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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0225 三保先生

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 石川宅で、ケーブダイビングの大家であり、耳鼻咽喉科のお医者さんとして、耳抜きで困ったダイバー、耳を痛めてしまったダイバーの相談相手、治療に力を発揮している三保先生を囲む集まりがあった。
 この頃、僕は人前でご挨拶するのが嫌いになっている。人と合うのもあまり好きではなくなっている。なので、石川さん宅での挨拶もなるべくにげてしまう。

 ただ、おいでいただいた三保先生について語らなかったのは、若干心が残る。三保先生には、そのことを伝えたが、皆さんにはお話をしなかった。
 まず、ご専門の耳鼻咽喉科のことだが、潜水のことを知らない耳鼻科のお医者さんが多すぎる。勉強もしてくれない。耳抜きの問題は、ダイバーにとって最大の関門なのだ。
 減圧症については、自分で考えることもできるし、予防策をとることもできる。このところ書いている減圧表を運用することで、自分の責任で、回避することができてきた。
 しかし、耳抜きができないことはリテラシーでは解決できない。自己診断もできにくい。そして、さしたる痛みも感じないで、内耳を損傷してしまいその後のダイビングができなくなってしまうこと、そして、恐ろしいリバースブロックは、減圧症よりも、ダイバーの命を直接的に水中で奪う可能性がある。その意味でこのところ三保先生の講演が増えたのはとても良いことだ。日本水中科学協会では2013年夏のフォーラムでお話いただいたし、最新ダイビング用語事典の原稿も書いていただいた。最近では小田原セミナーでの講演がある。最新ダイビング用語事典では、この本が初対面であったために、耳抜きに関連する部分だけが単独執筆で、圧外傷などの耳に関連するその他の部分では、連名の監修で、きっちりと原稿をなおしていただいた。

 セノーテの撮影については、素人離れした、撮影技術に驚いた。トップシーンばかりを集めた編集だったので、一つ一つのシーンに言及することはできないけれど、ヘルメットに付けたライト二灯だけでのライティングもすごい。ずいぶん練習しなければできない。ライティングがなければ暗黒の世界だからこそ、ライティングのトレーニングが自分の生死を分けるからだろう。カメラのフィックスも素晴らしかった。
 まあ、僕が撮影監督として、指示して【演出して】編集すれば、もっとすごいものになるだろう、と、映像専門家の誰もがおもうのではないだろうか。三保先生は、カメラマンではなく、耳鼻科のお医者さんなのだから。

0226 モクズガニ

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2月22日 のお台場で撮影したモクズガニについて、

2005年3月撮影

 モクズガニは、上海蟹の同属異種と言われているカニで、日本でも各地で食べられている。ツガニ等と言われていて、とても美味しい。しかし、恐ろしい肺臓ジストマの媒介もする。生のカニを調理すると、そのまな板や包丁に付いた卵や幼生が別の料理につく可能性がある。だから、まず茹でてしまって、それから調理する。

 すべての生物は、海で発生して、陸に上がった。あるいは、陸に上がり、また海に戻った。海で産卵して川に登る生き物もいれば、川で生まれ、海に戻る生物もいる。モクズガニは、海で産卵して、幼生時代を海で過ごして、川に上る。僕はカニの専門家ではないので、詳しいことは知らないが、海で生まれて陸に上がり、また産卵のために海に下るカニ二種類と付き合いがある。その一つはオカガニで、石垣島の黒島のオカガニは、夏の満月の大潮の時、すべてのオカガニが海に向かって行く。オカガニとい琉球列島、台湾、東南アジアに居る大型のカニだから、黒島だけのことではないが、島の大きさが小さいから目立つのか、それとも、特にこの島に多いのかわからないが、その日には、島全体がカニで埋まる。ちょっとオーバーだが、道路を横切って海に向かうオカガニが車に轢かれて死屍累々になる。海への通路に当たる家では、戸を開け放って置くと、部屋の中にまで侵入してくる。このことはテレビ番組で取材した。波打ち際で、身体を振動させて、抱えていた卵から孵化した幼生が海にでてゆく。
 もう一つ、テレビでこの産卵を取材したのが、モクズガニだ。撮影に行ったのは、秋田県の米代川だ。この川では、遥か山間部から、モクズガニが河口に下ってくる。米代川は、大きな川なので、黒島のようにスペクタクルにはならなかったが、とにかく、海で産卵する姿は撮影した。
 モクズガニは日本列島どこにでも居て、食用になっている。九州とか四国で特に食べるようだ。隅田川、江戸川でも、モクズガニはよく見られるが、食べられるというだけで名産にはなっていない。飼育している人も居るかもしれないが、ジストマには注意が必要だ。僕は、素手ではつかまない。


2005年3月5日とファイルに書いてあるから、10年前だ。
輸入されて、築地に置いてあった活け上海蟹が、脱走して海に逃げ、お台場に出現したというニュースがあった。築地とお台場は、目と鼻の先だ。
いま、フェイスブックの友達担っている田川さんのプロダクションから、上海蟹を探してくれというオーダーがあった。そのとき初対面だったが、やってみた。
上海蟹を見つけたのは、東京都水産センターの小泉さんだった。小泉さんとは奥多摩に遡上して産卵する鮎の調査、撮影で、ご一緒したことがある。その後も何度か一緒に仕事をしたことがある。残念ながら、上海蟹は見つけることができなかったが、モクズガニを、船の科学館の羊蹄丸(今はもうない)脇のポンツーンの下で見つけた。もちろん、僕には上海蟹とモクズガニの区別はつかない。小泉さんが見て、これはモクズガニだとなった。

  2005年3月、上海蟹は撮れなかった。これはモクズガニ

  羊蹄丸のポンツーンで、小泉さんからモクズガニを見せられている沙海ちゃん

  いまの沙海ちゃん。いいダイバーになった。

   2015年2月のモクズガニ

その時、ポンツーンの上には、尾島さんのところの沙海ちゃんが、まだ幼児でいる。いま彼女は、やがて高校生だ。良いダイバーで、やがて海洋大学に行くだろう?

東京湾は、夏になると貧酸素で、生物が生き残りにくくなる。何処かに隠れてやり過ごす個体もあるだろうが、全面的に死屍累々となる。魚は逃げられるが、蟹の類は逃げられなくて、死ぬ個体が多い。魚でも鮎は、夏の貧酸素の期間、多摩川を遡って、上流で産卵する。あ、そうなんだ。モクズガニは、海へ下って産卵し、また川を遡ってゆく。2005年の発見が3月、そして今度が2月、夏の貧酸素を避けている。

脱走した上海蟹は外来種になるのではないかという心配をされた。僕が見ても区別の付かない、同属異種だから、別にモクズガニに取って代わってもいいじゃない。と僕はおもう。モクズガニも美味しいが上海蟹の方が、ネームバリューがある。しかし、在来種と外来種が取って代わることは、良くないらしい。
しかし、取って代わるにしても、モクズガニそのものがレアーである。


チチュウカイミドリガニという蟹が、船に乗ってはるばる地中海からやってきて、お台場に出現した。これは上海蟹、モクズガニとは違って、かなりたくさん見られた。在来種のイシガニが圧迫されて、いなくなるのではないかと心配された。それよりも何よりも、外来種は、いけないのだ。このチチュウカイミドリガニも、イシガニとおなじくらい美味しいのだという。残念ながら、僕はイシガニは食べた事があるが、チチュウカイミドリガニは食べていない。

東京湾、お台場の環境は、外来種でもなんでも居てくれればありがたいと僕は思う。
いまチチュウカイミドリガニは見えなくなり、在来種のイシガニが残っている。しかし、イシガニにせよ、チチュウカイミドリガニにせよ、少なくなってしまった。夏の貧酸素の時何とか持ちこたえられる手段を講じて、お台場を蟹の天国にできないだろうか。江戸時代、このあたりは、ガザミ、イシガニ、モクズガニのたくさん採れたところなのだろう。

0227 ユジニ・クラークさん

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  ユジニ クラークさんが、亡くなった。92歳、肺がんだそうだ。中村宏治君のフェイスブックで知った。
日系のアメリカ人で、美人だったので、日本でも人気があり、日本潜水協会の機関紙、「どるふぃん」の最終号1965年 の表紙を飾っていた。


 Eugenie Clark ,僕はこの人の、著書、「銛を持つ淑女:1954」で、ダイビングする生物学者になろうとしたものだった。パラオで手銛で魚を突いて、研究する天国のような話だ。僕は東京水産大学に通い、葉山の磯で手銛で魚を突いていた。
 いまでもこの本は、書架の出しやすいところに置かれている。


 たびたび来日したが、僕が研究者にはならないで、もっぱらダイビングだけになってしまったので、日本での研究活動については、知らない。魚類学者だから、図鑑を作っていた益田さんと親交があった。僕が魚突きと研究のクラークさんの話を益田さんにしたことがあるので、来日していた時、伊豆海洋公園に行くクラークさんを車に乗せて、送って行くことにしてくれた。僕は日本潜水会の指導員研修で、伊豆に向かうので、僕の車で、益田さんと、クラークさんを乗せて行く。1970年のことだと思う。
ちょうど桜の季節だったので、伊豆スカイラインを通った。富士山の見えるポイントで、車を停めて、これぞ日本という景色を三人で見た。きっと、クラークさんもあの景色を終生忘れないだろう。
夕食を日本潜水会の仲間として、記念写真を誰かが持っていたポラロイドで撮った。日本酒の沢山好きなおばさんだった。古い本を持って行き(その当時すでに古かった)サインをお願いしたら、喜んでくれた。日本潜水会のスーツステッカー(ウエットスーツにはるステッカー)を腕に当てている。

  友竹、中原先生(水中重量挙げの歯科医)クラークさん、僕、後藤道夫、後ろから顔をだしているのが小又君、青木くん



   日本潜水会のスーツステッカー

それだけの縁だが、石垣島空港の建設で、アオサンゴが壊されることで、日本に来て、コメントをしたり、多分、潜ったのだろう。サメの研究をしていたので、同じくサメの研究者でもあった、美ら海水族館の内田館長とも親交があり、内田館長に「クラークさん元気かな?」「まだ海で潜っているよ」と話を交わしたことがある。多分彼女が80歳ぐらいのときだったろう。

  年老いた彼女の写真は、用意したが、載せない。

 

0228 ブログ、フェイスブック、ツイッター

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  いま、ブログと、フェイスブックとツイッターを使っています。ここで、それぞれを使うスタンスを整理します。
 まず、ブログですが、日記みたいなもの、潜水技術・機材・運用についての全般、ダイビングに行った時の記録、読書とか、見た映画などについて、だいたいこんなところが目標ですが、大事なことは、文章のトレーニングです。その意味で毎日欠かさないようにしようと思っています。これはとてもつらいことなのですが、ダイビングと同じで、トレーニングしないと、すぐに錆びついてしまいます。とにかく、高齢になるとボキャブラリー、語彙が激減します。この激減も、フィジカルトレーニングの衰えと同じように、結果でしか衰えがわからないので、トレーニングを欠かすことができません。
それと、文章、文体を磨きたい。水中に潜っている時の感覚、臨場感を表したいのですが、ここでも語彙の減少は、著しいものがあります。語彙の減少とは、表現がまどろっこしく、助長になってしまう。そして、肝心なことが説明できていないという結果になります。
トレーニングあるのみです。

     ダイバーの目線


次にフェイスブックですが、友達どうしの情報交換、メッセージも役に立ちます。それだけに留めたいとおもうのですが、やはり、書いてしまいます。できるだけ写真、動画、で、言葉は少なくと、このごろ意識しています。言葉の多いものはブログにして、シェアで出すようにしようとしているのですが、ブログとフェイスブックを連動させていると、フェイスブックに写真がフェイスブックのタイトルにつながるので、写真を選ばなくてはならないので、今日のようなテーマの時はしんどいです。カット的な写真を載せるようにしています。

前はフェイスブックが下書きで、それをまとめてブログとおもっていたことがあって、これも悪くないので、まあ、どちらとも決めないで、その時によって、ということにします。
タイムラインですが、通してみていて、自分の写真展のようにとこころがけています。だから、自分の顔などがタグで出てくると、たいてい表示しないようにしてしまいます。フェイスブックとは、かなり自己顕示の強いものですから、自分の姿は見たくありません。だから、友達の顔も、できるだけ気に入ってもらえるようにと、心がけるのですが、これも難しく、もしかしたら、気に入らないのではないかと心配します。

ツイッターですが、ブログと連携させているので、ツイッターを見ると、ブログのリストになっている。ブログを見る方もここから見てくれるのかもしれない。前には、これも、ツイッターで下書きをして、フェイスブック、ブログと上げてゆく。こうすると、短い文節でまとめてゆくので、とても良かったのですが、たくさん書くと、ブログリストにならなくなってしまうので、書きません。それと、情報収集にはとても便利です。
前には、フェイスブックとつないでいましたが、これは、コンセプトがまったくちがうものだと思って、つないでいません。

もちろん、人それぞれですから、それぞれの使い方がありますし、僕の場合も、前にはこうしていたと書いたように変化してゆくと思います。

0301 幕が上がる

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「幕が上がる。:平田オリザ 集英社文庫「文庫としては14年12月刊」新本で買った。4日ほどかけて読了。急いで読まなかったのだ。高齢になると涙もろくなるけれど、加えて自分の過ぎし日を思い浮かべる。保存の本になった。
 筋立てとしては簡単だから、くわしくは書かない。高校演劇部で演出家を目指す女の子と、同級生の俳優たち、そして、演劇部の顧問の先生、下級生の話だ。まだ、本屋に並んでいる本だから、良かったら買って読んでもらいたい。僕がなぜ、保存の本にしたか?


 僕は高校時代演劇部にも所属していた。僕の高校時代はバスケット命だったけれど、掛け持ちでいいからと強引にスカウトされた。見た目だけの主役だったがどうにもならない大根だった。基本的な練習ができていないから、「あははは、」と笑うこともできないのだ。しかし、夏休みの暑い日々、グランドでのバスケットの練習と教室での演劇の稽古を同時進行の様に掛け持ちした。僕の高校、東京都立戸山高校は、まだ、その当時体育館がない。グランドのアウトコートで練習していた。照りつけられて、汗だくになって、ユニホームのまま、教室にはいり稽古を始めようとすると、相手役の女の子が、「汗ぐらい拭いて、何かを着てくれない?そういうシーンじゃないのだから。」その人は一年上級で、やがて、北海道で大学の先生になり、4人の子供を育てた。いま、どうしているだろうか。
 とにかく、そんな日々の中で、
 その演劇部の同級生に平田靖(オサムと読んだ)という奴がいた。彼は演出家志望で、メフィストフェレスを気取っていた。彼が平田オリザの叔父さんになる。もちろん、まだ平田オリザは生まれていない。
 その平田靖が、猫いらずを飲んで自殺した。胃を洗浄されて、生死の境をさまよって、この世に戻ってきた。僕は当時お金持ちの息子で、別荘に平田を招待したりしたので、親友であり、演劇部顧問の米田先生に呼ばれて病室に行った。そしたら、演劇部の女優、伊藤牧子が来ていた。彼女は、僕のお母さん役だ。まあ、美人と言えば言えないこともないけれど、演技で売る人だ。米田顧問は、何を血迷ったのか牧子が平田の恋人だと勘違いして、病室に呼んだのだった。全くそういうことは無いと僕は知っていたが、何しろ女優だから、役を演じている。
 伊藤牧子は、早稲田に入った。そこで、天下の二枚目である加藤剛と知り合い、結婚してしまう。加藤剛はいい人、偉い人で、終生、牧子の尻に敷かれて幸せだった。男はみんな見習わなければならない。その伊藤牧子と加藤剛の親友に、椎名勝己がいた。彼は後に、初代のPADI潜水指導協会【PADIジャパンとはちがう】の事務局長になり、東京ダイバーズというダイビングショップを経営し、今、赤沢で、バリヤフリーダイビングで有名になっているが、僕と知り合った頃は、まだ映画俳優で、色悪が役どころで活躍していた。やがて、スキーで骨折して、バリヤフリーになる。

     あのころの館石さん。クエを持っているのは田中次郎、今は伊戸にいる。

 さて、因果は回る。大学を卒業して東亜潜水機に入った僕は、舘石昭とバディで潜っていた。知らない人は居ないと思うけれど、館石さんは水中造形センターの創業者で、高名な写真家になる。しかし、まだ、僕も館石さんも青年として荒野をめざしていた。館石さんは突然ポルノを撮影することになった。まだ、仕事のない時分で、インチキプロダクションに水中ポルノを持ちかけられたのだ。当時の僕たちはダボハゼだから、どんな餌にも飛びつく。
 その年は、巳年だったので、水中で裸の女優さんと大蛇がからみ合って妊娠する話だ。陸上では本物の大蛇と絡む。からみ合って大蛇は食欲が亡くなり、危なかったというが生き延びた。
さて、水中だが、僕はウエットスーツの生地を貼りあわせ、ペンキを塗って大蛇を作った。これをテグスで女優さんに結びつけて、水中でのたうちまわらせるというわけだ。その撮影を、伊豆大島のトウシキでやった。残念だったけど、僕は東亜が忙しく、撮影には参加できなかった。そして、そのフイルムの編集は、やはり戸山高校の同級生で、日本テレビに入社していた伊藤Bがやった。その縁で、つい最近まで彼が池袋のマリンダイビングフェスティバルの舞台演出をしていた。その録音のために、スタジオに行くと、録音技師として、平田靖がいた。館石ポルノは僕の同窓会となった。ポルノは、編集の結果、映倫からはねられ、ズタズタになって公開された。
 二本立て公開で、僕も見に行った。二本立てのもう一本は、終戦で満州から引き上げてくる邦人女性が、強姦されまくるというすさまじい社会派ポルノだった。こんな二本立てが当たるはずもないと僕は思った。案の定、ギャラが全部はもらえず、僕の作って大蛇は無料奉仕となった。
 それ以来、平田とは会っていない。生きているだろうか?ネットで調べても名前はでてこないが、平田オリザの劇団の世話になっているかもしれない。


 「幕が上がる」は、あの暑い日の稽古と、そして、大根役者の僕が生涯ただ一度の舞台と僕の中で重なる。もちろん時代も違うし、なにもかも違うが、空気だけは共通だ。平田オリザは、劇作家だが、これはあえて小説だ。、映画化されるというが、僕は小説のイメージが壊れるといやだから、見に行かない。
 
 

0303本の話

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 読書について書くのが、続いたが、潜水以外のことで、一番当たり障りなく自分の意見が言える。そんな世の中になっている。それに読書論の本を読むのも好きだ。

 ところで、僕の専門外、潜水以外の読書だけれどかなりの量のものだと思っている。
 本を買うのは原則として、ブックオフで、108円が、主だ。新刊は本屋で考えぬくか、あるいは瞬間的に欲しくて買うか。なんだ、要するに考えて気に入れば買うということではないか。しかし、ブックオフの方は、考えないで、ちょっと気持ちが引っかかったら買う。だから、読まないで売り返してしまう本も多い。主に新書版をこの頃では買う。文庫本の方は、気に入った小説家のものはすでにほとんど読んでしまった。一冊読んで、気にいるとその小説家の本は、100円で出ていれば買う。
100円で買って、読まないで売りに出すと、30円から50円で買ってくれる。だから、新書でも小説でも、だいたい2年前、新しくて1年前だから、本のことを書いても、新刊紹介にならない。しかし、みなさまも、ブックオフに行ってウオッチしていれば、108円で買えるかもしれない。

今日、読み終わった本は、「ビブリア古書堂の事件手帖、1-4 三上延著 メディヤワークス文庫、2013年刊」 まだ割りときれいだから、売れば50円になるだろう。残しておいても良いかな?
この著者は、電撃文庫とかいうライトノベルスに沢山出している。ビブリア古書堂のシリーズも まだ5-6と続いている。また100円で出ていれば買うだろうか?。職人芸で面白い。
すべて架空の話、メルヘンだが、古い本、古書を巡る話の連作だ。本当かどうかわからないけれど、古書の商売もかいま見られる。古本屋って、ブックオフが出来たために滅びるのではないかと心配してしまうのが皮肉だ。高い本では10万から100万の例えば江戸川乱歩の初刊本などを扱う。ヒロインは栞子さんと言ってとても巨乳のエキセントリックで魅力的名25歳ぐらいだ。ヒローは大作君という職のない大卒で、古書堂でアルバイトをして、そのまま居着いてしまう。この子の設定はやや不自然だ。本を読むことができない神経症になっている。大卒だから教科書は読めるのだろう。まあ、そんなことはどうでもいいので、テンポ、リズムがいいので、頭休めに読んで楽しかった。
ああ、そういう本って、若い子に人気があるのだろうなあ、と思う。本というものの一つのあり方だ。

新書版では、文春新書「日米中アジア開戦 陳破空著 2014」
2014だから新しい。内容を見ると
第七章 日中開戦シミュレーション 激戦尖閣諸島
第八章 米中サイバー大戦
この辺りが面白いのかなと思って読んだが、大したことはなく、ありえない話、投降する一人っ子兵士とか、中国が弱いことの記述だ。
ちょっと面白かったのは、
第三章、 文革世代 習近平の弱点。。
そういう人たちなのかなあ
最終的には
第十章 米中開戦のシミュレーション
 で中国はこてんぱんにやられてしまう。著者の意見は、少しでも早く米国が立ち上がり、戦争して中国を叩き伏せないと、だんだん敵は強くなるということだ。
著者は、中国で二回投獄されてアメリカに逃げた人だから、こんなところだろう。

「中国人はそんなに日本人が嫌いなのか、加藤嘉一 ディスカバー携書、2011」
 これは、中国で活躍している若い日本人が書いたもので、テレビ出演、中国でのブログ開設500万アクセスを誇っている子だ。中国のネット事情などがわかって面白い。中国に本拠があるのだから、あまり中国をけなしては中国で仕事ができないし、といって、中国礼賛でもない。微妙なところを書いている。
例えば僕が中国に今行けば、こんな感じで受け取るのだろうなあ。と思う。人と人は少なくとも喧嘩をしないで生きて行かれる。戦争となれば、この加藤くんの友人の中国人の若者は、一人っ子兵士として殺し合いに参加して、投降するのだろうか。

「アメリカ海兵隊 野中郁次郎 非営利組織の自己革新 中公新書 1999」
 アメリカ海兵隊は、世界最強の軍隊のように思える。
 書き抜いた一節は、
中核技能の学習と共用「海兵隊は、ライフルマンとしての職人芸、あるいはプロの技にこだわる。もちろん、マニュアルのような組織的に共有可能な形式知も重視するが、質の高い暗黙知がなければ、形式知に変換しても底の浅い知にしかならない。イノベーションの源泉は、機械的な形式知にあるのではなく、人間的な暗黙知にあるのである。両者の相互作用から知が組織的に生み出されて行くのである。道を究めることが組織の躾になることによって、個人独自の暗黙知【技能】が磨かれて行くのである。そして暗黙知が決定的な競争優位性を生み出すのである。」他にも幾つか書き抜きたいところがあって、保存する本になった。

0304 生涯スポーツ

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生涯スポーツについて

 日本は高齢化社会である。
 高齢者のスポーツについて、
 僕の場合には高齢者のダイビングについて、となる。
 生涯スポーツとは、生涯を通じて、つまり死ぬ時までスポーツを続けることだ。
 死ぬまで健康で、とはもちろん最大の願いだが、そんなにうまくゆけば、大病院がラッシュにはならない。僕も二ヶ月に一度主治医の河合先生の診察を受けに御茶ノ水の順天堂病院に行く。親しい先生だから、時間予約とスピードに便宜を計らってもらっているが、検査とかが入ったり、少しでもどこか具合が悪くて別の科の診察などとなると、3時間は待たなくてはならない。よくもこれだけ病人がいるなと感心する。これは病院に来られる健康の人だから、寝込んでいる人を入れれば、大変だ。
 だから、高齢の殆どの人にとって、健康は願いであり、現実ではない。
 健康でスポーツを楽しめる60歳以上というのは、大変なラッキーだ。
 自分も幸運だろうか。
 幸運を当てにして生きてはいけない。昨日まで大丈夫だから今日も大丈夫、明日も大丈夫という考えは、正常化の偏見ということで、ダイビングでは頼りにしてはいけないと誰かが書いていた。そのだれかは、ダイビングとは致死性の高い商品スポーツだというのだが、。
 健康でなければスポーツができないとなると、高齢者はスポーツなどしてはいけない。全員隠居して長生きする途を選ばなければならない。スポーツができれば健康、だから、病院通いをしてもスポーツをするのだと決める。
 そして、生涯スポーツにチャレンジすると、次々に安全のための条件を、若い人に提示され、最近は高齢者の死亡が多くなったと、当然だと思われることを言われる。
 だから、高齢者のスポーツは、自分の内なる身体に向かってのチャレンジになる。


 何事によらず、人間は我田引水、自己中心だから、僕も右へ倣って、世界は自分を中心にまわっていると考えて生きている。
 高齢者のスポーツ停年を唱えるのは大体若い人だ。僕も若い時は、ダイビングインストラクター、40歳停年説を唱えた。年寄りは、みんな引退しろ。溺者を救助して、ファイヤマンキャリーで、岸に立ち上がり歩いて来られなくては、いけないとか、指導員講習の受講者にずいぶん迷惑をかけた。ちなみに、僕の加わっていた日本潜水会は、女性インストラクターも同じフィジカル条件を要求した。
 自分が40歳を過ぎても生き残り、60歳になると、今度は400mを7分で泳げなければ、ダメというルールを自分の中に作った。僕は6分30秒で泳げた。やがて、7分が切れなくなると、もうフィジカルな条件を考えだすことはなくなり。理論知ではなくて暗黙知が必要などというようになった。
 どこまでも、現役にしがみついていたいというのが、つまり生涯スポーツの指導者だ。
 今は、トレーニングを欠かさないことが、条件だ、と考えている。トレーニングをやめる時がダイビングをやめる時だ。
 トレーニングを続けて、最後まで泳ぎ抜く。最後までということは、最後があるわけだから、生あるもの、生きているということは、安全ではない。
 60歳を過ぎてから、ダイビングを始めようとするのは、あまり薦められないが、今、スイミング、水泳をやっているという人ならば、ダイビングを始めることも可能だとおもう。

    岡本美鈴と一緒の海豚倶楽部記念写真、僕を除いて、みんな若い。

今、60歳を超えるメンバーが何人もいる、浦安海豚倶楽部というスキンダイビング倶楽部をやっている。もうこれで15年無事故だが、安全だとかなんだとか言って、自分のことはどうなんだ。と言われても、高齢者が死ぬのは当然です。ぐらいのハードボイルドでなければ、高齢者の視点からの生涯スポーツはできない。もちろん、できるだけの安全策をとるのは、当然すぎるほど当然だが。
 ただ、みんなでトレーニングしていると、老化の速度はずいぶんと遅くなる。60歳を超える人も、みんな若々しい。泳いでいる姿を見れば、それほどの高齢者には見えない。

浦安のプールがお休みなので、辰巳の国際水泳場に今日、3月3日の午前中、浦安海豚倶楽部の練習に行った。スイミングプールで、午前中の時間帯に泳いでいる人に、60歳以上の人が多い。この前、2月23日の練習会の時だった。練習が終わってから、ロビーで高齢の男性に声をかけられた、「失礼ですが、お幾つですか?」同じくらいかなとおもったので「80歳です。」と胸を張った。「私は94歳です。同じくらいかと思いました。」冗談じゃない。94歳まで生きてはいたくない。94歳で定期的に泳いでいるような人ならば、80歳でダイビングを始めても良いだろう。

 海豚倶楽部の練習は、静止した息こらえ練習を禁じている。そして、なるべく、並んで泳ぐとか、列を作って泳ぐ練習を多用している。後は、なるべく、みんなで互いに注意している。バディシステムがスキンダイビングでも基本だ。海豚倶楽部のホームである浦安運動公園では、毎年、2回、親と子のスキンダイビング教室をやっている。その教室では、海豚倶楽部のメンバーがボランティアで僕を手伝ってくれている。この講習会の特色はバディシステムの刷り込みだ。僕が「バディ!」と号令をかけたら、手をつないで頭上に上げなくてはいけない。子供は一瞬眼を離したら危ないと教えている、そして子供は海では、スノーケリングジャケットを着るようにとも指導している。しかし、中学までは浮袋を着けて泳ぐだろうが、高校、大学と進んだら、ジャケットをつけたスノーケリングに限定することは難しい。
 
スポーツの安全について、幼児、小学生、中学生、は自己責任ではない。すべて親と学校の管理責任である。だから、親と子で行動するときには、ライフジャケットを着てもらう。プールでの練習は、スキンダイビングであるが、海ではジャケット付きのスノーケリングを勧める。高校生、大学生となると、親の責任、学校の責任は間接的になり、自己責任で絶対の安全をもとめるが、ダイビングでの安全責任は安全管理者と分担する。自立する社会人になれば、自己責任で安全を求めなければいけない。ダイビングでは、とんでもないショップ、とんでもないガイドダイバーにあたる不運もある。もしもの場合、管理責任を訴えることができるが、訴えるのは遺族さまだ。但し、仕事での安全は、仕事を命じた者の管理責任が大きい。だから、管理者の視点では、死亡事故は死ぬのではなくて、殺す、に近くなる。
60歳、停年を過ぎたら、死ぬのも生きるのも勝手にさせてもらいたい。つまり、出来る限りの努力をしていれば、死を咎めない。自己責任でもなく、管理責任も無く、誰にも責任はない。これが生涯スポーツのルールだと思う。

僕が80歳で80m潜ると言ったら、昨年、旧友の日本潜水会メンバーであった脇坂さんが70歳になって70mに潜ったと、年賀状に書いてあった。去年の日本潜水会は後藤道夫のお別れ会だったから、脇坂氏の70mを祝う事ができなかったが、こういうのが流行るみたいだ。90歳で90mは、僕は無理だが、今ホームグラウンドにしている、波佐間海中公園の荒川オーナーは76歳で、僕の10倍の身体能力がある。彼ならば、90歳90mができるだろう。彼は、今なお、別に年齢記録ではなくて、定置網の作業で80mぐらいは潜っている。

去年の11月には、全日本水中スポーツ室内選手権大会で、僕は50mフリッパーレースにでて、全日本潜水連盟の名誉会長の玉置先生は、84歳で100mの特別レースを泳いだ。事故を起こして迷惑をかけることはできないので、緊張した。この競技会では、生涯スポーツを大きなターゲットにしている。
 

0305 一眼レフ高級機

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 久しぶりでCAPA を買った。新刊3月号だ。あまりにこの頃のスチルカメラ事情を知らない。知らなくても構わないのだけれど,これでも一応はプロのファイティングポーズをとらなければならない時がある。
 今は、アクションカメラを何台、同時に使うか、それで何ができるかの追求をしているから、高価カメラを買う見通しがない。これからも多分無いと思う。耐圧カメラの性能が向上すればそれで間に合わせる運用方法を考える。
 ところで、最近注文したニコンの30m耐圧クールピックスが、3月1日に届くはずが、4月1日に延期になった。なにかちょっと心配になる。欠点が見つかって手直ししているのだろうか?とか。
 
 さて、キャパに戻って、「キャノン「新型EOS」5機種、怒涛のデビュー」、最上位機がEOS 5DS と5DsR だ。468000円だ。
 エントリー機のEOS Kiss8i がレンズ付きで13万だ。
 どこに差があるかといえば、5は、大判サイスだ。
その下の機種もすべて高画質だと書いているから、雑誌の印刷で差を見出そうとするとかなり難しいが、差はあるように作例が作られ、編集されている。
 5機種のうちには、ミラーレスもEOS M3 がありAFの速さをうたっている。ミラーレスがでた時には、もうこれで一眼レフのレフファインダーは絶滅するとおもったりしたが、
やはり、一眼を覗かないと気がすまない。
 水中撮影に関する限りでは、一眼のファインダーは覗いていたらバディをロスする。いや、一眼で撮影するようなカメラダイバーは、撮影では、バディで潜るようなことは無いのが普通かもしれない。
 バディシステムについては、また別に書くけれど、とにかく二人で水に入ることは必要だと思う。二人で入っていれば、打合せておけばなんとかなるだろう。けれど、カメラマンの多くはファインダーに集中する。ファインダー命だから、助手を雇うのでない限り、基本は一人だ。
 それほどファインダーにこだわるのだから一眼はなくならないか?
 僕が高級一眼で撮影するとすれば 5コマ毎秒で31枚とか、12枚とかで撮る。水中撮影の入門みたいな本とか雑誌の特集を見ると、この連続撮影のことがあまり重視されていない。プロはたいてい連写をするのだろうと思っている。フィルムからデジタルに変わって、重要なポイントの一つだと思う。元来僕はニコノスの時にも、毎秒2枚で撮っていた。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというけれど、下手は、数打たなければ当たらない。
 もっと数が打てるのは動画だ。動画からの静止画だが、やってみるとこれは、完全に静止させることが難しい、やはりブレで解像度が落ちる。だから、まともなスチルをとるならば、全部ストロボを光らせて撮るのが良い。ミラーレスのM3 が、もっと速いと思ったが、毎秒4.2枚だった。エントリー機が毎秒5コマだから、これでもいいか。セブンが毎秒10枚だったか?ここで、毎秒5コマに追いつくストロボをどうするか。何にするのか。どっちにしても買わないけれど。

  良いカメラで撮ったらどうなるかな。清水さんに頑張ってもらおう


 ところで、これで何を撮るのか?これが最重要なことだ。
 水中撮影というと、悪条件だから、エントリー機と5DSとの差は著しいか?それとも意味は無いか。コストパフォーマンスを考えたら、高級機は買えない。しかし、ここでこの一枚にかけるという被写体、撮りたいものがあるならば、お金をつぎ込むか?
 その覚悟をしたとき、エントリー機と5Ds のどちらか?となると、5Ds を買わないとダメなような気になる。これがカメラマンの因果であり、カメラメーカーの商売が成立する。
 レンズが11-24mmで、46万とハウジング40万を入れれば、130万だ。ああ、フィルムとニコノスの時代は良かったなあ、ニコノスV と20mmを持てば、無敵 と思えた。いまごろ、プロのカメラマンをするのは大変だな。それとも、古い機種でお茶を濁しているのかな。僕だったら、どちらかと言えば腕よりも機材の人だから、120万か?そんなに稼げるか疑問。
 キャノン以外のカメラもCAPA で紹介していたけど、ニコンのD810が、ニコン史上最高画質と言って3635万画質、キャノンの5Ds が5060万だ。それでもニコンは名前で魅力があるが、ペンタックスや、ソニー、フジ、オリンパスなど、エントリー機レベルの争いになると、迷う。使っても見ないのに、なんとも言えない。水中で使うには、それぞれ、ハウジングが必要だから、因果なものだ。
 そして、ハウジングは水没の可能性がある。ダイビングでは、他に注意を払わなければならないことが無数にある。
 どうせ買えないのだから、高級機の情報は、単なる話題の種。
 
僕としては、今度ニコンのクールピクスが来たら、TG2 との比較をやろう。福ちゃん情報では、TG2 は、画質的にはTG3よりもむしろいい。その差は、マクロの差だとか。TG2のマクロも悪くないけど。


    このモデルのどこがいいんだろう。商品のカメラが引き立てば良いのかな。

0306 スキンダイビング セフティ

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 ここまでは話だったのだが、今日、3月6日、第一回の打ち合わせをやり、スケジュールも決まったので、企画となった。ここからは、公表してPRしなければならないステージに入る。
 岡本美鈴、千足耕一、藤本浩一、須賀次郎【敬称略)共著でスキンダイビングの本を書く。
 岡本美鈴は、ご存知のようにこの前91mの深さに潜った。千足耕一は、東京海洋大学准教授で海洋リテラシー(海への第一歩)実習として、スキンダイビングによるリサーチを教えている。藤本浩一【日本女子大学助教・東京海洋大学】は、自らもフリーダイバーとしてよく潜る生理学者で、ダイバーの身体の内側のことならば、岡本美鈴が生理学のことで質問しても、答えられないことはない。須賀は、水中科学協会の代表理事で、80歳のスキンダイバーで、自らも、水深10m,水平に25m潜れる(本には、これがスキンダイビングの限界としよう、と提案している)いつものことだけど、ぼくは自分基準で生きている。ここから先は、フリーダイビングの世界になる。
 版元になる成山堂書店の小野さんは、スキンダイビングの入門書のようなイメージを持っていたが、却下した。もちろん、入門書でもあるが、読者としてイメージしているのは、まず、現在ガンガン潜っているスキンダイバー、話の発端は、岡本美鈴が辰巳で練習しているスキンダイバーを対象に安全講習会を開いた。とても良いことだから、本にしようと提案した。打ち合わせをしているうちに、スキンダイビングの全て、についての本にしよう。日本には今そういう本はない。


2013年の夏の)水中科学協会のフォーラムで息こらえ潜水の特集をやり、藤本くんには生理学の話を、千足先生には海洋大学のスキンダイビングによるラインサーチの話をしてもらった。三保先生には耳抜きの話をしてもらったので、三保先生には耳のことについての監修をお願いする予定(まだお願いしていないので)、
藤本くんには生理学のことを、千足先生には、リサーチのことと、教育に関連したスキンダイビング、平たく言えば、この本が、海洋リテラシー教本になるようにという視点からその部分を書いてもらう。
 読者の対象としては、すでにスキンダイビングにはまっている人、すでにダイビングのCカードはとっているのだが、スキンダイビングについてもう少し知りたい人、
 ダイビングを教えている人、大学の教官、高校の先生、海のこと全般に興味を持っている人、すなわち海との付き合い方入門(リテラシー)このくらい範囲を広げれば売れるだろう。
 今日の打ち合わせで、話が楽しく弾んだので、きっと良い本ができるだろう。今日の話で、ああ、そのことを本に書いてということが多かった。美鈴と藤本くんの会話がおもしろかった。
スキンダイビングの技術と生理学、そしてスキンダイビングの応用について、高齢者から高校生までの範囲でいつも手にしている本にしよう。
 今後のスケジュールだが、6月末の出版として、4月末までに入稿する。岡本美鈴は4月10日にバハマの競技に出発する。頑張れ、そして頑張って、4月6日までにドラフト原稿を仕上げて、旅立つ。それまでに、他の全員もドラフトを書き上げる。以後、須賀と千足先生、藤本くんがシャッフルして並べなおして編集する。いつもの通りで、突撃スタイルだ。ぼくの時間がどのくらい残っているのかわからないのだから。

0307 住んでみたヨーロッパ

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「住んでみたヨーロッパ、c」 川口マーン恵美 講談社+α新書
 例によって108円だから買った。新刊だったら決して買わなかっただろう。保存とまでは行かないが、今後108円でこの人の本が目に入ったら必ず買おう。

 1956年生まれだから、58歳、ドイツのシュツットガルトに住んでいる音楽家+主婦のようだ。「第一章泥棒天国ヨーロッパ」は、財布を落としても車の中に金目のものを残しておいてもほとんど盗まれない。まれには盗まれるが、日本という楽園に住んでいることの意味を考えさせられる。
 9勝一敗で日本の勝ち、というサブタイトルがちょっとちがうか、この人の前著がそんな題名で売れたことの続編という意味だろう。それぞれの章が面白かったが、第13章、EUはローマ帝国になれるのか、 ローマ帝国の時代、ドイツ人の国なのに、神聖ローマ帝国としたり、ヨーロッパ人にとってイタリアが憧れであり、ローマ時代を想ってEUができた。そのEUが、理想とはかけ離れてしまって悩んでいること、ちょうど僕はニューズウィークのEUの挫折を読んだところだったので、考えさせられた。

 日本は島国でよかったと思うとともに、中国、北朝鮮、韓国がEUのようになったらどうだろうと考えたりした。なるはずも無いと思うが、第一次、第二次、その前のナポレオン時代も争い殺しあっていたドイツとフランスが、手を握ってEUの中核になっていることを思うと、考えられない話ではない。共産主義、独裁がなければ、見込みのある話だが、もしかしたら核戦争で、中国、北朝鮮、が事実上消滅し、日本の半分、米国の一つの州が消え、放射能汚染で人間の平均寿命がもういちど50年に縮まったら、どうなるのだろう。平和になるだろうか。
 それにしてもEUはどうなるだろうか、やはり、ドイツ、フランス、イタリー、ベネルックスの6カ国にもどるのだろうか。そして、ヨーロッパの移民の問題を見ると、単一民族で、歴史を作ってきた日本は、移民を受け入れることで、楽園ではなくなるのだろう。

0308 フェイスブック

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 ブログは、フェイスブックに「投稿」というタイトルで出るのだが、フェイスブックのタイムラインはブログにはでない。
 だから、ここに並べてみることにする。動画もよくフェイスブックには出しているのだけれど、ブログにはださないので、その分は抜けている。
 自分の感覚としては、フェイスブックのタイムラインを、写真集的に眺めたいとおもっているので、タグ付けされた自分の見難い写真が出てくると、未公開にしてしまっている。
だから、それも、ここには出てこない。

ブログが煮詰まったら、このスタイルをやろう。

0308
二つ、集中して書いたら、もう一つやろうとしていること忘れてしまった。メモしていないとダメだ。そろそろ事務所に出かけて、写真選びをしなくては。
今年の夏もこのウエットかな。学生用のレンタルのお下がりだ


おはようございます。海に行けないので、15年前、土肥です。月刊ダイバーの原稿、大規模改修、半分書き直し。確かに良くなる。


0307
おやすみなさい。よく、後藤道夫に愚痴をいうと、男の子は泣くなといわれた。80になっても男の子か。

おはようございます。4時半からおきていたので、いまごろ、夕方の睡魔が襲ってきた。


0306
今日、100円ストアで買ってきた栞、気に入ったので、もっと買ってくればよかった。おやすみなさい。


海洋大学で打ち合わせの後、学食に行ってカレーライスを食べようと思った。僕は、大学のカレーライスを食べるのが、趣味というか、考えなくても済むんで。1335に閉店だって、僕が行ったのは1340分だった。言っても仕方がないが、我が母校ながら、面白くない大学だ。

おはようございます。福ちゃんです。

  
0305
おはようございます。月刊ダイバーの原稿を書いていて、自分は中途半端だなとおもう。成功の一歩手前で引き返している。しかし、中途半端だから、生き残って来られたと思う場面もある。中途半端、言葉を換えるとバランス感覚。危険なこと【ダイビングなど)をしていると、臆病になって、バランス感覚がネガティブになる。なんにも考えない奴に勝てない。


0304
どうやら月刊ダイバーの第一稿が出来た。が、力尽きた。少し休んで復活できるか? time goes by とネットで見たら、カサブランカが出てくると思ったら、エブリ、リトル スイングが出てきた。「時は過ぎてゆく」

    友竹さんと檀野君です

0303

一応、後二つのうちの、一つ終了。後は半ば遊びで書くから、いいや。月刊ダイバーは、明日一日で第一稿を終える予定。

0302
23日に最終稿の校正をした月刊ダイバー、もう次号の原稿を5日頃までにだす。って、後2日、今度はニュース・ステーションの最終エピソード、そして、60歳の100m潜水企画の発端。

 明日は、浦安海豚倶楽部、辰巳。ハードに泳ごう。

おはようございます。これまで、ネットの検索ページをhso123 に占領されていたのですが、ほっといたら、いつのまにか bing に占領が変わっていた。毎日ちがう壁紙になるのだが、これはこれでいい。日本語入力もエイトックから、グーグルに入れ替わってしまっていたが、これもこれで使い勝手が良い。それぞれ、自分の意志で入れ替えたのではないというところが感じが悪いが、別に差支えがないので、これでいい。

一段落一休み。
 この場所を覚えておかねば。こういう岩組み、木(昔貯木場だった名残の大木が残っているのか?)の陰を人為的に創りだすと、人工魚礁になるのです。


0310 スキンダイビングによるリサーチ

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 2008年のことだから、今から7年前か。もっと昔、10年ぐらい前のような気がしている。フランスの研究者が、フランス国営テレビの依頼で、レポーターとなって日本に人工魚礁の取材に来た。当時、館山の海洋大学のセンターの長は、小池康之先生、僕と一緒に「水中写真の撮影」という本を書いた後輩だ。小池先生はフランスに長く留学していたので、フランス語はペラペラだ。小池先生がアテンドすることになり、水中撮影は僕のところに来た。多分、テープを使ったカメラでのテレビ取材の最後あたりだった。
 場所は館山の伊戸、今ではドチザメの名所になっているところだ。そういえば、塩田さんがダイビング施設を作ってからおじゃましていない。時間が無いことと、僕が潜りたいところと、ドチザメポイントは違うので、ご迷惑かと思うのだが、そのうちに、今年は波佐間に入り浸って、なんとか調査の報告書を書いて、来年3月には発表したいので、それからか、いずれにせよ、ウエットの季節にならないと、なれない場所では潜れない。
 

  潜り込んでくるフランスの研究者 名前は忘れた。


 フランス人の研究者は、スキンダイビングで潜るという。スクーバがあるのだから、スクーバにしたら、と僕も小池先生も勧めるのだが、頑として、なにかフィロソフィーがあるようだ。ならば仕方がない、フランスからの長い旅で成田について、その足で館山に来た。寝不足と疲労でふらふらだ、と言いながら、頑張る。多分8mぐらいの場所で、伊勢海老の礁 がある。さすがに、2カットくらい僕が回して、終わりになったが、要するにテレビで映るのに、スクーバはかっこ悪いとおもったのだろう。

 伊勢海老魚礁を覗きこんで、デジタルカメラで撮影する

 
 棚にはイセエビが並んでいる。
 
 スキンダイビングならば、世界のどこにでも、空気の手配もしなくても潜水して調査ができる。最近だが、某国立大学のダイビングを教える話が出て、喜んで準備を進めたら、スクーバダイビングは希望者がいない。ますスキンダイビングをやりたいということだった。スキンダイビングを徹底的にやってから、スクーバというスタイルは大学時代、僕が通ってきた路だ。
 ただ、安全のためにその教育システムを考えなくてはいけない。今その準備を進めている。

0312 漁場施設研究会

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一般財団法人、漁港漁場漁村総合研究所(水産庁の所管する)の漁場施設研究会(第11回)に行った。主として人工魚礁調査などの報告をする会で、僕もお台場の魚礁を追って1年撮影した結果を発表したことがある。研究者ではなくなっている僕の発表も許されるのだから、オープンな研究会である。今進行しているJAUSの人工魚礁調査もこの研究会で発表しようとしている。

 午後13時から始まって17時まで、4時間である。発表されたテーマは、
 総論として 漁場施設の機能保全における課題

 各論として
 ・日本海西部地区におけるズワイガニ・アカガレイ保護育成礁 の効果調査手法
 ・五島西方沖地区マウンド礁 の整備効果調査手法について
 ・関西空港護岸での超音波コード化発信機によるキジハタの行動追跡
 ・人工マウンド礁 におけるイサキの行動解析と摂食
  ※マウンド礁 とは、天然礁 に匹敵する大きさの、積み上げマウンドの礁 である。
 ・乱積魚礁効果・魚群の推定
 ・高層魚礁における定点カメラを付加した効果事例
 ・貝殻構造物の物質循環の促進機能
 ・小型貝殻ブロックを使用した沿岸環境保全の取り組み事例
 ・環境共生に配慮したブロックテトラネオ、ベルメックスの現地調査
 ・アオリイカの産卵礁 の効果について
 ・核藻場礁 セルMPSの藻場造成効果について
 ・災害廃棄物(コンクリートがら)を利用した増殖礁 の効果について

 はるかな昔、こういう発表で、スガ・マリンメカニックがエースだったこともある。僕が引退したあとのスガ・マリンメカニックを引き受けている田沼くんも申し込み名簿に名前が合ったが、会場であえなかった。もう、人工魚礁調査には興味を失っているのだろうか。もうエースではないから、商売にならないのだろう。

 僕としては、参考になった、ことがいくつかある。
 総論では「漁場施設における機能劣化と回復対策」という項目が僕の考えの一つに当てはまる。これまで、巨額のお金を海に投入して、日本全国津津浦浦に築きあげて来た人工魚礁の、海の万里の長城のようなものが、今、どうなっているのか全然わからないのだ。もしかしたら、網がかりして、生物殺戮マシーンになっているのかもしれないのだ。
網がかりした魚礁

 ここでも網掛かりが問題にされている。ダイバーが容易に潜れないところについては、ROVで切り取るようなことを取り上げていた。巨額の費用がかかる。そして、まず状況を把握、要するにどうなっているかわからなくてはだめで、わかってからは、ダイバーが外す方策も考えられる。

 このところ、人工魚礁としては、マウンド礁 が、漁港漁場漁村総合研究所の調査のメインテーマになっている。少し考えてみよう。


 マウンド礁 とは、21世紀型の人工魚礁で、人工海底山脈ともいうべきもので、大量のブロックを積み重ねて山を作り、人工的に湧昇流を起こそうとするものである。湧昇流のあるところには魚が集まる。地先の海に家一軒程度の大きさの魚礁を置いたところからスタートした人工魚礁は、ついに海底に山脈を作るようになった。山脈まで作るとすれば、莫大なコンクリート工事だ。この効果、費用対比効果を証明しなければならない。国民のコンセンサスを得るのはかなり難しいと思うべきだろう。
 しかし、僕は海底山脈とまで風呂敷を広げないほうが良いように思う。それとも、そこまで行こうとするのだろうか。
 
 人工魚礁はどんどん大型化して、鋼製の海底の高層建築になった。立方面積を稼ぎ、高層化するためには、鋼製が費用対比効果的には有利であろう。コンクリート製との比較もあり、その長所?を集めて、外側鋼製、内側がコンクリートのハイブリッド礁 までが考えられた。しかし、これは高価になりすぎるのではないかと思った。
 魚礁はその原始形として、投石事業というのがある。大きな石を投げ込んで山をつくるのだ。これは、僕の関わったものとしては釜石湾口の防波堤工事というのがある。まず投石をして山を作り、その上に防波堤を築く。しかし、これは30年工事だったが、その投石部分だけに石の分散具合の測定調査に関わった。
 漁業者の間では、人工魚礁は、投石だけでいい。投石で十分という意見の人がかなりいる。スポーツダイバーが典型的な投石をみられるのは、土肥の岸側の魚礁だ。
 鋼製の魚礁は、耐用年数があり30年-50年もすれば崩れる。潜水艦とか水雷艇を魚礁として沈めたものがあるが、今はもう潰れてぺしゃんこだ。「漁場施設における機能劣化と回復対策」ということでも、古い鋼製を見てみたいと思うけれど、30年の耐用年数を経たものは、厳しい形になっているだろう。海の万里の長城にはなりえないのだ。
 マウンド礁 とは、投石事業の発展形であり、海の中に、水面に頭をださない防波堤を作ってしまおうという、考えだ。これならば耐用年数は長い。海の万里の長城になりうる。沖合につくる巨大魚礁は、この形が最終形なのかもしれないと思ったりする。
 しかし、海底山脈は、ちょっとオーバーだ。莫大な費用のかかる工事だから、国民のコンセンサスが得られなければならないとおもう。
 水産業の六次産業としての見直しが言われる時代となり、伊豆の定置網漁業などは、日吉さんなどをリーダーとして、活動を続けている。日吉さんは伊豆の海は天然礁 が多いから、人工礁 は不要という。一方で、千葉の内房は、大きな天然礁 がないから、人工魚礁は有効だと思うとも言っていた。マウンド礁 で海底山脈を作るならば、六次産業のレベルまで費用対比効果を求めて、国民のコンセンサスが必要だと思う。どうも、人工魚礁の業界は、自己完結に陥っているように思う。
 調査観察の精度を上げることは良いことであり、個々の魚礁の効果を生産量で見てゆくことは大事だと思う。しかし、それと同時に、その地域における魚礁群が、総体的にどのような効果を上げているのかを見るのも大事で、これについては漁獲量の統計的な調査が当てられている。しかし、漁獲量は漁獲努力に比例するものであり、沿岸漁業の衰退、推移に大きく左右される。直接的な調査で、できるだけ広範囲を見たいというのが、今の僕のテーマである。
 その意味で、マウンド礁 には、大きな興味があり、自分たちの調査手法を提案して行きたい。
 今関わっている千葉県館山、波佐間の人工魚礁群は、これ全体でマウンド礁 一個と比べてどうなのだろうかとか。
 確かに、マウンド礁 を連ねて海底山脈を作るとしたら、その地域の漁業環境を一変させてしまうほどの効果が証明される必要があるだろう。

 自分にはその可能性を追求する仕事ができるほどの時間が残っているのだろうか。

 長くなるので続きにする。

0313 漁場施設研究会-2

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 漁場施設研究会-2
 
 ・人工マウンド礁 におけるイサキの行動解析と摂食
  僕も館山の調査でイサキを追おうとおもっている。

     これは、館山 稚魚

     未成魚

  産卵は6-8月、産卵後2日で孵化する。全長0.15-1.2cmが仔魚期で、水深10-30mを30日ぐらい、プランクトンしている。
全長が1.2-3cmが稚魚期で水深3-10mの沿岸水域にいる。前に、波佐間の隣の塩見の魚礁を調査している時、水深7mの魚礁付近に現れた。西崎の水深14mの魚礁でも見られた。岸近くのアマモ場にも現れるから、港の中のアマモ場にもいるだろう。
尾叉長3-12cmが若魚期で、ネンブツダイと一緒に群れていたり、イサキだけで大群をつくっていたりする。水深30m以下の魚礁にいるだろう。波佐間ではどの魚礁に多いかとか、分布が調べられると良い。11月半ばになると、水温低下のために、深場に移行するのだが、波佐間では12月頃までとどまっているようだ。
12-16cmが未成魚で、人工魚礁に群れている。
成魚は2-3歳の成熟個体で、水深100m以内に群れている。群れての長距離の回遊はない。夜行性で、光から逃げるとされている、昼間でも群れて餌を摂って泳いでいるから、何時眠るのか?
バイオテレメトリー調査も行なって、深浅移動を観察している。



僕がやりたいのは、今波佐間でやっているインターバルカメラ多数投入の調査で、マウンド礁 を撮影したい。調度良いくらいの大きさだ。いい結果が出ると思う。
といっても、現在わかっていることの確認だが、6800-9500尾と想定されているマウンド礁 のイサキが、同時刻での位置がわかるから、分布と移動状況がわかる。数の総数の補正もできる。提案してみよう。

関西空港護岸での超音波コード化発信機によるキジハタの行動追跡
バイオテレメトリーを使って、キジハタが、あまり広くない範囲に居着いている事をしらべている。あまり遠くに行かないことの確認だ。

・乱積魚礁効果・魚群の推定
・高層魚礁における定点カメラを付加した効果事例
 僕が数十年やってきた人工魚礁調査と同じだ。潜水して魚を観察し、深いところにはROVをつかい、魚の種類と数を調べる。確認する。それぞれ、魚礁メーカーが自分のところの魚礁がいかに効果があるかを調べるわけだから、魚礁の比較は出来ない。僕がやろうとしていることは、ほぼ同じ時間での比較だ。単純なことなのだが、これまでこれが行われたことがない。魚礁メーカーにも知己が多いから、お金を出してもらいたいけれど、そうすると比較ができなくなる。
定点カメラの撮影は、亡くなった鶴町が佐渡の魚礁で、この研究会の依頼でやっていた調査で、調査方法としては、結論がでている。魚礁に魚が集まっているという当たり前のことだ。効果調査なのだから、魚が居ることが確認されれば良い。

・貝殻構造物の物質循環の促進機能
・小型貝殻ブロックを使用した沿岸環境保全の取り組み事例
水中科学協会の会員になってくれている唯一の魚礁メーカーである、海洋建設の発表だ。
お台場に魚礁を沈めてテストしていたメーカーである。
小型貝殻ブロックは、僕が前から提案していた、二人で持ち上げられる60キロのウエイトのブロックだ。
これをお台場で数個、組み合わせて人工岩場を作って周年観察するプロジェクトを提案したい。

・アオリイカの産卵礁 の効果について

アオリイカの3種、シロイカ、アカイカ、クワイカの分布は、知らなかった。そういえば、八丈島、三宅島ではアカイカと言っていたけど、千葉ではアカイカとは呼ばなかった。
各地のダイビングサービスがアオリイカの産卵のために入れるイカシバの代わりにやや恒久的にしたブロックで、広い範囲におけるが、付着物が付いたりして、空間が埋まってしまったらどうなるのだろうか。インターバルカメラを使って調査をしていたが、あまり上手ではなかった。


核藻場礁 セルMPSの藻場造成効果について
植食魚の摂食によって、磯焼けになってしまった藻場で、海藻を植え付けても、たちまち魚に食べられてしまう。食べられないように網をかぶせたブロックを入れて、藻場を復活させるテーマだ。そんなことで良いのかと思ってしまうが、効果が合って藻場が復活したらしい。

0315 ニュース・ステーション 番外編1

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 ニッポン潜水グラフィティ 番外編

 絶対に載せたい、面白い、というエピソードでも、編集者の潮美にクールにカットされる。曰く、ブログ的である。写真が無い。スペースが限られているし、いつまで連載できるというものでもない。今度の号からは、僕の60歳、100m潜水がテーマになって、これが全部で4回続く、

 そんなことで、積み残しがたくさんある。ブログだと際限無くかけるから、締りがなくなるが、細かいその時の気持ちもかける。脱線することもできる。
 月刊ダイバーの連載をお読みいただいた方には、きっとこっちも読んでいただけるだろうし、こちらのブログを読んでいただけた人は、必ず、月刊ダイバーも買っていただけるだろうとお願いして、書く。

 昭和61年 1986年 僕は51歳になり、潜水生活の第三コーナを回って疾走する。
 2月に流氷の下からニュース・ステーションの水中レポートシリーズが始まった。このことは、月刊ダイバーに書いた。

そして、1986年11月 伊豆大島三原山が噴火した。陸上の噴火だから、水中撮影は考えられない。でも、何とかしなければいけない。噴火でウツボが怯えて、岩に巻き付いている。とか、適当な事を書いて、噴火の魚への影響を撮ろうと提案した。噴火関連の企画ならばなんでも通る。

その頃の伊豆大島でのダイビングは、元町の観光荘、東村仁平さんのところ(その後いまのパームビーチになる)がベースだった。11月21日、噴火は次第に鎮まりつつあり、これではロケにならないかと心配したが、観光荘に着くと、噴火の響きでガラス窓がビリビリ揺れた。これならば行けると喜ぶ。喜んで良いのか?
午後3時、波浮港を出港、美山丸、親切な船頭で良かった。沖は時化ていたので、筆島の陰あたりで潜った。魚も撮ったがいつもはたくさんいるウツボが見つけられない。本当に地響きに怯えて、岩の下に隠れているのだろうか。隠れて居て見つけられなければ絵にならない。
念の為に差木地あたりで潜ろうと船をまわした。4時を少し回った時、三原山から噴煙が高く上がった。黒い噴煙はみるみるうちに高くのぼり、まるで原子雲のようになった。夕日に映えてすごい。その時、僕はスチルカメラを持っていない。その当時と今と、カメラで写真を撮るという行為が全く違っている。今なら、みんな携帯を出して撮影するだろうし、僕もGoProをマスクマウントで付けている。この大島の時のことを考えると、本当にマスクマウントがあれば、大きいビデオカメラで撮影しながら、マスクのGoProで撮れる。どんなにすごい迫力で撮れただろう。自分の眼で見た。大きなビデオカメラのファインダーを覗いた画像は、今でも、頭のなかにくっきりと思い浮かべることができる。

   これは伊豆大島ではない。当時のカメラ

ビデオカメラも重いハウジングの中だから、空に向けて噴煙が撮れるものではない。しかし、「おっ!やった。」歓声をあげた。ここまで出てきて噴火が収まったのでは、視聴率がとれない。波が高くなってきたので、再び筆島の陰にもどった。
噴煙は西寄りの風に流されて、頭上から指の先ほどの小さい噴石がパラパラと降ってきた。これを水中で撮影しなければ、と飛び込んだ。もう夕方も遅くなり、周囲は暗くなり、ライトを点けて、夜間撮影の構えだ。噴石は雨のよぅに水面に落ち、軽いのでゆっくりと水に沈んでゆく。潮美が水に入ってきた。先ほどに比べて噴石はやや大きくなっている。地鳴りのような音が体に響いてくる。その頃、船の上では、ケーブルを送り出している大沼くんの頭に拳大の噴石があたり、30秒ほどうずくまってしまった。大沼くんは大島の人で、今でも、秋の浜に行くとそこにいる。秋の浜の仙人とも呼ばれる人だが、その頃はまだ、仙人ではない。その後、バケツを頭に被ったが、バケツに当たる石の音がけたたましくて耳が痛くなるほどだったそうだ。
潮美がハコフグを見つけた。シタビラメが水底を這い、噴石の隙間に体を入れて砂にもぐりこんだ。アナゴが砂地から頭を出して、噴石がコツンとあたった。浮上して、水面に頭を出すと、径10cmほどの噴石が水面に落ちて割れた。空高く吹き上げられたあと、風に吹かれて、こっちに向かってきた噴石なので、軽いが頭を直撃すれば、危ない。岸を見ると、山火事が起こっている。「潮美は危ないから頭を出すな、須賀さんは半水面で、山火事を撮ってください。」と小早川監督が、言ってくる。まさか、こんなことになろうとは思っていないので、陸上撮影のクルーは来ていない。カメラは水中の一台だけだ。それも、今ならば何台もカメラがあるはずだ。
なんとか潮美を船の上に押し上げて、中川にカメラをタッチする。船の舳先からロープを下ろして、カメラに縛り付けて、引き上げ、水面からの山火事を撮る。今度は中川と二人で、水中で右往左往するマアジの群れをとった。噴石はどんどん落ちている。すごいカットが撮れていると嬉しい。ずいぶん長い時間、海底に居たと思う。船の上に上がって驚いた。船の上は一面の噴石で、船のガラス窓が割れている。

錨を上げて、走り始めると、噴石はまるで降ってこない。風の関係で、僕達が潜っていた場所にだけ噴石が落ちてきたのだ。「幸運だった」とその時は思った。

意気揚々と、波浮の港に戻ってきた。観光荘に電話を入れても誰も出ない。電話を借りた店(その頃にはまだ携帯はない)のおばさんに聞けば、もう、元町、岡田には溶岩流が流れ込んでいて、元町方面に行く道は遮断されているという。こんな時のただひとつの情報源、テレビを見ると、外輪山の外側の噴火の模様が映し出されて、大島全島に避難命令が出ている。小早川さんは、局に電話を入れて、放送記者に早変わりしている。

美山丸は、これから、三崎港に避難するという。水中機材を載せてもらって、中川が一緒に行く。僕達全員も一緒にと誘われたが、僕たちはハウジングから出したカメラで、陸上を撮影しながら、避難する。もう、テープもバッテリーも残り少ない。伊豆大島のこの地域にあるテレビ朝日のカメラはこれ一台だろう。気分は高揚した。すっかり報道の陸上カメラマンになったつもりだ。
山の上の勤労福祉会館が避難場所だ。車での避難は止められている。しかし、車がなければどうにも動けない。車を使うことにした。波浮港と元町の両方から避難船がでるという。消防団は、元町は溶岩流が流れ込んでいて火事だから、波浮港に行けとすすめる。当然、元町に行くことにした。溶岩流が撮れる。

元町は火事になどなっていない。元町港から東海汽船の避難船にのる。皆、着の身着のままで何も持っていない。すぐに戻れるつもりだ。しかし、避難は長く続いた。

朝の竹芝桟橋に到着する。報道のカメラが砲列を敷いている。そして、テレビ朝日の局に戻る。僕達のテープは、ニュースの番組で流したいと取り合いのようだったが、小早川さんは、ニュース・ステーションの番組でだけ使うと渡さなかった。
潮美がスタジオに出演して、オンエアーされた。VTRは6分30秒、素晴らしい出来でしたと小早川監督から連絡が入った。


0318 安全フォーラム

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 3月15日 フリーダイビングの安全フォーラムに出席した。小さい会場で定員が40名、満席だった。岡本美鈴さんの伝手で出席させてもらったのだが、出席者、全員が真剣に発言していて、良い集会だった。JAUSも、このような集会をダイビングの多方面にわたって、なるべく数多くやって行こうというのが今年の目標の一つだ。

 演題の一つ一つについて、感想、意見はあるが、それは、美鈴さんにメールでぶつけて、今度出版、予定ではなくて決定の、セフティスキンダイビングに反映させる。
 この本は、フリーダイビングのアジア・日本チャンピオンの岡本美鈴さんが、スキンダイビングの安全について、真摯な活動をされているので、ならば、と、海洋大学の千足准教授、同じく海洋大学の藤本浩一くん、かれはフリーダイビングの生理学を研究している。それに、須賀が、自分の高齢者としてのスキンダイビングトレーニング、これで15年続けてきている浦安海豚倶楽部での練習プログラムなどを通じての生涯スポーツとしてのスキンダイビングについて書き、4人共著で出す。共著の良い視点が4っつあること、そして、お互いの知識を共有することができるから、全員がとても良い勉強になる。そして、読者は、4人の勉強を共有することができる。
 僕にしても、この本の計画を始めたのが、ほんのちょっと前、   月  日だ。それが、今日までの間にこれまで知らなかったことを知り、考えなかった事を考えて、ずいぶんと勉強になった。80歳になって勉強も無いだろうと言われるかも知れないが、僕の勉強を読者のみなさんにも共有してもらえるのだから、事故を少なくするために、役に立つ良い本ができると確信している。
 問題は、時間との戦いだ。美鈴さんは4月10日にはバハマの競技会に行ってしまう。戻ってくるのは5月だ。そこで、タイムスケジュールとしては4月6日までに原稿を書き上げて、持ち寄り、おおよそのディスカッションをして、残る3人が添削、構成して、彼女の帰りを待つ、そこでもう一度読み合わせをして出稿という段取りを考えた。そして発売は7月20日の海の記念日、ところが、出版社は7月ではこの種の本は遅い、6月18日に出版というスケジュールが来た。僕の辞書に不可能はない。走りながら考える、書くという言葉がある。のんびりしたら、良い物ができるとは限らない。しかしまあ大変だ。4月には潜水士テキストも出て、この対策で潜水士問題集の直しを、工藤くんと一緒にやらなくてはならない。80歳・80mのコンセプトも出来て、根回しにかからなくてはならない。
 それにしても、美鈴さんもたいへんだな。走りながら書いているのだろう。書いているのかな?
 話を、安全フォーラムにもどして、
 感心したのは美鈴さんの話が聞き取れて、分かったということだ。僕は耳が遠い。テレビでも、アナウンサーの言うことはよく分かるが、ドラマはNGだ。ナレーションをするひとは、言葉が伝わらなければならない。今、月刊ダイバーで昔のニュース・ステーションのことを書いているが、初期の潮美はこの上なくナレーションが下手くそだったが、彼女のいうことが水の中からの言葉でも、視聴者に伝わるのだ。よく、講習などで、言葉が伝わらない講師が居るが、よくやっていられる。補聴器の僕に、マイクも使わずにわからせるトークというのは、講師としてとてもいい。この頃、そんな講演、講師の口が増えているみたいだ。
 ご主人の耕輔さんのブラックアウトの事故例の話は、映像がすごかった。100の講演よりも一つの映像、というのが僕の主張だが、特に、演出など全くない、現場の映像は貴重である。僕も、同じようなブラックアウトの映像を知っているが、自分が現場にいて撮ったものではないので、公開出来ない。
今回のフォーラムの映像から、ここには書かないが、ずいぶんたくさんのことをメモした。
フリーダイビングの危険、そして対処については、本でも書く予定だが、フリーダイビングの事故予防からフィードバックして、スキンダイビングの危険への対処、そして、予防につなげる事ができる。
 スキンダイビングセフティについて、6月の発売だから、そろそろブログでも宣伝しないと、いけない。多分、未完成で、荒削りになるだろうが、スノーケリングからフリーダイビングまで、水中で泳ぐ人たちにとって、役に立つ良い本になるはず。

320 海底霊園

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 書写カメラを買った。
 これによって、山になっている不要のような、捨てられないような書類をデジタル化して、捨てよう。同時に、埋もれている情報も使えるようになるのではないか。
 やってみると、なかなか大変で、書類が真ん中に収まらないし、しかし、決まってしまえば作業は速いので、がんばってやってみよう。

 特許の申請をしたもの、テレビ番組の企画書などを写したが、まず特許(実用新案)
 ☆「美しい環境にあって静謐であり、拡大しても敷地の心配がなく、適切な価格で提供できる霊園」 平成15年(2003)の出願  海底霊園 だ。

 良くも、こんな幸せなことを考えて、真面目に出願などしたものだ。と今は思う。
  ヒントは、ジュール・ベルヌの「海底二万哩」なのだ。ノーチラス号の乗組員が死亡すると、海底の墓地に葬る。絵に出てくる潜水器はルキヨールのスクーバで、酸素発生装置を備えていて、200mまで、24時間以上潜水していられる。2015年になってもジュール・ベルヌのSFは現実のものにはなっていない。この潜水器の現物は、フランスのエスパリオンというところにある潜水博物館に飾られている。背中に空気を貯蔵して入るが、これでは何分も潜れず、送気式の潜水器の緊急脱出用だ。ということは、今の作業潜水の主役である、背中に4リットルの小さいタンクを背負ったデマンドフルフェイスマスク式の潜水器のコンセプトを 1865年に先取りしていたことになる。僕がこれからやろうとしている80歳・80m潜水もこのコンセプトに近い。

 
 そこで、話は墓地に戻るが、要するに人工魚礁に納骨スペースを作って、沈めようという話だ。場所をどこにするかが問題だ。受け入れてくれる漁協はありそうにない。その頃、館山の塩見に人工魚礁調査で出かけていた。もう、定年退職して、Uターンして、ほとんど遊びのような漁師ばっかりだし、組合長は、大きな民宿をやっている。墓参は、スクーバで潜るから、ダイビングんうサービスもできる。魚礁だから、魚も集まる。すごいいいアイデア?、今でも思うけれど、組合長には話していない。やっぱり、口にだせない。

 それにしても、、この案を実現して、どうやって自分の収入につなげるのかという問題が残る。僕が霊園業者だったら、実現性があるけれど。

0323 ニコンCOOLPIX -1

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  ニコン・COOLPIX AW130 30mまで撮影できる、コンデジカメラ、価格はおよそ40000円が出た。水中映像研究会のメンバー、活動している5人の内3人が発売と同時に買った。むき出し、裸のままで30mまで持ち込めるカメラとして、世界で初だ。 
 これまで、僕はオリンパスのTG2を同じ用途で使っている。この耐圧は15mまでだ。30mまで持ち込むためには、30m耐圧のカプセルに入れなければならない。オリンパスTG2もようやく使い慣れて来たし、このクラスとしては、とても良いカメラだ。こちらは、TG3が出てからあとの中古を20000円で買った。その時に中小のカプセルが2000円前後であれば買ったのだが、4万円ぐらいだった。皮肉なことに新しいTG3のカプセルは、3万円台でセールにでていたが、これにはTG2は入らない。そのうちにと思っている時にニコンがでた。
 水密、防水の一番確かなのは、15m耐圧を30m耐圧のカプセルに入れるオリンパス方式だと思う。ただ、僕の場合、ウエアラブルカメラと並べで同時に使いたいので、大きさとしては、ニコンが良い。SEA&SEAのカプセルカメラを持っていて、これでも良いのだが、AW130  を買った。

 普通、カメラの使用説明書など一応必要部分を読んだ。



     このサイズならば、気持ちの良い絵が撮れる。色カブリが少しある。



     遠くが藍色が強くなってしまう。

 
 まず、辰巳国際でのテストを21日にした。TG2と並べ持ちして撮った。ボディのモニターでみると、上半分、水中での遠近では遠いところが 紫がかってしまう。後からPCで見たら、さほどのことでもなく、TG2 も、同じような調子だったのだが、ニコンのカメラ液晶の具合なのか、水中での色、水の色が気に入らなくて、ホワイトバランスをとろうとするのだが、よくわからない。説明書もその部分が手抜き。なんとかプールに浮きながら、30分ほど書けて、マニュアルでホワイトを調整した。これは、プールの中でのモニターは良かったのだが、PCで見ると、手前が白くなってしまう。
 なんとかあとで調整のできる範囲ではあるのだから、このランクのカメラとしては、陸上にモニターの絵を合わせるのだから、仕方がないだろう。
 いろいろ、細かいことはあるけれど、使いやすくて、絵もきれいだ。

    ホワイトバランスを調整したら、手前が白くなり、遠くは暗くなった。藍色の方がいいかもしれない。


    ホワイトバランスをとった映像 タイルの歪みがあるけれど、海にタイルがあるわけでもないので


    ホワイトは調整していない状態。あんまり変わらない。


    これはニコン ホワイトバランスをマニュアルで調整している。


    これはTG2


    GoPro動画からの静止画


    これはTG2

 TG2と、ほぼ同等に使えるならば、30mまで入れるだけ、ニコンが良いことになる。ただし、防水の確実さからは、カプセルに入れられるTG2が、いいが、価格は高くなる。

 次は、波佐間での人工魚礁調査でのテスト


0324 人工魚礁 COOLPIX テスト

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  日本水中科学協会の水中映像研究会のテーマの一つは水中撮影調査研究である。これは水中の調査を撮影を中心にして行うその撮影技法を開発研究して、実際に応用してみる。そして、その手法、そしてその手法によって得られた成果を公表する。合わせて、その撮影調査研究がレクリエーショナルダイビングの一つのジャンルとして、成立し、各地で、同じような撮影調査が、ボランティア活動として行われれば、日本の沿岸漁業のためにも、環境保全にも役立つ。というコンセプトです。
 その第一弾として、千葉県館山市の波佐間を選び、毎月一回の月例で、撮影調査の研究をレクリエーション的に行なっている。このことはブログで繰り返して紹介している。
 ここまでに
 2014年 3月3日、3月4日 8月23日 10月30日 12月5日、12月26日、12月27日、
 2015年 1月16日 2月16日、2月17日、2月18日
 11回にわたって ブログを書いている。 リサーチダイビングのカテゴリーで検索していただければ、出てくる。
 
 かなり繰り返しになるが、

今回使用する撮影機材は、
 設置するウエアラブルカメラは
 GoPro2:3台、使い慣れているので、信頼感がある。
 GoPro3:1台 GoPro2よりも新しい型だが、バッテリーの持ち、が2よりも短い。撮影結果については、2と3の大差はない。
 AEE23:2台 バッテリーパックを取り付ければ、電池の持ちは一番長い。
 HD・UMOX:2台 10000 円余 と廉価であり、SJ4000の偽物と言われている。


  イサキ稚魚の群れ ニコン AW130

 手持ちのカメラとして、今回は購入したばかりのニコンAW130 を使ってみる。
 今回のこのブログとしては、このカメラの使い勝手と、撮影結果がテーマである。
 写真のように、AW130と、HD・UMOXを並べて、HDは、動画を連続的に撮影し、AW130は、スチルとしてシャッターを押して撮影する。
 なお、翼を着けて設置するウエアラブルカメラは、5秒間隔のインターバル撮影を行なっている。
 今回のメンバーは、山本徹、福田克之、小俣  、増井武志 須賀次郎であった。
 
 2点に潜水しないで、カメラだけを投入する実験をした。カメラはAEE,を使う。

潜水は、10月30日に調査した、高さ12mの鋼製魚礁にした。比較ができる。

 一回目の潜水、11時25分潜水開始 潜水時間22分、浮上11時47分
  水温15.6℃  最大水深35.4m
 二回目の潜水、 14時23分   潜水時間15分 浮上2時38分
  水温15.6℃  最大水深30.2m

潜水深度が深く、久しぶりの30mを超えた。ウエイトが重くて、バランスが採れなかった。 

魚礁に据え付けたカメラは、10月30日と同様に、下段が3m、中断が8m、上段が12m,さらに魚礁の上3mの位置に浮かした。
撮影結果は、下段、中段にはイサキ稚魚、10cmクラスの群れ、ネンブツダイとの混成出前が見えないくらいで、中段あたりでは魚礁の外にも群れが巻いていた。およそ2時間の撮影で、上段にはほとんどイサキの群れは上がってきていない。
10月の調査では、下段、中段、上段を10数尾のウマヅラハギの群れが居るだけだった。ウマヅラは、1尾見られたが、ネンブツダイ、イサキの群れに場所を占められて見通せない状態であったが、群れては居なかった。

    ニコン


    UMOX


    UMOXとCOOLPIX を並べている。


     設置したGoPro


     福田くんのキャノン、1Dx では全景を撮ってもらっている。

ニコン、COOLPIXだが、2500ルーメンのフィッシュアイのライトが強すぎて、魚がオーバー気味だった。調査の撮影としてはこれでも良いが、調査としては、10000円のHD UMOX でも十分ではある。また、GoProのインターバル撮影の画像と比べて、今回の設定では、COOLPIXが良いとも言えない。むしろ悪いくらいだ。ライティングの方法、このかめらについての、撮影の慣れ、上達によってどこまで使えるか、今後に期待する。次回はお台場の撮影になる。
実際の調査についてだけ言うならば、GoPro、AEE,  HD・UMOX で十分に対応できているので、コンデジのテストは、このランクのカメラの使い勝手、撮影結果、撮影方法を、調べる、発表する、別項目の研究といって良い。

目標としていた撮影水深のログであるが、ログの獲得と保存について、またもや説明書の不備で、僕の頭脳で読んだのでは、読み取れない。次回の調査の折に、これらのことに詳しい、福田くん、山本さんに教えてもらおう。
 結論として言えば、今回の調査ではニコンのCOOLPIXの撮影結果は、一つとして良い写真は無かった。

     ニコン COOLPIX

0325 グラフィティ

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 自分の著書の賛辞をいただくことは嬉しいものだが、そのまま紹介するのは、なんとなく面映い。しかし、せっかく頂いがお言葉だから、紹介したい。

☆須賀 様
水村君は、私の海上自衛隊時代の水中処分隊の後輩であり、防衛大学出身のエリートです。彼に「ニッポン潜水グラフィティ」を差し上げたところ、感想文を頂きましたので
転送いたします。
竹下 徹

左から二番目が竹下先輩

☆竹下さんは、僕の東京水産大学の一期先輩で、一緒に潜水部を創立した。グラフィティにもその時代についての話では、中心人物である。威張り散らす運動部の先輩の中で、優しくて最高の先輩だった。水泳部の主将でもあった。海上自衛隊に入り、創成期の水中処分隊の隊長を努め、退役してからは三井海洋開発に入り、海洋科学技術センター、今のJAMSTECに出向して、シートピア計画の指揮をとった。

☆ 竹下 徹  様
先日は、ご友人の須賀次郎氏の著書 「ニッポン潜水グラフィティ」 を戴き
有難うございました。 お礼が遅くなって済みません。  
高価な本で、しかも著者のサイン入りとは光栄です。
竹下さんのお名前も随所に出てきて、親しみをもって読みました。
「潜水」は自分の海上自衛隊経歴の中で、最も気に入っている分野なので、
この本にすっかり嵌ってしまい、読み飛ばすことが出来ず、1ページ読んでは、
しばらく考えたり、思い出したりして、時間がかかりました。
このような立派な本のお礼には、感謝の言葉だけでは足りないと思い、
「感想」を、A4版のWARD 2枚に纏めて添付しましたので、
ご一読頂ければ幸いです。



水村 宏    

                  2015.3.18 水村  宏
「ニッポン潜水グラフィティ」読後感想 
   
 この本を読み終えての感想を一言で表現すると、「須賀次郎氏という伝説的ダイバーの人生そのものを、丸ごと追体験したような充実感!」ということができます。
 それほど、この本は、詳細、綿密に、大事なことは何一つ省略することなく、時系列的にキッチリと順序立てて書かれていて、読者は、著者と同じ時代を同じ気持で同時進行したような気分になりました。

個々の感想は沢山ありますが、その幾つかを書いてみます。

(1)01~24の24の小篇と10篇の興味深いコラムで構成されていること、そして写真が沢山使われていることから、大変読み易く、解り易く感じます。 しかも、各篇は独立した読み物でありながら、時系列になっていて、相互に深く関連しているので、1冊の壮大な自伝を読んだような気持になります。

(2)私自身、26~33歳(昭和40~47年)潜水を少し齧ったのですが、その時は夢中で心の余裕もなく潜っていたので、今思えば自分史の中で一番楽しかった潜水についてのドキュメント、日誌、写真などの記録がほとんど
ありません。 この本の記事や写真によって、自分自身が経験した当時の各地の海、魚、仲間たち、潜水器具、臨死体験、エピソード等々を、懐かしく思い出すキッカケ、手がかりとなりました。

(3)ダイビングに興味があり、これから自分も潜ってみたい、と思っている
人にとって、この本は背中を押して、「よし、やろう!」と踏ん切りをつけてくれることでしょう。

(4)全編を通じて、「安全」について、器具、準備、技術、工夫、システム、自己管理、心構え等々が色々な切り口と表現で強調されているので、この本は、潜水事故を未然に防いでくれるものです。  起こった事故を救助すれば賞賛されニュースになりますが、もっと大事な未然防止の結果は、何も起こらなかったという地味なものです。  しかしそれも、皆の先を歩んできたレジェンドの大きな価値のある役割と思っています。
(5)08 の「卒業論文」での「サザエの棘」の話は興味深いものでした。
今まで、棘の有無は、種類・遺伝による先天性だとばかり思っていましたが、環境適応のための後天性の可能性もあるようで興味は尽きません。
いずれにしても、生存―環境適応―進化―遺伝と繋がる奥行きの深い大きいテーマだと思いました。

(6)潜水を少し経験した者として、潜水のあの楽しさ、気持ち良さ、嬉しさなどを、他の人にどのように言葉や文章で伝えたら判って貰えるのか、いつも困惑していました。 自分の呼吸に連れてレギュレータを空気が通過するあの音以外に何も聞こえない沈黙の世界、水中に置かれた・・・というよりは、自分が水そのものになってしまうあの浮揚感と一体感。 
「潜った人でなければ分らない」と言ってしまえば身も蓋もなく、会話になりません。

   従って、ダイビングの楽しさ、素晴らしさは、言葉としてではなく、この
   本1冊から見えてくる
「一人の人が生涯を注ぎ込んでもなお、熱く語り続け、次へのチャレンジを目指す、それほどダイビングは素晴らし!」
   というメッセージに尽きると思いました。

 今は、続ニッポン潜水グラフィティを月刊ダイバーに連載していて、5月号から、60歳になり、27歳で潜れなかった100mへ再挑戦します。そして、80歳になり、今年か、遅くても来年中に新しい潜水器を作って、そのテストも兼ねて80mに潜ります。
 夢と冒険を追ってきた潜水人生ですが、80歳になると、天国など信じられないので、もはや夢はなく、冒険だけを追うことで生きています。
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