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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0113 ダイビングの歴史 スタート

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 「ダイビングの歴史」スターとした。途中で折れなければ、スタートしたことになる。 年表部分と記述部分に分けている。 これまで何度となく「ダイビングの歴史」の構成について書いているが、思い悩んでいるから、少しずつ変わっている。これからも執筆の途中で変わっていくかもしれない。
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  これまでにも、自分が関わった「潜水の歴史」という本がある。社会スポーツセンターの発行である。とても良い本で、望月昇さんがつくった。 望月さんは清水の人で、駿河湾ダイビングセンターを経営されていて、1967年の日本潜水会の発足のメンバーで、後に中部日本潜水連盟を代表して全日本潜水連盟に加わった。そして、CMASのカードが日本に上陸すると、そのCMASを発行するADS(国際ダイビングスクール協会)を創立した。そのADSとして社会スポーツセンターに加わった。僕とは糾える縄のような関わりで活動してきた。古い歴史的な潜水機材を集められていて、その博物館をつくられることを念願としていた。 この「潜水の歴史」を編纂されて後、亡くなられて、集められた機材は船の科学館に寄贈されて、望月コレクションとして展示され、僕たちが2016年のシンポジュウムで展示した大串式マスクは、その中の一つである。 その流れで社会スポーツセンターの「潜水の歴史」編纂の中心になった。この本について、かなりの分量を書いたが、執筆者ではなく、資料提供の協力者である。これは、望月さんのつくられたものだから、当然なのだ。望月さんの本であり僕の本ではない。 歴史というもの、執筆者、編集者の視点によって変わる。だからこそ歴史が学問になるのであり、研究がなされる。  「潜水の歴史」は、それこそ地球の創生から書き起こされていて、内容も詳しい。が、年表部分が巻末の付け足しである。今度の「ダイビングの歴史」は、年表部分にウエイトの半分以上を置く。まず、年表ありき、で、年表に沿って展開していく。事項の時系列での並びはできるだけ正確で、その記述は客観的でありたい。この部分について、日本水中科学協会会員で編纂していく。すなわち、原稿を見ていただく、資料を集めていただく、その正誤について、監修していただく。眼が多ければ、視点が客観的になる。 年表の事項は束ねて見ないとわからない。束ねることで見えてくる理解ができる。たとえばマスク式潜水機の歴史はマスク式で並べて、その進化を見ていかないと年表にならない。重要事項はもちろん括るが、括らなければなんだかわからない些末なものもある。800字程度のコラムにして、年表に挟み込んで行く。 先に、歴史はその視点によって、見え方がちがう。僕は僕の視点で見て記述したい。年表部分と記述部分を分ける。もちろんその整合性は重要だから、年表に沿うが、「潜水の歴史」も、望月さんの主観部分と分けられれば、僕が主になって書いたスポーツ部分も記名になっていたはず。「潜水の歴史」も、まあ、誰が書いたか想像はつくが、記名でないと、「それは違うよ」という反論ができない。議論にならない。  自分の書く記述部分のテーマは二つ想定している。  その1 安全 運用についての視点から、自分がコメントできる主要な事故例を並べる。減圧症関連は年表のコラムに入れる。 減圧症についての記述は医学、あるいは生理学の専門家でなければ書けない。  スクーバの事故史 死亡事故は、亡くなった方、及び家族のプライバシーを考えなくてはならないし、責任について裁判所で判決がでても、その詳細は掲載しにくい。歴史に残ってしまう。 が、どうしても、より安全なダイビングを目指すためにここに事故の具体例を掲載したかった。 死亡事故は同じパターンの繰り返しなのだ。  新聞などで公表されたもの、公刊された印刷物、本に掲載されて入るもの、あるいは公文書的に公表されたものについて集める。 ①1954年東京水産大学、日本ではじめての学生潜水実習で、日本ではじめてのオフィシャル?公表されたスクーバダイビング潜水死亡事故がおこる。 この事故の真因はわからない。実習生の中でもっとも泳力が優れた学生二名が死亡している。 直上にボートを置かなかったのが原因、ボートを置かなかったのは運用の問題で死因は別だろう。 そして、ボートを置かないと潜水できないのでは、スクーバの特色である陸からのエントリーができなくなってしまう。高気圧障害防止規則では、事実上、作業潜水では潜降索が必須で陸からのエントリーは認めていない。 ここで、運用の問題を議論することができる。  ②真鶴で学研の人、死亡、バディで潜っていたのだが、一人を岸に戻して、一応見送ったのだが、一緒にエクジットしなかったためにおこった事故。以後、このパターンの死亡事故が何回となく繰り返される。  ③指導員(インストラクター)の講習がひたすら事故例の学習だった日本潜水会 全日本潜水連盟になってからも事故例を集めることに努力した。資料は残っているが統計処理としてしか発表できなかった。  ④静岡県での事故多発で県警が特別集会をひらいた。 ⑤タンク爆発事故 ⑥中田氏のハワイでの事故 ⑦パラオでの漂流事故 ⑧バディが離れた事故 赤沢  ⑨スガ・マリン・メカニックの事故 ⑩科学研究ダイビングでの事故  では、どうしたら良いのか   ソロ チーム 自己責任と管理責任 高齢化  保険でインストラクターを守るのだが、訴えられて示談が成立したものしか保険がつかえない。訴えられることが前提条件なのだ。 何時の頃からこうなったのだろう。その以前はどうだったのか。 インストラクターとガイドダイバーの区別  例によってブログで下書きをしていきたい。ブログで書いて削る。  その2は、沿岸漁業、潜水漁業について

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