風のなりゆき 村上 春樹&龍 村上という苗字が作家には良いのかもしれない。 水中カメラマンの苗字は中村だろうか、征雄さんと宏治君、僕の頭の中では、そんな呼びかけになっている。 中村さん二人、あ、もう一人庸夫さんという人が居たな。中村さんたちは次の機会に置いて置き、二人の村上さん春樹さんと龍さんだ。 まず、春樹さんだが、最近、彼の小説にはついていけない。決して、嫌いでは無いのだけど、面倒くさくなってしまう。ずいぶん昔になってしまったが、ノルウエイの森も、途中で挫折した。 いつでも、自分に残された有限の時間のことを考えてしまう。限られた時間の中では、ノルウエイにはつきあいきれない。と言いながら、娯楽に徹した小説はずいぶん読む。悦楽の一つ、お金がかからない悦楽なのだ。 その悦楽の枠のなかに春樹さんの小説は入らない。 長いものがだめと言うことではない。上村菜穂子のシリーズは読み通せば延々と長いが愛読している。ついでに言うけれど「宇宙士官学校」鷹見一幸 も愛読、「一二国記」小野冬美も好きだ。その手のものが息抜きに良い。 村上春樹の小説は、ノルウエイの森、あたりからしんどくなった。 今度ノーベル賞をもらったカズオ イシグロの小説などは読む意欲が湧かない。このこと、カズオイシグロのことは、ずっと前に書いたことがある。良い、悪いではなくて、疲れそうだ。 村上春樹は、紀行文とか、紀行に近いのだろう、滞在記とかは、好きで、処分しないで書棚に残っている。「やがて哀しき外国語」は、前に読んだ記憶があるのに、二度買いしている。108円だけど。 ずいぶん昔だけど。「風のなりゆき」 村上陽子の写真集で、で、僕はこの小さな写真集を村上春樹の奥さんだと知らないで、手にとって、気に入って新本で買った。僕にとってこれは珍しいことなのだ。なんと言うこともない写真なのだが、良いとおもった。村上春樹の奥さんだと知って、何となく生々しくて、少し点数が下がった。 その後、村上春樹の「遠い太鼓」というギリシャエーゲ海の滞在記を読んで、この滞在記も好きなのだが、このとき奥さんの村上陽子が撮った写真なのだとわかった。 ことさらに何でもない写真で、街の猫を撮った写真が多めだが、なんか、こういう写真集を水中写真で撮りたいなとも思う。もうそんなチャンスは無いだろうが、100万円越えの重いカメラセットを振り回して撮ることがあれば、この方向を目指すだろう。という写真集だった。もっとも、陽子さんは、カメラが重いのでもう写真は嫌だと言っていると村上春樹が書いているけど。 僕も、もう重くて高価な水中ハウジングはフィジカルに無理だ。転ぶ時に高価なカメラをかばって大怪我をしそう。 ああ、「風のなりゆき」だけど、僕の友人諸君で、希望があれば、今度見せてあげます。なんだ、こんな写真というかもしれない。 ああ、ああが重なるけれど益田一の写真論もそのうちにやりたいけど、写真論は写真を見ながらしなくてはいけないので、ブログでは書けないのです。 脱線したので、村上春樹にもどって、滞在紀行記が好きだけれど、軽いエッセイの類も好きで、これも残している。「村上ラジオ2」の中から「エッセイは難しい。」を書き抜く。ちょっと引っかかったので、 実はこの部分を書き掛けたのが、このブログのはじまりだったのだけれど、前にさかのぼる脱線をしてしまって、今、ようやくたどり着いた。「エッセイはむずかしい」から、「とはいえ、僕にもエッセイを書くに際しての原則、方針みたいなのはいちおうはある。まず一つは人の悪口を具体的に書かないこと(これ以上面倒の種を増やしたくない)第二に言い訳や自慢をなるべく書かないようにすること(何が自慢に当たるかという定義はけっこう複雑だけど)第三に時事的な話題は避けること(もちろん僕にも個人的な意見はあるけれど、それを書きだすと長くなる。)しかしこの三つの条件をクリアして連載エッセイを書こうとすると、結果的に話題はかなり限定されてくる。要するに(どうでも良いような話)に限りなくちかづいていくわけだ。僕は個人的には、「どうでも良い話」がわりに好きなので、それはそれでかまわないんだけど、」 僕もブログを書いたり、フェイスブックのコメントを書くとき、人の悪口は書かないようにすること、これは、つまり我慢だから、結構つらいけれど、これは必ず自分に返ってくることだし、なんとか我慢している。書いたら楽しいだろうな。 次に、言い訳や自慢を書かない。これはほぼ不可能だ。書いていることはほぼ全部言い訳のようだし、自慢はなるべくしたくないけれど、自己主張と自慢の境界はぼやけている。自慢できるようなことはほとんどないので、自慢していないつもりだけど、 とにかく、自慢と言い訳を書かないと決めると、書けなくなってしまう。今の世の中、生きているだけでかなり難しく、高齢になって、生きていることを書くと、「さあどうだ。生きている。偉いだろう」みたいな自慢になってしまう。 もう一つの時事的な話題だけど、これも書かずにはいられないような時代だ。 日本については、高齢化の地獄が明ければ、そのころには自分はいないということなのだけど、良い時代になるかも知れない。などと思っていたら、人類の滅亡的な戦争を自分の眼で見られるかもしれない。 そのことは、書かないと、つまり意見を言わないと、いけないかもしれない。これはもう、政治の話ではなくて、人間という生き物の、生態の話になってしまうのだから、生態学者の端くれとして、書いても良いかもしれない。 そのうちに、もしも時間があれば。 もう一人の村上さん、村上龍さんだけど、 続く ☆★☆ 続くと書いたけど、書ける時間、余裕があるかどうか疑問? ☆★☆ ちなみに☆★☆の、マークは書きかけで書きかけ地点にもどるマークだ。 この人も僕はあんまり好きではない。前には好きだったが、年とともに好きでなくなったと言うべきか。なのに、書棚を整理していたら、捨てない本の中に、村上龍全エッセイ、1982-1986、1987ー1992 が残っていた。なぜだ?とページを繰ってみたら、「水に遊ぶ、水に学ぶ」というタイトルで、ダイビングを話題にして書いている。これがあったので残したのだ、ともう一度目をとおした。サイパン、パラオのこと、そして、トラックの潜水艦に潜って死にそうになったことなどを書いている。断片的に拾ってみる。「ダイビングをはじめて7年になる。私にとって、その魅力は二つある。一つは、言うまでもなく「おさかなさんになっる」ことである。 二つ目の魅力は、生命が一番大事、という当然のことを強く確認できることだ。中略 ダイビングは子供も女も年寄りもすぐにできる、やさしいいスポーツなのだが、あっという間に死んでしまう怖いスポーツでもある。 そして、「生きがい」よりも「空気」の方が大切だという真理に到達できる、崇高なスポーツなのだ。」 「ダイバーのなかには、潜水中毒ともいうべき、本当のフリークが居る。とにかく潜りたい。ハコフグしかいない中伊豆でも良い。透明度ゼロの千葉の泥海でも良い。ヘドロの東京湾でも良い、北極海でもいい、プールでも良い、とにかく水に潜りたいという人々だ。そういう人のことは大好きだが、ちょっとわたしはついていけない。」 うん、確かに、ダイビングは僕のような、僕の周りの友人のようなフリークと南の海にだけしか行かないレジャーダイバーもいる。村上さんは生涯の一時期ダイバーだった普通のダイバーだったのだ。彼ほどの作家が、フリークになって海の中のことを今でも書いていてくれたらおもしろいのにと思ったりする。 「パニックというにはもともとダイビング用語である。」村上龍 彼はトラックで、潜水艦に潜ってパニックになり、空気が来ないと思い込んでマウスピースを口から離してしまう。そして、ガイドに無理やりに口にマウスピースを押し込まれて、「ものすごい勢いで空気が入って来た。水を飲むのをやめた途端苦しくなった。すべての細胞に針を刺されたようだ」 なるほどマウスピースを放してしまう人は、そういう事情だったのだ。溺れたとき、水を飲む、吸い込みはじめると、それはもう苦痛ではなくなり、空気に呼吸を戻すのが苦痛になるのだ、と。やったことは無いけれど、そういうことなのだろう。 それはそれとして、引っ張り出した「村上龍全エッセイ 1982ー1986、1987ー1991」二冊。 これが読み直してみたらおもしろい。彼の意見には同調できない。たとえばダイビングについても、ダイビング論としては、素人論だが、良いところを突いている。だからおもしろい、みたいなものだ。 と、読みかけたら、途中で嫌になった。 まあ、両村上さんとも、エッセイは面白いと思うし、何かがある。小説は疲れる。両者とも僕が我慢、根がなくなったのだろう。 でも、どうでも良いことだね。結局。「風のなりゆき」
↧