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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0205 日本アクアラング

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日本アクアラングからカタログが送られて来た。表紙をめくると、クストーの若い時の写真、そして、左下に若者二人の写真が。
1961年に日本アクアラングが創立されたころの写真です。二人並んだ左が上島さん、僕の同級生で、後に日本アクアラングの社長になります。今、ダイビングの歴史を書いていて、スクーバ事故の話の中の第二話、1958年、人工魚礁の調査で僕が死にかけたときに同行していた同じ教室の親しい友人です。1959年に僕たちは卒業します。「大学は出たけれど」職がどこにもない時の卒業でした。僕はわけがあって。働かなくてはならなくなり、今の事務所の近く、古石場にあったブルトーザーの再生工場で働きます。上島さんは学校に残って専攻科に席をおいて教室に居ます。そこに、日本アクアラング創立で、二人欲しいという話が来ます。僕がもしも、教室に残っていたら。僕は地団駄を踏みます。そして、ブルトーザーの工場をやめて、東亜潜水機に拾ってもらいます。僕らの恩師である宇野寛先生は、僕の就職先を、東亜潜水機とそして、旭式マスクの旭潜水研究所の二か所を想定していて、東亜に断られれば、旭の佐藤社長に頼むつもりだったと後で言います。
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 日本アクアラングのカタログ、左側の上島さんの右に立っているのは浅見さんで、一級下のやはり同じ教室です。1957年にいまの海洋大学潜水部を作った時の同志です。多分今の日本アクアラングの人は浅見さんのことを知らないのだろうと思います。
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 二人の写真の右に集合写真があり、左から6人目が上島さんだと書いてありますが、浅見さんなのです。浅見さんの方が潜水は得意なのです。二人の内上島さんは、一年上級だったこともあったのでしょう、日本での創立の仕事をするために、一人で先に帰ってきます。浅見さんは残ってダイビングの技術を専門にすることになり、この集合写真はアメリカでの創立まもないNAUIの指導者、つまりインストラクターの講習です。日本で第一号のNAUIインストラクターです。日本のNAUIを作る田口君は、その少し後です。
 PADIは、二人が研修に行った、提携会社のUSダイバーズと関連して作られるのですが、二人が行った時にはまだ混とんとして形になっていなかったのでした。で、浅見さんはNAUIのインストラクターになります。
 僕が学校に残っていて、上島さんと二人が日本アクアラングに入ったとして、僕は、NAUIのインストラクターの第一号にはなったでしょうが、社長になったのは、やはり上島さんだったでしょう。上島さんは日本に戻ってきて日本アクアラング立ち上げの仕事をします。日本アクアラングはフランスのスピロテクニック、これはクストーと二人でアクアラングを作ったエミール・ガニアンの居た会社で、アクアラングはこのスピロがつくって販売します。そのスピロの同系列会社が日本の帝国酸素で、この会社もフランス人が経営者です。その帝国酸素と、日本の川崎航空が合弁で日本アクアラングを作ります。川崎航空は、レギュレーターを作っていたのですが、日本アクアラングが出来る機会にスクーバ事業から撤退します。
 創立時の日本アクアラングの社長はフランス人で、日本アクアラング専務の中村さんは帝国酸素の人で、フランス語ペラペラでした。その下が上島さんで、フランス人の経営は大変に厳しくて、毎年、必ず黒字にしないと首が飛ぶとのだそうだ。
 同じ教室の三人ですから、日本アクアラングと東亜潜水機は業務提携を結びます。日本アクアラングが日本で工場生産をするようなものがあれば、そして、工場仕事は、東亜がやり、東亜は日本アクアラングのレギュレーターなども販売します。
 で、僕は日本アクアのアクアマスターを2万8千円で売り、自分の東亜スクーバを1万8千円で売ります。
 浅見さんのほうが潜水担当ですから、僕との接触は多く、1966年に共著で、日本で初めてのスクーバ潜水指導書である「アクアラング潜水」を書きます。この「アクアラング潜水」の指導プログラムは浅見さんが書きましたから、NAUIの血を引いています。1967年に創立した日本潜水会は、僕と、浅見さんと、後藤さんの三人でつくったので、これもNAUIのプログラムに近い者でした。そんなこともあり、日本でのNAUIを作った田口君とも仲良しだったので、日本潜水会とNAUIの提携の話も進んでいたのですが、全日本潜水連盟ができる時にPADIが参画したので、NAUIは撤退します。日本潜水会のカード発行をNAUIがするという提携だったので、PADIが入れば、それは無くなって当然で、別に喧嘩別れはしていません。
 

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