Quantcast
Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
Viewing all 1388 articles
Browse latest View live

0427

$
0
0
0427 お台場
お台場に行く日だ。朝530に起きるが、昨日辰巳で泳いで身体が疲れている。行きたいという気持ちにならない。部屋で原稿を書いている惰力がついている。
しかし、現在、毎月、辰巳が5回、浦安が2回、そしてお台場。合計8回がモクのトレーニングだ。海はお台場だけだから、貴重なトレーニングだ。80歳で80m潜るためのトレーニングとしては、このくらいが最低限度だろう。
それでも、少しだけ原稿を書いた。いけない、遅刻する。あわてて支度をした。これがまず第一の躓きの原因だ。
鈴木君と8時に待ち合わせ、今日はゲストが多いので、ウエイトの準備、科学未来館の三ツ橋君のドライスーツ。BC、レギュレーター、自分の装備、BCとレギュレーターを余分に一つ持った。
お台場は快晴、寒くなく暑くない。良い気候だ。
第一の忘れ物、三ツ橋のフィンを忘れた。彼女はフルフットのフィンは持っているが、ドライスーツのためのフィンは持っていない。事務所まで取りに戻ろうかと思ったが、僕のフィンを交代に使うことにしたて、最初に彼女が潜り、そのフィンで僕が潜る。
天気が良い、日曜日だから、水辺で憩う人が多い。
 清水まみさん、三ツ橋、鈴木、それに尾島一家、風呂田先生のグループ、海洋大学の地見君、破れたウエットスーツでは寒いだろうとドライスーツをやったのだが、なぜか、破れウエットスーツを着ている。それにダーウィンが来たの撮影をしている、本当に古い友人の尾崎君。彼の撮った東京湾は6月1日のオンエアーだという。多分、忘れてしまうだろう。

 
 三ツ橋、鈴木が、約一時間で上がってきたので、僕がはいる。タンク、12キロ、ウエイトジャケット7キロ、ウエイトベルト4キロ、レッグウエイト1.4キロ、合計25キロを背負うのはこたえる。そして、50mほど歩き、フィンを一人で履かなくてはならない。膝のあたりまで水に入ってら寝ころんでし後進で、這って、出て行く。水はきれいな方で、石垣の杭のあたりは1.5mぐらい見えるという。僕の目当てはメバルの稚魚の群れだ。いつもは4月になると出てくる。メバルを探しながら行くが岸が濁っているので、直線で、杭を目指す。いつも居るはずのメバルが居ない。


その代りに、まみが、でかい一眼レフで撮っている。三ツ橋たちと一緒にでて、交代で僕がでて、出会うのだから、二本分を一本で潜っている、水深は2m以下だから、減圧症の心配はないし、空気も長持ちする。すごいタフな奴だ。きっといいアマチュア写真家になるだろう。ああ、彼女にあげる約束の写真集を忘れてきた。まあいいか。来月もあるし、辰巳もある。
 戻りは、水深2mを、ヘドロの上を滑るようにして、泳ぎ、コンパスだけを見て泳ぐ。ヘドロの上は、目印が無く、透明度も1m以下だ。トレーニングだ。おかげで、フロッグキックが少し上達した。


 戻ってきて、ドライスーツを脱ごうとするのだが、どうしても足が抜けない。先月までは抜けたのに、この一か月でまた体が衰えたのか。何とか、自力で脱ごうと格闘したがだめ。鈴木君に足を引っ張ってもらおうとSOS,なんとレッグウエイトをつけたままだ。これが第二の失敗。

昼休みは尾崎さんと昔話。なにしろ彼が18歳、僕が24歳ぐらいの時からの付き合いだ。昔話の内容はここには書ききれない。半世紀の話だ。
尾崎さんが言うには、メバルの稚魚の群れは、先の方の大きな岩の下にいたという。僕は杭を目指して一直線にいったので、途中のポイントを見ていないのだ。午後に行こう。

午後、2時ごろに2本目の潜水開始、これもやっとの思いでエントリーする。ところがどうやっても体が沈まない。タンクの空気が少なくなったからかとドライスーツは絞り、BCも空気を絞り出すが沈めない。なんと、7キロのウエイトベストを着けていない。これが第三の忘れ物。それでも、一旦上がってウエイトを着けて、戻ってきてエントリーする力は残っていない。メバルのところはあきらめよう。しかし、このまま上がっては、今日は終わってしまう。岸近くの岩をつかんで体を沈める。

 そのまま岩の間から、トサカギンポが出てきた。片手でポールカメラのGoProを魚に向け、片手で岩をつかんで撮影する。そのうちにトサカギンポが2尾になった。そして4尾に、なぜか向こうからカメラに寄ってくる。初めての経験だ。いつもこの魚が、すっと岩の下に隠れてしまう。どうしたことか。
 GoProのマクロアダプターを買ったのだが、どうしても取り付けられない。メーカーに送り返して取り付けてもらうつもりだが、もしも、あれが今日あれば、良い写真になったのに、なんとが5月にもう一度この場所で、同じ撮影ができればとおもう。
 近くに清水が居たので、同じものを撮れたかと聞いてみる。一眼レフは、100マクロなのでピントを合わせられない。ピントの内側に泳ぎ寄ってきてしまう。それでもコンデジでは撮ったというから、僕の画よりはいいだろう。こちらのGoProもレンズから5cmに来てしまうので、ボケているだろう。
 とにかく、ウエイトなしでも収穫はあった。

 ダイビングは、今の僕、79歳にはほとんど苦行だが、苦行をすると体の調子が良くなるみたいだ。
 でも疲れた。このブログを書くのが精いっぱいだ。

0428

$
0
0
  ダイバーそれぞれが、いつでも毎日のように潜れるのが、ダイバーとしてのホームグラウンドです。お台場は江戸っ子である僕の海です。濁っていることは、別に仕方がありません。季節の変化です。夏には無酸素とか青潮で斃死します。それを防ぐことは、お台場だけの問題ではなくて、東京湾全体、日本の海全体、世界の海の自然でもあるのです。だから、お台場はリトマス試験紙のようなもので、毎月お台場に潜りそれを20年も続ければ、ここに潜っただけで、世界の海の状況がわかります。それはダイバーにとって、沖縄でも、フィリピンでも同じでしょう。しかし、お台場は本当にドラスティックに季節変化します。僕は、トレーニングなどと称して遊んでいますが、風呂田先生たちは、学術的なデーターを追っています。尾島さんは、ゴカイのアマチュア研究者になり、一家は幸せそうです。旧友の尾崎さんも、たびたび撮影に来てくれるでしょう。


 フェイスブックに、カメラマンらしく稼いでいる中川隆がこめんとしてくれました。
「三番瀬の漁師が 適度な濁りがあり、バカ貝やアサリが毎年何百トンも湧くのが東京湾江戸前なんだ。と言ってました。」
 僕の答えです。
「何百トンも湧くのは、良いのです。何百トンも無酸素や青潮で斃死するのです。その斃死が無かったのが、昔の江戸湾だったので、世界最高の人口を持っていた、江戸市民を養っていたのでした。東京はオリンピックなどやらずに、なんとかして、昔の海を復活させて守ってゆくことの方が大事だと思うのです。」
 中川
「昔は川から流れてくる多くの泥とミネラルが豊かな江戸前の海を造っていました。今は下水処理場が完備され、下水が直に流れては来なくなったものの、窒素リン酸という畑の肥料のような成分が多量に流れ込んでくるので 植物プランクトンが異常に発生する。糖尿病の東京湾と呼んでいます。どぶの匂いはしなくなったのはいいですね。」
 清水まみ
「夏の終わりから秋のはじめ 水温上がった時の 苦しそうにあえいでる姿には 胸が詰まりました。 
それでも、生きてますね。 
勇気もらいます。」
 若干、ぼくとはピントがちがいますが、感性としてはいいと思います。そのうちに、アマチュアとして、良いカメラマンになるでしょう。

0429 冒険ファイナル

$
0
0
コラム全部を書き終えた。そして本文の見直しをした。本文は冒険ノンフィクションとして面白いのだが、章の間にコラムを置くと、流れをせき止めてしまう。それでも、何とか並べた。しかし、完璧には納得できていない。そういうものだと割り切るしかないのかもしれない。ある程度は書き直さなくては、一番の問題は、このところ、思い悩んで書き直しを続けている冒険・探検、そして潜水だ。どこにも置くところがない。あとがき的に、一番最後においてみた。これしかない。
本文を読み直してみたら、その中に、終わりの章に答えがあった。

「僕は’56年にダイビングを始めて以来、夢と冒険を追ってきた。人間が生きられない水中に潜り、全能力を挙げて危険を回避し、自分のやろうとしていたことを達成して生きて戻ってくる。このことがすなわち冒険である。ここまで述べてきた僕のすべての潜水が冒険であり、そのうちのいくつかは生きるか死ぬかの瀬戸際の危険であっただろう。「あ、危ない」と頭の中で感じたことは数知れない。夢と冒険を追うということは、同時に安全を追い求めることでもある。’67年に「日本潜水会」を発足させたのは、1人では安全は達成できない、皆で助け合おうということだった。水中スポーツ大会(フリッパー競技会)は、危険を避ける能力を競う大会であった。泳ぐ能力が生死を分ける。泳ぐ能力に応じて行動半径を決めることが安全につながると考えたからだ。スガマリンメカニックでの調査潜水もつねに危険と真正面から向き合っていた。入社したいと訪れた若者に「ダイビングはロシアンルーレット」などと脅かしてきたのも、危険回避のための人選だった。だが、安全を追求してきたつもりの僕を打ちのめす出来事が起きた。」
これが最後の24章だ。

結局のところ、安全について、探検について、危険について、調べて引用しても、それは自分の意見、考え方ではない。植村さんは、自分の登山から自分の冒険を定義した。「死を覚悟して、そして生きてもどってくること」彼は戻ってこなかった。
僕の答えを探そう。冒険とは、潜水のことだ。探検とは、これも潜水の事に他ならない。

これがファイナル。
「冒険と探検そして潜水
 人間には鰓がない。水中では呼吸をつづけられない。海水浴も、スノーケリングも、潜水も常に危険。昔の人は、「板子一枚下は地獄」と言った。板子一枚下は冒険である。冒険とは生きて還ってくる、安全の追求でもある。
 水の中に潜水すると、それはいつも未知の世界。これで、100回以上潜っている、あの濁ったお台場の潜水でも、潜るたびに発見がある。僕にとって、そしてすべてのダイバーにとって、探検とは潜水の事、冒険とは潜水の事。山登りの人とか、極地へ行く人にはまた別の結論があるにちがいない。
そして、ダイビングの事故は、想定外、つまり冒険として身構えていない隙に起こることが多い。常に冒険だと思って恐れ準備をしなければならない。でも、冒険だからパーフェクトはありえない。」

336字
これで、冒険についての、グラフィティメイキングは、決まりとしよう。
「冒険とは、危険の存在する領域に分け入って、そして生還すること。探検とは未知の領域に分け入り、その未知を調べること。」「水中は、水中であるから危険、そして、何時でもどこでも未知を見つける。

60歳の100m潜水の時の社員、これに中川、鶴町、米田、塩脇 横澤が加わると全員になる。そして、亡くなった脇水輝之を加えて16名、15名以上にはしないつもりだったから、MAXだ。あれから、19年、3名がそれぞれ癌で命を失くした。80歳の80mはどうなるだろう。冒険であり、高齢と言う未知の世界の探検でもある。

0502 潜水士読本

$
0
0
飛行士気質と潜水士気質

潜水読本 山下弥三左衛門 東亜潜水機 成山堂印刷 昭和35年7月
山下先輩は、大正3年、東京水産講習所卒
鰤定置網自営、昭和3年 一等潜水士
御前潜水、講話、陛下御前研究資料潜水採集御下賜金13回
潜水士養成 2000名 潜水病の研究(治療特許)
昭和11-12年 南洋パラオ島沿岸海底映画潜水講習撮影
 この潜水読本は、当時の潜水のことが何でも書いてある。減圧表も米国海軍を始めとして、英国の表、バルデーンと記された、ホールデンの表も掲載されている。他にも人工魚礁の研究書、など十冊以上の本を著している。大先輩である。決してでたらめを書いているのではない。


 その一節に飛行士気質と潜水士気質と題して
熟練技術の領域を誇る飛行士は豪胆なる離れ業をもって他の追従も及ばぬ冒険を観光し、危機を脱却して平然たる勇姿にモノを言わせ、落下傘にて危険を一度、二度、三度と切り抜けた始めて一人前になり、荒鷲の仲間入りが出来ると言われている。
潜友仲間でも二度、三度と潜水病の危機を逃れてその放胆なる人間放れの洗練された技術が認められて始めて潜水技術者の特権階級に進む。汝は潜水病に幾度かかったかと尋ねられる。三度やった。それでは一人前だということになる。潜水病の死線を越えて心身ともに洗練され超然たる態度によるその度胸が物を言うのである。

この本が出された、昭和35年は、僕が東京水産大学を卒業して、東亜潜水機に入社した年である。この本は、成山堂書店から、別に出版されていたものを、東亜潜水機で版権を買い、販促のために別刷りを作って、お得意さんに配ったものである。僕は大事にしていて、特に減圧表は、僕の持っている古い表として、唯一のものである。水深はメートルではなくて、尋、と尺で現してある。18尋から20尋に10分もぐると20尺で3分、10尺で5分停止する。現在の減圧表よりも安全なように思える。だから、潜水病について無知だったわけでは決してない。肩書きにも潜水病研究と記されている。治療特許とも書かれている。
 潜水士気質については、潜水病など恐れるなといういましめであろう。
 まさか誤解はしないだろうが、これは僕の考えではない。

その本の出版社成山堂書店から、僕にニッポン潜水グラフィティがでる。
昨日、成山堂書店でその本の打ち合わせとインタビューをした時にこの本の話がでた。どこの出版社でもそうだろうが、その本やが出した本は保管しておく、成山堂書店にもまだ残っているが、一冊だけであり、いただくことはできない。

僕のところに残っているのが写真である。 アマゾンで念のために調べたが、なかった。

0506 GW 富戸 その一

$
0
0
 書くこと、書きたいことが沢山あるのだけれど、書いている時間が無く、ゴールデンウィークも最後の日になってしまった。このゴールデンだけで、グラフィティ、10回分ぐらいの日々だった。
 最初から書いて行こう。僕のGWの初日は5月1日、何時も休日のない気持ちの僕としては、4月の休日はない。
 その5月1日にも辰巳の練習会があり、毎月、その月の最初の練習の時に、その月分のプール使用料を払う。その時に、僕は5月5日と6日と連続して、ダイビングプールを借りていることがわかった。なぜか、くじ引きの時に手帳に控えずに、「あ、空きがあった。」と借りたものを手帳に無いので、ホームページに載せもせず、誰も知らない。誰も来なかったらもったいないと、すぐにフェイスブックにのせ、メンバーにメールを出した。急なことだから、来る人は少ないだろうが、自分の練習ができるから、良しとしよう。

 昔は、GWなどに東京を出ることはほとんどなかった。東京は空いているのに、混んでいるところに出て行くなんて、しかもお金を使ってだ。ところが、この数年,GWには、恒例的にダイビングに行っている。昨年は大瀬崎、その前は伊豆大島、その前は忘れた。
今年も考えないではなかった。全然海に行っていない。3月、4月は、お台場とプールだけだ。お台場も海だけれど、気持ちの上では、僕の潜るところは目下のところ、海、お台場、プール、お台場が別格になっている。
 石川さんから連絡が来た。「東大の小久保教授が海に生きたいと言っているけれど、どうですか?僕は三日、四日が良いです。」小久保は、僕のバディだから、僕に直接言ってくるのが本筋だろう。とふと思ったが、石川さんも僕のバディだから、まあ、両方に声をかけるよりも、手間が省ける。
 僕の答えは、「三人で、3日に館山日帰り速攻」石川さんから「一泊、ゆっくりして温泉とかは?」それもそうだな、今からでは東海汽船は獲れないだろうし、一泊ならば東伊豆か西伊豆の大瀬、もしくは土肥、この数年、3-4年か、東伊豆に潜りに行っていない。赤沢がホームだが、忘れられているかもしれない。先日、富戸に行き組合長の日吉さんに、レクリエーショナルダイビング用人工魚礁のプロジェクトを提案した。お断りされたけれど、頭には引っかかっている。よし、富戸と赤沢に行こう。
 一泊で、みんなに声をかけた。この数年のGWツアーのメンバーほとんどが、「お願いします。」ということになった。「行きたいけれど、先約が」という冷たいことを言ってきたのは、黒田梨絵だけだった。黒田は看護学博士、救急病棟のエース看護士、元水泳選手、僕にとっては命の綱だ。彼女を除いて、8名になった。黒田が居ないと、レスキューが薄くなる。相棒の鈴木コーチに声をかけたが、用事がある。宿泊先にきめた大西君に一緒に潜ってくれるか、と聞いたが、GW,ほかのお客が二組ある。
 僕も含めて、みんなブランクダイバーみたいなものだし、大学生になったばかりの緑ちゃん、鶴町さんの次女、映美もくる。緑は、小学校3年生の時のスノーケリング時代から毎夏一緒に海に行っている、特別な子だし、映美は、亡くなってしまった僕の仕事のバディである鶴町の次女だ。ダイバーとしての血を受け継いでいるような気がしている。大学を出て、お勤めを始めたばかりだが、全然大学生のままで、とてもいい。ちょっと心配だが、赤沢は、僕がガイドを出来るくらい潜りこんでいたところだ。何とかなるだろう。不との方は石川さんが詳しいし、小久保も来るから、良いだろう。

  富戸、エキジットした後のほぼ全員


 車が3台、石川車には、僕と小久保、そして村上緑ちゃんと、お父さん、そして、この頃のJAUSの行事には無くてはならない感じでお世話してくれている鶴町さん(鶴町の奥さん)、も車を出してくれるので、浦安海豚倶楽部の黒沢さん(会長)玉田さんを拾って載せて来てくれる。もう一人、細田さんは自分の車で行きたい。石川さんは自分の車で、細田さんも一緒にと言うが、僕は帰途を考えると、3台あった方が楽だと意見を通した。
 
 6時門前仲町を石川車スタート、鶴町車は、東陽町から、同じく6時スタート、細田車は、5時頃に先発して、早川で待ち合わせ。
 
 ずるずると書いている。このごろ日本潜水グラフィティの単行本化のためのコラムで字数に制限がある文章を書いていて、長くなるのが気分が悪いし、どうでも良いことを書いているようだが、推敲して短い文章にするためには、数回書き直さなければならない。そんな時間がない。ブログは、下書きのような無推敲の文章で許してもらいたい。
 
 GWは車の渋滞は覚悟の上だが、6時に出て、普通は4時間の道のりだから、5割増しとして6時間、12時には到着できるだろう。泊まりだから、午後、2本潜れるという計算。

 しかし、東名の混雑は想像を超えていた。
 もしかして、日本人がお金の節約で、東京ならば伊豆半島、房総半島が手近、それに、ちょっと帰省の人もいるのだろう。
 予定している富戸は、漁業者との調整で、午後3時までには上がらなければならない。その時点では、赤沢ならば、午後5時までという事を知らない。大西君の宿が富戸にある。黒沢さん、玉田さんは、大西のところでドライスーツと借りたい。水温は16-18度、今の季節としては寒い。僕はドライしか今手元にない、ウエットはしばらく袖を通していないので、きつくて入らないかもしれない。それに、やはりドライの方が楽だとドライにした。
 
 3時に揚がるためには、2時にはエントリーしなければならない。そのためには1時に到着しなければならない。小久保は自分が提案者のくせに、1日までベトナムでの国際会議に出ていて、しかも4日には自分の教室の集会があるという。「4日は延ばせ」「教授だから、中心なので延ばせない。」「教授だから延ばせるだろう。」 いろいろあったが、やはり、日帰りしなくてはならないらしい。石川さんは優しいから、何とか小久保教授を潜らせてあげたい。伊東の手前のコンビニで3台が待ち合わせ、ドライスーツの準備がある黒沢、玉田さんは今日の潜水はあきらめて、鶴町車は、大西のところへ、、鶴町映美、彼女も日帰りしなければならない。これもどうしても潜らせたいので、こっちのグループにのせかえて発進する。
 細田車、石川車は、とにかく13時30分ごろに富戸に到着した。

 それにしても、ここまでの文章、GWの渋滞級だ。こんなことでは、読んでもらえるかどうかも分かりかねる。
 しかし、縮小する時間がないから、このまま発進する。

 富戸に到着、組合で受付、器材を軽トラに載せて、エントリー場所まで行き、タンクを受け取る。ダイビングポイントはヨコバマ(横浜)で、富戸のビーチエントリーの場所だ。たくさんのダイバーで混雑する。

 僕は、TUSA のBCの背中のポケットに4キロのウエイトを入れた。僕はBCにウエイトを入れるのはやったことがない。ボートから潜る時にタンクを脱いで上の人に引き上げてもらうので、重たいのは大変だろうと使ったことがない。今回はビーチからの歩いての潜水だから、背中に付けて見よう。腰に4キロ巻くのと、背中に4キロつけるのは同じだと思っていた。腰にベルトで巻くとずり落ちるので、バックルを何時も気にしていなければならない。
 ダイバーにはウエイト調整が命、BCに4キロ、7キロのウエイトベスト、足にレッグウエイトを1.4キロ、合計で12.4キロ、タンクはスチールで約11-12キロか。タンクは確認していない。背中にはレッグを除いた11キロのウエイトに11キロとして、合計22キロ、背中に背負って、立とうとして立てない。そんなばかな、お台場では立てている。4キロを腰に巻いて。腰に巻いたらウエイトを腹の方に持ってきている、BCでは背中に4キロだ。その違いを考えなかった。映美を僕のバディにしているから、彼女の手にすがれば立てるけれど、何とかして、自力で立ちたい。立った。
 それから、エントリーポイントまでは、およそ100m、まで無いだろうが、気分は100m、少し下り坂だ。トップのナビゲーターは小久保教授、研究生、助教のころは、僕がトップだったが、助教授に進んでから、彼がトップになった。村上親子のバディ、そして、細田さんと石川さん、のバディだが、石川さんはベテランのインストラクターだから、全体をケアする。そんな編成だ。
 エントリーは手すりにつかまって、その後は太いロープがしっかりと張ってある。昔はこんなものが無くても岩の上を普通に歩いてエントリーできた。今はロープにつかまってやっと水に入る。これでは大瀬の先端のごろた石は歩けないかもしれない。もう少しトレーニングが必要だ。

   発進、斜面を降りる。


 水は、15m見えるという事だったが、午後遅いからもあって、10mぐらいの感じだ。石の斜面を下って行くと砂地になる。沖に向かって右折する。右手が磯根の斜面。しばらく進むが、何もない。小久保は、海底に張ってあるロープをゆすって見たりして、なにかタツノオトシゴのような小物が付いていないか。などなど見ている。映美は、僕の右にいるように見ていたのだが、そのうちサイドチェンジして左手に来てしまった。僕は右利きだから、右手に神経がある。右を見て、前を見て、また右を見る。言っておくべきだったと悔やむ。
 

    ただの砂地
 

    戻りだから、左手が斜面
 
 僕の背中の4キロの鉛は重い。水深2mのお台場のバランスだ。2キロにして、ベルトにするべきだった。残圧が100になったので、先頭の小久保に合図をして戻ることにする。細田さんが空気の消費が多いので、いつもは僕が100で、彼が80か70だろう。戻る。
 バランスが悪いので、海底など何も見ていない。進んで、戻ってくるだけだ。帰り道、映美が浮いてしまった。石川さんが付いて行ったので、僕は見上げているだけ。なかなか降りて来ないので、僕も浮く、タンクの締め付けが悪く緩んでしまったのを締めなおす。
    

       エキジットラッシュ

  

        ロープにつかまって揚がる。

 ロープの地点まで来て、小久保は、もう少し何かを探すということで別れる。ロープにすがって、上がるのだが、他のグループもいくつか一緒に揚がるので、ラッシュアワーになっている。空気を残しておかないと揚がる時に溺れるかもしれない。ごろた石はごろた石のままで、水中の足場が悪い。石ぐらい均して置いたって良いのに。半ばころんだようになって、掴まり上がる。フィンを外して、何とか歩いて上がり、歩いて行こうと思ったのだが、石川さんがすばやく、僕のタンクを降ろして運んでくれた。
 なお、小柄な緑は、自力でしっかり上がったが、映美はこけて、石川さんに掴まって立ち上がった。僕も完全に転がったが、ようやく立ち上がれた。別のグループに助けられるのでは恥だ。映美は毎日スクアット ?回僕は、20回か?

 


 とにかく、全員何事も無く、チーム編隊を維持して、ただ、砂地まで行き戻ってきた。映美は浮き、細田さんのタンクもずり落ちる寸前だったと石川さんは言う。
 まあ、何はともあれ久し振りの海は気分が良い。

 石川さんと僕は,帰る小久保を送って伊豆高原駅へ、富戸まで来ていたみんなと一緒に、伊豆高原温泉へ、料金は1000円、銭湯に毛の生えた程度がが、とにかく温泉だ。露天風呂などに入って、とにかく温泉に入った。

 今回からダイブコンピュータを換えて、日本アクアラングのカルムにした。時計機能がしっかりしていて、ソーラーバッテリー、ダイビングについても、これでレクリエーショナルダイビングならば、十分と言える程度に詳しい。

 ログを記録しておく。
 2014年 5月3日
 潜水開始 2時41分 
 潜水時間 37分
 水温16.6度
 平均水深 9.2m
 最大水深 18.8m
 こんな潜水でも slow 浮上速度が速すぎるという警告が出ている。
 平均酸素%が出ているが一般ダイバーにはどうでも良いこと。

 今後の潜水ではこの書式で記録して行こう。


 続く。

0507 GW 富戸ー2

$
0
0
 富戸のヨコバマには、危なかった思い出がある。それは、1960年の事だったと思う。僕は東亜潜水機に居て、レギュレーターを設計して作った。それまでにも作られていたレギュレーターをモディファイしたものだったが、とにかく自分の手で作ったレギュレーターだった。もちろん、ずいぶんとテストは繰り返した上で製品として、売り出した。その第一ロット、その最初の第一号だったと思う。買ってくれたのは、富戸の漁協、定置網漁業部だった。日本では定置網の点検修繕をするための潜水は歴史が古く、1935年あたり、僕の生まれた年だったが、そのころ、伊東の水産試験場では、定置網潜水の講習が開かれていた。講師は、三浦定之助、山下弥総左衛門で、送気式の山本式のマスク潜水機を使っていた。東伊豆には水産試験場があり、そこの技官、稲葉繁雄さんは、潜水の達人で、潜水病も体験し、潜水指導講習をしていたから、富戸の組合、定置でもこの頃の講習を受けたダイバーが居たのかもしれない。
 だから、1960年に東亜潜水機から高圧コンプレッサーを買って、スクーバダイビングが出来るようになっていて、当然かもしれない。
 僕の作ったレギュレーターの第一号は、その富戸の組合で買ってくれた。
 数日後、定置網のダイビング担当の菊川さんから電話が掛かってきた。水深40mでレギュレーターが停止したという電話だ。とるものもとりあえず、出かけていった。まだ、伊豆急の電車が無かったころだ。伊東からバスで行く。朝東京を出て、午後の3時ごろに到着した。故障のレギュレーターをタンクに着けて吸って見たが、その時には症状はでていない。

      今の富戸ヨコバマ 砂地

 そのレギュレーターを使って、富戸の湾内で水深40mに一人で潜ってみた。菊川さんが艪漕ぎの小舟を漕いでくれて、多分、ヨコバマの前あたりだったと思う。午後五時ごろだから日は傾いていて、水深40mはほの暗かった。その時はじめて、サクラダイを見た。魚の中で最も美しいと思われるハナダイの類、アンティス(アンシャス)の仲間では一番ありふれているサクラダイだが、魂が飛んだ。午後の光で、水深40m、半分窒素酔いになりながら、見とれていると、足元で砂煙が上がった。大型のヒラメが足元から飛び立ったのだ。
 水面に浮上して、なんとも無いと話をして、納得してもらって東京に戻った。すぐ次の日に電話がまた掛かってきた。また停止したという。すぐにレギュレーターの出荷を停止した。まだ、この高圧シートを使ったものは数台しかない。直ちに回収した。送り返してもらって、分解して原因がわかった。新しい高圧弁のシートが抜け出てノズルに貼りついて空気が停止したのだ。ノズルから噴出する高圧空気を抑えているのだから、漏ることはあっても、弁が抜け剥がれてノズルに貼りつくとは想像もしなかった。空気が噴出するときには、部分的に強い陰圧になり、シートを吸い出して、ノズルに張り付かせてしまうのだ。
 一人で40m潜っていた時に停止したならば、私の生命は無かっただろうか?
 富戸組合の菊川さんは、海士さんで素もぐりの達人だったから、40mに潜っていた時にレギュレーターが停止しても、一人で上がってきた。私もおそらく上がれたと思う。ウエットスーツであり空身での40mからならば上がれるだろう。とはいえ、高圧弁の張り付きは、突然、空気が来なくなる。後で振り返ってみると、幸運だっただけだ。
 その頃、群馬県だったか埼玉県だったか忘れたが、お弁当で中毒事故が起こり、弁当屋さんの女社長がそんなことはありえないと、自分も同じ弁当を試食して中毒死したと新聞にでた。私のやったことはそれと同じことだ。
 こちらの不備による致命的な故障なのに、菊川さんは笑って済ませてくれた。
 潜水器を作ることについて甘く考えすぎていた。一つ一つの部品のミスが命にかかわる。

 次にヨコバマに潜ったのは、「伊豆の海」と言う題名の葛西水族館3Dシアター(今はもうない)の3D映像を撮った時だった。海洋公園の友竹進一さんにガイドを頼んだ。友竹さんはすでに癌に冒されていていたが、神様のくれた短い時間とかで、元気で、「いいよ」と簡単に引き受けてくれた。ところが益田一さんからストップがかかった。僕は益田さんのお家に行って、交渉した。その年の夏、友竹さんは最後の家族旅行でモルジブに行っている。モルジブで潜れるのに、地元の富戸で潜れないなんてことはおかしい。癌で死ぬかもしれないけれど、友竹は潜水では死なない。良いじゃないか、最後に僕と潜ったって。でも益田さんは首を縦に振らない。
 「わかってよ、潜水では死なないだろうが、その後で悪化したならば、奥さんに泣きつかれるのは僕なんだから」頭を下げられてしまった。友竹の代わりにという事で、マリンドリームの森田君が潜ってくれることになった。

        小久保教授のトップ、20年前に買って学生が使っていたウエットスーツを着ている。

 今度はヨコバマだとはっきり覚えている。イソギンチャクにクマノミが、冬なのに、元気にしていた。この頃、冬を越すようになったと森田君が言う。しかし、その時の僕の撮影対象は、斜面のクマノミとか小物ではなくて、砂地の魚だった。菊川さんのレギュレーター停止の時に見た、光景が頭に焼き付いていて、それを3Dで撮りたかったのだ。確か、マトウダイ、サクラダイ、ミノカサゴなどを撮った記憶があるが、その時のスチルを2時間かけて探したが見つからない。
 去年の秋、海洋公園での益田さんを偲ぶ講演をたのまれた。その森田君の斡旋だった。森田君と一緒に海洋公園も潜る約束だった。益田さんが亡くなってから、海洋公園に潜っていない。残念なことに、時化てしまい、ダイビングクローズになったため、講演会は中止になり、海洋公園には行かなかった。地元のダイビングショップの知り合い、横田君、柳田さん、益田さんをよく知る人たちは、集まる予定をしてくれた。海がクローズになれば、かえって集まりやすいのにととても残念だったが、仕方がない。海洋公園がまた遠くなってしまった。

 そんな思いのあるヨコバマだが、今回はそれどころではなかった。しばらくぶりでの海で、僕もややパニック気味、映美とか緑もダイビングは久しぶりのはずだ。そして、背中のウエイトも重くてバランスがとれていない。そんなこんなを気にしていた。水深は18mまで行っているが、ここの砂地は20mよりも下だと思う。

 3月だったか、富戸の組合に日吉さんを訪ねた。レクリエーショナルダイビング用の人工魚礁を富戸に沈めないかという提案だった。そのための助成金もあるので、その提案も一緒だった。日吉さんは伊東の漁協直営の食堂でごちそうしてくれて、富戸では人工魚礁は、不要だけれど、稲取ならば話を聞いてくれるだろうと、その紹介もしてくれた。

       僕がイメージしていた魚礁


 これは、僕のプレゼンが失敗だったからだと思う。僕のそろえた資料が、JAUSの人工魚礁研究会の資料であり、館山の人工魚礁を見に行く計画と混線してしまい。館山の定置には人工魚礁は役に立つが、富戸では天然の良い礁があるから、人工魚礁など無くても魚は廻ってくる。定置のそばに、ジャンボ人工魚礁も入っていて、ボートのポイントになっている。という事で、その話は打ち切った。
 しかし、今度、ヨコバマに潜ってみて、この砂地の25mあたりに、それほど大きくなくても良いから良い魚礁があったらどうだろう。今でも、魚礁などなくても、ダイバーはエキジットラッシュになっているが、良いターゲットがあり、ここに魚礁を入れれば魚が群れることは間違いないのだから、そして、ここにショップを構える大西は、かつての僕の助手で人工魚礁の本格的調査も手掛けている彼と、海洋公園周辺の知り合いのダイバーたちがこの魚礁を定点にして観測をすれば、それはゲストにとってもすごく興味のあることだと思う。
 ここに潜るレクリエーショナルダイビングのショップのダイバーも、そして、ここで潜るゲストも想像してみてほしい。この砂地に、人工魚礁があれば、一日に二本のダイビングに変化を付けることになるし、ダイビングが充実する。もう一度提案をし直そうかと思っている。

0509 富戸ー3

$
0
0
 ウエアラブルカメラで、エントリーからエキジットまで連続して撮影して、後からそれを見ると、何が起こったのか、何があったのか、そして自分が何をしたのかよくわかる。一日に三本も潜り、そして何人もの講習生を連れて潜るインストラクターや、ガイドダイバーにとって、そんなことを繰り返すのはとてもできない。不可能だ。しかし、その不可能だというところにダイビングの問題点、絶対に解消しえない問題点であるけれど、そこに事故の種が蒔かれている。
 よく、ダイビングを他の活動と比較してみる。一番よく使われたのが、ダイビングと自動車の運転だろう。車の運転は現代では日常の事であり、人間が歩くのと、同じ、自動車は下駄のようなものともいえる。比べてダイビングは非日常の世界、危険度を比べて、どちらが危険などと考えることがナンセンスなのだが、よく、ダイビングは自分さえしっかりしていれば事故は起こらない。自動車事故はいただいてしまうことがある。などと呉べて論じたりした。あんまり意味はない。
 この頃僕は飛行機とダイビングを比べて見ることがある。比べ立ってどうすることもできないのだから、比べても意味はないが、視点を変える意味では面白い。
飛行機の訓練は、全部教官が隣に、あるいは後ろに居て、アドバイスする。もしくは模範を示したりする。そして、単独飛行になる。ダイビングもサイド・バイ・サイドで訓練し、それから単独飛行にするべきなのだが、経費の面でも時間でもできない。僕たちのシステム、僕たちのグループならば、それは可能なのだが、すべてのダイビングでやっているわけではない。そして、その状況をウエアラブルカメラですべて撮っておいて、それを見ながら、その日のダイビングをチェックすることもできる。
これは事実上できない。だから、理想ではあるが現実ではないが、時間が経ってから、自分で見ることはできる。本当はバディと一緒に見たいのだが、これもなかなか難しい。例えばご夫婦であったり、恋人どうしだったり、すればできる。そのことに、いろいろ弊害はあるが、それはダイビングそのものの弊害ではない。
インストラクターやガイドダイバーが、店に戻ってお客と見ることは、やってみる必要があるし、やがて実行されるだろう。このことが、僕がウエアラブルカメラを薦めていることの第一ポイントである。

 三日、富戸でのダイビングは、僕は棒の先にカメラを着けた、これをポールカメラと呼んだり、僕は棒カメラと呼んだりしているが、とにかく、この3日、4日のダイビングでは、この棒カメラでエントリーからエキジットまで廻し続けている。

 ウエットスーツとドライスーツ、比較論は今さら意味がないが、もちろん、ウエットスーツの方が体が動きやすい。一番いいのは裸だが、これは寒いし身体を傷つけるから、ダメ。昔は、春3月、水温が14度になるとウエットスーツに衣替えしたが、今の僕は20度だろう。今回は16度から18度、そして、僕はいまドライスーツだけしか持っていない。ウエットスーツは、いつも着ていないときつくなってしまう。それに、ぼろぼろで、作り直す時が来ているが、寸法を測って注文に行くのが一仕事だ。そろそろ、あんまりぴっちりしない出来合いの方が良いのかな、と思ったりする。小久保教授は、ウエットスーツを失くしたのか、僕のところの学生レンタルスーツを着ている。レンタルの必要があって、探したが一着足りない。どこへ行ったのかと思っていたら、今回、小久保が着ている。 このウエットスーツは、もう止めてしまった機材メーカー「ハリサン」が廉価版として作ったものだが、もうそろそろ20年は使っている。尻の部分が擦り切れているが穴は開いていない。丈夫だ。
僕はドライにした。ドライは、動きにくい拘束衣のようなものだ。そして、ウエイトをたくさんつける。今回もBCに4キロつけたら立つのに苦労した。歩くだけで息が切れた。エントリーとエキジットは、難行苦行の部類に入る。伊達に79歳になっていない。バリアフリーだ。ヨコバマは、施設として、手すりや、ロープが張ってあるが、それでもバリやフリー対策はとっていない。毎度、死ぬかと思う。死なないように体をプールでいじめているし、お台場でもトレーニングしているから、何とかできる。
しかし、水中でのバランスがひどく悪い。ウエイトも2キロオーバーだったから、BCへの空気の出し入れが激しい。つまり、自分が潜っているので精いっぱい状態だ。


 映美のタンクが外れかけている。実は潜っている時には気づかなかった。後で、映像を見て気づいた。外れそうになったまま、かなり長い時間泳いでいる。その映美が浮いた。全体を後ろから見ている約束の石川さんがフォローする。
映美には、海底から自分までの間隔、バディシステムの要点について、もう一度教えておかなくては。もう一度と言ったけど、これまで教えたことがあるのか?お父さんの鶴町が、NAUIのカードを出した。僕はスキンダイビングを仕込んだ。

         往路の緑

緑の方は、大学受験で一年のブランクダイバーだが、プライマリーを受けている。もちろん合格などしないが、前半は身体が立ってしまっていたが、帰りは水平に近くなっていた。
残圧が100になったので、リターンを小久保に指示した。多分彼のタンクは130残っているだろう。空気の早い細田さんは90か100だろう。
エキジットのロープのところで、小久保は、もう少し残るという。本来、このような別れ方は厳禁といつも教えているのだが、実質的に彼はガイドダイバーだ。東大の海洋調査探検部の事実上の監督出し、僕の撮影のほぼアシスタントを20年以上やった、理論天文学の東大教授だ。水中では自己責任[中心] とガイドがフラッシュバックしている。みんなを、エキジットロープにつかまらせれば、後は自分勝手にロープの付近を小物を探すのだろう。
僕らが、器材を背中から降ろして、一息ついているところに戻ってきて、ヤマドリの産卵行動を撮影してきたと言っていた。

0510 横須賀 JAMSTEC &三笠

$
0
0
 横須賀、JAMSTEC、海洋研究開発機構の一般開放日。種市高校の下川先生、横羽先生がヘルメット式潜水の実演を僕たちのホームプールである訓練プールでやるという、ことなので、行くことにした。同行は、石川さん、広田あゆみさん、足立先生、金丸さん、まみさん、三ツ橋さん、山本さん、増井さん、自分も入れて10人だ。


 こういう独立行政法人の一般公開は、無料出し、楽しく新しい知識を得ることができ、実物に触れることができるから人気が高い。5月の快晴の土曜日だ。

 克明に全部みてまわる時間はない。
 この頃は槍のグソクムシのタッチプール、子供にも大人にも人気だ。


 自分たちのプールのようなところで、ヘルメットの演技をみる。すたれ行くヘルメット式潜水機だが、送気式の潜水のトレーニング用としては、とてもいいと思う。そして、他には、潜水を正規に教えるところがないから、種市高校はこれ、南部もぐりで売出し中だ。

 今年の秋、10月か11月に、この種市高校へ行き、ヘルメット式体験のツアーを計画している。こちらもプライマリープログラム験を先生たちに教えたい。
 その打ち合わせと言うか、申し入れをした。
 名残惜しいけれど、この研修プールは今年いっぱいで取り壊される。JAMSTECは、すでに有人潜水からは撤退を決めていて,しんかい6500とか、無人探査機などに力を移してしまっている。
 僕たちJAUSももう10年早くスタートしていれば、このプールを使う組織として、繋ぐことができたかもしれない。大学のクラブの合宿場としては最高なのだが、それとは反対の方向、関東学生連盟はダイビングショップの走狗と成り下がろうとしている。まあ、芝浦工大、中央、法政、学習院、顧問―監督―コーチのしっかりしているところは、大丈夫で、今度のシンポジウムで監督の対談を予定している。テーマは学生のダイビングはどうあるべきか、その教育効果、その安全確保などなどである。自分は自分の道を歩むしかない。それにしても、JAUSの立ち上がりが遅かった。定年で退いてしまった米倉君にもずいぶん骨を折ってもらって頑張ったのだが、力が足りなかった。
 今季は7月と8月を予定しているが,おなごりで、9-10-11も使ってプライマリーの最後をやろう。そのうちあわせもした。

 JAMSTECは、自立型無人探査機に力を入れていて、「うらしま」「じんべい」「おとひめ」「ゆめいるか」4基も持っている。
 これは、最大の「うらしま」

 
 三笠公園で、カレーのフェスティバルをやっているので、昼食はそれにしようと、JAMSTECを後にして、走った。
 ここも、すごい人出だ。カレーは人気がある。僕たちはかなり歩いて、会場の端まで行き、500円で4種類のカレーが食べられるカレーバイキングを食べた。ずいぶん並んでいる。
 真ん中にライスがあり、周囲に4ッつの区分けのある皿で、20店ぐらいテントを並べているカレーやさんからカレーを入れてもらう。かなりヒット企画だ。
 4種類のカレーは、微妙に味は異なるが、どれも同じ横須賀海軍カレーの味?がして、おいしかった。


 戦艦三笠、誰でも知っている日露戦争、日本海海戦の旗艦だ。
 小学校の遠足できたことがある。それから70年だ。三笠がここに据え付けられてから、86年、歳月、年齢、感慨にふけってしまう。


 僕の好きな文章「連合艦隊解散の辞」が全文掲載されていたので、ガイドブックを買った。古文調なので、うまく書き写せないが、その終わりの部分
「神明は、ただ平素の鍛錬につとめ、戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足して、治平に安んずる者より、直ちにこれを奪う。古人曰く、勝って兜の緒をしめよと」全体的に好きな文章で、秋山真之が書いたともいわれ、時のアメリカ大統領、セオドアルーズベルトがこれに感動して、英訳して、アメリカ海軍軍人に配布したと言われている。


 たくさん歩いて、疲れた日だ。

0512 富戸 5月3日ー

$
0
0
富戸
 早く書かないと、富戸と赤沢のダイビングについては忘れてしまう。もうすでに忘れているかもしれない。グラフィティの単行本化のための年表の編集をやっている。同時にあとがきの書き直し、そして、コラムももう一度見直したい。その間を縫って、横須賀のJAMSTECに一般公開に行った。この印象が強くてブログに書いたりしていたら、そのひとつ前のできごとは、消えかかる。
 何とか螺子を元に戻して、5月3日だ。
 3日のダイビングで問題とするポイントは、映美が浮いてしまったこと、そして、それをGoProのポールカメラで撮っているのに、僕が肉眼では気づいていない。水中でウエイトが重く、バランスが悪く、自分の生命維持だけで一杯になっている。もっとトレーニングしなければ、と焦るけれど、原稿にも追われているし、デスクワークも進まない。

 3日の富戸の泊まりは、大西のところで、僕たち男三人は大西のお父さんが住んでいる家の二階に泊まる。女性たちは大西のところの宿泊だ。泊まりは安いのだが、食事がない。近くの魚料理の店に行く。後から考えれば、コンビニで何かを買って宿で食べても良いのだが、石川さんが良く行くという魚料理の店を予約している。
 魚料理は、おいしいけれど、最近の僕は何かを食べておいしいと喜ぶことがない。お酒も飲まないし。
 それでもみんなと食事すれば楽しい。僕たちのグループの他のお客も一緒に席に着いた。大西グループの方は、学芸大学のOBの匂いがする。一緒にショップをやっていたころのお客で、大西が引き継いだ。

 まず、僕にとって感慨があるのは、緑が僕のところにスノーケリングを習いに来てから10年が過ぎた。村上お父さんが、10年のお礼を言ってくれた。この10年、僕にとっても、激動だった。好んで激動にしているのだから、文句のつけようもないのだが、いろいろなことがあった。
 小学校3年だった緑は、中学生になり高校生になり卒業して大学一年になっている。高校3年、つまり去年は大学受験のために海には来なかった。だから、一年のブランクだ。ダイビングのブランクの内に、人としてはずいぶん成長した。中学、高校の時は僕とほとんどしゃべらなかった。必要なことはしゃべるのだが、お話はできなかった今度は、しゃべれるようになった。自発的にやったのか、お父さんに促されたのかわからないが、多分自発的だろう、石川さんにお酒をお酌できた。形になっているお酌だった。
 席は黒沢さんの隣だったが、その黒沢さんが船の科学館の流れるプールでのスノーケリング講習の時に、水中で緑の写真を撮った。そして、10年だ。

 次に映美だ。僕とバディを組んだが、バディとはどういうものか、僕とバディを組む時はどうするのか、教えていなかった。酒の席だけれど、終わり近くなってそばに行って話した。僕は映美も大好きだから、ダイビングが出来るようになってもらいたい。C-カードの講習でやる練習とかは、どうでも良くて、と言っても一応は出来るのだが、海での動きが大事だ。まず、僕の横にしっかりと、手を延ばせば届く距離にいてほしい。今の段階ではあまり離れてもらいたくない。それがきっちりできたら、どこに潜りに行っても大丈夫だ。次の段階で、離れてもコンタクトができるようになることを目指す。 
 そして、海底からの距離だ。上方50センチで水平になり泥を巻き上げないように泳ぐ。それがすべての第一歩だ。
 緑も映美もできればプライマリーに来てもらいたいけれど、7月には強制的に来させよう。
 まみが後から参加してきた。僕はあまり考えなかったのだが、この宴会のお金を請求してしまった。意外そうな顔をしていたので、しまったと思った。途中参加だから、焼きそばしか食べていない。まあ、そんなことはいいか。

 石川さんの悪い癖というか、良い習慣と言うか、全員、みんなに短いスピーチをさせる。緑も映美もきちんと話ができた。映美の方は大学を卒業して社会人になっているのだから、当然だが、当然という僕は、未だ、彼女が大学生のような気持ちでいる。社会人の空気が無いのだ、そこが気に入ってはいるのだけれど。僕の仕事のバディだった鶴町の娘で、鶴町はもうこの世に居ない。

 僕にもスピーチが、とり、でまわって来た。僕は大西の事を話す。彼が僕のアシスタントの時。まず僕にタンクを背負わせる。僕が水に入る前に自分もタンクを背負って、水面の僕にカメラを渡して、すぐに飛び込んできて僕に並ぶ。これだけではないのだが、彼はおそらくカメラの助手をさせたら、日本で一番だろう。もちろんカメラも上手だ。中川も大西を助手に使えば一番楽だ。しかし、今はダイビングサービスのオーナーなのだから、あんまりアシスタントを頼めない。しかし、こういうアシスタントの修行こそが、インストラクターとかガイドダイバーには必須だろう。ガイドダイバーとしてもインストラクターとしても、日本一だろう、日本一はたくさんいるけれど、僕の助手をした人はみな日本一になる。
 そんな話をした。

0515 赤沢ー1

$
0
0
 GWも昔になってしまった。今の僕には、10日前はもう昔だ。4日には赤沢へ、赤沢は、2年前くらいまで、伊豆でのホームグラウンドだった。全日本潜水連盟の講習会もやったし、多目的人工魚礁の設置もした。人工魚礁の事に入ってしまうと、どこまでも脱線して行きそうだ。
 


 まず写真を撮影することの意味、目的は?
 ①記念写真
 この記念写真の撮影が、一番重要かもしれない。グラフィティの連載で、もっと記念写真があれば良いのに思い続けた。その点今は、記念写真、スチルと動画が普通に大量に撮影されている。
 ② 記録の道具として。記念撮影も記録ではあるが、科学研究も環境調査も記録としての映像が無ければ、信じてもらえない。
 ③ イメージを固定する。表現には、文章とイメージがある。
 ④ 自分の気持ちを伝える。
 ⑤ 表現したい、表現した発表したい。できればお金にしたい。
 ⑥ 仕事としての撮影

 大きく分ければ、記録の手段と感情表現である。
 記録の手段は、同時に人に見せる発表の手段でもある。一部は人に見せられないものもあるが、大部分は人に見せる、発表するために撮影が行われる。
 人それぞれ、そして、その時、その時で変わる。僕は大学の時は研究の手段、発表の手段としての写真を習った。次は、テレビのカメラマンを仕事にしていた時代もある。今も、その両方を、今ではお金を稼ぐことは直接的にはできないが、撮影を仕事としていると言って差し支えないだろう。

 これらは密接に経糸横糸で編み併せられているから、分けて考えることはできにくいが、どちらかと言えば、記録が撮影の最大の目的だろう。
 記録したものをどうするかと言えば人に見せられないものもあるだろうが、大部分は人に見せる、発表する。


 今、JAUSではウエアラブルカメラ研究サークルを作って活動しているので、目標はウエアラブルカメラであり、使うのもウエアラブルカメラである。ウエアラブルカメラは動画で撮影し、動画、あるいは静止画として使う。
 発表したり、考えたりする頭の中にあるのは、文章とイメージである。イメージの方が直截的であり、使いやすい。理解してもらいやすくもある。


 ウエアラブルカメラを使うようになってから、最大の変化、最大のアドバンテージは、視点を同時に複数持つことができることである。まだ、使いこなせてはいないが、水中撮影としては、先頭集団の中に、JAUSウエアラブルカメラ研究会は居るのだろう。居るはずだ。このことはとても大事なことなので、機会があれば、きちんと説明しておこう。
 今度のGWツアーも目的の一つはこのウエアラブルカメラ研究である。
 今回、視点は二つ持つ、マスクマウントと、2mの棒の先につけたカメラである。2mの棒は測量用のスケールで、1mに縮めることができる。
 この二つの視点で、ダイビングの様子、行動を記録して、後で再生することによって、分析、つまり考えたり反省したりすることができるし、発表もできる。発表は、ブログとフェイスブックである。そして、蓄えておくことによってさらに雑誌とか本で使うこともできる。今、使わないからと言って役に立たないわけではない。もしも、50年前からいままで、今やっているように映像を蓄えていたならば、大変な財産になる。

 全部をここに載せることはとてもできないので、一部だが、視点を二つ持つことによって、当然だが情報量は二倍になる。この程度の、仕事ではない軽いツアーであれば二つの視点で十分であるし、それ以上の視点をもっても処理に時間がかかりすぎて、意味がない。
 すべて、動画で撮っているので、45分、2回の潜水で90分×2の180分見なければならない。残念だがらそんな時間はないから、大体水中であった出来事を思い出しながら、とびとびに見て行く、これはと思ったらスチルにしておく、スチルにしておけば、180分を一覧で見渡すことができる。
 ダイビングの記録としては、これで十分だろう。毎日ダイビングをしているガイドダイバーなどは、その全部の記録をすることはできないから、要点を取り出すのが一仕事になる。どのようにすれば効率的か、工夫が必要だが、基本的には、撮る、記憶に従って必要な部分を取り出す、並べる、さらに選び出すという作業になる


   赤沢はエントリーエジキットがやりやすい。東伊豆でどこが一番やりやすいですかと聞かれれば、赤沢だと答える。ここは、昔の盟友だった椎名さんが、バリヤフリーダイビングの根拠地にしている。この頃、至る所に脱線の途がある。

    これはエキジット、実は手に持ったカメラが逆さになっていたのだが、回転させれば問題ない。

 後期高齢者は、すでにバリヤフリーに近い。今後、間違いなく高齢者の時代になる。ダイビング業界も、高齢者向けのダイビングを真剣に考えなければ、いけないのに、逆の方向に進んでいる。サイドマウントも、難しい技術としないで、僕でも簡単に出来る形を考えないといけない。僕にできないものはすべて高齢者にはダメだ。JAUSの次のテーマは高齢者のダイビングだったはずだ。80-80 僕が80歳で80m潜るプロジェクトだ。それに合わせて、「高齢者ダイビングといえばJAUS」にしよう。それを、よれよれではなくて、いかにかっこよくするかだ。
 赤沢は、砂浜が港の中にあるので、ここからの出入りにストレスがない。テキストをみると、腰のあたりまで水に入ってからフィンを履いて、出て行く、と書いてあるが、腰のあたりまで水に入ったら高齢者はフィンを履けないのだ。
こんなにやさしいエントリーポイントでも、僕はドライスーツだけら苦労する。とにかくエントリーする。
バディの編成は、僕がトップで、緑ちゃんとお父さん、イルカ倶楽部の玉田さんと鶴町さん、これも海豚倶楽部の黒沢さんと、細田さん、映美と小久保教授がアウト、清水まみさんと増井さんがインだ。石川さんが後尾でフォローする。まみさんと増井さんは勝手に写真を撮っていていいが、グループからは、離れない。透明度、明るさは、昨日の富戸よりも格段に良い。

トップと言ったって、格別のことも無い。砂地を泳いで、堤防の角を左に回ると、左手が堤防に沿ったテトラと大きな石の根、右手が砂地だ。砂地と石の根の境目を進んで、左手の磯を見上げるようにして撮影したり、魚を見たりする。僕の残圧が二分の一、100bar になったらターンする。ゆっくり戻ってきても、堤防の曲がり角あたりで、70ぐらい残っている。空気の早い細田さんと僕が70なら、残りのみんなは、90-100残っているはずだ。砂地を横切って、浅い磯根につく。それを右に曲がって日の光できれいな海藻、時々見られるイセエビ、小物などをみながら、もどる。水深は2m以下だから、空気が無くなっても水面に顔を出せば良い。そのまま50m泳げば、左手が漁港のスロープ、ここからエキジットしても良いが真っ直ぐ進めば砂地だ。午前中がこのパターンで、午後は、同じコースだが、ガイドラインが張ってある砂地を廻って、左手の磯のターンポイントに行き、磯を見ながら戻って行く。この砂地のガイドラインのロープに、ダンゴウオが付いていたり、ホウボウの幼魚がいたりする。
2mをいっぱいに伸ばして、上方の小魚を撮ろうとしている。あまり成功しなかった。

ロープには特別何も生き物はみつけられなかった。

 光で海藻がきれいだったけれど、このカメラでは光の美しさの再現は無理

 エキジットするとき、緑が僕のフィンを脱がせてくれた。成長した。



 一回目の潜水、
 潜水開始 1050
 潜水時間 45分
 潜水終了 1135
 水温 17.8度
 最大深度 10.8m
 平均深度 6.2m

 二回目の潜水
 潜水開始 1348
 潜水時間 45分
 潜水終了 1433
 水温 18.0度
 最大深度 11.4m
 平均深度 7.6m

 典型的なやさしい潜水だ。

 

0516 オリンパスTG-2

$
0
0
 カメラを買った。オリンパスTG-2,、このところダイバーに人気があって、周囲の人がずいぶん持っている。今度次の新型のTG-3が出たので、TG-2は製造中止になった。TG-2で十分に売れている、水中撮影のコンデジでは圧倒的に強い。だからモデルチェンジの必要などないのに、とは、このカメラに詳しい、福田君の意見だが、彼は同時にTG-3はその価値があるカメラだともいう。奥さんの鈴木あやの、は、マリンダイビングフェアなどで、オリンパスコーナーでのトークショーなどをやっているし、写真展を、オリンパスギャラリーでやった。その写真展に行った時が、このTG-2を見て、買おうかと思った。
 なぜ買わなかったかというと、その半年前ぐらいに、同じタイプのペンタックスWG-,Ⅱを買ったからだ。このカメラをなぜ買ったかと言えばGPSが付いているカメラが必要だったからで、たしか耐圧があ12mだったかで、別に悪くないかめらだった。

          AEE21で撮った。オリンパスとペンタックス

 ではなぜ、TG-2を買ったかと言えば、フィッシュアイのコンバーターレンズを付けることができて、これを付けると昔のニコノス20mmとほぼ同等だという事で、僕は昔、ニコノス20mmのカメラマンだったから、画角が見についていて、もしかしたら、20mmと同様に使えて、メインの役割を果たしてくれるかと思ったからである。

             ペンタックスで撮った

 一眼レフももっているが、これは中途半端で、福田君とか、が持っている戦艦大和みたいなカメラには到底及ばないし、そんな重くて高級なカメラを買うつもりもない。エントリーエキジットに苦労しているのだから、そんなものは使えない。命よりも大事にしたら、転んでけがをしてしまう。放り出しても壊れないカメラと言うのが今の僕の使うカメラの条件だ。
 で、TG-2を買うことにした。TG-3は6月の発売だし、TG-2が3万円以下だったら買おうと思ってヤフオクで29500円でかった。28000円ぐらいでも買えると思ったが、1500円差ならば、面倒だからこれにした。フィッシュアイコンバーターがアダプターもいれて11000円で合計が39000円だ。耐圧15mで福田君は20mまでは持って行ったということだから、これで良いが本気になって使うのならば、もっと深くまで行くから、ハウジング(オリンパスではプロテクターと呼ぶ)も買っても良いかと思ったが、売り切れていてない。それならばわざわざお金も出す必要はない。水没したらしっかり文句をいってやろう。

      ペンタックスで撮った


       TG-2で撮った 見分けはつかない。


 ところで、ペンタックスのWG-Ⅱはどうしよう。この頃、AEEを使っていることが多いが、AEE,も気に入っていて良いのだが、四角いカメラだから後ろポケットに入らない。これを機会にペンタックスを再び使い込んで使い倒して見ようかと言う変なきもちになっている。実は耐圧12mのペンタックスはまだ水中で使ったことが無い。使う必要もなかったのだけれど、今度試しに使って見よう。オリンパスもマクロが使えるというのだが、ペンタックスもLCDが付いた1cmまで寄れるモードがある。今度のお台場でやってみよう。
 マクロと言えば、GOPROのマクロアダプターをフィッシュアイで買った。どうも、面白がって無駄使いをしているみたいだ。お台場でテストする。


お台場と言えば、今日、6月から11月までのお台場の潜水調査許可の申請を出しに行った。
許可申請をすることにやぶさかではないのだが、三か所、そして、そのそれぞれが、10日ぐらいかかる。だから、お台場は海の秘境だ。まあ、それでいいとは思っている。みんなが、ばちゃばちゃ入ったらどうなることか。

0518  ブロニカ復活??

$
0
0
 3日、4日のGW, 僕のアシスタントでU3 と言うショップもやってもらっていた大西君のところに泊まった。もっとも、僕たち男性は、大西君のお父さんの家の二階に泊まったのだけれど。
 僕の会社、スガ・マリンメカニックで作って売っていたブロニカマリン、カメラハウジングのビジネスを止めたのは、はるか遠い昔だが、記念に作った製品を飾っていた。

今の事務所は見る影もないカオスだが、大西君が担当している時はきっちりとしたお店風になっていた。僕が持っていてもカオスだから、すべて、大西君のところに飾ってもらってもよいということになり、今は彼のところにある。


 ブロニカは、もはやカメラとしては機能しないが、レンズは生きているのだろう。大きな6x6のカメラの中に、ウエアラブルカメラを入れてしまった。これでレンズは生きているようだ。レンズの操作もできるらしい。


 しかし、未だ撮った作品をみていない。次に行くときには見せてもらえると思う。
 彼はこうゆう事には器用な人だ。絵描きでもあるので、今度の本、グラフィティの挿絵を書いてもらおうとも思っていたのだが、間に合わなくなった。

   その頃、大西と一緒に事務所に通ってきていた 「さくら」今はもう亡き犬になってしまって、今は「ふじ」というのが居るけれど、僕は、さくらの方が可愛かった。

0522  水中映像研究会

$
0
0
 5月21日 JAUS水中映像研究会の新たな発足、ウエアラブルカメラ研究会として、2012年にはじめて、2013年、昨年ですが、フォーラム、そして2月のシンポジウムに映像の発表を行い。好評を得ることができた。2月のシンポジウムの福田君の発表が、月刊ダイバーの渡井さんが聞きに来てくれていて、月刊ダイバーに「ウエアラブルカメラ大研究」を載せてもらうことができて、せっかく宣伝になったのに、水中映像になるとは。ウエアラブルカメラももちろん、研究を進めるが、やはり水中映像の中の一つの道具と位置付けて、今度のJAUSレポートにウエアラブルカメラ撮影マニュアルとして発表する、一つの形として残すことができたことを成果として、その先へ進もう。これは、僕が出した意見ではなく、みんなの意見、流れでこうなった。
そしてその発足の第一回目のミーティングが、21日、吉田君のミーティングルームを借りて、行う運びとなった。

まず、代表を決めなくてはならない。新しい出発なのだから、もはや過去の人、カッコよく言えばレジェンドの須賀が根回しなどしてはいけない。だから、何にも考えないで、いろいろ候補が上がったり辞退したり、めんどうだからジャンケンで決めたらと、僕がめちゃくちゃなことを言ったら、山本徹さんが、「僕が引き受けます」と言ってくれて、理想的な展開となった。

        山本会長

 でも本当に、スタートとしては、理想的な集まりとなった。何もわからないうちに出来上がって行くのがいい。福ちゃん(福田克之君)は、実質的にはプロだし、技術の中心になってくれるだろう。新たに会員に強制的に連行された鹿島さんも鋭いし、理事にしようとおもっていた斎藤真由美、理事よりもダンサーとして大成したいらしく、断られたが、ならば水中ダンサーとして第一人者になれ、映像カメラの長い経験がある増井さん、山本さんとどちらが会長になっても良かったのだが。そして、これまで倉田君が実質的なリーダーだったのだが、今度プライマリーコースの講師として理事になることもあり二股はかけさせたくない。マクロの世界にはまっているから、その方面でやれば良い。まだまだ、今回出て来られなかった中心的な人も10指を数えるし、この研究会が何なのかわからない人も多数いることだから、旗色をはっきりさせることによって、この旗の下に集まってきてくれるだろう。


最後になるけれど、僕が夢を託す金丸雄一監督、この人は本当のプロの監督、プロデューサーであり、つい先ごろ「100年時計」と言う映画を制作し、評判をとった。ぼくとの付き合いは、日本潜水会に顔をだし、今は無くなってしまった後藤道夫の、真鶴での1960年代のダイビングと撮影と友情の夢を、なんとV6 を主役にして、DVD クリップにしたことから始まった。今は海女さんの映画を撮ろうとしているらしく、そして、この半年、辰巳にきてスキンダイビングにこっている。これから、水中をテーマにした映像をどんどん出して行く監督だ。

    百年時計 コトデンの瓦せんべい。このところみんなに配ってくれている

他にも、水中撮影の売れっ子になっていて、なんだかどこかのセノーテに潜りに行っている中川隆もいるし、大西も居る。二人はぼくの夢に尽力しなければならない義務(義理)がある。
監督と会長に夢を託した。夢だから、もちろん実現しない可能性大だし、実現した時の形は、まるで違っているかもしれないけれど、とにかく夢を。
僕の夢は、会員のそれぞれが自分のテーマで良い映像を作ることだ。本気になってやらなくてはいけない。遊びだから本気になる。そして、本当のプロと一緒になにかをつくる経験をする。若い人がこの中からプロになって行くこともあるだろう。
とにかく、水中映像では、トップをめざす。現在でも、個々にはトップなのだから、その個々が本気になって参加してくれれば、それでもうトップなのだ。ぼくだって、つい10年前までは、20年かな?水中映像の世界では、トップを走ってきた。力尽きて金のあるNHKに抜かれたぐらいに思っている。ここから目指すのもトップであって、初心者も大きな顔をして参加が出来るグループだ。じじつ映像の初心者が大きな顔をして、つまり溶け込んで、和気藹々とやっている。それがJAUSの売りだと思う。売りにして行く。
 とりあえずは、監督に託して、「さあ、これでどうだ」という映像をつくる。もう、ロケが決まっていて、(先の短い僕は急ぐ)テーマは水中アクションとしてのフリスビーの完成だ。魅力的なスイマーが多数いる。優雅に泳ぐのも美しいけれど、ダッシュする姿も美しい。アクションとして、型を作り組み立てれば、見ものになる。そして、水中で泳ぐこと、自由に飛ぶことのトレーニングになる。水中での美しい身のこなしのトレーニングになる。
 水中映像で、いい作品を作りたい人是非おいでください。
 20年後、僕が居なくなってずいぶん後かもしれないけれど、何かになっている。はず。

TG-2 チューニング

$
0
0
 チューニングする。テレビでは選局の事だが、僕たちは道具を体に合わせることを言う。カメラもチューニングしなければ使いこなせない。今は、オリンパスTG-2をチューニングしている。なかなか難しい。フィルム時代、僕はニコノスⅤ、20mm広角レンズのカメラマンだった。つまり、チューニングが上手くできていたということだ。TG-2にワイドコンバージョンを付けると、35mm換算で19mmになると福ちゃんに聞いた。それで、このカメラを買うきもちになった。TG-3がでたのに、なぜ2だと言えば、2を買った方がやすいし、僕はこのコンバージョンで19mmになれば良いわけだから、2で良い。GoProも2を4台、3が1台だ。2の方がチューニングができているから、使いやすい。それに色も2の方が好きだ。しかしこれは、PCに入れてから調整できるはずだが、そんなソフトも持っていないし、そんな面倒なことはいちいちやってられない。
 ニコノスは、絞りにシャッタースピード、距離合わせも手動である。絞り優先のオートもあったはずだが、使った記憶がない。その頃には、人工光源としてストロボを光らせていた。ストロボを光らせると、シャッタースピードは自動的に1/90になる。だから常に1/90で撮る。絞りだけを5.6か8のどちらかを選択する。これは、と思った時にはこの両方で撮っておく。ストロボはニコン105で1/4の光量で光らせる。距離は手動で合わせるが、ニコノスのレンズはどこからどこまでピントが合うか、被写界深度が表示されるから、40cmから70cmの間、1.5mから無限大、二つのゾーンを決めて置いて、魚は40-70、ちょっと離れたら、1.5-無限大にする。このピント合わせについては、感覚的に身につくまで練習しておく。まだまだたくさんあるが、自分用にマニュアルを書いておいたので、いまでもこのように書くことができる。それでも写真は失敗の山を築く。山が大きいほど、選び出す1枚の質が向上する。35mmフィルムは36枚撮りだが、1台では失敗の山が小さい、大体の場合、一回の潜水で、2台、72枚を撮る。二台にストロボが2台ずつだから水中では、かなりの荷物になる。仕事でなければ1台で済ましたい。
 これが僕のチューニングであり、カメラマンはそれぞれ、自分のスタイルをもっているはずだ。ニコノスを使わなくなって、もはや10年以上の歳月が流れている。
 
 さて、TG-2だが、デジタルカメラはすべてオートである。被写体に向けてシャッターを押せば、自動的にすべてが解決する。しかし、自動的だから、自分の意志でコントロールすることができない。自動か手動化は、自分の意志でコントロールできるかできないかなのだ。それでもカメラマンは、人は、自分の意志で機械をコントロールしたい。自動をコントロールする。考え方によっては、自動をコントロールすることの方が難しい。
 TG-2では、カメラの背にあるダイヤルで、設定を変えるのだが、p:プログラムオートにしておけば自動的にその状況に合わせたプログラムを自動的に選定してくれる。これですべて解決ならば、チューニングの心配はない。すべてカメラ任せである。しかし、デジタルカメラには。ほぼ無数の選択肢がある。これを全部書けば、添付されているマニュアルになる。ところで、このマニュアルも不十分だから、多分、一冊の本になってしまうだろう。そんなものをここで書いている時間はない。一つだけ、SCN,これはシーンに合わせて撮影設定がプログラムされている。これをまず使いこなさなければならない。TG-2は水中撮影を一つの目標にしているから、水中スナップ、水中ワイド1、水中ワイド2、水中マクロ四つの設定がある。とりあえずこの4つの設定と、これらの設定を自動的に決めてくれるP の五つは使いこなせないといけない。使いこなすとは、例えば水中ワイド1を選択すれば、どういう風に撮れるかを把握していて、それを選択できることである。
 このチューニングは容易ではない。容易ではないから、使いながら経験的に覚えて行くほかない。先に挙げたニコノスの手動より難しい。適当にやれば、つまり全部P にしてしまえば簡単だが、やはり、すべての機能をつかいこなしたい。

 実は、これまで、この手のコンデジを何台も持っているが、その機種で全部違う。その点では手動はほとんどの機種で同じだから、一つ覚えれば、それで応用ができる。だいたいは同じだけれど、使いこなすためのSCN が全然違う。
 手動か自動かの問題は、そこにある。潜水で言えば、最近のリブリーザーは素人でも易しく使えるようにすべては自動化される傾向にある。そこで、自動化のチューニングの難しさが、命に係わる問題として出現する。タンクにレギュレーターを取り付けて、マウスピースを口に咥えて呼吸すれば良いだけの原始的スクーバをも使いこなせないのに、機種によっていちいち違う自動化リブリーザーを潜水のシーンに合わせてコントロールしなければいけない。


 誤解されるといけないので言っておくが、自動化されたリブリーザーは、時間と経験を重ねて到達した素晴らしい潜水機だが、自動化だから安全、だれでも気軽に使えるとは言えないとおもう。覚悟を決めて根性を据えて練習しなければ使えない。

 スクーバ潜水とは、マンマシンシステム、人と機械が一体化しなければ危険である。しかも、リブリーザーのトラブルは、ガスの微妙な変化だから、空気が来るか来ないかだけの単純なトラブルではない。自分で気づかないで死ねるという幸せな機械である。自動化すればするほど、チューニングを慎重にして、使いこなせなければいけない。カメラのチューニングも途中であきらめる人にとって、自動化されたリブリーザーは危険だ。なお、危険だからあきらめるという人は、高度なダイビングにはむいていない。テクニカルダイビングはあきらめた方がいい。危険だから練習を重ね、習熟するのが21世紀のダイバーである。僕は20世紀のダイバーだから、そして、70歳の時に手動のリブリーザーを練習したが、習熟に至らないうちに、資金が尽きた。節約はリブリーザーでは、直接に命にかかわってくる。炭酸ガス吸収剤についても、酸素センサーにしても節約は致命的なのだ。海辺に本拠を構えて毎日潜水できる人は別として、海に練習に行くためにはお金と時間がかかる。お金があり、習熟するまで海に行ける人がリブリーザーダイバーの条件である。僕はお金も無いし、海にもそんなに頻繁には行かれない。それに70歳は、もうケアレスミスが多くなっていた。ケアレスミスが命に係わるのがリブリーザーである。撮影のように失敗を山に重ねる和歌には行かない。一回の失敗が命取りになる可能性がある。
 中川隆は、現役のプロカメラマンだから、リブリーザーをあきらめるわけには行かない。生活とステイタスがかかっている。懸命に練習に励んでから、5年以上かかっている。いや、もしかしたら10年か、たしか、100mぐらいの撮影と、今はメキシコかどこかのセノーテ(泉)の撮影に行っている。この道のとりあえず現在の達人である田原君をアシスタントに頼んで同行している。僕と同じで、馬鹿なようでいて慎重な男なのだ。
 CPはめちゃめちゃに悪いが、ステイタスがかかっている。ステイタスが保てなければ、仕事にならないのがこの世界だ。
 
 TG-2から遥か脱線してしまった。今日は浦安でのスノーケリング教室の撮影でTG-2のチューニングを見ようと思って書き始めたのだが、それは明日にしよう。

TG-2 浦安、親と子のスノーケリング

$
0
0
 それほど遠くない昔、でも25年前?か、僕は一世を風靡したテレビとか、展示映像、動画のカメラマンであったはず。今はTG-2とか、GOPROなどと、小さいカメラで遊んでいるが、これはこれで、映像的には意義がある。。


 8パーフォレーションの35mm展示映像用のカメラを構えて、函館昆布館の展示映像を撮っている。

浦安運動公園プールが主催する親と子のスノーケリング教室である。夜の19時から2030まで、全4回のコースの第一回である。これまで、15回、年に1回だから15年か。今度の人数は25名、ほぼ満席可と思ったら、6人が欠席して、19名、それでも多い。僕と鈴木の二人では、見きれない。毎度、浦安海豚倶楽部のメンバーに助けてもらっている。今回は、黒沢さん、細田さん、荒川さんたちが来てくれた。


第一目は、まず、水平に静止して浮くことから始める。人間の頭は重いから、垂直にたてば、口は沈む。空気を吸おうとすれば、水を吸うから、溺れる。水平に浮けば溺れない。スノーケリングでも水平に身体を伸ばして浮くことが基本だ。その時になるべくフィンは動かさないようにする。フィンを動かさないと足の方から沈んでしまうので、沈まないように、ほんの少しだけ動かす。
鈴木コーチを先頭にして、海豚倶楽部の仲間達が見てくれるので、僕はTG-2 のチューニング撮影をしながら、子供達を見る。


スノーケルからの呼吸のしかた。水が入ってきたときの吹出しかた等は、先ずはおしえない。水平に静止して10分ぐらい浮いていなさいと教える。10分どころではない。10秒も浮いていられない子もいる。身体を支えて水平に浮かしてやる。その一方で、ほぼ理想的に浮ける女の子がいる。10年も付き合えば、今の緑ちゃんよりも上手になり、すごいフリーダイバーになるだろうな、等と思うが僕には10年という時間が残されていない。

もう一人、きれいに泳いでいる子がいたので撮る。あとで見るとピントがあまい。フエイスブックにのせて、甘いといったら。今をときめくイルカと白いビキニでおよぐ、オリンパスの回し者である鈴木あやのが、水中ワイド2で撮れば50cmから向こうまで、バーンとピントが合うとおしえてくれた。要するに被写界深度を深くする設定なのだ。絞り込むからシャッタースピードが若干遅くなり、シャッターぶれの可能性もある。そういうふうに説明書に書けばわかるのに、ワイド2の時は50cmにピントが固定されるとしか書いていない。あやのさんが説明を書いた方がいい。彼女は、ものを書く方でも売れている。JAUSの会員だ。
 そして、ワイド1 とかスナップはボタンを押して、やはり固定することができる。ワイドコンバージョンを付ければピントは固定すれば、それこそ、ニコノスのように使える。しかし、めんどうくさい。ワイド2で、固定焦点にした方がいいかもしれない。

いつもイルカと泳いでいる斎藤真由美はワイド2は、イルカモードと言うと教えてくれた。知らないのはチューニング中の僕だけか。確かに水中ワイド2はイルカの写真が出てくる。しかし、字が出てくる説明ではイルカを撮るとはかいていない。イルカはほんの一握りの人達だけだから、水中の風景を撮るのにてきしています。なんて説明が出てくる。ワイド1の方は水中の景観をとるのに良いそうだ。景観と風景の違いはなんだ。


0526 TG=2

$
0
0
5月24日、お台場潜水の日
朝起きての慢性的な筋肉疲労は、高齢のために筋肉が霜降り状態になったからか?しかし、トレーニングをやめたら、潜水から撤収しなければならなくなるので、疲労は関係ない。
今日は人数が多い。中村武弘君、お父さんは帆船の写真で有名な中村庸夫さんだ。もちろん、中村武弘君もカメラマンであり、立ち居振る舞いから見て、いいカメラマンだとわかる。「お父さんは、元気ですか?」「元気です」「それは良かった。よろしく伝えてください。」なんて社交辞令を言ったが、考えてみると同じ中村でも征夫さんとは親しいが、庸夫さんとは、海の世界の編集部でばったりあって意気投合して30分ぐらい話しただけ。海の世界といってももう知らない人が大多数名くらい、昔の雑誌だ。だから、一度だけあったのは40年ぐらい前だろう。武弘君が生まれていない前だろう。でも、遠い記憶の中にある風貌がちょっとにている。
お台場のど真ん中に、ドーンとクレーン台船が浮いている。管理事務所に挨拶にいった時に聞くと、ドラゴンボートレースだという。そういえばドラゴンボートの季節だ。それにしても、昔はこんな台船を浮かべていたりはしなかった。それに警戒船が3隻も走り回っている。ドラゴンボートは、走るコースが決まっているから怖くないが、警戒船は怖い。前に何か泳ぐ大会の時には、警戒に当たっていたジエットボートが接近して来て危なかった。何を警戒するんだ。ばかみたい。といっても仕方がないので、こっちはゴムボーとで、警戒船を警戒する。

僕の今日の目標は、TG-2のチューニング、フィッシュアイのGPRO のマクロレンズのテストである。
水温は20度、そろそろウエットでもいいのだが、ウエットがちじんで、苦しいだろう。身体をいじめてトレーニングするのだから、ドライスーツで通している。7月の豊潮丸はウエットにして、それまでドライにしておけば、ウエットの動きがよくなるだろう。それにしても、今度の辰巳で誰かに採寸してもらおう。
そして、今日の僕の忘れ物は、レッグウエイトだ。まあ、なくても沈むだろう。

10時37分潜水開始、水温は21度、11時5分潜水終了
透明度が悪いことは、この時期、当然のことなのだが、浅いところ、水深2m以浅、岩があって魚が見られるところは、ダイコンの表示が読めないくらいだ。カメラを二つ持って、水深1.5mで姿勢が保持できない。年々、衰えて行くバランス感覚、去年まではこんなことは無かった?足が浮いてしまう。立ち上がって足の空気を腕から抜こう。立ち上がろうとするが立ち上がれない。上半身が起きないのだ。レッグウエイトを着けていない。僕は手袋をしていないので、手を着いて立ち上がることができない。しばらく転げて、何とか立ち上がり、腕のバルブから水が入ってくるほど、空気を抜いた。それでも安定しないのであきらめて、少し深く降る。水深3.8mというダイコンの読みが見えるくらいには透視度が良くなっているが、上が濁っているから、ライトが無いと暗い。水深3mになると体も安定して水平姿勢がとれる。



 清水まみ は、この浅いところで、サブに持って行ったTG-2を失くした。大きなプロ用の一眼レフ、二つのストロボをカニの鋏のように両側に着けている、タカアシガニ(と本人がいっている)では、この透明度では何も見えないので、サブのTG2を取り出して、撮影した。何かに、多分タカアシガニに気をとられたのだろう。TG-2を底に置いた。もうどこにあるかわからない。
 彼女はいったん、タカアシガニを上に置き、潜りなおして、30分でTG-2発見、足を着いたら見えなくなるところで、水平姿勢で捜索した。すごい技術の向上になったとおもう。どんどん、転げ落ちる僕の技術を完全に抜き去った。
 しかし、お昼の時、まみがいない。タカアシガニはベースに置いてある。だから、上にいるはずだ。この前、初級者だなんていうな、真剣に写真を撮れ、などと、要らないことを言ったので、機嫌が悪くなったのかと心配した。探しに行くときには誰かに告げて行くように。しかし、三ツ橋がゴムボートで見張っていたから、彼女は知っていたのかもしれない。

 僕は、水深3mで、左手にGoProのポールカメラ、右手にTG-2を持って海底のヘドロの上一面にいるマハゼの稚魚を撮影した。ポールカメラは2mと長いので、置いてもなくす心配はないが、それでも左手で持つ。右手だけで、TG-2を保持すると、右手の親指が操作部分に当たってしまって、ボタンをおしてしまう。シャッターがセルフタイマーに代わって、落ちなかったり、ビデオが廻ったり、SUN が変わって、猫の画が出ていたりする。それを元にもどすのは、この状況では、大変な手間だ。ヘドロの上空20cm、水平姿勢を維持して、右手だけで操作する状況は、オリンパスの設計デザイナーには想定外だろう。そして、ワイドコンバージョンの取り外しは、簡単に落ちる。やはり、清水君が、お台場でワイコンを落としたと言っていた。落し物は(清水サルベージへ、だけど、見つかったのか?
 いろんなボタンを無差別に押したためか、水面に上がってから、フリーズした。同じ経験があるという米沢君と二人で、電池を抜いてみたり、いろいろ、弄り回していたらなぜか復活した。しかし、このフリーズが水中で起こるならば、このカメラはメインとしては使えない。
 

 TG-2で撮影した マハゼの稚魚

 この透視度ではチューニングも何もない。カスタムに設定すれば、親指で押しても、設定は変わらないのか、説明書では不明、

 二本目の潜水は、GOPROのマクロレンズのてすと。このレンズはフィッシュアイの製品だ。
 棒の先にはつけないで、フリーズしているTG-2の代わりにライトステイにつけた。このステイも、一灯ではなくて、両側に着ければいいのだが、横着した。結果は、2灯つければよいことが歴然だ。撮影距離は、5cm-10cmだ。


 マハゼの稚魚が、まずます、シャープに撮れたので、使えると思う。バーンドアになっているので、使い分けが容易で良いと思う。しかし、カメラへの取り付けをフィルターキットを買わないとできない。ワイコンだけの取り付け金具を作って付属させないと、なんとなく騙された気持ちになる。


 そして、その不要に買ったフィルターだけれど、何のために使うのか、不明。僕はフィルターワークが苦手なので、わからないのかもしれないが、少なくとも、本州沿岸の海の中で使うことはなさそう。透明度の良い海で、強烈なライトを使うときならば、使えるのかもしれない。邪魔になるので取り外そうかどうか思案中。取り外せば、二度と着けることは無いだろうから、捨てることになる。

0527 TG-2 親と子のスノーケリングー2

$
0
0
tg-2 親と子のスノーケリングー2
スノーケリング講習2回目、手を繋いで、ゆっくり周回で泳ぐ。およそ20分。一回目に参加せずに2回目から来る人もいる。その中で、男の子二人ずれのお父さん、かなりダイビングをやっているような感じだ。こういう人もいる代わりに、マスクが顔に合わずに苦労している小さい男の子とお母さんもいる。どちらかと言えば、出来ない子ばかりの方がやりやすい。出来る子でも去年も来て、今年も来てくれた、女の子とお父さんは、親近感がもてる。去年も来てくれていた長女?は、姿勢が水平に伸びていて、フィンキックも良い。緑ちゃんよりも姿勢は良い。でも、緑ちゃんとの10年の付き合いは、もうできない。僕に残された時間はあと2年、長くて5年か。
 2年前もそんなことを言っていたからどうなるかわからないが、とにかく締切間近であることは間違いない。

      オリンパス Pモード

       GoPro、動画からの静止画


 さて、TG-2だが、鈴木あやのさんのアドバイスもあり、SCN の水中ワイド2を試すつもりだ。このモードは、50cmから向こうまでピントが合うという。
 ラウンド(周回)は、撮影がしやすいのでこのモードで撮った。オリンパスブルーなどとよく言われるが、あまりにも青だ。カメラのモニターでは、青がきつすぎて使い物にならない感じだ。

    オリンパス水中ワイドⅡ

 戻ってきて、PC に取り入れて見ると、撮影距離1mぐらいならば、青はそれほど目立たず、派手な発色になる。自然ではない。
  

     オリンパス水中ワイドⅡ

スノーケリング講習2回目、手を繋いで、ゆっくり周回で泳ぐ。およそ20分。一回目に参加せずに2回目から来る人もいる。その中で、男の子二人ずれのお父さん、かなりダイビングをやっているような感じだ。こういう人もいる代わりに、マスクが顔に合わずに苦労している小さい男の子とお母さんもいる。どちらかと言えば、出来ない子ばかりの方がやりやすい。出来る子でも去年も来て、今年も来てくれた、女の子とお父さんは、親近感がもてる。去年も来てくれていた長女?は、姿勢が水平に伸びていて、フィンキックも良い。緑ちゃんよりも姿勢は良い。でも、緑ちゃんとの10年の付き合いは、もうできない。僕に残された時間はあと2年、長くて5年か。
 2年前もそんなことを言っていたからどうなるかわからないが、とにかく締切間近であることは間違いない。

 さて、TG-2だが、鈴木あやのさんのアドバイスもあり、SCN の水中ワイド2を試すつもりだ。このモードは、50cmから向こうまでピントが合うという。
 ラウンド(周回)は、撮影がしやすいのでこのモードで撮った。オリンパスブルーなどとよく言われるが、あまりにも青だ。カメラのモニターでは、青がきつすぎて使い物にならない感じだ。

P プログラムモードにもどして、撮ってみる。

戻ってきて、PC に取り入れて見ると、撮影距離1mぐらいならば、青はそれほど目立たず、派手な発色になる。自然ではない。
鈴木あやのさんによれば、浅いところでは、水中で失われる赤を自然光で撮るために強調加算しているので、深く潜ればきれいなブルーになるという。深くと言ってもこのカメラは15mまでだが、浅いサンゴ礁で撮る時に、この設定が良いのかもしれない。
しかし、プールの撮影では、このモードは使いにくい。

結局のところ、プールの撮影はホワイトバランスをとって、絞り優先の8ぐらいに絞って、被写界深度を深くするのがベストなのだろうか。絞り優先でもホワイトバランスはキープするみたいだ。カスタムは絞り優先ではなくて、ホワイトバランスがキープされるということか。次回は、その差をテストしよう。それにしても、説明書にはカスタムについての説明が不足。
夜の浦安は、人間の眼では明るく見えるが、正確に明るさに反応するカメラで見れば、かなりくらい。絞り優先では、シャッターが遅くなるので、ぶれるだろう。

マスククリアーの初歩、鼻から息を吐き出す練習、そして、普通の速度で泳ぐ練習、フリスビーもやった。フリスビーは子供が喜ぶので、買ったものだったが、今は辰巳でやっている。フリスビーはブレブレで、捨ててしまったので、ここに載せられない。捨てなければよかった。
いずれにせよ、フリスビーは、次回の課題だ。

鈴木あやのさんによれば、浅いところでは、水中で失われる赤を自然光で撮るために強調加算しているので、深く潜ればきれいなブルーになるという。深くと言ってもこのカメラは15mまでだが、浅いサンゴ礁で撮る時に、この設定が良いのかもしれない。
しかし、プールの撮影では、このモードは使いにくい。

結局のところ、プールの撮影はホワイトバランスをとって、絞り優先の8ぐらいに絞って、被写界深度を深くするのがベストなのだろうか。絞り優先でもホワイトバランスはキープするみたいだ。カスタムは絞り優先ではなくて、ホワイトバランスがキープされるということか。次回は、その差をテストしよう。それにしても、説明書にはカスタムについての説明が不足。
夜の浦安は、人間の眼では明るく見えるが、正確に明るさに反応するカメラで見れば、かなりくらい。絞り優先では、シャッターが遅くなるので、ぶれるだろう。

マスククリアーの初歩、鼻から息を吐き出す練習、そして、普通の速度で泳ぐ練習、フリスビーもやった。フリスビーは子供が喜ぶので、買ったものだったが、今は辰巳でやっている。フリスビーはブレブレで、捨ててしまったので、ここに載せられない。捨てなければよかった。
いずれにせよ、フリスビーは、次回の課題だ。

0529 TG-2 辰巳

$
0
0
 0528  辰巳 21-22

 昨年秋以来、ドライスーツですごしている。ウエットスーツの季節がとっくに来ている。 
 袖を通して見た。なんとか着られたが、少し太り、少しスーツがちじんだので、きつい。消耗した。やはりつくりなおさなければ、だめか。最悪は、レンタルのワンピースに、フードジャケットを着れば何とかなるけれど。このところ物入りだから、それで我慢するか?

 TG-2 ホワイトバランスをとって、カスタム設定で撮ろうとしたが、水面に浮きながらだと、うまく行かない。どうなったのかわからない。やっているうちに、別にカスタムにしなくても、手動でホワイトバランスをとって、再設定しなければ、そのホワイトバランスはキープされているということに気付いた。
 これでこの問題は落着した。として、TG-2は、撮影していて、親指が操作ボタンにかかってしまった、16:9で撮ったつもりが4:3になったり、セルフタイマーがオンになって、シャッターが落ちなくなったりする。シリコーンカバーを買わなければいけない?


    設定が変わってしまったのかボケた。

 GoProは、石川さんが今度作ってくれら、鉛弾つきのベースがとてもいい。手放しで投げても、正立した状態で着底する。

 画質的には、オリンパスもGoProもそうかわらない。GoProの方がボケることが無い。シャープネスでは、GoProの方が良いかもしれない。
 しかし、GoProは絵の色合いとか、を変えることができない。


どのように使い分けて行くかだが、プールの撮影では、GoProは置いて使い、TG-2は手持ちで撮れば良いだろう。海ではGoProはマスクマウント、TG-2は、手持ち、二つ持っても小さくて軽いからストレスにはならない。
 次の海では、ライトを2灯付けたベースでのテストをする予定。6月22日の人工魚礁でやってみよう。

0531 坂の上の雲

$
0
0
 「連合艦隊解散の辞」明治の文章だ。
先日、追浜のJAMSTECの一般公開の後、海軍カレーを食べに、戦艦三笠公園に行った。三笠でパンフレットを手にしたら、連合艦隊解散の辞の全文が載っていたので、早速買った。以前から、全文が欲しかったのだ。ここに抜粋する。


「過去一年有半、彼の風涛と戦い、寒暑に抗し、頑敵と対して生死の間に出入せしこと、固より容易の業ならざりしも、観ずれば是れ亦長期の一大演習にして、之に参加し幾多啓発するを得たる武人の幸福比するに物なし。」
「神明は、ただ平素の鍛錬につとめ、戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足して、治平に安んずる者より、直ちにこれを奪う。古人曰く、勝って兜の緒をしめよと」
秋山真之が書いたともいわれ、時のアメリカ大統領、セオドアルーズベルトがこれに感動して、英訳して、アメリカ海軍軍人に配布したと言われている。

「坂の上の雲」の最終章に部分的に引用されている。この文章の向こうに明治の人は、坂の上の雲を見たのだと、小説家は書いている。歴史は小説であり、日本人の琴線に触れる小説だとおもう。

「個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということが できる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制化において はこれを超える価値をほかに見出すことはできない。」

「コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原子力発電所の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとして も、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻 すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 福井地方裁判所民事部第2部
  裁判長裁判官 樋口英明
   裁判官 石田明彦      
   裁判官 三宅由子
 」
 平成の裁判官が書いた文章である。
 連合艦隊解散の辞、に匹敵する。
 僕たちはこの文章の向こう側に何を見ているのだろうか。

 原発は再稼働し、うまくすれば、次の大地震に耐えるかもしれない。最悪は、その地域が壊滅するかもしれない。もっと最悪は、人間と言う種が現状を保つことができなくなる。安全管理とか危機管理は、常に最悪の事態を想定してかからなくてはならない。個人にしろ、組織にしろ、国家にしても。
 原子力発電は、人の生きている時間では解決の出来ない最悪の事態を産み出すことを、僕たちは知った。自分としては、2011年以来、福島原発地先の海、沖の根に潜り、調べたいと出来るだけの努力を注いできた。望みはかなっていないけれど、かなったところで解決はできない。知ることができるだけなのだ。
 
 「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富」は挽歌になってしまった。日本人はこれをとりもどせるのだろうか。 

さっそくのように、週刊誌、マスコミは、これを書いた裁判所、裁判官パッシングを始めた。僕たち国民は、冷ややかな目でそれを見るだけ、どうやっても、どの視点から見ても、この話題は厭世的になってしまう。だから、坂の上に何を見ることもできない。せめて、自分の周囲、周辺のことに努力を注ぎ、命のある間を生きなければならない。

自分の周囲、ダイビングの世界での挽歌、僕の目指してきたのは「シンプルで誰にでも楽しめる冒険スポーツ」だった。誰かが言っていた「致死性の高い商品スポーツ」

0601 スキンダイビング フォルム

$
0
0
0601
6月になった。日曜日でいい天気、海に出ている人はきっといいダイビングができているだろう。僕はといえば、辰巳国際水泳場、抽選会、ジャンケンの日だ。僕はとにかくいいバランスで五回、五日は確保しなければならない。実はかなりのプレッシャーになっているのだ。
19時から21時に枠は7つしかなかった。希望者は12、5つはあぶれることになる。それをジャンケンで決める。このごろは、担当の中村さんと全員のジャンケンをまずやって、勝った人どうしがジャンケンで決める。いつもは、一回のジャンケンで順位をきめていたのだが、今回はなぜか、一回一回をジャンケンで決める。勝った人はひとつの権利を得て、抜けてゆく。残った者が、このプロセスを繰り返してゆく。何回かジャンケンを楽しめる?ストレスの高い方法だ。僕は、かろじて7番目に残ることができた。ラストなので、良い日はふさがっていて、9月30日、月末最後の日だ。21ー22時の枠は、19ー21時をとった人が優先権があるが、遠慮すれば、それを取ることができる。この優先権方式には、疑問があるが、まだ、異を唱えるほどのことではない。僕は二つの枠をとって、そのほかに15時から17時の枠を一つ、サブプールを土曜日にとってこれで五つ。毎度こんなことの繰り返しだ。
結果はホームページに出している。 http://homepage2.nifty.com/j-suga/index.htm

なんとなく肩の荷をおろして、帰りは帰途途中にあるヤマザキ電気に立ち寄る。午前中のためもあって、ガラガラだ。これだけの売場面積、維持して行けないのではと心配になる。ほとんどすべての商品はアマゾンの方が安いし、価格コムで調べる値段の方がやすい。

さらに、なんとなく解放感があり、コーヒーを飲みながら、タブレットを打とうと、イトーヨーカドーに立ち寄り、スタバは満員なので、モンタボーのパン屋に入った。アップルパイとコーヒーで510円、残念ながら、満足しなかった。雰囲気は好きだけれど、アップルパイが100円のものと大差がない。

グラフィテイの校正に入っている。ページの肩に入れている写真が気に入らなかったので、なしにするか、それとも差し替えてくださいと申し出て差し替えてもらえることになった。ページ全部を同じ写真というのも飽きるので5ー6枚を用意した。すべてスキンダイビングの型、フォルムにしよう。僕のダイビング技術の基本は60年前も、そして今もスキンダイビングである。国際水泳場のジャンケンもスキンダイビングのためだ。
これは、提案なので、どのように決まるかわからないのだが、選んだ画を紹介しよう。

まず、1970年代、実はこの写真は1970ねんだいの撮影ではない。潮美が大学2年か3年だから1980年代にはいっている。しかし、スタイルとしては、1960年以来、1990年代にドルフィンスイムが始まるまでは、こんなもので変わっていないから、これで良いだろう。
これは、ケラマの座間味だ。そのころ、水深20mまで潜り込んでくることを練習させていて、18mぐらいまでは降りてきて、あと2mが到達できなかったころの撮影だと思う。




これも1980年代としているけれど、実際は1990年代だ。そのころU-3(ユースリー)というちょっとしたダイビングショップをやっていて、そのインストラクター、兼事務員、兼アシスタントの塩脇アツ子がモデル。彼女も素晴らしいダイバーだった。これは、伊江島での撮影である。

時代は飛んで、2000年代に入ると、浦安海豚倶楽部もはじめるし、国際水泳場での練習会も始まる。これは、僕で、この画を作っているときは、かっこいいとおもっていたのだが、こうして見ると不格好だ。使ってほしくないからやめようかとも思うが、自分の写真も必要かと思ってだした。
伊江島の写真まではフィルムだが、2000年以降は、デジタルだ。そして、ほとんどが動画で撮って、静止画を取り出す方法である。2012年以降主に使っているGoProでは、最初からスチルを撮るよりも、動画からスチルを切り出したほうがシャープでありきれいだ。

これらの絵は、動画からスチルをとりだし、さらにトリミングして補正をかけている。


 この方法で、展覧会に出展できるような作品を作ることは困難だろうけれど、、雑誌の表紙ぐらいまでならば、何とか使える。ブログもそして、著作も特に大きく使うのでなければ大丈夫だ。
 一枚一枚シャッターを精魂込めて押していた時代に比べて、なんとなくインチキくさいが、フィルムの時代でも僕の撮り方は、ニコノスⅤに20mmレンズを着けて、それを2台持ち込んで、72枚をあっという間にとる、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるスタイルだった。そして今、プロのスチルカメラマンももちろんデジタルであり、秒に何枚という連写で撮るのが普通になってきている。
 カメラの進化は動画もスチルも区別をなくしつつあるから、そのうちには、プロのカメラマンも、すべて動画で撮るようになるだろう。
 やがて、写真展へ出すプリントもこの方法で撮るようになるに違いない。
 フィルムの時代、大伸ばしする作品は大判サイズでとらなければならないと言って撮っていたが、すべて35mmサイズになった。今はデジタルも大判サイズも使われるようになったが、とりあえず、その辺は僕には縁がない。
Viewing all 1388 articles
Browse latest View live