生涯スポーツ 1
※商品スポーツの定義
中田さんの商品スポーツの定義では、一般人に売る役務商品である。と、ただそれだけ。一般人に売る商品もあれば、ベテランダイバーに売る商品もある。ダイバーのランクそれぞれに合わせるのが理想だが、せめて、一般人とダイバーに区分けするぐらいのことは、必須だろう。そんな単純、常識的なことを中田さんのように分析能力に優れた人が気づかないわけはない。意図的なのかと疑ってしまう。
「一般人に対して、その指導や案内{がいど}または、相手などをすることで経済的利益を得ることを目的として販売されるスポーツプログラムと役務を商品スポーツと呼ぶ。」そして、商品スポーツは、消費者がその実行後に、支障なく日常に復帰できることを前提とした一般向けの役務商品である。としている。
安全のための線引きは重要だから、業界の方は、たとえばダイビングポイントに、中級者以上、とか、上級者だけ、とか分けている。が、それにしても、消費者がその実行後に、支障なく日常に復帰できることを約束できるものではない。ダイビングも、スカイスポーツも、登山も、安全を当然のものとして期待する一般人には、売ってはいけない類のものなのだと思う。危険について、相応の理解と知識をもっているダイバーに対して売る商品である。
一般人をダイバーに育てるプログラムは、一般人を対象とするわけだから、安全が保障されなくてはいけない、と考えていた時代もあったが、それも無理だ。プログラムの良否にかかわらず、自分の事情(病気など)で死んでしまう人もいるからだ。
商品として売ってはいけない類のものを売ってはいけない相手に商品として売っている業は間違いだから消滅するべきだとするならば、それは正しい。僕とすれば、消滅させるわけにはいかない、とすれば、この業についての定義の方を変えなくてはならない。
ダイビングについて売っている役務は、発生する危険を解消する手段、器財、手助けであり、使う人の安全を保障して販売しているわけではない。もちろんそれが粗悪であれば被害があり、それについての責任は負わなければならないが、
商品スポーツという言葉のニュアンスには、何か、安全そのものが売られているようなイメージがある。
冒頭にもどって、ダイビングというスポーツは、商品スポーツは保留して、①生涯スポーツ、②競技スポーツ、③学生スポーツ ④スポーツ感覚で行う事業 僕としてはそんな分け方を提議し、話を進めていく。
誤解されるといけないのだが、これはまだ、議論の途上であり、この議論、結論の出ない類のものであるかもしれない。
生涯スポーツ
1980年代のはじめごろから、やがて訪れる高齢化社会が地獄のようなものにならないように、日本人が最後までスポーツを楽しんいられるようにと、文部省のスポーツ局に、オリンピックなどをやる競技スポーツ課と並んで、生涯スポーツ課を設け、生涯スポーツの振興を目指した。(1972年に審議が始まり、1987年に実施が決定した。)
生涯スポーツの定義は、何やらいろいろ書かれていたが、要は高齢になってもやめるな、やめなくても良いようなスポーツが生涯スポーツだ。
スポーツを振興させるためには、まず、場所、施設が必要、次に指導者が、必要、もちろん、何をするのか、そのスポーツがまず必要だが。
新しいスポーツも考え出され、ゲートボールなどがそれで、かなり成功した。しかし、高齢者向けのスポーツは、若い人はやろうとはしない。生涯を通じてできる生涯スポーツではない。高齢者スポーツである。若い頃からはじめて、死ぬまでできるスポーツが生涯スポーツである。必要があれば、アレンジしても良いが。
施設のことは、置いておき、指導者として国、文科省生涯スポーツ課は、生涯スポーツ指導者の制度をつくった。社会体育指導者と名付けた。
競技スポーツの方には、巨大な日体協がある。日体協としては、生涯スポーツは、盛んに行われているスポーツの延長線上のことなのだから、ことさらに生涯スポーツの指導者など作る要はないと、考えていて、生涯スポーツ指導者は宙にういてしまった。
一方でダイビング業界は統一資格を求めていた。
全日本潜水連盟は1973年全国を統一した形を作り上げ、1975年には、海洋博会場で、ロレックスをスポンサーにして、全国の支部から集まった代表が地域別で優勝を争うスポーツ大会を開催した。アメリカの団体であるPADIは、当時のPADI潜水指導協会として、関東からのチームとして出場し、優勝を勝ち取った。(現在のPADIジャパンとは、違っているが、それはPADIの事情であり、1975年―1980年へと、PADIは、全日本潜水連盟の強力な一角を占めていた。)残念なことに、それまで近しかったNAUIは、PADIが加入するとともに、抜けることになってしまったが、全日本潜水連盟としては、どうすることもできなかった。とにかく統一した資格で、海中開発技術協会もカードの名義人に加わって、全国が同じデザイン、同じ資格ランクの認定証を出していた。
ところが、世界水流連盟、CMASへの加入の問題で、幾つかの団体が全日本潜水連盟からスピンアウトして、統一は崩れてしまった。所詮は利益を追求するダイビング指導なのだから、しかも、国際資格の影響があるとすれば、統一は一時的なものでしか在り得なかったのだ。
しかし、これが国家資格、文科省が認可する資格であれば、話は別、全日本潜水連盟は様々なルートをたどって、日体協にアプローチしていた。日体協加盟の条件としては、その団体が、そのスポーツについて日本全国ただ一つの組織で有り、各都道府県に支部があること、であった。努力して、それに近づいたのに、CMASのためにバラバラになった。
そこに、日体協とは別の、国家資格、生涯スポーツ指導者資格ができたのだ。
資格取得の窓口になった社会スポーツセンターは、そのころ新興の住宅地として脚光を浴びていた多摩地域に、不動産会社である地産がつくった財団法人であり、現在も多磨スポーツセンターは、セントラルスポーツの傘下に入ったが、着実な営業をしている。その社会スポーツセンターに生涯スポーツ課と繋ぐ動きがあり、小島明将 事務局長が全日本潜水連盟を訪ねて来た。それが発端となり、全日本潜水連盟の副理事長であった須賀が、CMASのために散り散りになっていた仲間を糾合して生涯スポーツの指導者としての統合を提議した。そして、社会体育指導者(地域スポーツ指導者)の資格認可を社会スポーツセンターが行うことが、文科省から認められた。日本で初、ただ一つの国家資格であるスポーツダイビング指導の資格である。1988年、その最初の指導者講習が300人の指導者を集めて、湘南、茅ヶ崎の地産センターで行われた。しかし、このことについて、米国のPADI本部から、米国の日本大使館、日本外務省、経由で日本の文科省にこの資格を差し止めるようにとクレームが入った。
理由は三つあって、一つは営々と営業努力をして築いてきた、PADIの営業基盤が国の資格によって揺らがされること、一つは、元来、ダイビングの指導は自由な市場であるべきだ。PADIがその国に入って行くときに、すでに存在していた法規にはしたがうが(たとえば潜水士資格)、参入後に起こった資格法規については原則として反対する。もう一つは、日本人は海外でC-カード資格を取ることが多いがそのC-カードが日本の規則のために資格として認められないならば、貿易協定に違反する貿易摩擦になる。
結局、落としどころは、日本の社会体育指導者資格はあくまでも社会体育の指導者であり、民間で流通しているC-カード発行の資格ではない。すなわち、文科省の認可はC-カードには及ばない。つまり、社会体育指導者がその資格でC-カードを発行することはできない。ということにった。
僕たちが強固に主張したのは、これらの講習によって日本国民であるダイビング指導資格者の向上を図ることは、日本の権利であり、米国に内政干渉されることはないというものであった。
年月が経ってみれば、これで良かったのかもしれないと思うことが多い。確かに、ダイビング界の行為を役所に管理、監視されることは気分が良くない。そして、日本の統一を資格ビジネスをからめて行うことは、到底無理であり、別の形の統合を考えるべきだった。まあ、当時もいろいろ努力はしたけど、この形になった。
ただ、1988、- 1990年代の社会体育指導者の講習プログラムは、誇っても良いものだったと思う。社会体育指導者の資格は、スポーツ専門課程の短大卒業ていどの教養を保持することで認められる。専門科目、技術については、各指導団体に任せるが、プールにおける簡単な実技検定は行う。現在手元に残っている、1989年の関西での講習の教科書、時間割、ノートを見ると、1週間の合宿で、教授陣は筑波大学教授が多く、自分にとっては、ダイビングはともかく、スポーツには門外漢であったものが、この講習でスポーツ指導者としての基本教養を身に着けることができた。ダイビングインストラクターの教養などを考えると、現況のショップで生産されるインストラクターにプラスして、このような講習があるのは良いのではないかと思ったりする。短大に行けと言われたら困るが、一週間の合宿ならば良い。
肝心の生涯スポーツであるが、競技スポーツの継続が生涯スポーツであってよく、同じものだ。資格も日体協のスポーツ指導員の資格に吸収されて、通信教育で資格の取得が出来るようになり、社会スポーツセンターとしての独自の講習は行われなくなった。僕が社会スポーツセンターの常任理事を辞するタイミングで、生涯スポーツも転機を迎えた(競技スポーツに吸収された。一体化した?)と思ったりしている。
ことさらに言わなくても、スクーバダイビング、スキンダイビングは、高齢でもできる。生涯スポーツである。
生涯スポーツの項 続く