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0813 ロゴシーズー1

 山形カシオから、水中トランシーバ「ロゴシーズ」をワンセット預かった。北海道の工藤君に紹介してもらってのことで、前からこのトランシーバにはとても興味があったのでうれしい。ここしばらく、この「水中会話装置」について論評してゆく予定で、その第一回である。なお、今回に出す写真の何枚かは、スキンダイビング、ドルフィンスイミングのクィーンである斉藤真由美さんの撮ったものを使わせてもらう。
 
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 さて、まず水中通話、僕は会話ではなく通話という言葉をこれまで使ってきたので、水中通話であるが、自分では水中通話のパイオニアであり、権威者だった。過去形にしているが、現在でも、オペレーションについては権威者だとおもうが、耳が聞こえなくなってきているので、この道のトップを走り続けることは無理だろう。なにしろ聞くことだから。

 今度発売した「ニッポン潜水グラフィティ」の中心部分は、26歳の時の100m潜水チャレンジ(90mで引き返して、命だけは救った)であるが、この時、僕は90mの極限状態で水中からのレポートを送った。「舘石さんを引き上げてください」と絶叫した。先行する僕の上に舘石さんが落下してきたのだった。※くわしくは「ニッポン潜水グラフィティ」を買ってよんでください。
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        100mを目指す

 その時に、水中撮影をテーマにしたテレビ番組は、水中からの音声通話によるレポートが重要な位置を占める。すなわち、映像と音がなければ、テレビ番組にはならない。スタジオからのナレーションに加えて、現場からの声があれば効果は倍増する。とわかった。
 そして1982年ごろから、水中レポート装置、つまり水中通話装置の開発に取り組み、日本初の民放テレビによる水中中継、水中とスタジオを結んだ二元中継を成功させた。残念ながら、畏友の河野祐一カメラマンに、NHKで先を越されてしまった。だから日本初ではなくて民放初である。
 しかし、その後1986年から、テレビ朝日「ニュース・ステーション」で須賀潮美の水中レポートを中心の番組「立松和平の心と感動の旅」をはじめ、一世を風靡したとおもっている。なにしろ20年近くその番組の流れは続いた。
 こんど、80歳を迎えるので80歳で80mもぐろうと計画しているが、これも水中からの通話音声が必須だと思っている。
 できれば、その時にこのロゴシーズも活かして使えれば、と考えている。

 もう一つ、水中通話については、ダイバーの安全管理のために、ニュース・ステーションで使ったような有線通話機を芯にした、安全管理システムである「ケーブルダイビングシステム」を考案し、普及に努めたが惨敗した。リクリエーションダイビングでは、ケーブルで繋がれることは嫌だし、道具が大掛かりになり、お道具になってしまう。プロの水中作業には通話が必須であるが、これは通話機のケーブルを送気ホースに沿わせることで、普通に通話が成立してしまっている。何もことさらに、ケーブルダイビングシステムは、必要ない。

 さて、次に水中での音声通話の沿革を考えてみよう。
 先に述べたように、送気式潜水機では、水中電話装置は必須であるとともに普及している。ヘルメット式潜水機では、ダイバーは、鼻歌を歌って作業したりしている。減圧などで時間をもてあませば、声を張り上げて北島三郎を歌ったりする。
 これは、ダイバー対水面の船、水面のオペレーターとの通話である。
 水中通話は、大きく二つに分けて、まず水中と水面との通話、そして次にダイバーどうしの会話である。
 僕がかかわってきて、権威者だなどと威張っているのは水中と水面上との通話であり、ダイバーどうしの会話については未知数というよりも否定できであった。

 水中でのダイバー同士の会話についてもいくつかの方式に分けることができる。まず優先通話で船上とつながっているダイバー二人、もしくは数人が水面を仲介して話し合うことができる。もう一つは水中で文字通りにしゃべる。声をだして話をする。これはリブリーザーなどではかなり有効で上手な人ならば、2-3m離れて話をすることが可能である。
次に水中スピーカーを鳴らして、音を直接に耳に伝える方法であり、水中スピーカーからの音は、水中ではよく聞こえる。シンクロナイズドスイミングなどは、水中スピーカーで音を出して、音楽に合わせて踊っている。その水中スピーカーを小型にして、音を出して、直接に耳で聞いて話をする。かなり昔、アメリカでヤックヤックという水中スピーカーシステムがあり、かなり長い間カタログに載っていた。親友の上谷成樹(故人)は、この水中スピーカー会話システムを開発し、僕はこれを借用して、水中結婚式のテレビ番組を作った。水中スピーカーで牧師(実は牧師に扮した、伊豆大島・秋の浜の仙人こと大沼君)が祝福する。あまりうまくいったので出席の親族からほんものの牧師だと思われた。
 しかし、水中スピーカーは、水中でしゃべるためにかなり大きなと言ってもそれほど大きくないが、持って行かなくてはならない。あまり普及しないで終わった。これで、ヤックヤックも上谷の、これは「シャベリーナ」と命名されていたが市販品としては成功しなかった。
 音声直接ではなくて、電波に載せる方法もあるが、電波は水中を飛ばないのでこれは除外、超音波は水中を通る。光に音を載せる方法もあり、これは去年テストさせてもらった。光が届く範囲ではよく聞こえるが、光を持たなければならないのが難点、しかし、このごろでは、ダイバーがライトを持つことが普通になったから、見込みがあるとおもったが、大々的な市販には至っていない。
 そして、こんどのカシオ、ロゴシールに至っている。

 今日は前置きで終わってしまった。

0816 ロゴシーズー2

 ロゴシーズ(水中トランシーバ)について書いている。これは2回目だ。
 まず、これは個人的な定義だが、水中通話と水中会話とはちがう。水中通話とは、仕事の指示、緊急時の救助を求めること、安否の確認などで潜水に必須な実用的な通信とする。水中会話とは、水中の状況の説明、で、これは水中レポートがこれに入る。そして水中通話も含んでいるし、遊び、ゲームとしての会話も含んでいる。
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 水中会話には水中通話も含まれるから、水中会話の方が高次のものであるかもしれない。しかしながら、会話は対面して話をするが、通話は、声のとどかないところにも呼びかける。会話が出来るからと言って、必ずしも通話はできないかもしれない。
 互いに会話し、通話しながら潜水するという形は、BBCのテレビ番組で、クストーの息子が中心になっている「オーシャン」があり、ここでは、水中レポートと会話をくみあわせている。これには、僕がニュース・ステーションで使った、ダイブウエイゥのフルフェイスマスクが使用されており、陸上と同じようにしゃべっている。しかし、これは番組として製作したものであり、音の加工もアフレコも行われているだろう。

 さて、ここからが、ロゴシーズのテスト、マスクの右側のマスクバンドに引っ掛けてとめ、骨伝導マイクを耳の下、耳下腺あたりに押し付けるようにする。水中に入ると自動的にスイッチがオンになり、充電が十分であれば、緑のパイロットが点灯する。これで、受信モードになっていて、バディの声が聞こえる。
 最初、会話トレーニングシートというのを渡された。「こっちへ来てください」とか「落ち着いてください・」とか書いてある。僕は水中通話のプロだと思っている。水中レポートを40年以上やっている。そんなシートは不要と却下した。
 しかし、音は聞こえるのだが、何を言っているのか意味不明。僕は耳が悪い。高音域のある周波数が聞こえなくなっている。だから、補聴器で補正しなければ意味がつかめない。そんな僕が音声のテストをするのはどだい無理な話だ。しかし、骨伝導マイクだという。骨伝導ならば、意味がとれるかもしれないと思った。水面のマイクからの声は、耳を澄ませば何とか意味はとれる。水中ではやはりだめだ。耳のいい人でなければやはり無理、それでも何とかテストをして使いこなせるようにしなければならない。
 こちらからの送信は、一回強くタップすると、ピロパという音がして送信モードになる。何も言うことなどないから「聞こえますか?」などというぐらいで、意味はない。「一、二、三、四、」と数を読み上げるとこれはわかる。次第に離れて行くと20mぐらい離れても聞こえるし、わかる。送信は、タップしなくても、「いーつ」と言えば切り替わる。らしい。なぜらしいかと言えば、相手に聞こえるかどうかは、相手に聞いて見なければならない。「いーっ、聞こえますか」「聞こえます」で会話が始まるのだが、何にも話すことなどない。
 勝手にしゃべってみることにした。「僕のしゃべり方は上手ですか?よくわかりますか?」「わかります」ここでもう話題はとぎれてしまう。会話をしようとするのがいけないのだが、とにかく会話は成立した。
 レポートならば、「今日の辰巳は、来てくれた人が27人です。」とか、「あれは斉藤真由美さんです。」とか指さして話すこともできるが、とっさにはレポートできない。マウスピースをくわえての話は、明瞭ではない。フルフェースマスクも持ってきていたのだが、使う余裕が無かった。
 次回はフルフエースマスクでのレポートが相手に聞き取れるかどうかテストしよう。
 
 水中通話が成立するためには、バディの両方がある程度このトランシーバになれなくては使えない。慣れるまで、北海道の工藤君がやっているようなお遊びの会話をして、慣れてきたら実際のダイビング場面での通話機として使えるのではないか。とにかく、慣れて、道具にならなくては使えない。
 なお、5回連続してタップすると緊急信号になり、これはかなり遠くまで届く。バディがはぐれてしまった場合など、そして、浮上したいときの呼びかけとしては使える。それに、水面からの呼びかけはどのくらい使えるだろうか。それも貸してもらったが出力が小さいので辰巳プールならば使えるが外の海ではわからないそうだ。
 次は魚礁調査でバディとして使ってみよう。お台場の濁った水中での呼びかけはどうだろうか。

0817 ロゴシーズー3

 0817
盆休み最後の日曜
僕はと言えば、持病であるのどの不定愁訴があり、体調はよくない。
頭の中で考えを繰り返している。ある程度まとまったように思えても、キーボードを叩き、文字にすると、全然まとまらない。考えと文字表現の差が処理できにくくなっている。月刊ダイバーの原稿が難航している。

さて、今日は深川八幡の神輿連合渡御だが、観に行く気持ちにならない。
 JAMSTECで行われているプライマリーコースに行くことにした。、ロゴシーズのテストもしたい

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   潜水しなかったので、窓越しの撮影

 ロゴシーズはトランシーバだ。トランシーバを手にしたらしゃべり続けるというものではない。連絡事項だけを連絡する道具だ。水中で使うトランシーバとしては超小型でマスクのストラップに挟んで、全く邪魔にならない。ストレスにならない。なんとか道具として使いこなせるようになれば、役に立つ。鈴木、倉田、小俣さんに着けてもらった。よく聞こえるが、何をしゃべっているのか全然わからない。水面上との会話ができる通話装置も借りているので、今日は、僕は水に入らず。プールサイドから水中への通話も試みた。これも、下から上がってくる声はよく聞こえるが、内容はわからない。僕自身の耳がわるいこともあるが、やはりしゃべる技術が必要だ。次回は21日には波佐間の魚礁に潜水するので、その時に使おう。位置を教え合うのと、浮上のサイン、残圧ぐらいの通話ができればいい。バディシステムの維持にどのくらい役立つかがまずポイントだとおもう。
 
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しかし、僕がこのトランシーバにかけている期待は大きい。使いこなして道具にすることができれば、ニッポン潜水グラフィティの最後の章に書いた、脇水輝之のような事故も起こらなかったかもしれないし、ヒヤリハットの多くを解消することができる。事故の防止はハードを上手に道具として使いこなすこと、すなわち、僕のダイビングスタイルは、最終的にはハードが頼りだ。使いこなすためには、オペレーションマニュアルが必要だ。ロゴシーズを紹介してくれた工藤君と協力して、運用方法と、その運用に応じたオペレーションマニュアルを作ろう。
他にもやっているダイバーがいれば、仲間に引き入れよう。

0820 ニッポン潜水グラフィティ

 
 
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       まだ、勝鬨橋が開いていた。

 ニッポン潜水グラフィティ、おかげさまで評判も良く、9月16日の出版記念会で、僕の手売り冊数の約束が達成できる見通しがついた。
その出版記念会だが300通ほど、おいでいただくお願いと、本を買っていただくお願いのコンビネーションを出させてもらった。賀状のやり取りのあった方は別として、しばらくぶりで便りを差し上げた方では、ずいぶん住所が違ってしまっている。しかし、年賀状も疎遠になってしまっている友達も来てくれる。会いたいと思っていた友達、そして、もうこれで生きては会えないのではないかという友達もいる。そんな友達ばかり50人も来たら、一人の友達で最低1時間は話していたいから、どうしよう。本にサインなどしている時間はもったいないから、やはりあらかじめ書いておいて、名前だけはその場で書こうかと思ったりしている。
    
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         原田のアルバムから

 ニッポン潜水グラフィティにたくさんの友達が出てくる。できるだけ、写真に出た人については名前を入れようとした。それでも、「あ、しまった」名前を入れていなかった。そんな方がこの本を手にしてくれたら、どう思うだろうと、気に病んでしまう。巻頭のインタビューで、特に影響を受けた友達だと訊かれている。登場しなかった友達はどうおもうだろうとか、心配してしまう。

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          原田進

  
 話を元に戻して、特に影響を受けた友達は、大学時代のバディである原田進、そして後藤道夫だ。二人とももはやこの世のひとではない。後藤道夫は、この前偲ぶパーティをやることができた。原田進は、だいぶ前、そろそろ15年前になる。うっかりした事に、残された家族と賀状の交換をしていない。本を送ろうと昔の住所に2回ハガキ、便りをだした。メール便と郵便でだした。二つとも戻ってきていない。そして返事ももらえていない。ということは、ダメでも良いから、送ろう。そして、一番大事な先輩、白井祥平先輩にも住所確認のハガキをだしているが、戻って来ていない。
 明日、本を送ろう。到着しなければ戻ってくるだろう。

0823 波佐間 人工魚礁

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       山本徹さん、棒の先とマスクにGoProを付けている。このスタイルが魚礁調査には最適かもしれない。

 海でダイビングしないと、デスクワークでつぶれ、もろもろの人間関係でつぶれ、狂いそう。速攻で、館山、波佐間に行こうと決めた。僕のダイビングは、倒れ、立ち上がれなくなるまで、プロのダイビングであらねばならない。少しでもお金を稼ぐか、それとも、設定した目的、目標の達成のためにか、どちらかである。
 お金を稼ぐことは、今回は無理、設定している目標、人工魚礁の調査をリクリエーションダイビングでやるフォーマット作り、要するに水中撮影でやる人工魚礁調査の手法研究だ。館山・波佐間の荒川さんから、館山内房側に並列的に新しく沈設された魚礁のことを聞いている。まだ、この魚礁群への本格的調査は行われていない。今後も行われる予算はつかないだろう。僕たちの舞台として絶好の目標である。まず、荒川さんの波佐間で、その手法を決めて、次々と移って行こう。そんな時間はあるのかな?行こう。
 メンバーはJAUS水中撮影研究会の会長である山本徹さん。僕のこのプロジェクトの助手を務めてくれそうな、務めてくれると言ってくれている清水まみ、三人だ。
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      ボートを操作する荒川さんに立ち姿がいい。

 お台場の定期的な潜水は別として、本格的に海に潜ったのは、日本海の豊潮丸周航だから、およそ一か月ぶりということになる。一か月ぶりでも、まるでブランクダイバーのような感覚であり、怖い。怖いという感覚を原動力として、安全を組み立てているのが、今日この頃の僕のダイビングだ。
 荒川さんには絶対の信頼をおいているし、山本さんも清水さんも、絶対の信頼があり、バディシステムのブリーフィングをしなくても、見える範囲にいてくれる。それに人工魚礁の潜水では、範囲が限定されているから、離れることはない。

 今回は、撮影テストと、最近預かっている水中超音波トランシーバ、ロゴシーズのテストをしようとしている。ロゴシーズを三人が着けて、使い方のブリーフィングをする。

 ウエットスーツを3mmを持ってきてしまった。真夏だから、いま3mmを着ないで、いつ着るのだと開き直ることもできるが、水温は21℃だという多分寒いだろう。しかし、凍える季節ではない。
 潜る魚礁は、水深25mの大型コンクリート魚礁であるFP魚礁を二段に乱積したものにした。もっと深い鋼製魚礁もあったのだが、ブランクダイバー並みだからと浅い、25mの方にした。
 僕たち三人の他、波佐間の今日のお客様である女性ダイバーを萩原君が案内して、荒川さんが僕たち三人を見てくれる。

 タンクをボートの上で背負い、バックエントリーで入った。このボートはそういう構造のボートだ。ウエイトは4キロで、BC.の空気を抜けば難なく沈む。若干オーバーだが、バランスは悪くない。しかし、困ったことが起きた。ロゴシーズを着けるために、耳の部分に穴が大きく開いている専用フードをかぶったのだが、フードとマスクの隙間の処理がうまくできていなかったために、水がマスクにどんどん入ってくる。魚礁に着いて、膝を突き、マスクを直そうとするのだが、なかなかうまく直らない。なんとか直したが、このメンバーだから良いけれど、初心者を連れていたりするとこれでは困る。
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 持って入ったカメラは、キャノンのデジタルXに18-55のズームレンズを着けた、古い形のフィッシュアイのハウジングの上にGOPRO2を載せ、両側にイノンの1000ルーメンのライトを着けたシステムだ。本当は、TG-2を使いたいのだが、水深15mまでのカメラだから、25mまでは行けない。プロテクターを買っておけばよかったのだが、深いところは、このキャノンで済まそうと思って買わなかった。腐っても一眼レフだから、TG-2並みには使えるだろうとおもったものだ。
 結果を言うと、キャノン一眼の方は、予想通りに全然よくない。写ってはいるが、GOPRO2の動画からのキャプチャーと比べても劣る。きれいには撮れていない。この画角、このライトシステムでは、撮影距離が50cm以内でないとGOPROの方が良い。
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     キャノンで撮ったイサキ
魚の写真としては良いけれど、調査に特化すれば、このためだけに大きなカメラを持って入る必要は無い?。


 今回のような魚礁の調査撮影では、GOPROだけに割り切ってしまった方が良いと結論を出した。イサキの群れなどは、キャノンの方が美しいが、その群れと魚礁との位置関係を撮るには、18-55mmでは画角が狭すぎる。清水が使っている一眼レフのワイドレンズは24万円だということ、そんな高価なものは調査潜水には使えない。良い写真は清水に任せてしまった方が良い。ところがその清水は、わけあって一眼レフを持ってきていない。持ってきたTG-2もプロテクターを持ってきていない。僕が水深を伝えなかったことがいけない。清水もGOPROを使って撮影することになった。
 魚礁の撮影は、魚礁と蝟集する魚の位置関係、数、群れの範囲、魚種の記録が画面からできればよいのだから、今後はGOPRO、AEEなどの超広角ウエアラブルカメラに決定した方が良い。
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 やはり、3mmで20℃は次第に寒くなり、震えるほどではないが、頭の整理ができにくくなったので、浮上することにした。
 ロゴシーズは山本君とは向き合って、山本さんですね、程度の意味のない会話はかわしたが、集合とか浮上は指信号で簡単にできてしまうから、実用的に意味がない。ただ、ときどきぴぽパという音が聞こえたが、三人の誰が話しているのか不明、このような調査ではバディ二人だけが着けて、あらかじめ、指信号ていどの話す内容を決めておく必要があろう。次のお台場で清水、もしくは鈴木と打ち合わせて使ってみよう。
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 ログ 
 1108―1147 潜水時間39分 水温20.2℃ 
 最大水深 20.4m 平均13.8m

 13.8だったら、TG-2でも行けたかもしれない。

 寒いので、1本で終了しようと思っていたが、山本君も清水さんも、もう一本潜りたそうな顔をしているし、荒川さんも高根神社への参拝を薦めるので、トレーニングでもあるので、もう一本潜ることにした。

 2本目なので、もう少しバランスが良くなったが、カメラシステムのGOPROがなぜか動かない。さらに悪いことに、マスクに着けるGOPROを省略してしまったので、キャノンだけの撮影になった。1本目の魚礁で、キャノンの18mmはイノンのライトだけでは、30cm以上離れると光量が足りないので、イノンのストロボを着けて使うことにした。右側がライト、左側がストロボである。撮影の結果、たしかに光量は足りたが、館山の海は透視度は10mは見えても、緑色で、プランクトンが多く、光の点になってしまう。やはり、ストロボを光らせるのであれば、両側にカニが鋏を広げるようにストロボを2灯つけなければいけないのか。この調査のテストでは、良い写真を撮る必要もないのだから、カニの鋏は必要ないのだが、カメラマンの本能のようにきれいな写真を撮りたいので、このシステムでストロボを着けるときには、左側のストロボだけでも離すようにしよう。
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    安全停止中に波佐間のチーフ萩原君が宙玉撮影をしてくれた。
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    これがなかなか良くて、自分の姿としては、とても気に入っている。

 荒川さんは、鴨川の定置に行き、とれたてのマアジを持ってきてくれて、たたきを作ってくれた。僕は魚がそれほど好きではないのだが、それでもとびきりにおいしかった。
 僕は、荒川さんと一緒に、水深80mに潜った混合ガス潜水の報告書が、別の探し物でみつかったので、持参した。荒川さんは東京湾走水での本格的宝探しをしたことを僕はよく知っているので、その話題の話になった。なんと、彼はその潜水のことを覚え書き風に書いている。これこそ本当に面白い話なのだが、僕が何とかする時間もない。ちょっとした対談、トークを計画しようと思った。それより前に、水深20mまで潜って水深40-50mに魚礁を調査するシステムを企画中なので、今度は今日の魚礁に並列している水深50mの魚礁に行きたい。水がきれいになる10月にしよう。11月になると魚が居なくなってしまう

   なお、今回の撮影で、3人の撮影結果をまとめれば 人工魚礁調査として十分な撮影ができたと思っているが、それは別の機会に発表したい。

0824 ツバクロエイ

 28日からヨーロッパへ行く。7日の朝帰りだから、それまで、メールもブログもフェイスブックも音信不通になる。ドコモのWIFI 端末を繋ぐと、一日2000円だとか。ちょっと無理だ。高すぎる。思案中。しばらくブログもネットもメールもお休みになる。戻ってからが地獄のようになるから、やはりお金をかけても繋いでおこうかとも思う。

 トルコ航空にイスタンブールへ飛び、それからジェノバ、ナポリを廻る。
 イスタンブールは行きたかった街だ。西洋と東洋の接点。
 12月7日にやるシンポジウムの準備も開始したところで、戻って来ての出版記念会もあるし
 
 8月24日のお台場
 またまた濁りがひどい。なぜ今年はこんなに濁りがつづくのだろう。お台場は濁っているとはいえ、例年は1.5mほど見えて、50cm以内のマハゼなどはきれいに撮れたのだが、ことしは透視度50cmだ。
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お台場のヘドロ海底近く、雲のようにたなびいている。硫黄細菌だと思う。以前に撮影したクロマチウム,紅色硫黄最近とにている。お台場の海底は硫黄細菌の白い幕がカビのように生えるのだが、たなびいたように見えるのは初めてのことだ。100回以上潜っていても、お台場では、新しい発見がある。
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 それでも、ツバクロエイを見つけた。
 「もしもし」と、軽く手を触れて、およいでもらった。その動画をフェイスブックにのせたところ、海の生き物に、恣意的にさわっては絶対にいけないのだと、忠告をいただいた。レクリエーショナルダイビングで、生物に触ってはいけないというフィロソフィーはただしい。でも、エイはとびたたせてみたい。
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 生き物に絶対的にインパクトを与えてはいけないのだが、最近、スキンダイビング、フリーダイビングによるスピアフィッシングが復活しつつあるようだ。漁業組合がOKならば、良いのだという、昔からの議論がある。1967年、日本潜水会を結成して、スピアフィッシングの取りやめを、決議した。その時のことは、日本潜水グラフィティにかいている。そんな思いをして取りやめたのに、復活と聞くと、複雑な思いがする。
 
 このおとなしい、ツバクロエイを殺すようなことは許せないと思う。手づかみでもこのエイならば獲れる。尾島さんの奥さんが言っていた。アカエイは敏感に逃げるけれど、ツバクロは、よいしょと声をかけないと逃げない。逃げてもまた元の辺りに戻ってくるのだと。ちょっとは肩をたたいても許してほしいな、と思う。

 月刊ダイバーの新連載で、川口探検隊の話をかいた。これは、蛇と見れば毒蛇でも手づかみにする話だ。来月はシャークハントの話を書こうかと思っている。

 
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イスタンブール

 旅行中 traveling カーポティの「ティファニーで朝食」のホリー・ゴライトリーの名刺のアドレスです。
 もどってから書こうなどと考えていましたけれど、それでは大変な作業になってしまう。
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 たしか、成田をでたのは29日の夜、30日の朝にイスタンブールについて、ああ、最近慣れないビジネスクラスに乗せてもらったのですが、ホテルにはチェックインせずに荷物だけを預けて、街に出た。
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  イスタンブールの猫はひとなつっこい。
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  バザールは巨大迷路だ。
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 まずバザールという巨大迷路に入り込んだ。バザールはフォトジェニックな空間、シャッターはやたら通してしまう。バザールを抜けて、あこがれのボスボラス海峡。地中海と黒海を繋ぐ、東洋と西洋の境界の海峡、今回の旅では、ペンタックスのWG-2と、オリンパスのTG-2を持ってきたのだが、水中をTG-2,陸上記念写真をWG=2にしたのだが、これがまちがい。WG-2は、バッテリー容量が小さい。ボスボラス海峡でバッテリーアウトとなり、あとは歩くだけ。朝の7時から夕方の6時まで、食事の時間を除いて歩きとおす。中尾教室という探検隊は原則として徒歩移動。だけど、おそらく、今回のイスタンブールが歩く最長距離。
ボスボラス海峡の遊覧船に乗る。地中海と黒海を結ぶ関門海峡よりも長い海峡だ。船が下を通れる、吊り橋が3本架かっている。古い城塞、行き交う船。
船から降り、バザールの端の坂を登る。延々と登るとそこはトップカビ宮殿、ここには入らずに、ブルーモスクに入る。ステンドグラスが美しい、大きなモスクだ。次に地下の岩窟のようなところ、そして、満員のトップカビ宮殿を歩く。すごい宝物殿なのだが、列を作って歩く。
 夕食は、中尾先生の知り合いの三井物産のイスタンブール支社長のA氏と会食。最後は路面電車に乗せてもらったが、そのあとはまた歩いて行く。ボスボラス海峡を見下ろす、素晴らしいレストランで、トルコという国について、話を聞かせてもらう。Aさんはヨットマンでもあり、素敵な人だ。トルコという国について、たくさん考える。西洋と東洋の谷間にある魅力的な国だが、書けば大変、
通貨はリラだが、5000円しか替えなかったので、無一文になり、ホテルに戻る。ダイビングコンピューターの時計機能、ワールドタイムの欠陥で、朝食する時間が無くなって、空港へ急行。夜、時間を見ようと、時計のライトを点灯しようとして、ワールドタイムがずれてしまったのだ。
トルコについては、ゆっくりと書きたい。
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  イスタンブールからイタリアへ。
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  31日、イスタンブール→イタリアのジェノア。
泊まったマリーナホテルの前に、大航海時代の帆船が
僕は本物かと思って感動したが、実は1980 年代の映画のセットとして作ったもの。5ユーロ払って乗ることができ、やはりすごいと思う。
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遠足にも慣れて、カメラもTG-2に持ち替えたので、たくさん撮り、選ぶのに苦労。

9月1日
ジェノア大学、そしてジェノア水族館を見学。中尾先生の目的は、研究のための採集の旅であるとともに、学生の教育。ダイビングツアーではない。僕も教育されている。東京を離れていると、東京のことが見える。

地中海ー1

 原稿を、一応書いて、時系列にそって旅行のブログをかこうとしていたけれど、とても無理。プツン、プツンと、ブログに直接に書くことにした。
 今は、9月3日でここは、朝の6時13分で、PCには、東京の時間が出てくるので13時30分、今朝は、ここジェノバから移動でナポリへ、行く、ミラノから特急新幹線に乗る。
 ジェノヴァとか、ミラノとか、ナポリとか耳に親しい地名だが、もちろん行ったことも見たこともない。

 9月1日から泊まっているここジェノヴァのホテルはNHマリーナという由緒ありげなホテルで、ホテルの目の前がマリーナで、その岸壁には、大航海時代の帆船がつながれている。最初に見たときはどっきり、本物だと思ってしまったが、あとで聞けば1980年代の映画「パイレーツ」のために作ったものだとか。僕はなぜこの映画を見ていないんだ?帆船の出てくる映画はすべて見ているつもりなのに、
 今は、どんなものでも画像として作り出されてしまうから、こんなことにはお金をかけない。
 でも実物大で、本当に海に、マリーナに浮いていて、入場料を払って乗り込むことができる。
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 写真は口ほどにものをいう。こんな帆船のレプリカ
 があり、その向かいはジェノヴァ水族館だ。

 とにかく、街を歩いてみることにした。イスタンブールの大遠足の翌日で歩くと太ももが痛いけれど、気合をいれなおして歩く。コンピューターをいれたザックを担がずに空身になって歩けば、何とか行ける。
 歴史のある美しい街で、しかも生活がある。
 
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  道路?がレストランになっているから、こんなところがたくさんある。
  当たり前だがイタリア人なのだろう。

地中海ー2

ナポリに来て、ジェノバのことをかいているが、旅行中に書いていることだから、それでいいとしよう。
 ジェノバというのが良いのかジェノアというのかいいのか、わからないから、困っているけれど、語感としてジェノアの方が好きだ。
 言葉が通じないということ、もともと英語はだめだが、その上に耳のトラブルだからつらい。そして、状況を逐一説明してもらえる観光ツアーではないのだから、考え違いをしている部分も多数あるだろうが、ダイビングにかかわらない部分については、どうでもいいことだとしよう。


 9月1日
 ジェノア大学に行く、中尾先生たちのすごいところは、一度も会ったことも無く、論文を互いに読んだことがある(のだろう)だけ、メールの往復だけで古くからの知己のように互いに理解し、便宜を図らいあうところだろう。もちろん、お人柄もあり、すべての研究者がそういう具合には行かないだろうが、来てしまう。
 だから、お世話になる教授の名前を正確に知らない。知らないのでA教授としておこう。好感のもてる素敵な人だと感じる。もう一人、B教授、この人のこと、僕は教授ではなくて、日本でいえば研究所の技官だと思っていた。後で、ナポリに来てからの雑談で、教授だと教えられて、あんなに良い技官のような教授がいるということ、おどろいた。
 ジェノア大学の大きさ、規模はわからないが、街の中にあり、東大、広島大学など巨大ではなく、東京海洋大学の越中島キャンパスよりも小さく見える。見えるだけだから、本当の大きさはわからない。と思ってウィキをしらべたら、「ジェノヴァ大学には、11の学部、79の学士課程、37の修士課程、59の専門課程があり、2002/2003学年度に登録した学生数は40,465人でした。」
 驚いた。氷山の一角の端を見たことになる。
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  A教授はサンゴが専門とか、日本の宿毛にも行ったことらあるそうだ。宿毛の森田輝夫をしっているだろうか。今はいなくなってしまった関邦博教授のことも知っているはずだが、歓談する能力が僕にないことは、よいことかもしれないが、フラストレーションがたまる。
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  机の上には無造作に宝石サンゴの赤が置いてある。
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  教室のモニターで明日の潜水場所を見る。僕はまだ、そのあたりがポルト。フィーノだとは知らない。ただの磯だと思っている。

 その氷山の一角は、こじんまりして、清潔で、いわゆる博物学の教室のように見えた。これも本当のことはわからない。バリバリの先端科学研究部なのかもしれない。
 学者どうしの交際はともかく、大学の外に出て、ランチを食べた。とても良い店。そして、ジェノアの水族館に案内してくれた。僕たちの泊まっているホテルの目の前なのだが、
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   巨大水槽はイルカのショウを水中から見た。もちろん、ショウは水面でやっている。
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   タッチプールはエイ
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  クラゲもいるし、水族館のすべてがありコンパクトで良い展示
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   屋上からはマリーナの全景が見える。巨大クルーザも、スマートなクルーザーも止まっている。

水族館も日本の沖縄の巨大水槽とか、鴨川シーワールドのシャチのショウのような派手なところはないが、これは本当にこじんまりした建物を迷路のように使って、工夫をこらした展示をしている。

  夜はA教授との会食で、マリーナのフードレストラン街
  食材のスーパーのような売場とレストランが一緒になっている。
  マリーナーは毎日がフェスティバルのような様相だ。
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   食材が並ぶ棚、
   要するにイタリアの人は、ピザと、スパゲッテイ、パンを食べて生きている。
 
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   なんだかわからないで頼んだ注文品は、タラだったが、僕は食べられなかった。

  ダイビングは、明日 2日だけど、書くことがありすぎて、時間がまるでない。

地中海ー3

ブログを書き続けるということ、 書くことが嫌いではなく、ブログを読んでくれて、もしかしたら、いいな、と思ってくれている人が居て、もっともしかして、それが何かの役に立っているのではないだろうかと、ささやかな望みを持っているからだ。こんな旅を続ける、その最中から発信するのは、さらに苦労、しかし、帰ってからきちんと書きたいなどと、願ってもできはしない。
 きっちりと書くことは、月刊ダイバー連載もあるし、また、新しい本を旅の間で計画し具体化しつつある。
 さて、愚痴(それはとても大事なことではあるのだが)それはひとまず、脇に置き、
今は9月6日で、時差が7時間あるここは朝の6時で、東京は昼の13時だ。書くことは、2日、ジェノアでのダイビングのことだ。
 ジェノア大学の多分助教、もしかしたら准教授かもしれない、順序からCさん、かなりたくましい、そして一緒の潜ってくれる30代の後半か40代後半のCさんが迎えに来てくれる。
 多分、1時間ほど走る。港の名前もしらない。このツアーは早稲田の2人の若い人、助教の新井さん、32歳、ダイバーであり僕の時にバディである町田君25歳、修士の杉江さん22歳が細かい計画とか雑用をしてくれている。とてもよく僕の世話もしてくれるのだが、ツアーのコンダクターではないから、十分な説明はない。こちらも、しつこく聞きはしない。もしかして彼らも知らないのかも、アイホン、スマートホンを片時も離さないでGPSと地図で、自分の位置を確認している。この旅で、つくづくと、この道具を持たなければいけないと痛感している。一緒の旅をしている久保君は、マックのブックをこれも、いつも手にしているし、九州大学の宮本先生も、これは大小二つのドコモの何とか?を使い分けている。

 ナポリの宿で送ったブログ、イスタンブールまで戻ってきて、ラウンジで開いたら、送られていなかった。
 送りなおしている。

 ジェノアでの潜水だから、9月2日のことを書いている。
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ようやく、港に来た。観光の港である。
 豪華ヨットが並んで繋がれている岸壁の先の方、に車を止める。とまもなく、小さなボートが走ってきた。一目で、これが今日、僕たちが乗せてもらうボートだなとわかった。操船しているのは、昨日打ち合わせたB教授である。と、待おち合わせ時刻にぴったりの感じで、長身、痩せこけた、ややヒッピー風の40代男性が車のついたバックを引きづって現れた。今日のガイド、フリーのインストラクター風だが、大学関係者であるのかもしれない。もしかしたら助教かも、教授がボートを操って現れるのだから、よくわからない。
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   ダイビングボートとして使いやすそうな船だ。事実使いやすかった。舟べりが高いのに、タンクを受け取ってもらえば、僕でも楽に上がれた。
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 潜るのは、C助教、Dインストラクター?、こちらは中尾教授、九州大学の宮本先生、久保彰良、須賀、学生の町田の7名だ。
 ボートは、港を出て、岬の先端に向かうらしいが、やたらに豪華ヨットが泊まっていて、また沖を行き、岸辺は、これでもかというほど風光明媚である。
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 その先端にアンカーを入れた。切り立った地形で、見上げれば、きれいな小さな砦のような建物、日本ならば、パチンコ屋の別荘(実は、館山にそんなのがある。)かと思うが、歴史のある国、歴史のある海である。何だかわからない。
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 ここまで書いて時間が尽きた。今日はこれから、ナポリ空港からイスタンブールにもどり、乗り継いで成田に向かう。
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地中海ー4

  
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 本当に必殺のスケジュールで成田から直行で伊豆大島、トランジット東京で、その間にいろいろな連絡と準備、と高揚していたのに、ちょっとした台風で伊豆大島がちゅうしになってしまい、がっくりとしている。
 歳だからご無理なさらないように、などと言われるけれど、生きていることが人それぞれご無理なのだから、ご無理をやめたら生きて行かれなくなる。
 浦安海豚倶楽部の遠足、これで2年続けて?の中止だ。この前は、行かれたのに、僕が嫌な予感がして慎重になって中止。今度の伊豆大島はとにかく行けば何とかなるし、帰りも、他の伊豆七島ではだめでも、伊豆大島ならば大丈夫帰れると思って計画したのだが、中止。しかし、黒沢会長たち、倶楽部のリーダーとして中止が正解だとおもう。この前、僕が中止したのと同じようにこれで良いと思う。みんな、元気いっぱいだけれど、少しばかり年をとっている。
 常に突撃の僕の生き方を押し付けるわけには行かないと、やはり、僕が東京にいて判断しても中止だっただろう。伊豆大島で受けてくれる、山本勤さんのアドバイスもあっての中止だったとおもうが、山本さんの判断もこれで良い、と言いながら、とても残念で、行けば行けたのにと思いながら、これで良い。毎度のこと。ダイビングとは、そういうもの。

 さて、地中海は、ブログの上では旅の途中だ。
 風光明媚すぎるポルト・フィーノの岬の先端近くに碇を入れたところで、止まっている。
 第一回目の潜水、本当に延々と旅をしてきて、ようやく第一回目の潜水だ。
 潜水開始は多分11時ころだ、ダイビングコンピューターの記録、東京時間のそのままだ。
 9月2日
 潜水時間は39分、水温は23,4度、潜水する水深は15mを予定した。
 最大水深18m 平均が10.2mだ。
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      インストラクター氏

 フリーのインストラクターだか、大学関係者のインストラクターか不明のインストラクター氏は、過不足の無い、いいガイドをしてくれる。大体の説明をして、あとは僕たちに動きを任せて、外側から見ていてくれる。

 水中の地形は、原則として陸上の地形が連続している。陸上は20mほどの高さの岩の崖がそびえていて、その上に瀟洒なたてものがある。水中も20-25mの崖になっている。
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 ぼくと中尾先生がいつものバディ、町田君と宮本先生のバディを久保君が見てくれる。
 僕たちのダイビングは、ボートのアンカーから80mの巻き尺を伸ばして、その範囲内で採集をする。今度も巻き尺を持ってきたのだが、久保君は、小さいリールでラインを伸ばすスタイルだから、任せた。
 岸の崖に沿ったダイビングだから、リールも巻き尺も必要ないとも考えたが、初めての地形だし、何があるかわからない。きまりはきまりとしてやらないと、もしもの時に後悔する。
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 久保君のラインは、崖の中腹に横に伸ばすラインとして正しく、見事なもので、まっすぐに伸びている。僕たちの巻き尺は海底を這わせるものだから、このような垂直地形では、ラインは垂直に降りてしまう。落としたラインから離れて横に移動して、戻りはラインに戻ってラインを巻きながらアンカーに戻る。久保君のラインはまっすぐに水平に張っている。技として、本当に見事なもので、見惚れるように撮影した。彼のこのラインの操作を撮影できただけで、僕としては、一つの満足。しかし、久保君が採集に参加する場合はどういう動きになるのだろう。彼の技術だからできる。僕にはできない。やはり、巻き尺ラインを放置して、そこに戻る方式だろう。
 崖の中腹を少しばかり移動して採集する。ちょっとオーバーハングになっているところでは、無脊椎動物が多い。
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 ここの特徴は、見事なまでに海藻が生えていない。大型海藻も下草の類もない。微細な海藻は生えているのだろうが、目にははいらない。埴食性の魚の群れがついばんでいるように見えるから、生えてはいるのだろう。
 水深10mを超えると、濁ったような色になり、透視度も15m歩とになるが、浅いところではきれいな青、地中海ブルーとでもいうのだろうか、透視度は20mを超える。
 中尾先生は目指すサンプリングができただろうか。多分で来たと思う。

 2回目の潜水、
 潜水時間は32分、水温は21.8℃ 最大水深が26m、平均が10m
 一回目の潜水の残圧が100、これでそのまま潜るから、タッチ&ゴーだろう。僕はこの潜水の計画加わっていない。おそらく、インストラクター氏を交えての話で決まったのだろうが、僕は耳が不自由な上に、片言英語だから、英語の会話は理解できていない。
 中尾先生は15mラインで、前回の採集を繰り返し、久保君が町田君、宮本先生は25mの崖の底まで行く、「須賀さんはどうしますか?」ということになった。中尾先生のバディは、大学のCさんが、務めてくれる。僕は中尾先生のバディだから外れることになる。あまり好ましい計画ではないが、別に危ないことはない。少し迷うが、25m組に同行することにしたが、中尾先生から離れることは、ちょっと嫌な感じをしている。
 たかが25mだけど、こだわっている。TG2は15mまでなので、ステイから外して、GOPROだけにする。
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 もちろん、何事もなく25mまで行き、もどってきて、浅いところで空気が20になるまで、魚を撮影して遊んでもどった。
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沖を超高速のヨットが突っ走って行く。なお、ヨットというと帆船だけのように思っている人が居るかもしれないけれど、僕はヨットと言うとき、モナコ王室のヨットのように超豪華な200トン程度のボートまでをヨットとしている。
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 戻り道、ポルト・フィーノの入り江に入り、一回りした。上陸する時間がないが、海から見た町、そして、止まっているヨット、このポルト・フィーノ、50年ほど前に見たナショナルジェオグラフィックに記事があり、頭に焼き付いている。その写真のままのようなたたずまいだ。
 ポルト・フィーノから、僕たちが出港した港、サンタ・マルガリータの途中にダイビングサービスがあり、ここでタンクを借りたらしく、桟橋にボートを着けて返却する。このサービスの建物も、フィットしている。
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       ポルト・フィーノのダイビングサービス

 サンタ・マルガリータに戻って、機材をパッキングして、街で遅い昼食、14時ごろになっている。車を駐車して、街を歩くと、街の道はそのままレストラン、そのどこかで座るのかと期待して歩くと、そうではない。パン屋に立ち寄る。ここの食事は、パンに何かを挟むのが原則だ。適当に買って、海岸まで歩き、木蔭のベンチで食べる。お金をかけないのだ。海岸のビーチは海水浴場、日本の「海の家」のような脱衣場もなく、親子連れがタオルをかぶって着替えている。すぐ目の前には豪華ヨットが多数、浮いている。

 ジェノヴァの大学に立ち寄り、採集した標本の処理をする。助教の新井さんがヘッドで町田君と杉江君が作業をする、ミニ中尾教室である。

 九州大学の宮本先生は、オープンウオーターですというだけだが、上手か下手かどっちかだねと、久保さんと話をしていて、久保さんにお任せにしたが、上手の域で、全く危なげはない。

地中海ー5 


 地中海のブログ、じっくりと、といってもそんなに時間はかけられないが、書くことにした。走りながら書くということむずかしい。実はまだ旅のはじめ、イスタンブールについても旅の途中で書いたメモがそのままになっている。
 これで、しばらくはブログの種にこまらないという見方で取り組むことにした。

 ここまで、9月2日のジェノア ポルト・フィーノでのダイビングまで書いてきた。
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      ジェノバからミラノへ

 9月3日は、ジェノヴァから、ミラノを経由してナポリへ向かう。
 これだけの旅をするのだから、出発前によく下調べをしてから出てくるのが普通だが、僕はそれどころではなく、多忙多難だった。まだ多忙多難は続いているが、それは仕方がない。下調べをしたのは中尾教室の学生たちの役割だ。だから、ぼくはついて行くだけという認識だけだった。迷子になったら日本に帰れない。
 ジェノアで、ちょっとばかりレプリカの帆船に見とれていたら、後ろを通ってみんながどこかに消えた。彼らは水族館に行ったらしい。僕は、はぐれたときはその場にいるという水中での鉄則を守って、そこにいた。やがて、彼らは戻ってきたが、もしかすると、水族館の前まで行き、僕が居ないので戻ってきたのかもしれない。その時に水族館に入らなかったおかげでジェノア大学のA教授のお世話で無料で入場できたのだから、良いのだが、僕が徘徊してどこかに行ったと思ったらしい。僕はその場を動かなかったのだから、大きな誤解だ。
 そんなことで僕は出発前にほとんど下調べをしていない。地図もざっと見ただけだ。
 ジェノアは地中海の海岸で、60歳の時、つまり20年前に行ったコルシカ島から近い対岸だ。フランスの方に向かえばモナコ、ニースがある。
 ミラノは内陸にあり、ジェノア駅から1時間ぐらい電車に乗る。ミラノ駅は大きい古い歴史のある駅のようだ。僕たちは日本の新幹線に相当する特急「イタロ」に乗って、イタリアの長靴を南下してナポリに行く。ミラノでは、特急に乗る駅は別になっていて、タクシー移動になる。
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     ミラノ駅
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イタロの写真を撮りたかったが、立ち止まって撮っていると、置いて行かれる。こんな写真しか取れなかった。時速300キロでる特急である。
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     イタロ
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時速300キロ


 特急のシートは、日本の新幹線の普通車よりはるかに良い。もしかしたら、僕たちはグリーン車のようなものに乗ったのかもしれないが。お弁当がついているのかと思ったら、そんなことはなくて、弁当を売りに来た。となりの中尾先生は、10ユーロだかの弁当を買った。僕は7だったか8だったかユーロの弁当を買った。パッケージのデザインはいいけれど、中身は乾パンを煎餅のように大きくしたパンと、本当に乾パンのような小さいパンにチーズだか何だかが入っていて、僕は、一口二口食べて終了にした。中尾先生の方は、それに何だかのビン詰めが何種類か入っていた。味はどんな味かわからない。とにかく、日本のあんまりおいしくない駅弁でもこれよりはいい。
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 途中、ローマにも停車したが、ただのプラットホームだ。
 ナポリのホテルは小高い山の中腹にあり、見下ろすと絵葉書のような絶景である。ベスビオ火山が遠景のナポリ湾、ヨットハーバーが直下にあり、マリンロードが走っている。
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 この絶景を見下ろすレストランもホテルにはあるが、そこで食べられるなんて甘いことは考えられない。この人たちは徒歩移動を原則とする人種(研究者)だ。歩けイスタンブールだったし、ジェノアでは僕も半ばやけになって、よく歩いた。
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     1年に1足履きつぶす1000円のシューズ、一回でつぶれるかと思った。


 やはり山を下ることになった。「階段を降りますけど大丈夫ですか?」と親切に学生がきいてくれる。「大丈夫ではないと」と答えても降りなければならない。「降りるのは良いけれど、登るのはどうかなあ?」と答えておく。
 山を下ったところにも良さそうなレストランがあり、客引きがでてきて、かなり強く誘う。結構お客も入っている。しかし、まだ歩いていない。先に進む。ここでのリーダーは中尾先生の恩師、F先生の奥さんだ。F先生夫妻とは、ジェノアで合流してナポリに来た。別の仕事を兼ねてこちらに遊びに来ている。もちろん60ぐらいだろうが、女性の年はわからない。チャーミングな奥さんで、元ルフトハンザのスチュアーデスで四か国語ペラペラで、積極果敢な人だ。当然歩く、道行く人に話しかけては、レストランの情報を仕入れる。何か所か満員だったが、なんとか落ち着くところに入った。イタリア料理について、日本のイタリア料理は本場のイタリア料理ではない。だから僕も食べられる。F先生の奥さんもF先生も、イタリア人のようにイタリア料理をたべる。F先生ご夫妻は、イタリアの大学で絶大な人気があるそうだ。ナポリ大学に立ち寄ったら、ナポリ大学の女性教授と奥さんは抱き合って再会を喜んでいた。
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     やっと座ったレストラン
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     この小魚とエビのから揚げは、おいしく食べられた。

 帰りはF先生のタクシーに同乗させてもらって、無事ホテルに戻った。
 
 9月4日
 ナポリから、沖の離島、イスキア島に向かう。高速の連絡船で45分だから、那覇からケラマと思えば良い。ケラマとちがうところは、ここは高級リゾート地だ。高速連絡船は1時間に1本ぐらいの割合で出ている。
 連絡船の出るナポリ港は、横浜の大桟橋のようなところで、地中海周航の超豪華大型客船が2隻停泊している。
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       高速連絡船
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 連絡船がイスキアに入り、軽自動車のタクシーに乗って、ホテルに行く。このホテルも山の上だ。コッテージのようなホテルで、オーシャンビューの立派なレストランがあり、小さなプールもあり、外国人観光客(ここでは僕たちが外国人だが)ゆったりちリゾートしている。
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 さて、荷物を置いて、山を下る。
  もはや僕は悟りの境地にはいっている。人間は歩く動物だ。歩けばいろいろなものが見えてくる。歩かなければ見えないものもたくさんある。
  僕はテレビの撮影で世界を飛び回ったが、重い機材を持っているから常に車での移動だった。僕にとって、旅とは車での移動だった。あれは移動であって旅ではない。番組は旅の番組だが撮影隊は移動だった。
  僕たちは今旅をしている。
  旅、すなわち歩いて港に降りる。
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      イスキアの猫は基本的に逃げない。頭をなでさせる。
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    漁船、底引き網らしい。

  港、すなわちヨットハーバーであり、豪華ヨット、それほど豪華ではないヨット、ボート、漁船、などなどが繋がれている。小型スーパーに入った。高級リゾート地だから、小さいスーパーと言っても、食材は充実しているようだ。
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  港の連絡船着き場で休止する。聞けば、ナポリ大学から女性教授のアンジェロが来るのを待つのだという。この教授がイスキア島でのダイビングの手配をしてくれている。
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        港にて、隣に座っている子の足首に、日本語ひらがなの「あ」の入れ墨、どういう意味か聞こうと思ったが聞けなかった。

地中海ー6 0913

  9月4日 続き
 
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      イスキアの船着き場
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      イタリアのコーストガード
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 ナポリ大学のアンジェロ教授が高速連絡船で着き、F先生の奥様と抱き合う西洋式挨拶を交わすと、二人はぶらぶら歩きだした。立ち並ぶレストランの前も素通りして歩いて行く。道は商店街、ブティック街とでも言えば良いのか、たくさんの観光客がぶらぶらしている。宝石アクセサリー、宝石サンゴ、焼き物の店、着るもの、高級っぽい土産物屋が立ち並ぶ。道は登り道である。どこまで歩くのか、どこへ行こうとしているのか、何も知らせ、情報はない。
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 昔、ニュース・ステーションで潮美の番組をやっていた時、潮美の水中レポートを受けるのは小説家の立松和平で、番組タイトルは、「立松和平の心と感動の旅」だった。立松さんも亡くなってかなりたつので、知っている人もさほど多くはないかもしれないが、全集がでるほどの著名な小説家である。その立松さんの言葉「人生は旅だ。道があるものなら、道の尽きるところまで行くのが旅の心だ。」道の尽きるところまで歩くとは言っていないが、その話を並んでぶらぶら歩いている九州大学の宮本先生に話しながら、歩いて行く。
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 家並みはブティックから普通の家が多くなり、道も下り坂で、ついに海岸にでた。海岸は砂浜の海水浴場である。島のような古城があり、江の島のように陸とつながっている。
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 あの島の古城はなんという城かと宮本先生に尋ねると、先生はスマートホンを繰って、「キャッスルという城だ」という。なんか答えになっているのかいないのかと思ったが、本当らしい。
 海岸に腰を下ろし、景色を撮ったり、一休みする。きれいなクロールで夕暮れでもう人気の居なくなった海水浴場で泳いでいる。犬も泳いでいる。
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 幸いにもここで散歩は終了し、道の尽きるところへ、タクシーに乗ってきた人が居て、それと入れ替わりに乗ることができた。スバルを改造したタクシーだった。イスキアでは三輪車のタクシーもあり、その辺はフィリッピン風である。港まで戻ってレストランを探す。といっても軒並みにレストランだから、どこに入るかを決めるだけだが。
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 岸壁には、本当に豪華な大型ヨットがならんでいる。昔々、大京観光(ライオンズ)の社長が、フィエスタ・イレブンという大型豪華ヨットを持っていて、それに乗せてもらって伊豆大島へシャークハントに行った。そんなヨットをもっと豪華にした船がならんでいる。深く考えると人生が儚くなるから考えないことにする。
 そんなヨットの目の前のレストランに入る。もちろんイタリアンだ。僕はもう、ピザもパスタも食べたくない。前菜だけでもお腹はくちくなる。経費節減もあるから、僕はもうピザもパスタもいらない。メインのオーダーはするまいと思っていたが、やはり、オーダーしないと格好がつかない。ペッパーステーキがメニューにあった。それを頼んだ。
 イタリアンのペッパーステーキが来た。ここには、ソースとか醤油のようなものはない。アメリカのステーキとは180度ちがうステーキだったが、何とか食べられた。

9月5日
イスキアでのダイビング
昨日のキャッスルの前の小さな港にダイビングショップがある。狭い。シャワーはあるが、脱衣の場所がない。ここでレンタルのBC.とレギュレータを借りて、タンクに取り付けて、チェックをする。

地中海ー7

9月5日
イスキアでのダイビング
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昨日のキャッスルの前の小さな港にダイビングショップがある。狭い。シャワーはあるが、脱衣の場所がない。ここでレンタルのBC.とレギュレータを借りて、タンクに取り付けて、チェックをする。
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真ん中のお姉さんがアシスタント
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使う船はゴムボート、インフラタブルボートで、ガイドは白人ではない若い人だ。もう一人、小柄でおっぱいの大きいアシスタントがつく。
さて、僕のダイビングのスタイルだが、自分がガイドできるような海はべつとして、よく知らない海に潜る場合。ガイドが居なければ、ゴムボート、あるいは漁船から、潜降索をおろす。錘とロープ、そしてブイだ。久保さんのスタイルでは、自分が上げることができるブイと、小さいリール、そしてラインを持っていて、潜水した海底から水面に揚げる。僕の場合には、ウエイトベルトにトワイン(5mmほどの索)もしくは漁船にある10mmほどのロープを結んで、ブイを付けて海底に放り込む。これに沿って潜降する。上からロープを下ろすか、下から揚げるかのちがい。両方できることが望ましいが、ぼくは上から放り込む流儀で50年やってきたので、これに固執する。下から揚げる方法もトライしたが、ロープに絡まって危ない思いをした。なお、今ヒヤリ・ハットのことを書こうとしているが、危ない思い、すなわちヒヤリである。相当練習を積まないとこの方法はできない。僕は多分練習しても、もはや上達しないだろう。生兵法は怪我の元だ。
この潜降索からガイドロープをのばして、このロープをランドマークにして潜る。このロープに戻れば潜降索に戻れて、浮上できる。これも僕は50-80mの巻き尺であり、久保さんはリールだ。これも、技術であり、久保さんはでき、僕は出来なくて50年リサーチの仕事をしてきた。もちろんできることが望ましい。
この準備をして、潮を読み(流れの確認)地形の確認、魚探、もしくは陸上の地形、から想定する。大体の場合は適当だ。
ガイドが居る場合には、できる限りガイドを使う。日本国内の場合には意志を通し、確認することができるが、外国の場合は出来にくい。僕の場合、ブロークン、筆談、地図などでなんとかするが、今回のように久保さんがいれば、彼はフィリピンでガイドとインストラクタービジネスをしている。彼に任せる。ただ、もしかしたら彼に僕への遠慮があるのではないかと思う。
ガイドには、困ることがある。サイエンティフィックな潜水では、こちらの望むところ、に最短距離で連れて行ってもらいたいのだが、敵はいろいろなプロセスをたどって、最後に目的地にたどり着いて感動させようとおもっていたりする。良い迷惑だ。そんなパターンにならないといいね、と久保さんと話し合った。

ついでに付け加えておくと、僕のダイビングパターンはすべて直線である。北へ行けば、南に帰ってくる。東に行けば西に帰る。ビーチエントリーならば、岸の方向はいつも意識する。ラインを引いてあればラインに沿って動く。そしてたとえば南北のラインでラインから東に向かえば、西に戻ってくればラインがある。ラインをまたいで西に行くときには別にバディが居れば必ずそのことを告げておく。常に行って戻ってくると基点に戻るというパターンが習慣になっている。
昔、UWN アンダーウォーターナビゲーションという競技をやった。やらせたことがある。コンパスをたよりに3点を周回してくる。浮上したら失格という競技だ。これは、方位と距離に集中している競技だからできる。別のこと、たとえば撮影などをしたら、方向も距離もわからなくなってしまう。水中では常に一つのことしかできないのだ。
ガイドは地形を見てコースをとっている。これは間違いだと思っている。地形はガイドだけしか知らない。一緒に潜るゲストは地形を知らない。だからはぐれる。はぐれれば、「ヒヤリ」である。
もういちど繰り返すけれど、目標地点には最短距離をとって直線で行かなければいけない。前出の潜降索を入れる場合には、目標地点の真上から入れる。これを直上設標と言い、リサーチダイビングの基本である。リクリエーションダイビングでも背中の空気には限りがあるのだから、空気が多いうちに目標地点に達していなければ撮影だってできない。
どこへ行くかわからない散歩、街歩きなどは、陸上だからこそできる。

ダイビング界、体の中の泡がどうなったとか、DECOがでたとか、安全停止がどうのとか、どうでもいいことに議論が集中している。しかし、それよりもなによりも大事なことは、出発点に必ず、しかも空気を残して戻ってくることだ。潜降索のある基点に空気を残してもどってこそ、安全停止もできる。昔、スピアフィッシング時代のスクーバダイビングは、安全停止など無かった。すべてヨーヨーのように潜っては魚をついて、魚をもって水面に浮上する。方向が分からなくなったら浮いて方向を確認する。ついでだからもう少し脱線しよう。このごろお世話になる千葉県波佐間の荒川さんは、その昔、減圧停止などあんまり神経質にしないダイバーだった。僕の方が良く停止した。でも、いまは波佐間のすべてのポイントの潜降索には減圧停止のための掴まりバーがせっちされている。

もう一つ脱線、基点にもどらないドリフトダイビングというのがある。これは基点が一緒に移動する、すなわち船が直上にいて流されるのであれば、安全性の高いダイビングである。ミーティングポイントでボートが待つならば、わかりやすい地形で、ドロップオフに沿って流されてゆけば目印ブイに到達するとか、行く末は浅瀬であるとかいう状況に限る。上にボートもいないで、ミーティングポイントも明確ではないとすれば、危険なダイビングである。つい先日もインドネシアで流されて大事故になった。
僕は流れが読める、始点と終点がはっきりわかるところでなければ、それとも、ブイを曳行してボートがフォローするのでなければ、ドリフトダイビングはしない。
 ずいぶん方向違いにながされた。イスキア島にもどらねば。

0915 地中海ー8

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脱線して、かなり遠くまでドリフトしてしまった。
 イスキアにもどろう。
 ゴムボートと、もう一隻、アンジェラ教授、f先生夫妻が乗り、僕たちのダイビングを遊覧するボート2隻での出港だが、ゴムボートは高速で数分でダイビングポイントに到着する。ダイビング地点にはブイが設置されていてゴムボートはそれにつかまる。
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 ボートが停止すると、潮が流れているのがわかった。速さは1.5ノットていど。普通のダイバーが普通に潜れる限界の流れだ。下の様子は全く分からない。レンタルの機材は体に合っているかどうかわからない。久保さんはいつもの通り、遠く日本から、自分の機材をきちんとパックして持ってきている。
 この流れ、館山、西川名ならば、ぎりぎりの線だ。中尾先生と相談する、どうしましょう。日本だったら潮どまりを待つか、このポイントはやめて別のところに移動する。中尾先生はパスするという。「須賀さんはどうされますか?」僕はここまで来て写真も撮らずに潜らないで帰るわけには行かない。
 ガイドは、浮き輪をつけたドリフトラインを流した。僕を含めた4人が機材を着け終えると、ガイドダイバーは、先にエントリーして、ロープの先端の浮き輪につかまって、僕たちを待つ。これは流されそうになった時のアシストだ。飛び込んでからカメラを受け取るのは流れがあるから難しいだろうと、カメラを抱えてバックエントリーした。すぐにロープにつかまって手繰る。片手にカメラを持っているから片手で手繰る。カメラステイにはTG-2とGOPROが並んで付けてあり、両側にライトだ。
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      外れたGoProが撮っている。

 アt!GOPROがステイから落ちた。飛び込んだ衝撃だろう。マスクマウントとワンタッチで付け替えられる石川製の部分だ。まだ初期のもので着けやすく落ちやすい時代のものだ。僕は頻繁にマスクとステイをカメラを往復させたいので外しやすいマウントを使っていたのだ。左手でロープをつかみ、脇にカメラをはさみ、右手で落ちたGOPROを捕まえた。とにかく潜降索まで泳いで、手繰って下に行こう。海底は流れが緩くなっているはずだ。見下ろせば大きなロックなので、潮陰があるだろう。BC.の空気を抜かなくてはいけない。飛び込むときに抜いておけばよかったのか?もう一本手があれば問題は無いのだが、空気はぬかないまま強引にロープをたどろうとした。
 なんとか潜降索をつかんで潜降した。他のメンバーの動きを見ている余裕はない。海底について外れたGOPROを取り付けようと膝たちになる。と、GOPROの蓋のバックルが開いてしまった。3型はセフティロックになっているけれど、2型はバックルが一動作なので水圧で蓋がきつく締まるとバックルがはずれてしまうのだ。僕はこれで一台水没させて、ゴムバンドで止めておくようにした。このごろトラブルが無かったのでゴムバンドを省略、さぼってしまっていた。バックルを手で押さえて行かなくてはならない。
 TG-2で動画を撮り、GOPROでも動画を撮って進む。こんなことをしていたためにガイドと町田君は先行してしまい。僕の横には久保君と宮本先生だ。宮本先生は安定して水平姿勢で泳いでいる。潮は向かい潮だ。
 僕は、この一連の出来事、で空気は減っている。流れはそれほどきつくはないが、力を入れて泳がなくてはならない。空気は100、二分の一になった。目標は洞窟だと言っていた。ここから、洞窟に行ってリターンすると、ガイドから空気をもらわなくては浮上できない。リターンしたくなった。何かあったら直線で戻るというのも僕のスタイルだ。横を泳ぐ久保さんに身振りで相談する。先行する二人を戻してリターンした方が良いのではないか。久保さんは、とにかくガイドに付いて行く他ない。と進路を前方に示す。まあいいだろう。空気は誰かからもらえばいい。
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  久保君のゆったりしたフロッグキックで十分に遡っている。

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    撮影する宮本先生。
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 途中、少しばかり採集に良い場所があって、町田君と久保さんが採集する。
 町田は本当に上手になったな、とおもう。このような採集については、バディシステムさえしっかりしていれば、もうどこでもなんでも危なげなくできるだろう。2006年の東大での事故、僕が、任せられて、かかわっていれば、亡くなったY 君も町田程度になっただろう。
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 残圧80程度で洞窟の入り口に到着した。僕のイメーしていた洞窟は、岸の崖の延長であるドロップオフにある海蝕洞だったのだが、そうではない。海底の地形のような大きな洞窟を抜けたら、出発の基点なのだろうと想像した。
 やはり、洞窟は、向こう側に抜けていて50mぐらいだろうか、海綿の類も付いていて、きれいな洞窟だ。
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 やはり、トンネルを抜けたら、すぐに潜降索があった。
 もしも、この地形の図があれば、あるいはボードで説明してくれていたら、何の問題もなかった。それに、もし図で説明されれば、岩を回り込むことなく、潜降索からおりたらすぐに今の潜水の出口から洞窟に入り、洞窟の中と抜け出た付近で採集する。これがわかっていれば、強引にでも、中尾先生に行きましょうというだろう。久保さんもいるし、町田も上手になっているし、宮本先生も上手だ。そして、中尾先生もダイビング歴は20年以上。
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 一旦岸にもどり、城塞の下で休憩する。スノーケリングの観光客もボートでやってきて、僕たちも、ダイバーではない荒井さん、杉江君がスノーケリングをする。海底にはアマモの類、地中海だから名前はわからないが海草が密生している。僕もちょっとばかり潜ってみたいけれど、自重しておいた。寒くなるといけない。
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 1回目の潜水は最大が20m、2回目は10m前後を予定している。ボートは5分ほど走って、岸に近い壁に潜った。中尾先生は、エントリーした近くで、いつものように海綿を採集する。男のガイドと三人はどんどん先にいってしまった。中尾先生は、ゴルフボールのような海綿を採集した。いけない。採集用の袋を持ってきていない。アシスタントお姉さんが僕たちの方に付いていて、皆はどんどん先に行ってしまったから、追従して行けと、指差す。これもいつものガイドパターンだ。どんどん先に移動して行ってしまう。移動しないで、動かずに観察すると、泳いでいては見えないものも見えてくる。少しずつ少しずつ移動しながら見て行く。


 僕はお姉さんに身振りで示す。「僕たちはこの辺で採集する。君は彼らを追って行き、採集バッグを一つもらってきてくれ」Ok サインを出して、追っていったが、しばらくして戻って来てもバッグは持っていない。追いつけなかったのだろう。採集したゴルフボール海綿を僕が持っているからと中尾先生に伝えたが、「いや、良い」ということで、そのまま持っているから、次の採集はできない。多分、他の種類は町田が採ってくるだろうから、もういい、ということだろう。
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 水面は24度だが、少し水深が深くなると2度ぐらい低くなり、冷たくて寒い。やがれ、皆戻って来て、浮上。
 2回目の潜水は
 潜水時間は48分 開始時間と浮上時間は時差を調整していなかったので正確ではないが13時ごろだった。水温は24.2度だが底では20度ぐらい。透視度は20m、最大水深は12.0m 平均は8.6m だった。
 1回目の洞窟の潜水は、
 潜水時間45分 水温は21.6度 透視度は20m 最大水深20mで、これはTG2の最大水深15mを越えているが問題なく撮影できた。平均水深は12.4m

 狭いダイビングショップで着替え、ウエットスーツの水を切り、ビニール袋にいれて、キャリングトランクに入れる。このまま、これからナポリに戻る。


地中海ー9 帰途

 今日、1900から僕の「ニッポン潜水グラフィティ」の出版記念会がある。一緒に旅をした久保君が発起人の中心になってくれている。中尾先生が総合司会をしてくれる。あいさつで頭が痛い。7月に本が出てから、二か月、たっての記念会だけれど、たくさんの友達、関係者が集まってくれる。

記念会のことはまたの機会にして、地中海をまとめなくては、
肝心のダイビングについてだが、中尾先生の採集もそれなりの成果はあげたとおもうし、別にトラブルも無かった。でも、イスキアの洞窟の潜水は、思うようにできなかった。ダイビングのスタイルのちがい、しゃべれないことによる意思の疎通があった。
日本人のレクリエーショナルダイバーが外国に行くとき、やはり受ける方に日本人のガイドがいないと、あるいは語学に堪能なインストラクターが同行していないと、もちろん、ダイバー本人もよくしゃべれる人が最近では多いので、それならばいいが、十分な打ち合わせができずにヒヤリとすることが多いと思う。僕の場合はヒヤリの前段階だと思うが、同じことが、あまり経験のないダイバーだったら、ひやりとしたと思う。

帰路
 ナポリでは、見晴の良いホテルにもどり、街へ食事のために降りることになる。ナポリ大学の教授たちとの会食がある。
 潜水の後でもあるし、タクシーで坂を下った。予約しているレストランの前に来たが、30分時間があるので歩きましょう、とF先生の奥様がいう。そう、時間があれば、そのあたりの道路、いたるところに展開しているカフェにすわるのではなく、散歩するのだ。僕もその方が良いと思う。東京に帰ったら、僕も街を歩こう?
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 アンジェロ教授をはじめとして、ナポリ大学からは3人の先生がおいでになって、フルコースの会食、大学の先生たちの国際的交流というのはこういう感じなのだ。この前、インドネシアに行ったころは、まだしゃべることができた。それから、どんどん耳がわるくなっている。こういう席上で社交ができなくなっている。コースの料理の最後に、トマト味のナポリタン?がでてきた。ナポリのナポリタンは、日本のナポリタンに近い。それでも僕は、事務所の階下のヒマワリのナポリタンの方が好きだ。
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        このから揚げはおいしかった。

 そういうことなのだ。僕は日本料理としてのイタリア料理にならされている。
 そういえば、この前、といっても20年前だけど、フランスに行ったときには、フランス料理を食べないでベトナム料理と中華だけを食べていたような気がする。

 6日、ナポリを立ち、イスタンブール空港経由で成田へ。ナポリ空港に回転ずしがった。「愛」という店名だった。味の想像はついたが、物は試しだ。にぎりが5ユーロ、かっぱ巻きが6ユーロだった。1ユーロが140円だ。イタリアの若いお兄さんが日の丸の鉢巻きをして寿司を握っていた。味噌汁はインスタントの味がしておいしかった。
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      ナポリ空港の回転寿司の店名は「愛}


 イスタンブールでは5時間のトランジット。もしかして表に出てグランバザール付近まで行くのならば、土産を買えるとおもっていたが、空港からバザールは遠い。空港でも土産は買えるが高い。往路に買っておくべきだった。久しぶりの外国だったので、そんな要領もわすれてしまっている。
 トランジットは宮本先生のカードでラウンジに入った。およそ食べるものはなんでもあった。成田の全日空のラウンジの5倍ぐらいの広さがある。トルコ航空はイスタンブールをシンガポール並みのハブ空港にしたいとしているのだろう。
 帰りの飛行機はエノノミーで、どうせ眠るのだから、ビジネスでなくても全然かまわないが、トイレに立つのが隣の人を乗り越えて行かなくてはならないので大変だ。

 成田に夕方にもどり、次の日の朝から伊豆大島に海豚倶楽部のスキンダイビング遠足を予定していた。大好きな必殺のスケジュールでテンションはハイになっていたのだが、台風のために中止、一気に気が抜けて、疲れと時差ボケがでた。

旅の反省点、忘れ物などについては、いつもと同じ。
カメラについてだが、ペンタックスのW90のバッテリー切れで、ボスボラス海峡の撮影ができなかったことがくやしい。買ったばかりのSJ4000があれば、持って行ったのに。
オリンパスのTG2 は、水深20mでも持ったし、画質についてもまずまず満足できたが、
GOPROとSJ のコンビネーションでこのような旅の記録は十分にできる。しかし、オリンパスが15mを越えようとすると、液晶画面にアラームがでて、それがダイブコンピュータの表示とほぼ同じだったのは感心した。

 動画を編集して、お世話になった大学に送りたいと中尾先生にいわれている、なるべく早くやらねば

中尾先生からの指摘で、アンジェロ先生ではなくた、ヴァレリア先生だったとか。ご覧になることはまずないと思いますが、取り違えていました。申し訳ありません。

0917 グラフィティ出版記念会

ニッポン潜水グラフィティ 出版記念会、リーガルロイヤルホテル東京(早稲田)のダイヤモンドの間で行われた。9月16日 1900-2100である。おいでいただいた人数、まだ正確にはしらされていない。おいでになると通知をいただいた方だけでなく、当日参加でお見えになった方が多く、珊瑚礁研究の大家、目崎さんが見えられ、目崎さんは最後の締めの音頭をとっていただいた。自分としては、多数おいでになった皆様が満足されること、そして全部の方と、お話がしたいという到底無理な望みを持ち、全体としてはどうなのかわからないまま進行した。しかし、雰囲気的には満足していただけたような感じがつかめたからよかったのだろう。
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人間、身動きすれば、人と人との間に摩擦が起こる、人間関係と呼ばれるもので、それをすべて解決することもほぼ不可能。僕が居なくなった後のことを見通してそれぞれが、わかっていただけると良いのだが。これは愚痴。

さて、僕は挨拶すると長くなり、講演会になってしまう恐れがあるので、おはなししたいことをまとめて、葉書のようなカードにして、おいでになった皆さんに見ていただいた。

ニッポン潜水グラフィティ、記念会 おいでいただきありがとうございました
 「夢と冒険を追う」などと、ご大層なことを冒頭に書いてしまったものですから、そして、文中で探検という言葉も使っているので、ずっと冒険とは?探検とは?と考え続けて来ました。冒険家として知られている人たちがそれぞれ定義を語っていますが、僕の定義は、冒険=ダイビング です。60歳で100m潜水を実行した時、80歳まで現役で潜りつづけよう、と心に決め、この20年が生涯最大の冒険かもしれないと思ったものでした。また、初めて潜る人の体験ダイビングも冒険です。次に探検ですが、探検は記録して何らかの形で発表することが必須です。だから、僕の職業、水中調査は探検でした。夢とは?抽象的には人さまざまですが、僕にとって、多くのダイバーと同じように、夢=海でした。そして、夢を持つとは、目的、目標を持つことになります。 今の夢と冒険は、①80歳で80m潜る ②日本水中科学協会の継続 ③東京港・お台場に江戸前の海を再現すること
2014 0916 須賀次郎 

 そして、ご挨拶の方は、お礼の言葉だけにするつもりにしていた。

 まずおいでになった皆様、応援してくださる皆様へのお礼、月刊ダイバー、成山堂書店へのお礼、この会を企画して実行してくださった、白井常雄、(彼が手配してバックアップしてくれなかったら、何もできなかった。)久保さん(中心になってすべてを取り仕切り、会場での司会もやってくださった。)中尾先生(ごあいさつ文を用意してくださったのだが、この僕の挨拶と全く同じ?だったために困惑させてしまった。まあ、先生の事だから、おわりに良いスピーチをしていただいたけど)石川さん、吉田君は、準備と当日のもろもろをやってくださった)
 そして、僕の相棒だった鶴町、彼は居なくなってしまったのだが、その代理で、奥さんの雅子さんが、僕たちの主要メンバー、そして娘の映美がブックマーカーを作って、配布してくれた。そのお礼。
 そんなことを述べた。
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 主賓、全日本潜水連盟玉置名誉会長の挨拶、
 潮美から花束をもらった。どうという事ではないが、これはセレモニー、吉田章先生からも、花束をいただいた。これは驚き、吉田先生にはさんざん世話になっている。のに、逆に僕がいただく。恐縮する他ない。社会スポーツセンターの瀬田さん、順天堂の河合先生もおいでいただいた。本来ならば来賓のあいさつをいただく方たちだが、今回の来賓あいさつはグラフィティ本文に直接関連(出てきた)のある方たちから、いただかうことにした。
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 TSP,東京サウンドプロダクション社長の三上社長から、大きな花をいただいた。女性陣が分けて持ち帰っても十分なほど大きい。三上さんは今度連載が始まる「グラフィティその後」の第一弾、川口探検隊、のウミヘビの島、で最初にお目にかかった。以後、60歳の100mでも音声担当としてお世話になった。彼は、男らしい男だ。今後もお世話になる予定。
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東京海洋大学潜水部
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     僕より一学年上、の竹下先輩、海上自衛隊の水中処分隊隊長、海底居住計画のリーダーなど赫赫たる武勲?

しばらく歓談してから、来賓のあいさつ、これは、歓談中の人が多く、頭を悩ますのだが、僕が真っ直ぐに受け止めればよいこと。その僕の耳が遠いために、会場のマイクがどうも音が小さいようだった。
東亜潜水機の佐野社長も来てくれて、お話をしてくれた。脇水輝之のお父さんもお話ししてくれた。嬉しかったのは東京海洋大学潜水部OB会長の下元君が、現役を引き連れて、あいさつしてくれたこと、僕の12月シンポジウムのテーマの一つが学連の監督、コーチの連携と現役の集まりでしかない現在の学連との二重構造の改善、だから、海洋大学潜水部がその一翼を担ってもらえると助かる。僕といっしょに潜水部を立ち上げた、一級先輩の竹下先輩は、僕の80歳80m潜水をアッピールしてくれた。
三宅島の潜水部OB西野君も来てくれて、僕と彼は初対面、フリーダイビングの岡本美鈴に弟子入りして、60歳で40mのフリーダイビング記録を目指す。海洋大学現OB会と知己がなかったらしいのだが、引き合わせることができた。

小学校時代の親友、吉沢、大学時代一緒に下宿していた城久 も来てくれた。もうこれで逢えないかもしれないと思う。しかし、話すことはあまりない。手を握り合うだけ。

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   左から、誰だか不明、佐野礼子さん、大方君、そのアシスタント、ダイブドリームの森田君
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   あやの さん 幸輝君、久保君    
福田克之、鈴木あやの 夫妻は生まれて三カ月の幸輝君を連れてきてくれた。最年少。
撮影機材については福田君がたよりだ。

中川隆も超多忙(結構なこと)の合間をぬって、沖縄での相棒の横井君まで誘って来てくれた。横井君は少し早く会場にきてくれたので、話し込む機会ができた。彼の沖縄のダイビング界に傾ける努力、そして沖縄の旧知についての話を聞くことができた。僕の知らないことが沢山ある(当然だけど)。水産大学OBで中川と肩を並べる古島さんも来てくれて、中川と仲良く話しているのを見るのはうれしい。そして、古い古い友人であるカメラマンの大方洋二、なぜか美人のアシスタントを連れている。

気になったのは、新日本海事元社長の斎藤さんも来ていただけたが、この前、2012年のシンポジウムの時はお元気で、ご挨拶がお願いできたが、今度はずいぶん衰えられて杖を引いてきてくださった。お礼を申し上げる他何もできない。

僕の龍泉洞のプロデューサーであった、元NHK,たしか政策局長、NHK出版の社長だった大橋さんも来ていただけた。一言二言交わすだけしか時間が無いのがつらい。

元共同通信の新藤さんは、最近、石川宅宴会の常連になっているが、来てくれて、元電通映画の神領プロデューサーと親しく話をしているようだった。神領さんと言えば、JAUS会員で、元海中公園センター、今はイデアの藤原秀一さんの娘の南海子さんがくることになっていて、まえに神領さんにお願いしてアルバイトをさせてもらったことがある。南海子さんを見つけることができなかった。きっとずいぶん変わってしまったのでわからなかったのではないだろうか。見知らない派手な美人が一人いたので、もしかしたらと思っていたが、声をかけてもらわないとわからない。今回の失敗のひとつは、受付に居て、顔と名前を結び付けて置かなかったことだ。

NAUI社長の和泉さんとは、たびたびお目にかかっていたのだが、今回初めて握手することができた。

JUDFでは、玉置名誉会長、山下専務理事がきてくれて、玉置さんは主賓のご挨拶をしてくれた。中村君はいつも通りで良いのだが、 宇野収君とはもっと話したかった。通知を差し上げたが住所が違っていたとかでもどってきてしまった。せめてその確認をすれば良かったのだが。

文部科学省関連では、初等中等教育局の瀧田さんが見えられたが、送れておいでになったとかで、最後にご挨拶が少しできて、大学の潜水クラブの事をお話しした。瀧田さんの前任者である落合先生もお見えになったが、ご挨拶だけしかできなかった。そのまた前任の中谷先生もこられたが、中谷先生とはいつも通り。

JAMSTEC関連では、元アクアノートの山田さんがおいでになり、アクアノート時代の上司?だった竹下先輩ともお引き合わせできたし、すこしばかりお話もできた。お世話になった米倉さんもおいでだったが、ほとんど話ができなかった。

図鑑の類をたくさん出されていて、イカタコの権威である奥谷大先輩もきてくださり、少し話ができた。

神津島の鈴木郁夫も来てくれた。これも久方ぶり、郁夫も70歳になったとか、月日は夢のように流れる。安森が亡くなったのを知らなかった。安森と鈴木は東亜時代の僕の部下で、安森も生きていれば来てくれたのに。

鬼怒川アクアの内田さんとはいつもお話ししているのでご挨拶だけ、
フィッシュアイの大村さんには、ライトを買いたいのでお話ししたかったが、にげられてしまった。
ダイブウエイズの武田さん手島さんは親戚のようなものだから、次のプロジェクトのお願いを軽くしただけ。
ゼロの五月女さんも同じく、あいさつと協力のお願いをした。

元PADI社長の宮下さんは、現在は東亜潜水機を通じての仲、昔彼が学生時代に東亜に居た僕のところに遊びに来ていた話をした。 松浦さんは現在最大手のダイビングショップの一つである。マレア・クリエイトの偉い人なので、もっと話をしたかったが、挨拶だけしかできなかった。

慶応大学の萩原教授、ダイビング関係ではパパモン先生、国際政治学の大家だけど、前からお願いしていた「ゴジラとアトム」という著書をいただいた。論文の形でゴジラやアトムを論じたもので、ゴジラについては良くもここまで研究したものだと感心しつつ読んだ。まだ半ばだけど。

日テレ関係では、プロデューサーの菊池剛太君、北海道摩周湖の番組で、日テレ入社直後の菊池君がADできた。沢山、一緒に仕事をしたように記憶しているのだが、一緒だったのは、その時だけだと断言、今は日テレ子会社の日テレ7という製作会社の社長だとか。

東京新聞の藤原さんとは久し振り、その上司だという星野さんと一緒に来てくれた。次のお台場プロジェクトについて、お話しした。まだ企画書もかいていない。

TDCJ テクニカルダイビングセンターという名刺の石井隆さん、僕の1963年の100m潜水のビデオを上映したが、その途中で、僕のそばに来て、空気で100m潜って、あんな減圧停止では減圧症になってしまうと質問する。当時はこの減圧表しかなかったし、大部分の人はこの米国海軍の減圧表で潜り、そのうちで90%の人は減圧症にはならないで無事だったとお話しした。

意外なお客様はヴィジュアル・フォークロアの北村監督がお見えになったことだ。僕に挨拶だけされてお帰りになったが、40年前に随分撮影の仕事を一緒にやった。沖縄久高島の撮影を手伝ったのだが、久高島についてはまだ撮りつづけているとか、北村さんはチョンモランマの撮影でも有名である。僕の冒険と探検のメッセージをどのように読まれただろうか。冒険、探検についてもう一度、もう少し深くお話ししたかった。

娘の潮美の亭主という事は僕の義理の息子になるのだが、柴田君も機嫌よく来てくれて、柴田君には、フリスビーのビデオクリップのバックミュージック、ハワイアンをお願いした。柴田君は敏腕のベテラン編集者で、潮美編集の「ニッポン潜水グラフィティ」へのアドバイスもしてくれたし、法政アクアクラブの元OB会長で、そして、趣味でハワイアンバンドをしている。 
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   そろそろお開き、 神領さん、柴田君 米沢君  潮美

潜水医学、60歳の100mでお世話になった後藤與四之先生もお見えになり、僕の100mの映像を見てくれていた。僕と舘石さんの失神は、窒素酔いではなく、酸素中毒だったろうと前におっしゃっていた。今回はその話をする時間が無かった。

 最後は身内、JAUSの現中心である山本徹君、国方君、米沢君、倉田君、増井君、斎藤真由美、金丸監督、清水まみ、寺内羊子、早崎君、小俣社長、長口竜君、本田君、全部書いていると、たいへんなので省略。

100人を超えるご来場の方全部とお話しすることはできなかったし、お話ししたことのすべてを書くこともできないでも忘れないうちに頭の中にあることだけは書き写しておかないと消えてしまう。僕は全部の方と長く話をすること、願っては居てもできないが、お客様どうしの歓談もあるのだから、きっと何か、有意義なことがうまれるだろう。

なお、ここに示した画像はすべてAEEで撮影している、AEE販売の会社社長、戸高さんもお見えになっていただけだ。このような場の記念撮影はこれで十分。

0919 記念会お礼

グラフィティ 出版記念会は、まだ集計は来ないが100名以上の方においでいただき、盛況だった。多分、おいでになった方は機嫌よくお帰りになったと思う。
来ていた方の中で、フェイスブックで連絡している方が、かなりおいでになったので、お礼を、フェイスブックに載せた。
「おはようございます。記念会、皆様のおかげ、実行委員会のおかげで盛況に終わることができました。重ねてお礼を申し上げます。で、気になるのは、自分の友人、知己で招待状に発送漏れがあったのではないかということ、年賀状の範囲は全部だしたつもりなのですが、あわただしい日々だったので、といいわけしますが、申し訳ありませんでした。それと、招待状がもどってきてしまった方がかなり多く、メールが通らなかった方も少なくなく、申し訳ありませんでした。このように書くと、ご招待がとどけば、来ていただけると思いあがったように思われるのではないかと心配してしまうのですが。
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写真は、倉田君の撮影してくれたファイルからです、ありがとう。しかし、こうしてみると、おいでいただいて、しっかりご挨拶ができなかった顔もちらほら見えてしまいます。とにかく、お礼を申し上げる他ないので、ありがとうございました。」 
ブログを見ていただいている方も応援していただいていますので、お礼をもうしあげます。
何事も、一つのイベントを実行すると、反省点はたくさんあり、反省するのですが、やがてはわすれてしまって、また同じような反省をくりかえす。しかし、この反省の繰り返しが経験となって、間違いを減らしてゆく。これはダイビングでも同じであり、わすれないように書き留めておかなくてはいけない。と言って、今回の失敗は、上記のご招待に関連するものがほとんどで、あの人は読んだだろうか、とか、満足してもらえただろうかとか、自分の努力の至らなさであり、パーティそのものは、久保さんのおかげ、司会も上手にやっていただき、大過なかった。ありがとうございました。
地中海からもどり、出版記念会と大きな山を二つ越したので、少し気が抜けている。しかし、次の大きな山が壁のように立ちふさがっている。12月7日のシンポジウムの準備である。シンポジウムもフォーラムも、JAUSの活動の主要部分である。今、フォームページを改変するための原稿を書いているが、JAUSのタイトル(目的・目標)は、ダイビングによる水中での活動の安全と充実」で、それをうまく表現するキャッチコピーが欲しい。目的、目標を達成するための活動の方程式は、まず活動、これは、フィールドでのダイビング、およびそのための机上での研究であり、その実践の結果を、シンポジウム、フォーラムで発表する。シンポジウムは年一回の総合的なもの、フォーラムはテーマを定めて発表、議論、検討を行うものと考えている。そして、シンポジウムもフォーラムも報告書をしっかり作って刊行しなければならない。印刷物による発表のないものは、実績としての積み重ねにならない。
僕が死ぬまでの時間は、もちろん定かではないが、あまり長くはない。できるだけ実績を積み上げ、JAUSの活動の継続を企てなくてはならない。

0922  SJ 4000について

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  JAUSには水中撮影研究会というグループがあり、山本徹さんが会長で、一番活発に活動している。スクーバダイビングの目的は、水中撮影であると決めつけても間違いはないので、この活動がJAUSの中心を占めて、おかしくはない。また、僕の生業が撮影に関連するものでもあったので、自分的には、ダイビング、イコール撮影である。何らかの形で、カメラを持たなければダイビングできないようになっている。
 その何らかの形が、今はウエアラブルカメラである。ウエアラブルカメラもどんどんと進化して行くが、進化の方向が廉化に向かっていることも、このジャンルの大きな特色である。
 僕が今持っているウエアラブルカメラのラインは、①GOPRO960、初期の形のGOPROが2台これは現在ほとんど使わないが、今企画中のウエアラブルカメラによるリサーチは、台数が多く必要なので、使用する予定である。②GOPRO2(正式には HERO2だが、ここではGOPRO2と呼ぶ)これが3台で僕の撮影の中核を占めている。発色も鮮鋭度も満足している。現在の僕の撮影の目的は記録であり、記録したものを印刷物で発表するために使うことができれば、それで良し、であり、このためにはGOPRO2で十分である。③GOPRO3が一台、これは、僕の持っているのは初期型であり、道具的には外れであった。現在売られているGOPRO3は、改善されており、GOPRO2よりも良いかもしれないが、3台あるGOPRO2を廃棄して3に替えるというものではない。④AEE23 2台 このカメラはバッテリーパックを背負うことができ、長時間スチルの間歇撮影ができると考えているものであるが、普段は陸上のメモ、記録用に使っている。

 今、ここで考えようとしているのは、陸上での記録、メモカメラとしてのウエアラブルカメラについてである。カメラによる撮影の目的は、いくつか考えられるが、その中でも、メモ、記録は、一般人にとって、一番大きな比重を持っていると考える。また、先ごろ、冒険・探検についてのべ、探検は必ず記録と記録した事実に基づいた発表が必須と書いたが、記録はすなわち撮影であり、撮影することが探検であり、撮影すれば冒険は探検になる。記録、探検の道具としてのカメラは、小さければ小さいほど良い。そして、タフな使い方をするから、壊れにくいか、あるいは消耗品的に壊れても捨ててもよい価格であることが求められる。AEEは、その記録目的で使っていたのだが、今度の地中海行きでは、陸上記録用としてはAEEは持参せず、ペンタックスのw90を持って行ってしまった。これが痛恨であり、バッテリーの持ちがわるいW90が、ボスボラス海峡で電池切れになってしまった。地中海の旅について、メラ、撮影については、また別に書きたいが、メモ、記録カメラは、旅に出るときには、必ず複数をバックに入れておかなくてはならないと、心に決めていて、今回ももちろんトランクケースの中には5-6台のカメラが入っていたが、見に着けているのが、1台だったことが、この結果となった。ウエアラブルカメラは超小型であるから、複数を常時見に着けていたとしても、ほとんど荷物にならない。そして、同時にスペアのバッテリーも充電した状態でもっていなければならない。これは、水中での調査撮影については、必ず実行していることであるが、旅行でも必須である。

 陸上での、特に陸上とすることが水中に棲息するダイバーという人種に独特の言い回しであるが、陸上でのメモ、記録の道具としてのウエアラブルカメラとして、SJのコンセプト、そして大きさは圧倒的に優れている。僕の持っているSJは、QUMOXという名前がついている。SJがGOPROのまねであれば、これはさらにそのコピーであるという説もあるが、性能・スペック・内容についてはよくわからない。シンポジウムにそなえての検討事項であるとも思う。みんなが持っているのはSJだから、とにかく、そのQUMOXをここではSJとして、検討を進めることにする。
 これまで、陸上の記録、メモカメラとしてAEEを使っていたことから、ここではAEEとSJ(QUMOX)の比較を主として考える。

 まず使い勝手、については圧倒的にSJが良い。耐圧ハウジングから出したSJは、シャツの胸ポケットにはいる。携帯と一緒にしても入る。スイッチ関係もAEEよりも使いやすい。AEEは、スライドスイッチが、バッグの中でずれてしまいONになっていてバッテリーが無くなってしまったことがしばしばあり、それを防ぐために常時カプセルに入れて持っていたが、SJではその心配がない。カプセルに入れておいた方が破損の心配が少なくなるが、カプセルに入れた大きさも、SJの方が小さい。さらにSJはズーミングが容易にでき、普通のコンデジのように使える。AEEのアドバンテージはバックパック電池を使用して長時間の間歇撮影記録ができることで、これは調査撮影では大きい利点となる。これについては10月に調査撮影の実験をするので、その時に確認、検討する。価格はSJの12000円、AEE23の23000円だから、SJが有利である。12000円は、僕でさえも使い捨ての感覚で使える。

 さて、もっとも重要な画質であるが、
 ニッポン潜水グラフィティ、出版記念会では、AEEとSJを持って行ったが、使い慣れているAEEを使って撮影した。これは期待したとおりの撮影できたが、途中でバッテリーが切れたので、SJ をつかった。つまり、二つのカメラを見に着けていた。ところがこれはオートホワイトの許容範囲を超えた色温度になったのか、赤っぽくて、そのままでは使えなかった。帰りに夜の街で撮ったら、SJもきれいに撮れた。タングステンの光では、オートでは無理なのだろう。次に同じようなシチュエーションでテストをしてみたい。
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    SJ  赤くなってしまった。

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    AEE 記念写真として使える範囲

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    夜の街でのSJ スナップ 使える範囲で 良好
 

以下、SJとAEE,ほか。デスクの周辺にあるカメラで。デスクの上でテスト撮影をして比較してみよう。

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     SJ での複写
  本の複写に使うことが多い。
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    AEEでの複写
 SJでも使える。

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   AEEで撮ったSJ

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    SJ で撮ったAEE

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     ペンタックス WG-Ⅱ で撮った SJ

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      オリンパス tg-2で撮った SJ

 ペンタックス WG-Ⅱ は、メモ、記録用としても引退、SJ に代わる。

  モーニングに行く、{ひまわり」 事務所の階下
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      SJ

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      AEE

 公園の桜、これから紅葉がきれい。
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    SJ

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   AEE

 結論
 ここしばらくは、陸上でのメモカメラとして SJ を使おう。胸ポケットに入る。価格が惜し気が無い。

0925

  12月7日に行うシンポジウムの企画で呻吟している。学生連盟のことをこのあたりでまとめようとおもっている。1968年に学連が誕生してからのかかわりで、2003年から2011年はSAI という危機管理と安全管理の研修会を主催していた。現役は、卒業して人が変わると方針も変わってしまう。それが毎年変わるのだ。そんなことで、僕の最後の仕事(最後の仕事が多数だが)のつもりで始めたSAIも消えた。それらのことをまとめておかなければいけない。そして、シンポジウムは、僕の意見発表会になってはいけないのだ。

 これで呻吟しているのでブログでまとまったことを書くパワーが無い。
 それに、何かを始めると、必ずのように四面楚歌になる。なるように感じる。若いころは四面楚歌をけちらしていたのだが、今は四面楚歌が悲しくなる。
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 キングジムのポメラをまた持ち出して使うようになった。2013年はこれで字をうっていたのだけれど、2014年になり、小さいPCを買ったので、これはお蔵入りしていた。テキストで字を打つことの他なにもできない。しかし、ザックのサイドポケット入る大きさ、左手に持って、右手でキーボードで、電車の中でも打てることで、復活させることにした。PCだと電池切れがよくあるのだが、これは単四電池2本で良いので、電池切れの心配をほとんどしなくていい。2013年と同じように、日記的に雑感を書いておくことにした。

 昨日9月24日
 11月のスポーツ大会のうち合わせ会議が多摩センターである。久方ぶりの京王線、笹塚で乗り換えた時、なぜか一番前、運転手の背中の後ろになった。小学生の頃、いや、中学でもそうしていたかもしれない。電車の一番前で前を見たい。運転手の運転動作をみたい。そんな昔がなつかしい。SJ を出して動画を撮った。FB に載せて置いたら、中尾先生が喜んでくれた。
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 多摩センターでの会議では、ターンの時に、1回だけ手で掻いてよいルールなのに、昨年僕がGoProをターンのところに置いて撮影したら、明らかに2回掻いている選手がいて、100m競技などでは、これが一位と二位を分ける。終了後の反省会で、そのことを問題提起して置いたことがそのままになっている。ターンの動作で、左手で一回、右手で一回掻くのは、一回と数えるような結論になりそうだ。

 わりと早く会議が終了したので、帰路、石川亭で、ヒリゾでのスキンダイビングの映像を見る会があったので、立ち寄る。
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 僕の好きな稲荷ずしを鶴町さんが買ってきてくれた。昔、東亜に居た頃、秋葉原に行列ができる稲荷ずしがあった。良く買って食べた。東亜をやめて、10年ぐらい後で、秋葉原に行った時、行列が無かったので買った。しょうゆ味が濃すぎて、食べにくい。昔の味を守っていたのだろうが、こちらの舌がいつの間にか薄味に慣らされていた。でも、今の稲荷ずしはうすすぎる。これはちょうど良い濃さで、おいしい。

 僕が三個食べた後です。みんなも食べたので山盛りがこれだけになった。もう一個食べたいなと思っているうちに、誰かに食べられてしまった。

 映像は、福ちゃんの撮った映像が素晴らしく、その鑑賞会のようなものだった。すごく美しいけれど、大型のハイグレードの一眼レフの映像で、美しさについては参考にならない。しかし、福ちゃんのカメラワークはとてもスキンダイビングで撮ったものとは思われないほどのものだった。美しさをねらう撮影には、スクーバは不要の時代になるのだろうか。残念ながら、僕はもうスキンダイビング能力を増強することはできない。現状維持が精いっぱいだ。

 
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