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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0317 どるふぃん 

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 ようやく、風邪はひどくならないで済んだようだ。昨夜は、石川さん宅で、あんこう鍋パーティがあり、15時から、18時で終了と思ったら、その頃から来る人がぼつぼつとあり21時に最後のご挨拶をしたのだが、みなさんが帰ってから、僕の80歳、80m潜水の実現についての討論会状態になり、23時過ぎまで続いた。

    アンキモとフォアグラを食べ比べる、小俣氏

 この頃自己責任の事を続けて書いている。

 スクーバダイビングの本質について、ダイビングを習い始めたころの読んだもので記憶にのこっているものがある。どこかに写しとっていたのだが、と探して、ホームページから探し出すことができた。ブログは書きすぎているので、探すのが不可能になっている。ホームページ時代に書いたものが役に立つことが多くなっている。

どるふぃん 3~1・2 1959 DEC.
 1950年代から1960年代にかけて、日本潜水科学協会が、僕たちの所属するダイビング組織だった。日本水中科学協会ではなくて、潜水科学協会だ。紛らわしいけれど、紛らわしさをねらったところもある。途中で水が涸れてしまった河、潜水科学協会の伝統を引き継ごうとして、日本水中科学協会と名乗っているのだ、ともいえる。
その1959年の1・2 に僕の師匠である猪野峻先生と菅原久一師匠が書いたもの、

スキューバ・ダイビング入門は、二回目で(Ⅱ)である。
 当時も参考にしたのだが、その後、ずいぶん後になって、僕がいろいろダイビングについて書くときに、何度か引用させてもらった。

「 スクーバの長所は
① 水上からの拘束を受けず、水中行動が全く自由自在であること。
② 軽快に機動し、迅速に軽作業が可能であること。
③ 潜水動作を簡単に習得できること
 一方短所を見ると
① 潜水時間に絶対的制限を受けること。
② 通話が出来ないこと。(連絡がとれないこと)
 と言う致命的弱点がある。
  長所である奔放な運動性は、一転すれば、生命の安全保障はダイバー自身以外には無いと言うことであり、自由の代償として、self-control (高度の熟練と技術が必要)の重責を負わなければならぬことになる。簡単に習得できることと、一連の弱点をカバーし得る能力とは矛盾し、そこに見逃せない問題が伏在する。」

 これが、僕のスクーバダイバーとしての出発点だったし、その本質は今も変わらない。生命の安全保障はダイバー自身以外には無い、つまり自己責任である。1959年、50年前に、僕がダイビングを始める時点で、スクーバダイビングの危険性と自己責任性は、すでに公知されていたのだ。
  スクーバダイビングそのものが、本質的に危険である。その上に、あえて危険を冒して水中を探るのだから、どうしたら、自分が死なないで済むか、どうしたら、仲間を死なせないで済むか、いつも真剣に考え続けて来た。表現を変えれば安全を追求してきたということだろうが、安全を追及すると言うと、到達地点に 安全があるように感じられるが、安全などないから、どうしたら死なないで済むかを考え続けて来た。」 

 自己責任を否定することは、無責任という事になる。
 ただ、事故が起こってしまった時、自己責任を表に押し立てて逃げることはできない。具体的にいうと、例えばバディが離れてしまった場合である。その時の状況にもよるが、これは管理を行う側、リーダーの責任が大きい。勝手にどこかに行ってしまったとしても、行かせてしまったリーダーの責任である。しかし、それも根底に自己責任の自覚がないことから起こったことであり、無事であれば厳しく責任を追及しておかなくてはいけない。

 驚いたことがひとつある。ドルフィンの原本を取り出して、もう一度見て見れば、器材が変わっているから、器材については別として、事故の発生のメカニズム説明などは、現在でもそのまま通用するということだ。スクーバの本質はかわっていないから、とうぜんともいえるのだが。
 
 そして、これは、FB で議論した自己責任についての自分なりのまとめであるが。
「僕の書いたことに寺山さん、唐沢さんがコメントしてくれたので、僕の現時点での考えをまとめました。長文になりましたので、別にします。唐沢さん、寺山さん、ありがとうございます。
 中田さんの本、よくよむのですが、ひとつのことを(ここではスクーバですが)、まったく正反対の視点から見たら、こうなるという意味で、もういちど熟読しています。資料として、そして、自分の考え方を確認するために、価値がある本だとは認めています。
 そもそも、スクーバとは、自己責任以外では成立しない潜水具です。そしてまた、この本では、インストラクター、ないしはガイドダイバーが不死身の人という設定です。多分、裁判所も不死と想定しているのでしょうが、インストラクターもガイドダイバーも次第に高齢化します。一方で成熟した判断力が必要な業務でもあります。バディシステムでは、ゲストがインストラクターを救助しなければならない局面も想定できます。その意味でも、このスポーツは自己責任否定では成立しないのです。スクーバはチームプレー(バディもチームです)だと、僕は位置づけていますが、チームは自己責任を基調として組み立てられます。これは議論する必要もないほど明確なことです。だから、議論ではないのですが、もう一度、初心者も含めて、スクーバを着けて水に入ったら、自己責任であるということを、確認しておく必要があります。
もう一つこの著者は、遺族の事、遺族が訴え出た訴訟の事だけをとりあげていますが、それが、すなわち法的な責任ですからそれで良いのですが、そもそも、自己責任を認めないでスクーバを始めたら、その人の命が危ない。だから、自己責任を強調するのであり、訴訟など勝っても負けてもどうでもよいことなのです。法的責任では、命はもどりません。ガイドの側は、保険をかけて置いて、その結果を見て、受け入れる以外に途はないのです。極論すればそれは法律家の世界であり、現場のダイバーの世界のできごとではないのです。  
しかし、それでは無責任というもの、それに至るプロセスを考えた時、自己責任を基調にして安全のための議論を展開しなければ、安全を目指すことはできません。自己責任はいくら強調しても、強調しすぎることは無いと思うのです。自己責任を唱えることが、安全管理を行う者の、責任逃れだとする考え方は事故をおこします。
自己責任ではなくて、無責任で水中で行動するゲストの安全管理は、僕が提案していた送気式とスクーバのハイブリッドであるケーブルダイビングシステム以外にはないと思っています。これでも、パーフェクトではありませんが、少なくとも全訴訟で負けないシステムです。
しかし、このシステムはスクーバではないのでした。

0319 冒険について

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 「80:80 ダイビング」80歳で80m潜るということをかなり前から考えている。
 僕は1935年に生まれたから、2014年で79年目になる。来年の1月25日で80年になるから、来年のうちに80m潜る。なんでそんなことをするのだ。purpose:目的であるが、1962年、27歳の時に館山沖で100m潜水を試みて、90mまで行った。あとの10mは、意識を半ば失っていたので、もしかしたら100mまで行ったかもしれない、93mだったかもしれない。良くわからなかったが、とにかく90mまではしっかりと行って、「命綱を降ろせ」というテレビ番組を作っている。

そして、それから33年後、1996年、60歳を記念して、103mに潜っている。この時はもう100m潜ることは、プロの大深度システム潜水では、別に新記録ではなかった。ヘリウムー酸素混合ガス潜水で、大掛かりな潜水ではあったが、生命の危険はまったくなくて潜った。そして、こんど1015年に80m潜りたい。実際は100mまで行くつもりだが、80歳ということで80mとしている。
 ところで、なぜ、100mに潜りたいのか、潜る意味があるのか?
 意味など全くない。ただ、人間は、ダイバーという人間の中には、かなりの率で、趣味で(レクリエーション)で潜ろうが、仕事で(プロダイバー)潜ろうが、深く潜りたい人種が居るのだ。それもかなりの人数が居る。それが、今度の80m潜水のなぜ?についてのポイントである。それぞれ、深く潜りたいダイバーは、深く潜りたいのだが、深く潜る意味がなかなか見いだせない。最近のテクニカルダイバーの中には、もう100mに15回以上もぐったとか、初心者のうちなのに、100m潜ったとかいう人がかなりいる。それは、それでよいが、それぞれ、何の意味も無く、それも人知れずに自分だけの記録として、100m潜ったと言っている。
 ところで、僕が今度80歳で80m潜るというと、そのサポートとして、一緒に潜ってやろうという人がかなりいる。後期高齢者の須賀が潜るのを助けて潜ろうという意味、タイトルが発生する。その日に向けて準備する、トレーニングするという意味も出てくる。また、万全に近い安全配慮のもとで潜水できるというメリットもある。それぞれ、80mもぐったとしても、それは日常で80m潜るのではなくて、記念的にみんなで安全を追求しつつ潜るのが目標である。
 前回、1996年の100mも50名以上のダイバーがサポートとして参加してくれた。しかし、一緒に潜ったのはすでにシステム潜水で数千時間の飽和潜水の実績を持つ田島雅彦(残念なことに故人)だけで、後は見送りだった。今回は、少なくとも10数名のダイバーが、いろいろな形で同行するだろう。とても、一回の潜水では終わらないだろうから、どうしよう?という潜水になる。
 1962年、決死、失神の90m、1996年のプロのシステム潜水の技術を応用した楽々の103m、そして、2015年のみんなで潜る80-100mと並べて見ると、この潜水の目的、「なぜ」が見えてくる。それは、自分、須賀も含めてのダイバーの夢なのだ。そんな夢などバカバカしいという人も多数いて、その人たちは健全だと思う。しかし、稚気(馬鹿)ということも人生に欠かせない要素なのだ。冒険ともいう。
 冒険とは何なのだ。馬鹿(稚気)だけではない。とても簡単には書き表せない、かなり哲学的な意味もあるが、端的に言ってしまえば夢の実現、それもかなり難しそうに見える夢、自分の生きる力をそこからくみ取ることができる夢、の事だ、と今の僕は思っている。人の生きる目的の一つでもあり、ほとんどすべてのダイビングは、多かれ少なかれ、この冒険の要素を内包している。
 この頃、中田誠さんの「商品スポーツの法的責任」を読んでいて、そこでは、スクーバのことを「致死性を内包するスポーツ」としているが、これではどこにも夢もないし、くみ上げてくる生きるための力も見つけられない。冒険を内包するスポーツとほとんど同じ意味なのではないかと思う。言いたい人には言わせておけば良いのだが、消費者連盟などという言葉が出てくるとさらに夢も消える。
 昔、冒険という言葉を否定していた時代がある。スクーバとは冒険ではなくて探検なのだ。お隣さんの言葉だが、少し違う。僕の座右の銘は、「探検とは知的情熱の肉体的表現である」Exploration is the physical expression of the Intellectual Passion . 1910-13年、スコットの悲劇的な南極探検について書かれた、チェリー・ガラードの名著の中の言葉である。以来、どれほどの数の若者がこの言葉に魅せられて、探検を志したことであろうか。そして、スクーバダイビングによる海底調査は探検そのものだと思い、僕は水中調査を自分の仕事とした。探検と冒険の違いは、目的性の有無だと思う。だから、レクリエーショナルダイビングは冒険そのものだと思うし、今度の80:80も冒険だ。そして、探検は冒険という言葉に包括され、とくに目的性の強いものが探検なのだとおもうようになった。人工魚礁調査は探検の一つである。
 そして、冒険はもしかして致死性を内包するのかもしれないが、決して致死性の追求ではない。人が生きる原動力になる夢の追求である。もちろん、死んでしまえば何にもならないから、安全も同時に追求する。致死性だから、体験ダイビングと同等に、時として命がけになることもあるが、体験ダイビングと同様に、安全性も確保されなくてはならない。僕の残したいものは、冒険であるスクーバダイビングであり、スクーバダイビングによって行う探検である。安全は大事だが、目的は安全ではなくて冒険である。
 なお、ここに書き記した言葉の定義は、必ずしも普遍的なものではなくて、僕個人の定義に近いかもしれない。
 ※世界最悪の旅 チェリー・ガラード著 加納一郎訳 朝日文庫1993年

0320 80・80-計画ー1

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  80m潜ること、18日の水中科学協会の理事会で議題として、発表した。出来るのだろうか。技術的には、あんまり問題は無いように思っている。テクニカルダイビングでは、講習会で潜るような深さだ。それにしても、80mである。そして、プロジェクトとして行うことの難しさがある。27歳 1964年の時も、ただ黙ってどこかの海に行き、80mとか潜ることは難しいことではなかった。それをその頃のテレビ番組で「命綱を降ろせ」にまとめることが難しかった。1996年の時にはもった難しかった。2015年は、もっと困難だろうとも予想できる。27歳、60歳、80歳 気力は衰え、体力も衰える。
しかし、やると決めた。

 19日、プレゼンテーションのための企画書の①[バージョン1]を書いた。実現までに何度書き直すことだろうか。問題は山積みだが、やはり、健康と、トレーニングの続行が一番重要だ。次に資金の問題、4月には準備委員会を開かなければならないのだが、準備委員会の前に準備委員会の前の段階がある。

 苦労は苦労として、どんな潜水をするのか?まず安全でなければいけない。少なくとも考えられる範囲で一番安全だと思える方法で潜らなければいけない。安全とは、僕の場合、水面とケーブルでつながっていて通話している状態のことである。その他の安全は言葉であり、不確定要素が大きい。
ケーブルダイビングシステムで行く。ニュース・ステーションの水中レポートシリーズで考え付き、脇水輝之の悲しい事故がきっかけになって、テ・ルという会社を作って普及しようと頑張ったが普及できなかった。(このことについては、月刊ダイバーのニッポン潜水グラフィティの最終回に書いた。)ケーブルで水面の船と繋がったら、それはもうスクーバではないから受け入れられなかった。しかし、僕は最後にこのシステムをもう一度世に出しておきたい。80歳でも80m潜れるシステムとして、記録に残しておく。

僕の考えている究極の安全を追求したダイビングシステムは有線通話とスクーバのハイブリッドなのだ。ここで使うケーブルダイビングシステムのケーブルはかなり太く、そして、人間3人ぐらいは引っ張り上げられる。このケーブルを細く細く、テグスの要は光ファイバーで1000mも延ばせるようになり、しかもそれがピアノ線のような強度があったとしたら?ジェームス・キャメロンの映画 アビス 1989は水中のセット撮影としてすごい映画だった。この映画には、光ファイバーの有線通話は出てこなかったが、その原作には、書き込まれている。

使用する呼吸ガスはトライミックスで、多分、酸素12%、ヘリウム50%、窒素38%を考えている。1996年の100m潜水で、このガスを使う予定だったが、実際には、酸素12%ヘリウム88%のヘリオックスを使用した。
潜水機はリブリーザーではなくて、オープンサーキットである。リブリーザーは、70歳の時にインスピレーションという機種を購入して練習を開始したが、器材が重過ぎて、その他、幾つかの条件がクリアーできずにあきらめた。まだ、心残りがあるが、今さら、リブリーザーのトレーニングをする時間もない。
オープンサーキットでゆくとなると、持って行くガス量が大きいから、サイドマウントで4-5本持って行くのが普通だろうが、サイドマウントも使わない。この深さで、サイドマウントを使うためには、かなりの熟達が必要だろうし、体力も必要だが、僕には出来る自信がない。
浮沈式のガスバンクを使いたい。これは、まったく新しい方式なので作らなければならない。この方式は1998年、オーストラリアのポートリンカンにホオジロザメの撮影に行った時に撮影した自走式のサメ除けケージ(檻)から着想し、いままで実現していなかった。全く新しい潜水機と言えないこともない。いずれ、80・80のプロジェクトが進んで行けば、この潜水機について何度も書いて行くことになるので、ここでは概略だけを書く。

   ホオジロ鮫

   一人乗りのケージにダイバーが乗り、前方のバラストタンクの空気を抜いて潜航する。


自走式のサメ除けのケージは、ダイバーが入れるだけの大きさの檻であり、この中に入って、ホオジロザメのアタックを防ぐのだが、前に付いたプロペラで推進し、横についたバーンドアから体を乗り出すようにしてアワビを採る。空気は上のボートのコンプレッサーから送られてくる。ケージの天井に付けられた浮力タンクの空気を出し入れして中世浮力にしている。小型の潜水艇のようなものだ。これは、もしかして、まったく新しい潜水機になると考え、日本での製作を考えた。アジア海洋作業の柳井社長(現会長)に相談したところ、アジア海洋で作るという話になった。が、作る人が別の作業で忙しく、やれないので、お金は出すから、オーストラリアから一台買おうということになった。オーストラリアに連絡したところ、作っていた町工場の社長が亡くなってしまい、その後の見通しが立っていないということで、そのままフリーズしてしまった。
深く潜るステージに浮力タンクを付けて潜降、浮上させる試みは別に新しい考えではなくて、1950年代にクストーもやっている。しかし、テクノロジーはその先にすすんでしまって、この方式は取り残されてしまった。

      400トンの母船が必要になってしまった。
前回、1996年の100m潜水では、吊り下げるステージを借りてきて使用したが、このステージを上げ降ろしするデリックが必要、そのデリックがついている母船という事で、400トンの船になってしまった。その上に、波高が1mあるとデリックが揺れて、ケージも揺れて、危険になってしまう。このステージがネックになって、天候待ちで潜水は難航した。

       両側にバラストタンクがついていて自力潜降できる。
吊り下げるステージではなくて、浮力タンクで浮沈させるステージならば、しかも小さくして、アルミフレームで軽く作れば、漁船から、二人ぐらいの手で、上げ降ろしができると考えた。亡くなった後藤道夫に相談して、作ってやるという事だったが、後藤道夫は世を去ってしまった。
もう一度考え直して見ると、人間の乗るようなステージは不要なのではないか。ヘルメット式のような重い装備のダイバーを乗せて上げ下ろしするからステージが必要、中性浮力になっているスクーバダイバーは、足を付けてステージに乗るようなことはしない。考えて見ると、1996年の時も、一緒に潜ってくれた田島は、ステージに乗ってきたことはほとんどない。ステージの外側でステージに軽く掴まっていただけだった。

 人間を乗せる必要は、スクーバの場合は無い。となると、サイドマウントで持って行くタンク、プラス予備、バディシステムとして、一緒に潜っているダイバーも使うとすればタンク8本程度を束ねれて、タンクからダイバー、つまり僕には、10mほどのホースで送気すれば良い。背中には1本の4L~8Lのタンクを背負っているが、これは、BCと、ドライスーツの空気、そして、ベイルアウトとする。浮沈タンクで中世浮力になった、小さなガスバンクをある程度は曳いて泳げる。ガスバンクは細いロープで船上とつないである。もちろん電話は通じている。
こんな装備を考えた。浮沈タンクには、上面にBCのインフレータを付けておけば良い。要するに浮沈タンクは金属製のBCなのだ。
ガスバンクの浮沈タンクの空気を抜いて、やや沈み気味で沈んで行く、上とはロープでつながっている。BCでの潜降と同じ要領で沈んでゆく。浮き始めるとやばいので、浮いたとしても、ほんの少しの浮上速度、になるように浮沈タンクの底は空気の出口穴を開けて置く。これらは、オーストラリアの自走ケージと同様だ。このガスバンクにスラスターを付けて走らせることは容易だが、それは今回のテーマではない。
これを水中での基点として置けば、同行するサポートダイバー(実は楽しく遊んで潜ればいいのだが)その安全確保にもなる。

0323 80-80-2

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今、自分がやろうとしていること、本当に難しいことばかりで、なんでこんなことになっているのだろうと肩を落としてしまう。
 リストアップしてみると、①80歳で80m潜る、②潜水士の受験勉強がスクーバダイビングの初心者教育に有意に結びつくようにしたい。③大学生の部活動としてのスクーバダイビングの責任体制を明確にするとともに、その責任を負う監督・コーチの横の連絡協力ができるようにする。④スクーバダイビングの安全管理について自己責任の限界を明確にする。⑤スクーバダイビング運用のローカルルールをリストアップして明示する。⑥人工魚礁調査などのリサーチをウエアラブルカメラを多用して行い、レクリエーショナルダイビングでも成果(記録)が残せるようなフォーマットを作る。
 僕に残されている時間がどれだけあるのかわからないが、あと3年として、「うーん」と考え込んでしまう。その間、トレーニングを続けつつ、実際に潜水して、プロなのだからお金も稼がなくてはいけない。実際に潜水しないと死んでしまうし、お金も必要だ。、六項目のうち四項目までが、やることに大きな抵抗がする。②潜水士の受験勉強がスクーバダイビングの初心者教育に有意に結びつくようにしたい。誰も望んでいない。レクリエーショナルダイビングとしては、潜水士免許は一生に一度だけちょっと勉強して受かれば、後は考えなくても良い。なるべく触らないようにしている。③大学生の部活動としてのスクーバダイビングの責任体制を明確にするとともに、その責任を負う監督・コーチの横の連絡協力ができるようにする。大学生自身が望んでいない。監督とかコーチとかうっとうしいし、これまで居なくても20年ていど無事故だった。④⑤は微妙な問題がある。⑥は、お金がかかるし、レクリエーショナルダイビングとしては、お金の割に面白くないと思うかもしれない。

 まず、前回まで書きかけていた①80・80からかんがえよう。日本の抱えている大きな問題は高齢化社会が進行中という事で、特に自分にとっては、自分自身の問題として、高齢化とスポーツの問題が差し迫っている。「スポーツなどやらないで、死ぬまでおとなしく寝て暮らせ」、といわれて、「ハイ、そうですね、そうします、」と答えて、そのように楽になってしまえば自分的には解決する。そうだろうか、解決するのだろうか。どちらかに決めなければいけない。
ためらうときに思い浮かべる。 
In the world’s broad field of battle
In the bivouac of Life
Be not like dumb, driven cattle!
Be a hero in the strife!
 ※Henry Wadsworth Longfellow A Psalm of Life
 
 決めたら迷わずその道を行かなければいけない。
 僕の場合はとっくに道の選択は済んでいる。
 1988年 53歳の時、財団法人社会スポーツセンターの常任理事に就任した。社会体育指導者の資格をスクーバダイビングに導入するためだった。
 社会体育指導者とは、この後日本が直面するであろう高齢化社会で、高齢者の多くがスポーツ活動を行いながら人生の終わりを迎えるようにならなければ、国がなり行かなくなる。何よりも国民それぞれが不幸だ。歳をとるというだけでも不幸なのだから、寝たきり老人とか、車いすに乗る老人が老人の大半になったならば、国はどうなるのだろう。
 そこで社会スポーツである。競技スポーツは勝敗を争うことに主眼がおかれるが、社会スポーツは、国民の幸せのためのスポーツと位置付けられ、その指導者の制度を国が積極的に推進することにした。そして、何を隠そう、指導者養成が一番お金のかからない、スポーツ振興策なのだ。こちらとしては、国の援助、後ろ盾がほしかった。
 口に出しては言わないが、やがて来る高齢化社会で、高齢者は、最後までスポーツを楽しみ、続けて、突然死してくれるのが一番。高齢者もそうありたい。スクーバダイビングも生涯スポーツであると、僕は位置づけて、この.社会体育指導者制度に取り組んだ。いろいろあったが、とにかくおよそ1000人の社会体育指導者を作った。スポーツの指導者だから、ビジネス目的のインストラクターとはちがう。クラブ活動のリーダーであり、講習会ではなく日常のコーチングとしての指導をする。一つの理想であるが、理想は現実に重なりにくい。
 ともかく、その一環として、指導者である自分が高齢になっても、最後までダイビングを続けて死ぬと決めた。In the world’s broad field of battle で倒れなければならない。

 読んでいてわかると思うから白状してしまうが、それもこれも、自分が死ぬまで、最後までダイビングを続けたいという、願望であり、それを正当化する理屈だ。
 そして僕は1996年、60歳で100mに潜水した。それが人生の一つの頂点で有り、その点から先は下り坂であろうが、その時、それから20年、ダイビングを続けて80歳の時に80m潜ろうという目標を定めた。そして、今それは目前に来ている。

1996年の100m潜水に使ったステージ、これを使うためには吊降ろしのための大きなデリックを持つ船でなければ潜水できない。


数日前、DANの機関紙「Alert Diver 55」が届いた。ようやく、読むに値する雑誌になりつつあるが、高齢化の問題を扱うことが多い。この雑誌の主張は、高齢者のダイビングを安全に行わせることだ。高齢者というのは、一歩一歩、年々、死に近づいて行くのだから、それを生かそうという事は二律背反則の最たるものだ。しかし、僕もそれを追求しなければならない。「Alert Diver 55」には、僕の主治医にさせられてしまった河合先生も登場している。循環器の専門医で唯一ダイビングに詳しく、ダイバーの心情がわかる医師であるが、高齢のダイビングの危険、高血圧の危険性を書いている。僕は残念ながら高齢、である。なのに、80歳での80m潜水を目指す。
誰もが決して勝つことがない、「老い」に対する挑戦だから、何時かは負けるけれど、今度ではない。今度は大丈夫、自分だけは大丈夫という、これを、この頃読み込んでいる中田さんは正常化の偏見だといい、これがダイビング事故の原因の一つだという。正常化の偏見とは、言葉を変えれば生きるモチベーションともいえる。自分だけは大丈夫、これまで大丈夫だったのだから今度も大丈夫、という希望がなければ、多くの人が自殺するだろう。僕も同様だ。
しかし、河合先生に迷惑をかけないように、正常化の偏見ではなくて、具体的に死なない方法を考え出して潜る他ない。それでケーブルダイビングシステムと、呼吸気体については、余裕のあるガスバンク方式を考え出した。
この方式は、うまく行けば,プロでもレクリエーションでも、水深40m以上潜る時の手軽なシステムとして使える可能性がある。安全性を証明する手段として、須賀が80歳で80m潜って見せる。80歳80mが安全にできるのならば、60歳での60mは楽に安全確保ができるだろう。
昨年だったか、大分県で水深60mにスクーバで潜ったプロのダイバー3人が死亡する事故が起こった。これを受けて、水深40m以上の作業は、SDC.(沈める再圧タンクで水中エレベーターのようなもの)でなければやってはいけないような規則にしようとする動きがあった。もしかしたら本当にそうなるかもしれない。一般の作業潜水ではそんなことはできないから、40m以上の作業は事実上できなくなるか、密かにやるかしかない。
僕の80m潜水を安全にできたシステムは、実用可能なものとしての提案とすることができるかもしれない。
80:80潜水計画は、高齢化社会のダイビングについての提案と、新しい潜水システムの提案、二つの意義がある。もちろん、意義など無くても、どうしても潜りたい。80歳を越えてから先、死ぬまで潜り続けるためには、80歳の時に80mまで潜ったというタイトルが必要だという理由で、僕はこのプロジェクトを進める。



0325 海で逢いたい。

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  写真展、「海で逢いたい」に行ってきた。
 弟子?の、清水まみ さんが出展しているという。後で見せますから、来なくても良いですと遠慮されたのだが、やはり、展示された状態で見なければと出かけて行く。
 この展示会のコンセプトは、

 初めて海の中をのぞいた時の感動や驚き
そこで懸命に生きる生物たちのへの興味深さ
それを少しでも多くの人に伝えたい
写真展「海で逢いたい」は
そんな想いで18年目を迎えます。

 良いキャッチコピーだ。会場に行くと、旧友の大方洋二が居た。懇親会の写真を見ても、真ん中にいるから、彼が中心人物の一人なのだろう。彼の説明によれば、アマチュアがだれでも、あまりうるさい制限も無く、出展できる写真展だという。なるほど。

入ってすぐのところに、彼の写真が展示してあり、その横は中村征夫、あと良く知っているプロの水中カメラマンの写真が並んでいる。アマチュアの写真展にプロが出すのは大変だろうなと思いながら見る。おそろしいもので、一枚の写真を見ると、その人のすべてがわかってしまうような気がする。もっとも、その人それぞれと、それなりの親交があり、彼らのことが頭に入っているからだとは思うが。
 残りの写真を見る。それぞれ、一眼レフなど高価なカメラを使って、しっかりと撮っているらしく、ピントもシャープだし、色もきれいで、構図も一応整っている。自分のカメラを構え、自分の目でファインダーを通して、海を見つめることが楽しいのだろうな、という空気が伝わってくる。ちなみに、この写真展主催のグループは、「海を見つめて」だっけ。結論から言えば、とても良い写真展で、気持ちのいい時間を過ごすことができた。

少しばかり、講評しよう。知らない人の写真を講評するのは失礼だから、清水さん、彼女は身内(日本水中科学協会会員)だから、良いだろう。


他の写真と同様に、シャープだし、色もきれい、だ。「可愛い。美しい」と気持ちは伝わってくる。では、それで、彼女は何を伝えたかったのだろう。「可愛い。美しい」だけを伝えたかったのか。多分、自分が楽しい嬉しいという原点から、次の段階に進んでいて、何を伝えたいのだろうという壁で苦しんでいる状況なのだろうなと想像する。伝えたいことを伝えてそれで見る人が、撮った人と同じような感動を覚えれば、それは一人前以上のプロのカメラマンであり、プロのカメラマンでも、そんな写真はアベレージで撮れるものではない。そして、水中撮影というジャンルは、特にそれが難しいジャンルだと思う。プロでも一枚の写真ではそれは不可能であり、個展か写真集でようやく伝えたいことを伝えられるのだろうから、このような写真展の出展では、とても無理だと思うけれど、チャンスはあるように思う。多分、ここで書かなくても彼女はそのチャンスが何かわかっていると思う。
多分、彼女だけではなく、この写真展にだしているようなアマチュアカメラマンはみんな、そのあたりにいるのかな、と思う。みんな頑張ってほしい。

技術的なことをちょっと言えば、いまは3Dの時代である。今度公開されるネイチャーという映画も3Dである。最近の自分は3Dに見えるようにという気持ちで構図を決めて撮っている。大方洋二の写真が流石で、その写真を、僕がワイドで斜めから撮ったら、3D になった。

   大方洋二君の写真、少し遠くに目のピントを合わせて、じっと見つめていると浮き上がってくるはず。


自分自身について言えば、もうスチルを展示しようと思って撮ることはないだろうが、映像の仕事の最後が3Dだったし、基本的にワイドのカメラマンだと思っている。ワイドとは何かと言えば、光の使い方がとても大事だ。そんな自分の視点で見て行って、さきほどの大方君の写真もとてもよかった。大方君のことについては、書くと長くなる。

0327 風邪ひき

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風邪になってしまった。かなり本格的なので、寝ていた。明日は打ち合わせが一つあって、そのためのプレゼン資料を作らなければならない。

ブログを書いている時間も気力もない。
前にFBに書いてストックしていたものを載せて置く。

ヤフオクでコンピューターをみたが、適当なものが無く、スクーバセットのジャンクを三つほど、入札した。昨日、ダイブウエイズに行って、レギュレーターの整備をした。10台近くあったレギュレーターが今は3台になってしまっている。
ゲージが次々と壊れて足りないので、その補充をしたい。最高級レギュレーターのR117 の、ファーストステージだけが2台遊んでいる。適当なセカンドとゲージを付ければ使える。
オークションなんて恐ろしい。何時、水中で止まってしまうかわからない。レギュレーターは、生命線だ。だから、毎年定期的にメンテナンスをしておく。定期的にメンテナンスをすることは、レギュレーターの素人のダイバーにとっては、必須のことだということも、納得している。潜水士の規則(テキスト)も整備が義務付けられている。相棒の鈴木さんは、そのメンテナンスを仕事の一つにしている。
ただ、定期的な整備をしていないと、危ないということは無い。レギュレーターの見方をしっていれば良い。まず中圧のホース、高圧の残圧計のホース、特に高圧ホースは破れたりすると危ない。いつでもチェックしていて、ひび割れしていたり、付け根のところが漏れたりしていたら、交換しなければならない。これは、外観ですぐにわかる。次に、ファーストステージだが、ピストンアクションのダウンストリームタイプ、今は殆どこれだけれど、故障しても、壊れても、空気の流れが止まることはない、フリーフローするか、しぶくなるか、だけ。フリーフローしたり、渋くなったりしたならば、分解して洗浄して、オーリング類を交換すれば元に戻る。ファーストは壊れても、空気がとまることはない。その信念がなければ、スクーバでは、怖くて潜れないはず。ただ、アルミボデイの某社のファーストは、腐食で空気が来なくなったという評判がある。このタイプが現在一台ある。これが一番新しいのだが、ゲージとかセカンドを他のファーストにつけて、アルミボデイは廃棄することにした。セカンドを他のメーカーのファーストに付けて心配はないかと言えば、まったくない。それぞれの役割分担を果たしていれば、良い。ファーストはタンクの高圧空気を、1MPa+潜水する水深の環境圧に減圧すれば良いだけで、各社、重労働でも空気量が確保できるように工夫を凝らしているが、特別な重労働をするのでない限り、どれでも良い。セカンドは、呼吸する環境圧まで減圧すればいいので、この二つの組み合わせで、軽く吸って見て苦しくないようならば、それでOKだ。
僕の機械についての基本教養は、大学を出て、就職が無い時に、建設機械[ブルドーザ]などの再生修理会社の工員さんをやっていた時に培われた。建設機械のスクラップを買ってくる。泥を落として、全部バラバラに分解する。部品をガソリンで洗って、摩耗しているものは取り替える。それで元通りに組み立てれば新品同様になる。建設機械は部品点数が多いから大変だが、レギュレーターは部品点数が少ないから楽だ。しかし、どれか一つが無くなってしまったり、入れ忘れたりしたら大変だ。まあ、それでもフリーフローするだけだが、やはり危ない。各社がレギュレーターをメンテナンスする人の講習をしたりしているのは、そのためだ。マニュアルを見て慎重にやれば良いのだが、それでも、人間のやることだから、間違いがある。しかし、間違っても空気の来なくなるようなことはない。
☆☆
ニッポン潜水グラフィティ 単行本化についての打ち合わせ、娘の潮美が構成編集する。ビシバシとすべてを決めて行く、出版社の担当と潮美の会話が全然耳に入らない。僕は対面して話をすれば、唇が読めるので、通じるのだが、横に居る二人の対話はほとんどわからない。あとから説明を聞く。発行は7月、250p前後、価格2000円前後、著者(僕のこと)が500部売る。内容は、1954年から1973年.ごろまで、として、「少し書き直したいけど、」「ダメ、行数が増えなければ良い。それに、読者は、原型をなるべく変えないことを期待している。その代りコラムを6P,、年表類が6P、ある」、締め切りがあることだし、こうしないと、際限も無くなってしまう。鬼編集者?でないと本はできないのだ。
500部は、自分で売らなければならない。これからもこのブログでしつっこく協力をお願いすると思うのですが、買ったとしても、アマゾンなどで買っていただくのは、自分のカウントに入らない。サインなどしますので、必ず、僕から買ってください。

0331 風邪と嵐のお台場

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 3月30日、4時に目覚める。そのままベッドの中で、半睡、風邪の症状が軽減している。熱もないし、咳も止まっている。ただ、起きる気持ちになれない、このままもう一度眠りに引きこまれたらどんなにいいだろう。このままベッドの中で半日ぐらい過ごしたい。今日は日曜日でもある。この気分は、少年時代以来だ。学校に行かなくても良い日曜日。このまま死んでも良いな。そうすれば、もう、立ち上がらなくても良い。もう十分に戦った。これですべての意識が消えて行ったとしても、眠りに落ちるのだから良い。恐ろしい誘惑だ。
 もしも、今日一日、このまま寝ていれば、よく眠れば風邪は治る。咳を長く引きずることもない。みなさん「お大事に」って言ってくれるのだから、このまま眠っても良いだろう。
 ああ、もう5時50分になった。カメラのライトは、カメラのチャージは?このまま眠ってしまいたい。
 でも、僕は学校をさぼれば良い少年ではない。今日、お台場に来ることを決めている仲間たちとの約束を破ることになる。起きられるのならば、立ち上がらなくてはいけない。
 80・80 80歳で80m潜る計画だ。辛くても起き上がり、身体的な辛さに耐えることを継続しなければならない。安全な、しかも容易な方法で潜ると決めている。それは新しい潜水手法だ。普通の潜水として80m潜らなければいけない。これまでの、僕の大深度潜水は常に、新しい、潜水技術のテストと結びついていた。安全、容易と言っても、その日までのトレーニングの継続が無ければ、出来るものではない。そして今現在、今日は、お台場に潜る以外にスクーバのトレーニングの継続手段がない。
 さあ、起きよう。起きて見ると体は怠い。カメラのチェックをして、インナーと言っても、キルティングの作業用の上下つなぎだが、足を入れて、手を入れる。インナーを着て行ってしまおう。
 
 外に出て見ると小雨だ。せめて、天気が良ければ良いのだが、車を出して、アシスタントをしてくれる鈴木君と、それから、ドライスーツのテスト兼トレーニングをする、早稲田大学中尾研究室の新人,石橋君をピックアップする。事務所で、器材の積み込みをする。鈴木君が手際よく積んでくれる。こういう日に限って、お台場に来る人が多い。NHKの取材も来る。
積みきれないで、ルーフキャリアにゴムボートと曳行ブイをのせる。
 
 車を駐車場に入れて、上から水面を見下ろすと、茶色い、これでは、30cmぐらいしか見えないだろう。3月の終わりだから、そろそろ、メバルの稚魚も出てくるだろう。マハゼの稚魚は、浮遊状態だろうか。NHKは、アユの稚魚を撮りたいとたわごとを言って、後藤道夫がつくっている巨大カメラを持ってきているがとても無理だろう。
 小雨の中でブリーフィングをする。熱が出てきたかもしれない。
 潜ろうかやめておこうか迷っている。この水の色では、絶対に良い絵など撮れる可能性はゼロ。
 本日の忘れ物、ポールカメラのポールを持ってきていない。やはり、風邪のために頭がピンボケしている。みんな次々と支度をしてエントリーする。NHKのカメラマン、中西君だが、立派なファブリックの高価なドライスーツを着ている。ボードのしたにGoProを2台取り付けた水面カメラも持ってきている。

 風呂田先生チームは、今日は2名だが、それに海洋大学潜水部の自見君もはいる。彼は、この春から広島大学に移る。お餞別にドライスーツを上げることにしていて、そのテストもあって来ている。このお台場の潜水から、何人かの潜れる研究者が育っている。彼は広島大学に行くのだから、もしかしたら、豊潮丸に一緒に乗れるかもしれない。まあ望み薄だが。
 僕のチームは、女流カメラマンの清水まみ、と科学未来館の三ツ橋君、二人とも女のくせに、というか女だからか、めちゃにタフだ。
 尾島さん一家は、今日はほぼ全員、娘の潮音ちゃんと沙海ちゃん、奥さん、お父さん、の4名が一緒に潜る。若い娘二人は、雨の中をタンクを背負って跳ねているように水際に向かう。

 尾島お父さんと娘たち 汐音ちゃんと沙海ちゃん。それぞれ、自分の目印の曳行ブイを手にしている。なんとなく、それぞれに似合っている。

 そして僕は、悩んでいる。雨は次第に強くなる様子。もうここまで濡れたのならば、風邪が良くなるように、なんて言葉は吹き飛ばされた。なんとなく鼻が詰まって、風邪ひき初期状態に近い。二重の風邪ひきか?行こう!
 ドライスーツを着て、今日はBCをハルシオンではなくて、昔、愛用していたアポロに換えている。もうみんな潜ったので、僕が最後、一人でタンクを背負う。昔、秒速で着られたアポロが肩が引っかかってしまう。腕は後ろに回らなくなっている。それでも、着て、立ち上がり、歩く、歩く距離は、40mぐらいか、フィンを履いて、膝のあたりまで歩いて、体を横にして、這う。身体を水に入れてしまえば、呼吸も身体も楽になるはず。そう思って深呼吸するが、やはり、風邪のためか、呼吸が鎮まるのに少し時間がかかる。
 BCの空気を抜いたが沈まない。胸のジャケットウエイトが7キロ、腰に2キロ、足に1・4k合計で10キロだが、沈まない。それにバランスが取れないで、転がりそうになる。いつの間にかハルシオンの、バックフローティングのBCに身体のバランスが対応してしまっているのだろうか。
 2mまで沈めば、何とか水平な姿勢がとれた。普通の海ならば、これでウエイトは正解だが、水深1mでほとんど過ごしたいお台場海浜公園では、1キロ不足だ。
 思っていた通り、何にも見えない。ライトを点ければ、海底のゴミや、ユウレイボヤのような形は見える。これでもなんでも、どのくらい濁っていたか、何が居たのかを記録しておかなくてはいけない。
ゴカイの調査をしている尾島さんとか風呂田先生は、その辺の泥をしゃくって来れば良いのだからこれでも大丈夫。尾島さんは、小さいゴカイを吸い取る新兵器を工夫していたが、この濁りではどうだろうか。
 自分撮りで、どのくらい濁っているかを表現して、カメラを下に振って、静止すると、ライトの光芒の中に、マッチ棒の頭くらいの稚魚が横切る。甲殻類のプランクトンが集まるかと期待したが、それでマッチ棒の頭だけで終わりだった。とにかく、今回の映像としてはこれで良いだろう。

  カメラを自分に向けてもこの程度

  マッチ棒の頭くらいの稚魚がツンツン泳いでいるが静止画ではわからないかもしれない。

 しかし、身体のバランスが悪い、風邪のためにふらふらしているのだろうか。それにしても、足腰の筋肉をもう少し鍛えないとやばい。風邪が治ったらトレーニングを開始しなくては。
 陸に戻って、雨風が横殴りになってきている。僕はもうこれで終了にする。無理はしないって、もう十分に無理をしている。

 尾島一族はまた支度して海に向かっている。娘たちも躍動している。鈴木君と石橋君も、入る。石橋君は予想通りドライに浸水しているが、水着を着てドライを着ているのだから、ウエット状態で問題ないという。石橋君はすでに良いダイバーだ。自分で自分のことができる。
 三ツ橋は終了したが、清水まみさんは、準備をして行くようだ。彼女が上がったら今日は撤収だな。NHKは、散々だったが中西カメラマンは、僕がNHKをしごいていた最後の世代に入ると、昔話をする。彼は教えなかったが、同期生を何人か教えている。何も撮れなかっただろうが、お台場とはこういうところだと体で知ることができただろう。中西カメラマンは、ここで一本撮りたいような面白さがあると言っていた。もちろん実現しないことは間違いないが。

   テントを撤収した後も顕微鏡をのぞいている。歯科医だが専門の研究者以上の根性、いや、も専門の研究者を抜き去っているのかもしれない。

   

  言われる。「風邪をいつも引いていますね」 「そう。体が弱いんだ。」


 この海に適応できるダイバーはあまり多くは無いと思うが、ここに適応できれば、すべての海の環境に適応して、撮影が出来ると思う。中村征夫の出世作である、フォト・ルポルタージュ、おそらく彼の作品の最高峰といえる「全東京湾」はお台場から始まっている。

 予想通り、風邪は治るわけがない。しかし、発熱もしなかったし、咳も10%ましていどだ。僕は昔から気管支が悪く、風邪を気管支カタルに追い込んで長引かせるのが毎年だった。なぜか2003年から、昨年までは、持病がでなかった。
 また明日も辰巳の国際水泳場でスキンダイビングだ。

0403 風邪についての考察

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 僕の風邪がずいぶん長いので、そして、フェイスブックとかツイッターで愚痴るので、心配をかけている。それぞれ、寝ていなければいけない、医者に行きなさい、高齢者の風邪は、肺炎を併発して死ぬ恐れもあるなどで、ご心配をかけている。自分自身も寝ていられれば寝ていたい。寝ていたいのに、そして、寝ていればきっと良くなるのに、お台場に行って、雨に身体を塗らし、ついには潜自分の病気について、すこし、申し開きをしておくことにする。
 もう、僕の風邪が長引くことは慣れているので、心配ないです。


 桜の花が一斉に開いた。東京近郊はどこも花で埋まる。
 
 人間、だれでも同じだろうと自分では想像するのだが、生涯で自分の身体が調子が良いと自覚できている時間よりも、具合が悪い時間の方が長いのではないかと思う。そうでない人は、幸せであり、うらやましい。でも、そういう丈夫な人が、あっけなく、癌で死んでいったりする。
 僕の日常を外から見ていると、何時も快調に体の動くアスリートのように見えるかもしれない。そうありたいと願ってはいるがそうではない。
 毎年、一度、ないし二度は風邪を引き、そのうちの一度は長引く。最低一か月、長かった年では2か月以上、冬の間はぜんぶ風邪の状態で過ごしたこともあった。これにはさすがに参って、近くの医者に通った。同じようなことが何度もある。その都度、医者には行っている。結論としては、医者に行こうが行くまいが、治る時がくれば治るのであり時が来なければ治らない。その間、辛いし、辛くても日常の仕事を休む分けにはいかないので、辛い中で頑張ってしまう。

 風邪というのは、そんなに長く続くものではなくて、三日間同じ症状が続いたら、それは別の病名に代わっていると先日亡くなってしまった真野先生に教えられたことがある。そうだ、真野先生と知床の斜里へ行った時の風邪がひどかった。ひどい風邪の中を流氷に潜っていたのだが、流石に倒れて動けなくなった。その日がちょうど、真野先生とスノーモビルで山に行く約束の日だった。医者というのも、ひどいもので、そんなときにやすんでいなさいとは言わない。大丈夫だから行こうという。行けないので打ち伏していた。
 風邪から代わる僕の病名は、気管支カタルである。咳がでる。
 風邪の一番外側の症状が咳で、あんまり熱はでない。身体が熱っぽくて、だるい。何もやる気がしない。それでも、無理にでも起き上がってやることはやらなくてはならない。
 一番外側の症状は、風邪薬で何とか止めることができたとする。その内側の怠い、常態が続く。今は、その状態でこんなモノを書いている。その辛いだるさ、これは身体の芯が治っていないということで、悪くすると長引く、やがて体の芯が元気になってくると、解消して、元気になる。この体の芯を正式には何と呼ぶのだろうか、

 30日にお台場で水に入り、熱が出たり、咳がひどくて止まらなくなったらどうしようと心配していたが、それは何とか持ちこたえて、31日は、お金の振り込みに銀行へ行っただけで、調子がでないで一日終了した。
 4月1日は、毎月1日にある辰巳の抽選会に行く。7月分の抽選である。体調が良くないとジャンケンも辛いので、いやなのだが、行かないでは済まされない。
7月1日 火曜日 21-22時
7月8日 火曜日 21-22時
7月12日 土曜日 17時ー19時 土曜日ですので、少し早めました
7月14日 月曜日 21-22時
7月31日 木曜日 19-21時

 5日間確保はできた。
 体調は良くはならない。すこし悪い。夜は、21-22時のプールがある。ちょうどスポーツ安全保険の切り替えの時である。名簿を整理しなくてはならない。最小限度の努力でカードの整理をすませたが、少し熱があるようで、寒気の一歩手前の感じがする。
 プールは常連の人たちが来てくれて、12人、泳ぐのにちょうどいい人数だ。
 さて、僕がプールに入るかどうか。
入らない方が良いという声が大きい。ここで我慢をしないと熱が出るかもしれない。いや、この程度ならば、これまで水に入って治してきた。ところで、僕が泳がなければならない必然性はどこにもない。いや、そんなことを言えば、30日のお台場だって、必然は無かった。カメラマンでお金をもらっていた時には、どんなに熱があってもカメラを振っていた。でも今は、その必然もない。しかし、80-80計画を実現するためには、このくらいの風邪で、躊躇していたのでは、実行できない。


 プーるの際に立って、マスクを付けたり外したりして迷う。止めよう。悪くなったら困る。少し悪寒もする。次の瞬間、僕は飛び込んでいた。
 やはり、水は体熱を奪うので、寒気の少し手前の感覚になる。泳いで体熱を発生させないといけない。のんびり泳ぐ、今日のところはダッシュの練習はやめておこう。
 水底にカメラを置きに行く。5m潜るだけで息苦しい。相当に体調が悪い。
 それでも繰り返して潜り、25m水平に行くことはできた。が、内側から盛り上がってくる感覚は無い。
 
 4月2日、別に悪くはなっていないが、まだ、芯から良くはなってきていない。
 月刊ダイバーのグラフィティの単行本化、潮美が頑張って、原稿のまとめを送ってきた。編集者と著者のバトンの往復で、こちらにバトンが来た。ちょっと読んでみたが、面白い。一気に読めそうな感じもする。
 海洋大学の潜水部、OB会会長と会う約束をしている。そのための資料を用意しなくてはならない。途中でストップする。
 単行本化のためのコラムと年表の作成が仕事だ。JAUSの仕事も溜まっている。またまた、棚から荷物が落ちてくるのを支えるような状況になってきた。風邪の状態では、持ちこたえられない。やらなければならないことが降るほどある、後期高齢者というのは、そんなに多くない、と旧友に励まされる。
 まだ、咳はでるけれど、内側、芯はすこし上向いてきた。ぐずぐず言ってないで、やることはやれ、という声も体の内側から聞こえてきた。

潜水士問題集、別表3の間違い

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世の中、想定外、想像もできなかったことが起こります。なるほど、ダイビングの事故もこんな形で起こるものなのかと想像できます。

 潜水士の問題集ですが、修正時間を計算する別表B (別表3)が変形されて掲載されてしまいました。おそらく、原図を本のサイズに好適、気持ちよく載せられるように変型してしまったのでしょう。他に理由は考えられません。計算線の間隔が狭くなっているので、これは計算尺の一種ですから、当然答えが違ってしまいます。問題集の答えは間違っていないのですが、その算出方法を試みると答えが違ってしまうのです。

 まさか、この図表を変型するなど予想もしていなかったために、チェックされませんでした。須賀、と工藤がゲラをダブルチェックしたのですが、もれてしまいました。残念です。編集者には、潜水士テキストの図の通りに、と指示はしたのですが、現場のデザイナーには伝わらなかったのでしょう。
出版社のナツメ社は、ホームページで対応するということでした。

 本当に恥ずかしいことですが、予想外のことが起こるから、事故につながるものだという、見本になってしまいました。この部分の正しい表が挟み込まれれば、後は問題ないので、どうかお許しくださるよう。お願いいたします

 下記が正しい別表3です。

0406 JCUE 勉強会

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4月4日、5日、6日 マリンダイビングフェアだ。雑誌マリンダイビングが主催しているフェアだから、もちろんマリンダイビング一色である。いろいろな意味で月刊ダイバーのお世話になっているから、複雑ではある。とにかく、4日、5日、6日ともに顔を出して、情報収集と会える人に、出来るだけ、集まる人と会う。
4日日には、日本安全潜水教育協会 JCUE の勉強会に行く。JCUEは、僕たちのJAUSとおなじく、ダイビング活動団体で、たしか、もうすでに20年ほどの歴史がある。初期のころには、この勉強会が、そのころはダイビングフェスティバルと同時に行われていたのだが、講師としてお話したこともある。現在、会長は法政アクアOBの山中さんがやっている。山中さんとは親しい旧知だし、先日、JAUSの会員になってくれた。そのお返しという事でもないのだが、僕もJCUE の会員にならせてもらった。会員は勉強会が無料である。いくつもの点で見習わなければならない先輩ともいえる団体だし、できるだけ協力関係を持とうと考えている。
出席して勉強会は、上野さんという女性の弁護士さんが講演する「ダイビング訴訟から学ぶ、プロダイバーの法的リスク勉強会」であり、この人の話はたしか、で2回目の講演である。前回も評判がよかった。今、自己責任とか商品スポーツについて自分でも考えたり、書いたりしていることが多いので、出席した。
余分なことだが、美人で、話もそわかりやすかった。耳が遠いので、このような講演会を聞くことは得意ではないのだが、PPがわかりやすかったので、十分に理解できた。
小野さんは保険会社の依頼によって弁護する事例が多いので、訴えられるガイドダイバーの側に立っての弁護であり、示された二つの事例は興味深いとともに、事故が起こる典型的なパターンであり、その一つは水中科学協会のシンポジウムで発表していただいた田中さんの事例に近いものだった。田中さんの事例は、ガイドがエントリーするまでに3分もかかっていたり、集合場所のブイが存在せず、ガイドがはじめて入る水域で逢ったりと、明らかにガイドの側の責任が大きかったが、小野さんの発表された事例1は、ごく普通に起こり得る事態であり、多くのボートダイビングでの日常であり、これで、ガイド側がうったえられるのでは、たまらない、と思えるような事故であった。

ある程度の経験のあるゲストが、エントリーしたとたんに、BCに空気を入れずに、沈んでしまい、ガイドが飛び込んだけれど追いつかなかった。ただ、その時、ガイドはフィンを装着していなかったらしく、フィンを履き、マスクを付けているうちにゲストが沈んでしまったのだろう。そして、ゲストのバディは、指定されたブイに向かって移動中であり、事故者のサイドにはいなかった。


これは、普通に行われていることであり、別にバディが解除されたものでもなく、また、一般のレクリエーショナルダイバーのバディ遵守意識がそれほど、高くない場合が多いことから、ガイド側には気の毒な事故と言える。
良く行く西川名などは、これよりもさらに厳しい海況であり、船の周囲にガイドロープが張り巡らせてあっても、事故はガイドロープをつかめない状況で発生するだろうから、争点にはなっても、絶対ではない。ガイドを頼んでいたとしても、すぐに沈んでしまったのでは、おそらく救助はできない。
本当にガイドダイバーとは薄氷を踏むような仕事であり、賠償責任保険が無ければ、成立しない仕事である。

エントリーして、まずBCに空気を入れる。あるいは入れないですぐに空気を抜いて潜って行く、水面でバディが並ばなくても、海底へ向かう途中で、バディが一緒になる。あるいは水底で落ち着いてから、バディが並ぶこともあり、せめてこのあたりまでは自己責任というほどの事でもなく、ゲストが自分の責任でやることであり、何らかの不都合で出来なかったとしても、例えば急な体調不良などで意識を失ったとして、それはガイドの責任とは言えないと考える。



スクーバは、自分ですべてをやらなければならない、しかも、糸の切れた凧の状態である。自分の命の保持は、自己責任が原則であるというのが常日頃の僕の主張であるが、裁判所の一般的な考え方は、ガイドが金銭的な契約で雇われている以上は救命に責任があるとする。これも、裁判所としては、当然の考えだろう。となると、やはり賠償責任保険でカバーされる他にガイドダイバーの身を守る手段は無い。
しかし、保険は裁判の判決結果をカバーするものであり、自分の命は自分で責任を持つ他に守られるものではないのである。

勉強会の内容はとても良いものであったし、講師の小野弁護士もわかりやすい説明で良かった。できれば、PPのプリントとかがほしかったが、それは、また別に売るのかもしれないし、会費が安いことからもそこまでは要求できない。
他にJCUEの対談、トークショウなどもおもしろそうだったが、聞くことが不自由だし、聴かなかった。

0407 グラフィティ  メイキング

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 月刊ダイバーに28回にわたって連載させてもらってきたニッポン潜水グラフィティを単行本化できることに決まった。5月中に原稿を書き上げて、7月、海の記念日?にはリリースしたい。
28回の連載の部分については、連載を編集してくれた、須賀潮美がまとめてくれた。突貫(集中)ですでに終了している。その他、単行本化を機会に、新たに書き下ろしたいと僕が言った部分が、まだ一行も書けていない。これから、尻を叩かれる、修羅場になる。そんなことで、ブログを書いている時間がない。
しかし、この単行本を、自分で500冊売ろうとノルマを課している。そのためには、このブログの読者が頼りである。今のpc訪問者がおよそ1200である。二人に一人買っていただければ、ノルマが達成できる。ブログをお休みするわけには行かない。
そこで、メイキングof、ダイビンググラフィティ、作る途中経過を書く、単行本の原稿も書けるし、ブログも書ける、と大それたことを考えた。もちろん、ここに書くことが本にそのままにはならない。だから、メイキング と考えた。

 
  マリンダイビングフェア、ありがとう。
  今後は、前置きと本文の間に適当な写真を入れます。

ここからが、コラムで
「はじめに」
ニッポン潜水グラフィティは、できるだけその時の目線で、その時の自分の気持ちに還って書こうと努力した。血沸き肉躍る冒険ドキュメントとして、終わりまで、息を継がせる読み終わってもらいたい。大げさに言えばそういうコンセプトであり、潜水の技術書ではない。しかし、自分の一生は、ダイビングの運用と技術の専門家として生きたつもりである。そこで、79歳の今(2014)の視点と知識、経験で振り返ってやや、技術書に近い考え方で、幾つかのコラムにまとめさせてもらった。現在の視点であるから、グラフィティ本文が終了したあとのいくつかの潜水、たとえば60歳の時の100M潜水の経験も含まれている。
 ①これまで、ダイビングの技術について、スポーツダイビングのために、何冊かの本を書いている。それは、その時代の潜水を反映している。本を紹介しながら、その時代の技術の特色、そして安全についての考えかたの推移を見たい。
 ②今の視点から、27歳の100m潜水について、その時の潜水機材について、そして、空気潜水から、ヘリウム酸素混合気体の潜水への移り変わりをもう少しマニアックな部分に踏み込んでみよう。
 ③探検と冒険について、グラフィティのメインテーマは、夢と冒険だった。冒険を追いながら、冒険ではいけない。何か意味のあることをダイビングの目的にしたい。それは探検?なぜ潜水、ダイビングをするか、現在の視点でもう一度考えてみたい。
 ④今も昔も、水中、そして水深による圧力は、ダイバーを生理的、物理的に痛めつける。主に減圧症、窒素酔い、空気塞栓について、どう対処してきたかを述べる。
 ⑤自分のやってきた潜水は、まぎれもなく20世紀の潜水である。そして今は21世紀である。21世紀の潜水を考えよう。
※21世紀は、ダイビングのスタイルも器材も多様化し、難しくなる。一言でいえば、20世紀、自分たちの追求してきた潜水は、器材と技術はシンプルイズベスト、できるだけ、器材と技術は単純化して何も考えなくても良いようにしようとしていた。21世紀の潜水は、ちがう。複雑多様化は避けられない。チェックアンドチェック、そしてチェックで安全を確保する。何も考えない20世紀の自分のスタイルでは生きられない。

0409 マリンダイビングフェア

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  グラフィティのコラム難航しています。自分の書いた本の紹介をまず時系列で追いながら、レジャーダイビングの移り変わりを見て行こうと書き始めて、うまくいっているなとおもったのですが、つい、何時も念頭にある賠償責任保険に滑って行ってしまって、賠償責任保険って、いつごろから普通のことになったのだろうと、調べはじめ、書き始めてしまった。しかし、この話題はグラフィティにふさわしくないのかな、しかし、やはり自分の意見はきちんと言っておきたいし。賠償責任保険に反対しているわけではない。特に死亡事故の賠償の訴えは、遺族が起こすもので、自己責任で行動する事とは、別の事、遺族救済、遺族が納得できない、心のケアは、自己責任とは、別の次元の話である。遺族対ガイドダイバー、インストラクターの間柄を考えて見れば、保険の他に解決の途もなく、訴えられる解決は、インストラクター側の苦悩を軽減させる唯一の途とも考えられる。
 ただ、死んでゆく自分の命としては、保険に関係なく自己責任である。命を失くしてしまうのですから、この世のすべてが消えてしまうのだから、
 そんなことをコラムに書くことまで滑って行ってよいものだろうかと、筆がとまっている。時間は刻々と過ぎて行く。昨日のJAUS理事会では、出版記念パーティの心配もしてくれている。とにかく、このテーマは、今日のうちに乗り越えることにしなければ。

 マリンダイビングフェアのこともまとめておかなくては、いけない。わすれてしまう。人と会い、お話したら、あったという記録、その時間までも記録しておくためにAEEで撮っていたのだが、あまり良い写真でない場合にはここに載せられない。それと、肖像権というのがあるのだが、いちいちお許しをいただいていたのでは、きりがないほど、写真を撮っているし、カメラを向けて撮影されたら、撮影したら、ブログとかFBに載せられることは覚悟しなければならない。それでも、僕の場合は、写真が良く撮れているかどうか、セレクトしているつもりだが、JAUS理事の吉田君の場合は、自分撮り、あの顔とツーショットで、リアルタイムで電波で飛ばされてしまうのだ。だから、カメラを向けたら、むけられたら、こんなところに出現するのも、仕方ない、と許可されたということにしてしまう。

 話は別だが、AEEの時系列で見ている。今年の桜はあっという間に咲き誇り、あっという間に終わってしまったような気がする。行く春を嘆いている間もなかった。

 4月4日は、まずJCUEの事故の法的責任の勉強会に行った。前にちょっと書いたが、賠償責任の訴えは、この業界の常に一番ホットな話題である。そんなスポーツって他にあるのだろうか。同じく危険なスポーツと言える、登山やスキーは訴えられることなど考えないで登ったり滑ったりしているはずだ。

 ここ々からは、4月5日になっている。AEEには、日時が入っているので、まちがいがない。


 AQAのブース、スノーケリング、スキンダイビングでの遊びの展示、そういえば他のダイビング機材メーカーは、出展していなかったようだ。タバタは出していない、日本アクアラングもだしていない。という事で、ビズショウとは完全に色分けされているわけだ。 AQAの池田君とはかかわりのないことで、マスクの分野だが、バラクーダの女性用、Sサイズが売り出されていないことは、「バカじゃないのか」とお願いしておいた。



 マスクマウントが飾られていた。これも、それほどのものにはならなかった。石川さんがやるくらいのスケールでちょうど良いのだろう。


 ダイビングスクールゾーンは客引き?の間を通り抜けて行く、これも恒例の事なのだが、ダイビングってそういうものなのかなあ?中田君に商品スポーツと定義されても仕方が無い。僕がダイビングは、僕の生涯をかけているもので、商品でなどないし、商品として売っている気持ちは無い、などと言ってもだめだ。商品として売る決意がないから、商売にならないのだ。


 ポセイドンのリブリーザー、売れているみたい。



広瀬花子ちゃん。この子とは、辰巳のジャンケンの敵なので、敵対しているが、おじさんの故広瀬さんとの過ぎし日の親交を考えるともっと親しくしても良いな。



イノンのブースで、GOPRO用のワイドアダプター、GOPROはすでに対角線170度、水中140度なのだから、今さらにワイドは必要ないのかと思った。いつもはブースに井上社長が居るので、質問できたのだが、居なかった。社長でなくても、質問すれば良いのにと思うが、なんとなく、井上さんが聞きやすい。そんなことで、この時ではなくて、辰巳のプールの広瀬さんの練習会に来ていた、フィッシュアイの大村社長に、イノンの事を聞く。大村社長は携帯で夜遅いのに自分のところの社員を呼び出して、聞いてくれた。申し訳ないので、フィッシュアイには、やはりGoProのマクロアダプターが売り出されていたのを買いましたとエクスキュースしたら、ありがとうございますとお辞儀をされた。
僕は、カメラの画角を対角線で考えていたが、そうではなくて長辺で言う方が一般的なようだ。長辺では、GOPROは90度も無いので、それを140度にすることは十分にいみがあり、その上に、近くまで、マクロワイドで寄れるらしい。
大村さんとの話、辰巳でとなりに何でも知っている福ちゃんがいたので、GOPROの本格的な画角は?と聞いたら、知らないという。「一番大事なことだから調べて置いて」とお願いした。イノンの井上社長がイノンのブースに居れば、その時に聞けたのだが。



水深100mの世界、ハルシオンのブースだ。ついしばらく前まで、ダイビングは深く潜ることが目的ではないと、僕の100m潜水を馬鹿にされたものだが、人間は深みをめざす。僕も80mを目指す。

ゼロの五月女社長、面白いキャップが売り出され、2mmのドライも良いのだけれど、ちょっと太りすぎではない?



若手?カメラマンの古見君、この人も、すれ違う時に笑いかけてくれるので好きだ。単純だな。「また一緒に仕事したいね。」なにがあるだろう。80mのスチルを月刊ダイバー経由でお願いしようかな。




バブルガンを買うことにした。村上商店、お父さんの代からの長い付き合いだが、商売上手だ。それに熱心。


村上商店の水中釣竿。陸上からの釣りはやらないのだが、やってみようかな。

AEEの戸高社長、FBは、ほとんどAEEで撮っています。石川さんから3台まわって来たのだが、1台取り戻されたので、10台ぐらい使いたいのだが、とずうずうしいお願いをしておいた。



宮古の渡真利社長、あんまり話す話題が無かった。昔話も今さらの仲だけど。


帰りがけに大岩先生の後ろ姿が見えたので、追いかけて声をかけたら、正田薫さんに会えた。僕の変貌でしばらく僕がわからなかったらしいが、気が付くと、喜んでもらえた。彼女は日本ではじめて女性で潜水士の資格を取った人、その時は男装していたのでは?という噂もあった。男装の麗人だったのだが、だが、という年月、

 それから、医科歯科大学にまわり、 DANと社会スポーツセンターの講習会


 80歳に近くなれば、筋肉は霜降りになり、人間の体はボロボロ、だと教えられる。そんなことを聞いて、元気づけられるわけもない。もう終わりだ。とおもわされる。
 高齢者が死にやすいのは言われなくてもわかっている。常識だ。およそスポーツは心技体というけれど、心が体を支える。よってたかって、心を痛めつけると、高齢者は感じてしまう。
 死んで当然なんだから、死んでわるいか。ダイビングで勝手に死んでもいい覚悟の認定を出そうと思ったのがJAUSの始まりだ。まだ、道半ばだ。80-80に成功したら、声明をだそう

0411 グラフィティ

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 グラフィティ単行本化

須賀潮美からの指示

脚注は別途、ワードに貼り付けてありますが、トータルで5000Wくらいあります。
この中から、詳しく書きたいものがあれば、抜き出して加筆してコラムにしてください。
コラムは7ページ(1ページ1コラムで、7本)。
コラムですから少し字を小さくして、詰めるだけ詰めてもいいと思います。
コラムのテーマも内容もお任せします。ここは私のほうでは手を入れないので、
次郎さんワールドで思う存分書いてください。

 いい気になって存分に書いたら。。。。

 詰めるだけ詰めて120W、7pで8400w コラムを3本書いたら、6000+4000+3600、あと一つどうしても書きたいテーマを一つこれを3000として16000w 半分に縮める作業でなんとかなるかな。最初から書きたいだけ書いてあとで縮小するつもりだったのだが、
 ①自分の書いた本を取り上げて、レクリエーショナルダイビングの変遷
 ②夢と冒険
 ③潜水機の沿革
 ④20世紀から21世紀の潜水へ
 ⑤減圧表他潜水障害について

 ①と⑤はむりだろうな。③―④―②の順にして、三つを七つに割って縮小しよう。⑤を書くかどうか、思案中
 何を書いたら良いかわからない状態からスタートして、ここまで来たのだから、良いか?

 縮小するプロセスは、ブログのメイキングにして、縮小していない全文をホームページに載せて置くなりして、販促になれば、良いか、とにかく、今は全部⑤まで書こう。ちょっと時間的にしんどいな。

 ③潜水機の沿革の項で、フリーダイビングにも触れて、(カットするかもしれないが)岡本みすずさんのことを書いた。
 コラム原稿抜粋
さて、潜水とは、水中に潜ること、まずは息をこらえて潜る。本文にも書いてあるが、これがダイバーの基本教養だ、と僕の時代のダイバーは思っている。これは素潜り、スキンダイビングであるが、だいたい20mぐらいまでを守備範囲とする。高齢になっても、つまり僕でもできる、とても良い生涯スポーツである。
これより深く、命がけで、生理学的研究の成果を基本にして科学的に潜るフリーダイビング(アプネア)というのがある。このごろ親しくしている岡本みすずさんは、きれいな奥さんだが、90mを目指している。多分、来年には達成するだろう。27歳の僕が命がけで到達した90mである。もっと若ければ僕もと思うが、残念なことにもう無理だ。80歳で80mまで潜る計画が僕の潜水生活のゴールになりそうだ。もしかしたら、その時に岡本みすずさんも一緒にフリーダイビングで潜ってきてくれるかもしれない。
海女さんの話まですると際限もなくなるが、最近では重要な文化だと注目され、各地で海女さんが観光資源になっている。息をこらえて潜ることで漁獲が制限され資源とのバランスを持続的に維持し、しかも、能力に合わせて公平に資源を分配できる素晴らしい、世界に誇ることができる潜水漁法である。この素潜りもスキンダイビングも健康に良くて、海女さんも80歳を超える人がいるし、僕もスキンダイビングで、深さ8mまでは楽に潜れる。

    みんな見ている。

岡本さんは浦安在住で、浦安のプールでコースを貸してもらって自主練習をするようになった。
僕たちの海豚倶楽部に来て泳いでもらった。僕は美しいホームの見本など示せないから、メンバーに超一流の泳ぎを見てもらうのはとても参考になる。
みすずさんの良いところは、バランス感覚がすばらしいことだ。だから、たちまちみんなの人気を集める。応援する気になる。僕の若いころは、ダイビング界でエースだったころは、そしてつい先だってまでは、バランス感覚が最低だった。反省。
彼女ともっと早く知り合っていれば、最新ダイビング用語事典にフリーダイビング競技の項をかいてもらったのに。


僕の記念写真の撮り方。
記念写真を撮る人のサイドにカメラをおいて、動画を撮って静止画にする。
みんな自然で良い表情に撮れたのを選ぶことができる。


バランス感覚と言えば、僕たちJAUSの星、鈴木あやのさんも最高だ。イルカと一緒にアイドルになっている。今はやりのリケジョでもある。この頃さらに感心しているのは、妊娠だ。スマートに臨月まで泳ぎにきてくれるだろう。旦那の福ちゃんが記念撮影?をしている。



 本当にこの頃は、女性ダイバーがみんなすごい。それも、全員スキンダイバーだ。

0414 グラフィティ

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4月12日
潮美からコラムは、1p900字、7p用意している。・テーマは七つ。とすると、1テーマが900字だ。
10日から書き始めて、12日現在で、
① 奄美大島 1955年と今
② 人工魚礁
③ ダイビングとは
④ 冒険と探検
⑤ 大深度潜水その後 システム潜水
⑥ 大深度潜水その後 テクニカルダイビング
⑦ 書いてきた本 スポーツダイビングの変遷
ながいものは6000字をオーバーしている。
とにかく縮めよう。

ブログを書いている時間がない。1テーマの縮めぶりを載せよう。

③ ダイビングとは
ダイビングとはどういうものなのか書こうと思った。

27歳の100m潜水について、今の視点から振り返って、「その時の潜水機材について、そして、空気潜水から、ヘリウム酸素潜水について、もう少し技術的に述べよう」とかんがえたのだが、待てよ、潜水について、ダイビングについてまるで知らない読者がいるのではないかと気がついた。
まず、潜水とは、この頃ではダイビングと呼ぶことがおおいのだが、本来、ダイビングとはオリンピック種目でもある飛込競技も含んでいる。
潜水する人のことを昔は潜水夫、この頃では潜水士と呼んだり、ダイバーと呼んだりする。潜水夫という言葉も嫌いではない。「潜水夫魂」と書いたT シャツが欲しいくらいだ。沈着冷静で何物も恐れない魂だ。しかし、やはり自分のことはダイバーと呼ぶ。
さて、潜水とは、水中に潜ること、まずは息をこらえて潜る。本文にも書いてあるが、これがダイバーの基本教養だ、と僕の時代のダイバーは思っている。これは素潜り、スキンダイビングであるが、だいたい20mぐらいまでを守備範囲とする。高齢になっても、つまり僕でもできるとても良い生涯スポーツである。
これより深く、生理的研究の成果を基本にしてはいるが、さらに深く潜るフリーダイビング(アプネア)というのがある。このごろ親しくしている岡本みすずさんは、きれいな奥さんだが、90mを目指している。そのうちには達成するだろう。27歳の僕が命がけで到達した90mを息を止めて潜る。もっと若ければ僕もと思うが、残念なことに無理だ。80歳で80mまで潜る計画が僕の潜水生活のゴールになりそうだ。もしかしたら、その時に岡本みすずさんも一緒にフリーダイビングで潜ってきてくれるかもしれない。
海女さんの話まですると際限もなくなるが、最近では重要な文化だと注目され、各地で海女さんが観光資源になっている。息をこらえて潜ることで漁獲が制限され資源とのバランスを持続的に維持し、しかも、能力に合わせて公平に資源を分配できる素晴らしい、世界に誇ることができる潜水漁法である。海女さんの素潜りもスキンダイビングも健康に良くて、海女さんも80を超える人がいるし、僕もスキンダイビングで、深さ8mまでは楽に潜れる。
息をこらえるのではなくて、水中で呼吸するためには、
 袋に空気を入れて持って行く方法と、筒で水面の空気を吸う方法が考えられる。
忍者のように筒で空気を吸ってみると、30cmぐらいの深さで、もう吸い込めなくなる。水の圧力が肺を圧迫するので、吸えない。ポンプで空気を送り込まなくてはならないことがわかった。
大きいバケツを伏せて錘をつけて水中に引き込んでみた。すぐに苦しくなってしまう。これも、ポンプで空気を送り込んだらうまく行く。これが最古の潜水呼吸器だろう。大きいバケツではなくて、大型化して、釣鐘を入れて見た。潜函のはじまりである。
全て器械の進歩の方向は小型化である。
バケツの大きさを次第に小さくして行くことも試みられた。人間の頭が丁度は居る釜の大きさにして、釜に窓を付けて外が見られるようにすると、ヘルメット式潜水機になる。  

 一方、素潜りの海女さんは、最初はメガネのない素眼で、目に悪い職業だったが、やがて眼鏡が開発され、さらに目と鼻が入るマスクに進化した。眼だけの眼鏡だと、水圧で眼鏡が目に食い込んでしまう。鼻まで一緒に入れてしまえば、鼻から息を出して、圧力を平衡させることができる。 道具の進化の方向は、より小さく、軽くである。釜をかぶるのはどうも重い。
 待てよ、マスクで鼻から息を吸い込めば潜水を継続できる。マスクにポンプで空気を送り込めば良いのでは、と気づいて、マスク式潜水機が生まれる。一方で、忍者の延長線上で、ホースを直接口に咥えてしまえ、と考えた人もいる。ポンプで空気を送り込めば、これでも深く潜れる。今でも、東南アジアでは、このタイプが使われている。これは、水タバコを吸う水煙管のようなので、フーカー(水煙管)方式と呼んでいる。
 
 もう一つの潜水機進化の方向は、空気の消費量をできるだけ小さくすることであった。空気の消費量を小さくすれば、ポンプも小さくできるし、深くも潜れる。なにしろ、その場の水圧と同じ圧の空気を送らなければならないから、水深10mでは2倍、40mでは5倍の圧が必要である。圧力が高くなるので、ポンプを押す力、圧縮する力を増やさなければならない。10mで二人で押していたとすれば、40mでは、5人で押さなくてはならない、潜水機の空気消費量が大きいとポンプの大きさ(ピストンの容積)が大きく、10mで二人が必要ならば、40mでは10人で押すことになる。さらに、ポンプを押すのは重労働だから、交代要員も必要である。
 ダイバーが呼吸する時、息を吸い込む時だけ空気が供給され、息を吐き出している時は、空気が止まっていれば消費量は二分の一以下になる。鼻から吸い込むマスクでは、口が何もしていない。洗濯バサミのような弁、口で噛んでいる時だけ開いて空気を流す弁を付ければ、歯で噛んで息を鼻から吸い込む。この仕組みを考えたのが、渡辺理一さんで、作ったのがが大串さんという鍛冶屋さんだったので、大串式マスクと呼ばれた。造られたのは、正確にはわからないが大正5年(1916)と書いている本があり、1918年には、タンクを背負う方式でこのマスクを使った特許が英国で申請されている。息を吸っている時だけ空気が供給される、つまり要求して時だけ空気が流れるデマンド(要求)バルブの祖という事も出来るが、まだ、容器の性能が悪く、タンクを背負う自給気式としては実用化されなかった。実用としては、第一次大戦でアレキサンドリア沖、80mに沈められた八坂丸から、片岡弓八が1925年貨を引き上げて、世界的に有名になった。

        大串式
 この大串式、そしてほとんど同じ原理の山本式のマスクが、1930年代の日本のマスク式潜水機の主流であり、定置網漁業のための潜水として、三浦定之助、山下弥総左衛門(どちらも水産講習所の先輩)が漁業者の潜水教育を積極的におこなって成果を収めていた。
 しかし、この歯で噛むという動作は、歯に悪い。僕が東亜潜水機に入社した1957年当時には消えてしまっていた。
 浅利熊記というこれも水産講習所の先輩だが、ヘルメット式よりも軽便に、そしてもっと技術的に容易に、漁師でも使える潜水機、出来れば自転車の空気入れのちょっと大型くらいのポンプで潜れる潜水機の開発を行い。佐藤賢俊さん(のちの旭式潜水研究所社長)の協力を得て成功し、伊豆半島方面でのテングサの採集、北の海での鮭をとる、流し刺網漁でスクリューに絡んだ網の除去などに使われた。この潜水機も空気の節約のためにデマンド式ではないが、空気の節約のために、マスクに袋を取り付けて、息を吐き出している時に送られてくる分を蓄えておくようにしていた。

        旭式
 本文にある東京水産大学での初期の潜水実習は、このマスクで行われた。
 このマスクは、顔にしっかりと取り付けないと、空気が漏れてしまう。顔が痛くなる保しっかりと締め付ける。ポンプではなくて小型のコンプレッサーを使えば、空気消費など浅い海ではどうでも良い。緩くマスクを付けて、空気を鰓のように排出しても、ヘルメット式よりははるかに消費量は小さい。その発想で作られたのが金王式で、伊豆の海では旭式と人気を二分した。

      金王式

ダイビングの沿革について書いてしまった。
これで3000字だ。これではブログでも読んでもらえないだろう。1000wが限界だ。今後は、ブログも1000Wとしようかとおもう。字数を制限しないと文章にもならないし、それにコラムには写真を載せるスペースがないから、沿革を書くのはまちがいだ。でもダイビングとは何なのか、自分の考えを書きたい。
 最終的にどうなったのか。是非、単行本が出たら買ってください。
ては。

0417 探検と冒険

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 コラム、冒険と探検について、これで4日間書いている。もうこれで終わりにしなければ。

 冒険と探検について、友人の角幡唯介と、割合好きなノンフィクション作家高野秀行は、一冊の対談集を出してしまうらしい。二人とも早稲田の探検部だ。一冊の本にするほどの話題を、僕は920字で書く、時間がかかって当然だろう。

 ネットをしらべて、
「冒険とは、死を覚悟して、 そして生きて帰ることである」 冒険家『植村直己』
 僕の考え方はちがう。
 その他、冒険と探検の違いでネットを調べるとザクザク出てくる。そのどれとも僕の考えは違うので、次第に不安になってきた。
 しかし、自分と違う意見がある、多いのは当然のことであって良い。
 しかし 角幡唯介が僕の本を見て、笑わない程度の事は書きたい。
 そして、これは基本的なことだから、900字では無理だと1800字を目指した。1800字書いたが、900字に縮小した。

これは昨日、ブログのつもりで書いた。今はちがってしまっているが、本になると今の原稿も大幅に変わるかもしれない。
 
「冒険」=危険が待ち受けていると想像できることを、 あえて行う。そのような場所にあえて出かけること。 「探検」=(その人にとって)未知の場所に足を踏み入れ、 その場所にある(と思われる)何かを探したり、調べたりすること。出かけることが冒険で、探したり調べたりすることが探検だとしている。僕の考えとやや近い。
僕の考えは、探検とは、調べる、探す、目的であり、冒険とは、調べる、探すための行動としている。つまり、探検という冒険をしたり、探検のために冒険したりする。潜水とは、水中という人間の生きていられない世界に踏み込んで行く冒険で、水中という未知の世界を探検する冒険であるという。探検はほとんどの場合冒険をともなう。人が何かチャレンジする行動をすると、冒険をするとか、冒険だったね、などという。探検だったねとわ言わない。一方極地探検というが、極地冒険とは言わない。そして、極地探検には冒険的な行動、冒険する場面がずいぶんあるだろう。冒険とは、命がけになる場合もあるだろうが、すべての冒険に命を懸けていたのでは、命がいくつあっても足りない。
冒険とは、目的を達成するときにハードルがあれば、それについて調べて、対策を講じて、真剣に取り組むことだ。でなければ、ほとんどの冒険は屍の山を築くことになる。表現はもっと簡潔だが、そういうことを書いた。
命を懸ける冒険というのも勿論あるけれど、それは「命をかける」という形容詞が前に付く冒険であり、冒険は、人間の本性から、湧き出すチャレンジであり、ハードルはあるが、いちいち命はかけない。ただ、何時でも、冒険はいのちがけになる可能性はある。それを避けるために最大の努力をしなければいけないが、 
 

0417 コラム終了 福島の海

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ようやくコラム7本書き終える。まだまだ推敲するから、変わるが基本的にはこれで行く。
①ダイビングについて、三日かかった。
②冒険 四日かかった。
③水中撮影について書いた本
④システム潜水
⑤テレビの撮影
⑥21世紀のダイビング ③④⑤⑥それぞれ二日ぐらいか
合計しておよそ半月、それだけやっていたわけではない。他の仕事もしているから、一日に4時間ぐらいだったろう。それに、ツイッターやフェイスブック見ながら考えている時間も結構長かった。考えあぐねて、見ていると急にわかるときがある。誰がどんなことを考えているか、行動しているのかを見ると、思いつくこともある。
考え方は人それぞれだし、自分が王道かどうかわからないけれど、王道はどこにあるのか、考えたことは勉強になった。
今回はグラフィティのコラムということで、考えなかったが、ダイビングの危険とか、安全とか、それぞれ、考えて、そして900字ぐらいでまとめると勉強になる。今さら勉強でもないから、頭の中の整理とでもした方が、良いかもしれない。
自分の文章がくどくなってしまって長くなることも良く分かった。意味が分かり、伝えたいことが伝われば良いと、簡潔にすることも大事だ。

これは、今日没にした原稿 
グラフィティのコラムだから、このスタイルもありかとおもったのだが、この題材だと、やはり900字はつらい。

         福島久ノ浜放射能調査 2011 12月


福島沖 人工魚礁
 福島県で人工魚礁調査を行った海域は、放射能汚染海域になってしまっている、松川浦、相馬、双葉、大熊町、四倉、江名、懐かしい。懐かしい海と言っても容易な海ではない。さえぎる半島も、島もなく、太平洋が直接に打ち寄せている。寒流と暖流がぶつかり二重え潮になる。冬でなければ水は澄まない。水産試験場の技師、大和田淳さんと一緒に潜水した。人格が丸く、顔も丸く、身体も筋肉質で丸い。ダイバーとしては、僕よりも上だった。なぜかと言えば寒さに強い。良いダイバーかどうかは、寒さに対する強さで決まる。冬、水が澄む頃、相馬の沖から岸を見ると、空気も澄んで、蔵王あたりの山並みがみえる。北西風が吹き降ろしてくる。潜水終了して船に上がると、大和田さんはウエットスーツをがばっと脱いで、真水をかぶる。蔵王おろしが当たって体から湯気がでる。僕も真似してみた。たちまち体が硬直して、もう少しで低体温症で凍死するところだった。急激に体を冷やすと危ない。
 震災、大津波で、何かの役に立ちたいが、もはや、東北の瓦礫の引き上げは、僕の年齢では足手間問いになる。僕でなければできないこと、海にながれた放射性物質の調査を企画した。理研の守屋さんと一緒に、四倉、久ノ浜で調査ができ、10日間もぐった。うねりの中、濁水の中で潜った。その経験を活かして水深40mまで持ち込める放射線スペクトル分析装置を作った。昔潜った双葉沖の人工魚礁に潜って調べたい。大和田さんの力が借りたかった。試験場で消息を訊ねると、「残念なことでした。」という答えが返ってきた。調べると行方不明者の名簿に名前があった。津波に流されたのだった。



0419 「アクアラング潜水」という本

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  レポート欄に ほめていただいた。
 返事を書いたのだがとどいているかどうかわからない。このブログの使い方が今一つわからない。そんなことで、ここでお礼することにした
 
「 はじめまして。ダイビングはしたことがないのですが、 月刊ダイバーは読んでいます。40歳になります。 シュノーケリングを年に1回程度する、しかも2年くらい前からです。 たまたま兄の結婚式に沖縄にいって、月刊ダイバーという雑誌をみかけてそれから読むようになりました。 ニッポン潜水グラフィティは月刊ダイバーの中でも 最も好きな記事です。ダイビングをまったく しらないわたしにとって非常に 別世界のことですが、ぐいぐいと引き込まれます。 スガさんの文体がすごく好きです。 ニッポン潜水グラフィティが本にならないかと思っていたので 非常にうれしいです。 さらにスガさんのサインをいただけるのであれば 最高です。 なにか注文フォームなど、連絡方法があれば教えてください。 」

こんな風にほめられると本当にうれしい。連絡方法は、メールアドレスをしらせていただければ、お返事します。
 文体にはこだわっているのだが、ブログのように大量生産的に、推敲もそこそこだから、いや、推敲しないで書きっぱなしのことが多いので、自分の考えているような文体にはなっていないことが多い。

 今書いているコラムについて言えば、字数が僕の文体にはすくなすぎる。例えば冒険について書いたのは、1800字だが、3000はないと自分の文章にならない。
 しかし、字数を決められて推敲するのも、ためになる。やってみてわかったことは、文章の量が限られている場合は、書く題材で選択して、総計でやりくりするのがよいかもしれない。しかし、そうなると本当に現在書きたいことをおとさなければならない。

 ここに載せているのは、コラムとして書いたのだが、グラフィティ全体の流れからは少し離れているし、このテーマならば、単行本に6pの年表を入れるので、それにした方が良いと思った。そして、自己責任とか保険のテーマは。どうしても業界と絡んでしまうので、ちょっとグラフィティから外れると思ったこともある。

 なお、ここに載せたのは推敲する前の下書きである。

 主に自分の書いてきた書籍、関わってきた教本などを中心にして、ダイビングの危険についての考え方、賠償責任訴追について、器材の進歩によるダイビングのスタイル(方法)の変化、など、ダイビングの変遷を追って行く。

 ①「アクアラング潜水」
1966年7月初版、現在手にしているのは、1970年の5版だ。ダヴィット社刊。共著者の浅見国治は、水産大学潜水部の一期後輩:米国のUSダイバーズ社に研修出向している時に日本で多分はじめて、NAUIのインストラクターの講習を受ける。

    アクアラング潜水」の グラビアに使った写真で、背景は千葉県金谷である
     海の姿は変わらないが、装備は全然変わってしまった。BCは着けていないし
    フィンはチャンピオンという名前でワンサイズ誰にでも履かせた。
    足の大きい人は痛みを我慢し、小さい人は運動靴を履いて使った。


日本で初めて市販されたスクーバダイビングの教本で、ほとんどすべての事項について、当時としての完璧な記述をしている。そのころ、すでにスクーバという言葉が定着しつつあり、アクアラングという言葉は、商標登録されていたが、あえて、浅見の勤務先の日本アクアラング社にお願いして、アクアラングという言葉をタイトルにさせてもらった。当時すでに、アクアラングという言葉にノスタルジーがあった。
アクアラング潜水の危険についての記述(全文ではない)
「潜水事故はダイバー自身が十分な知識と技術を備えて、潜水のルールを守っていれば、絶対に起こりません。自動車の運転では、いくら自分で注意しても、相手の不注意や誤りで事故が起こることもあります。潜水では自分自身を完全にコントロールできれば、絶対に安全なのですから、その意味では自動車の運転よりも安全と言えます。」
それ以後、想定外、予期しなかった原因で起こる潜水事故にいくつも遭遇し、そして、この世のことに絶対などあり得ないことを知らされるが、まだ31歳のころである。
安全潜水についての要約という項で10項目を挙げているが、「☆アマチュアダイバーは、窒素酔いの恐れがあり、また危急の際に自力で浮上することの難しい、水深30M以深に潜水してはなりません。☆減圧停止を必要とするような潜水を行ってはなりません。」
自分は窒素酔いの領域、減圧停止は、日常にしていたのだが、テキストでは、スポーツダイバーについては、ほとんど今のテキストと同じ注意をしている。
未だ、残圧計はない。
リザーブバルブで対応するとともに、「空気の供給が止まってもあわてる必要はありません。空気栓塞にかからないように少しずつ息を吐き出しながら上昇すれば良いのです。もしスキンダイビングで水平に25M潜水して泳ぐことができるならば、25Mの水深で空気が止まっても全く容易に水面まで上昇できます。」
講習会のプログラムも掲載されているが、4級:スキンダイビングが出来る。3級の講習が受けられる。3級:二日間の講習で、スクーバの脱着までおこない、1級以上の指導者とアクアラング潜水が出来るようになる。2級:水深10Mから5キロの重りをとってくる。(スキンダイビングで)1級:水深10Mから8キロの重りをとってくる。もちろんこれだけではないが、1966年当時の講習のレベルがこれでわかる。
事故について、例えば1級と一緒に潜水している3級ダイバーが事故死しても、1級を訴えるようなことは、無かったし、考えもしなかった。
減圧症などの潜水障害について、米国海軍のダイビングマニュアル1958年版から標準空気減圧表を抜き出して掲載している。

0223 冒険者

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グラフィティ 単行本化のために本文に加えて、コラムを7本入れることにして、その原稿を書いている。
そのことを、このブログで、メイキンググラフィティとしてこのところ書き続けている。
そのうちの1本が冒険についてであり、2000字くらい書いてしまったところから920字に削る。単行本はスペースが限られている。

削る作業はきらいではない。削った結果の現在0423である。

③ 冒険
僕の好きな言葉、「探検とは知的情熱の肉体的表現である」Exploration is the physical expression of the Intellectual Passion .スコットの悲劇的な南極探検(1913)に参加して書かれた、チェリー・ガラードの「世界最悪の旅」。
グラフィティのコンセプトは、「夢と冒険」である。冒険と探検との違いは何だろう。
冒険は命がけとする考え方はかなり一般的で、「冒険とは死を覚悟して、そして生きて還ってくることである。」と植村直己が言っている。
探検も冒険も、命がけになってしまうこともある。しかし、最初から死を覚悟するようなことは、愚かであり、知的ではない。
27歳の100m潜水は、潜水技術の発展のための探検と考えていたのが、命がけになってしまい。冒険になってしまったと反省した。
しかし、冒険と探検に、危険の差を見出すことはできない。先のスコット探検隊も、学術的な目標を追求したために、全員が死亡した。冒険的に極点到着だけを目指したアムンゼンは無事に生還した。モチベーションの高さが、危険に結びつくとすれば、探検の方が危険度が高いかもしれない。
探検も冒険も、目標を決めて、そのハードル(難度)を分析し、計画し、目標を達成して戻ってくる活動という事では同じだ。どっちだって良いではないか、楽しければ。
作業ダイバーも、陸上の作業員よりも、楽しいので、潜水を続ける。素潜りの海女さんも楽しいから高齢になるまで潜り続けられる。なぜ楽しいか、自分なりに理屈をつければ、原始の水中世界に、原始の人間が生きる危険を、自分の知恵と判断で解決しながら生きぬいて行くことに、喜びを感じるからである。
ダイバーは、自分と言う潜水艇の船長であり、潜水艇の安全についての絶対権力者である。これを海ではキャプテンシップと言う。責任者ともいう。そして自分一人ではなくチームの生還も互いに担わなければならない。
未だ、キャプテンシップを担えない初心者にとって、潜水は冒険ではなく単なる危険かもしれない。インストラクターとかガイドダイバーに責任をもってもらって、それに従う。それでも水中と言う冒険の世界にほんの一足で入り込むことができる。

 923字である。

 これにもう少し加えたい。
 スクーバの冒険は、ディズニーワールドの冒険ではない。造られた冒険ごっごでもない。水中と言う人の生きられない世界に入って行く、真正の冒険である。本当の冒険が安全にできる、安全を目指す本当の冒険である。
 このことを入れたいのだが、その分を削らなくてはならない。
 また。次のフレーズもちょっと書き直したい。
「探検も冒険も、目標を決めて、そのハードル(難度)を分析し、計画し、目標を達成して戻ってくる活動という事では同じだ。どっちだって良いではないか、楽しければ。
作業ダイバーも、陸上の作業員よりも、楽しいので、潜水を続ける。素潜りの海女さんも楽しいから高齢になるまで潜り続けられる。なぜ楽しいか、自分なりに理屈をつければ、原始の水中世界に、原始の人間が生きる危険を、自分の知恵と判断で解決しながら生きぬいて行くことに、喜びを感じるからである。」

 そんなことで、冒険について考え続けているし、冒険と言う視点からいろいろな事件を考えている。
 最近、世の中はSTP細胞発見の小保方さんのことでもちきりだ。僕もテレビを見たり、週刊誌を立ち読みしたりして、ウオッチしている。これほど、日本人庶民が研究者とか科学について注目したことは無い。まず、その功績が大きい。
 科学は冒険のフィールドである。だから研究者は、冒険心で、冒険に引かれて研究のフィールドに入ってくる。研究者とは、果てしも無い科学と言う荒野に踏み入って、道なき道を行く冒険者である。それが実験室とPCに限定される研究であっても冒険である。僕の友人、仲間である研究者も冒険者であり、実験室の研究者が、海の中と言うフィールドに進出すると、それは危険である。実験室の中にも危険はあるが、フィールドは危険に満ちている。
 水中は、人跡未踏の密林と同様に、猛獣毒蛇がワンサと居る。最近、日本海で猛毒、噛まれると致死のヒョウモンダコが発見された。エビ篭だかに6cmほどのこの蛸が、1尾とれた。そしてら環境省のレンジャーが危険なので、なみうち際は、厚い長靴を履いて歩くようにと注意を促していた。昔からヒョウモンダコは、八重山から九州、四国、伊豆半島で普通に見られる。この地域の渚をビーチサンダルなどで歩くことは厳禁である。北限はどこだか知らない。日本海では初めての1個体である。

 すぐに脱線する。小保方さんはどこに行った。小保方さんは、他の科学研究者とどうように冒険者である。何かのはずみでSTP細胞を発見した。それを、理研、とかネイチャーの編集者が認めた。だから、公表し特許申請をした。特許の利権は理研のものである。別にシャレではない。
 それを割烹着付きで発表した。美人の冒険者であり、それも飛び切りアッピールのしかたが上手である。最近の記者会見など、絶賛である。
 ノートが無いという。ノートが無いのはまだいい。ずぼらな冒険者も数多い。僕など、研究者ではないけれど、ダイビングログも、この頃つけていない。70歳から、一昨年まではエクセルでしっかりと記録して、この方法がダイビングログのナンバーワンだとおもっていた。それがこの2年書いていない。ダイビングの数も減ったが、ブログに書いているから良いだろうと投げてしまっている。まあこれはどっちでもいいだろう。二つ書く時間が無くなっただけだ。
 小保方さんも時間がなかったのだろう。いい加減な人だったのかもしれない。いい加減が悪いことであれば、僕の周囲にわんさといる。僕ももちろんその一人であり、アバウトは美徳であるとさえ思っている。小保方さんは、アバウトであったかもしれないけれど、美人であり、STP細胞を作り出したと自分で信じた、この信念は生涯まげることはないだろう。他に、生きる道はない。美人だから、男には持てるけれど、女は敵対視するタイプだ。後ろから刺されたのかもしれない。
 STP細胞はあるかどうかわからない。しかし、この後、数千人の研究者が実験を重ねれば、見つかるかもしれない。私が一番目ですと主張することに小保方さんは、賭けたのだろう。おそらくは、これが本当だと信じたにちがいない。周囲の科学者は、その真摯さに、もしかしたらだまされたのかもしれない。真摯でなければ、人は騙せない。STP細胞の真実はまだわからない。ただ、そのフィールドを提示したのは彼女であり、もしかしたら途を開いた。
 冒険とは何なのだろう。考え続けている。
 

0424 スポーツダイビング入門

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冒険について書いているので、冒険と言う視点からすべてを見ようとしている。

  昨夜、JAUSのウエアラブルカメラ研究会のミーティングがあった。今後、どのようにやって行くのか議論した。おわってから、飲み会に参加。僕はお酒を飲まないことにしているのだが、酒を飲まないと付き合いが悪くなる。悪くならないように酒を飲まずに参加しなければならない。
 なぜか、話題はダイビングのことになった。僕はしばらくは聞き役になっていて、そのまま終了しようかとも思った。このディスカッションに参加して、良いこと、得になることなど何もない。
 しかし、今書いている本のコラムで書けないようなことが沢山あり、それが頭の中に残っているので、つい、気が付けば、議論に参加してしまっている。

 僕が話題にしていたのは、二つ、一つはバディシステムの問題、バディシステムよりもソロが良いという話題。インストラクターとかガイドダイバーは、一人で四人のゲストを連れて潜るとして、ゲストを二つのバディにすることで、安全をキープしている。四人のゲストがいないで、自分一人だったら、どんなに安全だろうか。事故を起こしたとしても、自分が死ぬだけだから、別にどうと言うことも無い。
 だが、これはレクリエーショナルダイビングの場合で、プロの潜水は、事業者が責任の大半を持たなければならないのだから、一人にしてしまえば、そして、その時に事故が起これば、事業者の責任である。グラフィティの最後の章が、スガ・マリンメカニックの脇水輝之の事故で、これが僕のダイビング生活を変えてしまった。それまで、一人で潜れば一人死ぬだけ、バディの二人だったら二人が死ぬなどとうそぶいて、水深20m以下だったら、調査の仕事で一人で潜ることもあった。それを見て育ってきた脇水輝之が、一人で潜っても不思議ではない。そして、減圧停止中に一人でいて死んだ。原因は不明である。ただ、死んだ。原因は不明であるが、その時、バディが居れば死ななかった。
 事業者、自営の経営者本人だけならば、一人で良い。しかし、一人で潜らせて、つまり命令して、口で命令しなくても、それを許可すれば、命令と同じことになる。命令して、通話器のないスクーバで一人で潜っていて、事故をおこせば、経営者の責任になる。プロのスクーバダイビングについては、バディシステムが絶対であり、一人で潜らせてはいけない。自営で経営者が一人で潜って、事故を起こしても、責任を問われる自分が死んでしまっているので、どうでも良い。
 
 もう一つの話題は、「昔のダイビングの方が、今のダイビングよりも安全だった。?」
今、グラフィティのコラム原稿を書いているが、グラフィティ本文で、自分の書いた本については、ほとんど触れていない。だからコラムで紹介している。
そのうちの一冊。

 「スポーツダイビング入門」1976年 初版 マリン企画刊
共著者は竜崎秀夫さんで、ドウ・スポーツプラザ新宿の指導責任者、つまり校長をやっていた。ドウ・スポーツプラザ新宿は、「新宿から海がはじまる」というキャッチで知られていて、新宿の高層建築群の始まり的な住友三角ビルの別館に作られ、1974年4月にオープン、深さ10m、このプールだけでダイビングの初心者訓練のすべてができた。
この本で、スポーツダイビングの危険について、「インストラクターの望みは、受講者が正しい判断を下す能力を身につけてくれることである。-中略―行動の最終的な判断をするのはあなた自身である。どんなに有能なインストラクターも個々の潜水者について回れない以上、すべて責任をもつことはできない。ダイビングは安全なスポーツであろうか?適切な判断を下して、それを越えないような行動をするならば、ダイビングほど安全なスポーツはない。」と書いている。
まだ、潜水事故で遺族から訴えられることは想定していない。

この本の1976年時にはバランシングベストという名称で、ライフジャケットと同じような首に掛けるベストの形で、レギュレーターのファーストステージから中圧ホースで空気を気嚢に送り込むスタイルのベストが出来ていた。
「このベストは、水中に静止したい水中カメラマン、重い道具を扱うワーキングダイバーなどにはたいそう有効であるが、急上昇の可能性があるので、相対的な圧力変化の大きい、浅い水深で潜水することの多い初心者にはすすめられない。」と書いている。まだ、BCを使うことを全面的には認めていない。

 この本の1976年は、僕たちのダイビングが一つの頂点だった。新宿の高層街のど真ん中に水深10mのプールもできたし、ダイビングクラブもダイビングスクールもショップとなって今の老舗の多くが、その頃には出そろっていて、利益を挙げていた。つまり景気が良かったのだ。ほとんどのお客に、小売価格で道具が売れた。
 安全性の面でも、そのころが、今よりも安全だったのではないかと思う。 なぜ?それはBCが無かったからだ、と僕は思っている。
 BCがなかったころは、自分が潜る水深を目当てにして、ウエイトを調整して、潜る。例えば30mに潜れば、浅い10m以下では浮き上がってしまう。目標を30mにしたら、30mでだけ潜水している。潜水する水深がマルチになるとしても、せいぜい、30mと20mとか、二つぐらいの水深に決めておかないと減圧停止が決められない。
 魚突きをやっていても、よほどのエキスパートでないと、行動半径は今の半分程度だった。ただ、エキスパートになると、遠くの岸に流されて、バスで帰ってくるようなこともあったが、それも一生に一度か二度である。
 減圧症については、ヨーヨー潜水はしない。そんな言葉もBC普及の後から出てきた。
 BCが原因の空気塞栓も、BCを使っての浮上方法の研究と普及が無いころには、多発とは言えないが散見された。
 しかし、器材、道具の進歩は、人間の冒険心と同じで、避けられるものではない。器材が精密化、複雑化しつつ、行動半径が拡大してゆくのも、人間の本性であるが、ダイビングについては、器材の発達が安全化とは逆行している可能性もあることを知らなければならない。
言うまでも無く、器材の進歩は避けられることではない。時代とともに変わってゆく。器材が進歩するほど、垂直、水平に行動範囲が拡大し、それに比例するように危険が増大し、知識も多く必要になり、技能の講習のための費用も増大する。もちろん器材そのものの価格も上昇する。
 機材は複雑化するほど、慎重に、完璧にチェックしなければならない。危険を避けるための努力、練習が要求される。良いことは何もないが、しかし、人間の生きがいである冒険をもとめる本性が機材の進化を求める。
  僕は80歳で80mに潜る企画を立てているが、このような複雑な機材の進化を捨てて、出来るだけシンプルな機材と方法で潜る。行動半径を定めれば、その範囲内で、シンプルに安全をキープして潜れる。

0426 再び冒険について

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グラフィティの単行本化のためにコラムの原稿を書き、その中で、冒険と探検のちがい、探検は良いけれど冒険してはいけないという考え方に縛られて考え続けた。何をいまさら、という感が強いけれど、歳を重ねて、考え方が硬くなっている。グラフィティのコンセプトは、「夢と冒険を追う水中探検」だけど、それで良いのだろうか、よくないと根底から覆ってしまう。
最後の最後になって、冒険とは精神のことだ。と原点に戻った。そして、自己責任のことも、

       60歳の時の100m潜水練習中。赤いジャケットの代わりに、赤いドライスーツを着て、よろこんでいる。水深60m


③ 冒険
恩師、宇野寛教授から、「須賀君、命がけの冒険はいけないよ。エキスペディションなのだから」と言われた。エキスペディションとは、探検だと解釈した。先生は30代、僕は20歳だった。しかし、グラフィティのコンセプトは、夢と冒険を追う水中探検である。
僕の好きな言葉、「探検とは知的情熱の肉体的表現である」Exploration is the physical expression of the Intellectual Passion .スコットの悲劇的な南極探検(1913)に参加して書かれた、チェリー・ガラードの「世界最悪の旅」。
「冒険とは死を覚悟して、そして生きて還ってくることである。」と植村直己が言っている。しかし、最初から死を覚悟するような冒険を追って探検することは、知的ではない。
27歳の100m潜水は、潜水技術の発展のための探検と考えていたのが、冒険になってしまったと反省したが、より正確には、結果として命がけの冒険になってしまったとするべきだったろう。冒険とはスピリッツであり、探検とは行動の目的である。
探検とは、未知の世界に踏み入って、探求する人間の活動を言い、分析し、計画し、目標を達成して戻ってくる活動であり、その根底になっているのは、冒険精神である。それは、何事があっても生き抜く精神である。そして、自分の知恵と判断で障害を解決しながら生きぬいて行くことに、人は喜びを感じる。つまり、楽しい。作業ダイバーも、陸上の作業員よりも楽しいので、潜水を続ける。素潜りの海女さんも楽しいから高齢になるまで潜り続けられる。
ダイバーは、自分と言う潜水艇の安全についての絶対権力者である。これを海ではキャプテンシップと言う。そしてバディの生還も互いに担わなければならない。このことを自己責任と言う表現を使うこともある。
未だ、キャプテンシップを担えない初心者は、インストラクターとかガイドダイバーに責任を担ってもらう。
ガイドダイバーに頼ったとしても、冒険ごっこではない、真正の冒険がそこにある。
本当の探検であるから、避けなければならない危険もそこにはある。その危険を自分の知恵と判断で避けて行く冒険が潜水なのだ。

 ところで、「冒険はいけない」と言う精神が、何時、僕の心の中にうまれたのだろう。死んではいけない、死なせてはいけないという精神が強くなり、危険を冒してはいけないのだという気持ちが強くなったからだと思う。やはり、脇水輝之の死が、死なせてはいけない、絶対に、だから冒険を追ってはいけないとなったのだろう。グラフィティの年月は冒険をおっていた。79歳の自分は冒険を追ってはいけないと、人に教えるようになっていた。そのくせに、80歳で80mもぐるという、夢と冒険を追っている。
 ダイビングをする人、つまりダイバーだが、誰もが迷い、そしてそれぞれの結論に到達するのだろう。いや、永久に結論に至らないのかもしれない。
 僕の考えたことは、一つのサンプルである。
 僕のブログを見て、いや違う、とか、これで良いとか考えていただければ、幸いで、ぜひ、単行本になったら、「ニッポン潜水グラフィティ」を買っていただければとおねがいする。
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