル)
7-6 ウエットスーツとウエイトベルト
7-7 ネックウエイト
7-8 ダイビングコンピューター
7-9 ラニヤード
7-10 ガイドロープ(フロート、ボトム)
7-11 カウンターバラスト システム
7-12 減圧用タンク

§ 8 フリーダイビング・セフテイ 岡本美鈴
8-1 フリーダイビング安全フォーラム
8-2. フリーダイビングの安全に必要な事項
8-3  スキンダイビングとフリーダイビングの共通のリスク
8-4 フリーダイビング特有のリスク
8-5 フリーダイビングのトラブル例
8-6  動き出す更なる安全への取り組み

§ 9 岡本美鈴、須賀次郎対談
9-1 なぜ、フリーダイビング
9-2 深く潜る、ということ
9-3 ハイパーベンチレーションと腹式呼吸―
9-4 パッキングについて
9-5 耳抜きについて―
9-6 肺の変化について
9-7 記録について
9-8 トレーニングについて
9-9 責任とルールについて

§10 資料集
 参考書紹介
 どこで習うか

 あとがき


0429 米田茂

病にたおれていたスガ・マリンメカニックの社員、米田茂が亡くなった。ダ61歳だった。この前還暦祝をやった中川隆と同年だ。
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1982 年 僕たちは無敵だった。
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    福島県、沼沢沼発電所取水トンネルの調査、水深30m横に400m 出口の無いトンネル。
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 米田を一言で言ってしまえば、水泳部だからアスリートだ。ソシテ、誠実、決して人を裏切ることがない。人が亡くなると送りなして誠実とかみんな言うが、そんなことではなくて、本当のことなのだ。月刊ダイバーの続ニッポン潜水グラフィティで先々月までニュース・ステーションのことを書いていた。そのニュース・ステーションの監督だった小早川さんが言う「須賀さん、米田は不器用な男だけど、決して裏切ることはない奴だ。大事にしてやってください。」僕は米田を大事にしただろうか、僕が彼を裏切ったのかもしれない。
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   ニュース・ステーション 三宅島、1986年
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   ニュース・ステーション カリブ海 1988年

 僕は65歳で癌になり、スガ・マリンメカニックをやめるつもりになった。レンジャー部隊のような会社だ。社長といっても、佐官クラスで、亡くなっても続けるような会社ではない。なんとか自分が個人保証していた借金を返し終わった70歳、スガ・マリンメカニックは閉めようと思った。自分もだけれど、お互いに退職金などない。それぞれ自分の得意先を引き継いで、分散する。営業をやっていた田沼 君は営業を引き継いで、別の会社になり、それぞれフリーになった元社員に仕事を取ってくる。元社員は、その仕事をするとともに、フリーランサーのプロダイバーとして稼ぐ。僕も実質的にはフリーランサーだ。全員フリーの会社である。その中心に田沼の会社があればいい。米田は怒った。「須賀さん、僕がどんな気持ちでこれまでスガ・マリンメカニックで働いていたとおもうのですか。」しかし、僕はもう、新たに借金をして会社を伸ばしてゆく気力はなかった。後から考えれば米田が正しい。だめになっても、ボロボロに成っても、個人保証の財産が全部消えても、一つでやって行くべきで、その責任を残った田沼に押し付けてしまったのかもしれない。  
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    米田が担当していたスガ・マリンメカニック戸塚ベース

皆元気なうちに解散してそれぞれ、伸びてゆけばいいと思った。中川も、大西も、今それで成功している。理屈は通っているけれど、僕は米田を裏切った事になるのかもしれない。残った米田をはじめ何人かの努力で、スガ・マリンメカニックは、借金を増やすこともなく、一応の仕事を続けているから、それはそれで、良いのだけれど、米田には済まないことをしたと思っている。
 スガ・マリンメカニックには戸塚に現場事務所があり、経理営業は、今の僕の事務所と隣り合っているから、僕が事務所に居るときに米田が用事で来ると、顔をだす。話すことなど何もない。不器用な男なのだ。僕の顔だけ見にきてくれる。
 病気に倒れて、一度だけ見舞いに行った。僕も何も話すことはない。「元気になって、また一緒に仕事をしよう。」なんて、空々しいことは言えない。ブログとかは見ていてくれているだろうから、彼のことを書いた。中川が、「もう死んでしまったような、彼を惜しむ文章でしたね。」と言われた。潮美からは、今の月刊ダイバーに米田の事をかけ、と言われた。米田と一緒にバイカル湖に行っている。アラスカにも行っている。写真を探してみて、バイカル湖にも、アラスカにも米田の姿がない。あったはずなのだが、スキャンしていなくて、紛失してしまっているのだ。辛うじて一緒の写真があったニュース・ステーションのことを書いた。実は、米田はスガ・マリンメカニックの調査の中心で、ニュース・ステーションの撮影は中川が中心だったから、ニュース・ステーションではあまり活躍していない。それでも、米田のことは、みんなが好きだった。表にはでないでも、裏で、何時でも生命をかけてくれた。僕も命がけが好きだから、自分でやろうとする。米田に怒られるが。僕は自分で突撃した。ルックスも良かったから、女の子には持てたが、年老いたお母さん、お父さんと別れて暮らすことなどできなかった。お正月、お母さんの煮てくれるクロマメが天下一品だと自慢する。これはもうだめだ。
 中川と同じ年、早すぎる死だが、写真を探すと、今はいない人の姿ばかり出てくる。
 あの世など、これっぽっちも信じていないから、冥福を祈るなんて出来ない。お通夜でも葬儀でも涙を堪えることができるだけ。
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