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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1028 ダイビング事故の法的考察

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10月25日のワークショップ、僕たちが福嶋第一原子力発電所地先沖、水深20mに潜水して、放射性物資の調査をするにあたって、そのプラン、計画に先立って、考えなくてはならないこと準備しなくてはならないことをワークショップで議論している。その一回目は、放射性物質調査の手段についての話だった。2回目は、ウエアラブルカメラを調査ダイバー全員が着けて撮影している。その方法論について論じた。 その3回目として、もしも事故が発生した場合、ダイビングでは事故と言えば死亡事故であり、訴訟が起こり、賠償が追及される。そのことを研究しようというものであった。 水中科学協会の会員になっていただいて、一緒に考えてくれる弁護士、松村房弘さん(先生と呼ぶなと言われている)と出会うことができて、そのことをいろいろお話しした。その話をワークショップでとお願いした。快く引き受けていただき、そして、昨日だ。 正直言って心配だった。扱う範囲が広すぎる。僕の要求するような、個々のこれから起こり得る事例について、話せと言われてもダイビングのエキスパートではない、とても無理、と言われた。 一般論でも良いから、とにかく第一歩をと、たいへん無理なお願いをしてしまった。 とにかく、ボールは投げてしまった。弁護士さんだから、適切な返球をしてくれるだろうと、甘えてしまった。それでも、心配になって、いろいろ、筋書、構成を書いて送った。それが、僕の例で整理がされていないで、あれもこれも書いたために、かえって足を引っ張った、混乱されたと思う。その質問については、文書で答えが送られて来た。それはそれとして、 僕は、ふと思った。このテーマは、パワーポイントで説明するようなものではないな、と。お聞きしたら、やはりレジュメ、そして、板書でお話をされる、ということだった。  最近、テレビ朝日の友人、上野氏が、フェイスブックで、彼がどこかの大学で講座を持ち、PPは、馬鹿が使う者とかで、板書で講義をすると書かれていた。僕は、パワーポイント頼りだが、法律の話題は板書の方が良いのだろう。 そして、お話は板書だった。そして、驚いたことに、耳が不自由で聞き取れない僕が理解できた。僕は既に、頭の働きが若いころの、贔屓目でも十分の一だから、板書は無理、パワーポイントに磨きをかけなくては話ができないのだが、その参考になった。でも、シンポジウムでは、PPを使わないといけないので、どのようにするか、ちょっと工夫が必要。 ☆★☆ さて、話の内容なのだが、最初の30分は、概論的なことを話され、それから質問を受けることになり、僕が錯綜した労災についての、質問をして、答えてもらったが、その部分はここには書かない。 結局、およそ1時間20分を質疑につかった。ワークショップは、そのようにありたいと思っていたパターンで、進行することが、できた。シンポジウムも同じ、松村氏、そしてコメンテータに訴訟方面に詳しい、久保さんにお願いしている。ワークショップはその予行演習でもあった。久保さんは西川名の台風被害の助けに行っていて、帰りに交通渋滞に巻き込まれて、30分ほど遅刻されたが、このスタイルはうまく廻った。シンポジウムでの話について、半ば安心。  一般論なのだが、 とにかくボランティアだあろうが、何であろうが、責任者の立場、リーダーの立場にある者は、責任を免れられない。過失の責任を追及される。その過失の多寡、責任は一方的にリーダーのみにあるのではなくて、ダイビングの死亡事故であった場合、その死者にも責任がる。その責任の割合について検討して定めるのが裁判であり、弁護士が介在して、保険に加入していれば保険会社が支払う。レジュメには、「損害賠償請求関係条文}があり、この条文から訴訟がスタートする。そうなんだ、すべて、条文から見て行かなくてはいけない。 講演内容で強く意識したことは、「過失がないならば、損害賠償は請求できない。まず過失の有無、その量を裁判で決める」当たり前のことなのだが、賠償責任保険に護られている、もしくは護られていると信じている、僕たちは、過失とは何なのだということをあまり強く考えていないのではないか。 過失とは何なのだ、そして過失の価格は?それについては、何千、何万と起こる交通事故については、レッドブックと呼ばれている、冊子があり、これを裁判官も携わる弁護士も、保険会社も持っている。そして、これに沿って、示談が成立して行くと、松村氏の説明があった。このレッドブックに相当するものは、ダイビング関係にはない。PADIの弁護士さんの松田さんあたりは、持っておられるのだろうが、職業的なノウハウであり、細部、数字は、出版、公開はされていない。その簡略化されたものでもあれば、事故防止にも、そして事故の際にもずいぶん役立つと思われる。 そういえば、松田氏が、PADIのために書いたものが、僕たちの事故対策の古典だった。書棚を見たが、どこかに沈んでいる。探しておかなくては。  とにかく、僕にとって、松村氏の話で、強く印象づけられたのは、訴えられても、過失がなければ損害賠償は請求されない。ということだった。 いつの間にか、僕たちは、保険に護られているという意識を強く持つようになった。保険があれば安心、保管が無ければ身の破滅。それはそれとして、何が過失になるのか、もう一度考える必要があるのではないか。 僕のダイビング活動は、例えば、お台場の潜水でも、福島第一の潜水でも、賠償責任保険でカバーされているのかいないのか、不透明なものばかりだ。そして、そもそも、過失とは何なのだ。 初心者のC-カード講習、C-カードを持ったダイバーが、引率者にフィーを払って引率されている状態では、事故が起これば、引率者の責任がゼロという事は難しいだろう。それにしても、大体のダイビング事故は、過失の明細は明確ではない。  12月10日のシンポジウムでは、僕たちの実施するリサーチダイビング、ボランティア活動と、学生のダイビングについて、考えようとしている。例えば、クラブに入っている学生がダイビング事故で亡くなった。そしたら、過失がどこにあろうとも、父母は損害賠償を訴えることができるのだろうか。明確に文書化されたマニュアルがあり、そのマニュアルを指導者が確認していて、そのマニュアルから外れた行動をして学生が事故を起こした場合、監督、コーチ、責任を負うべき位置のものは責任を追及されるのだろうか。そのコーチが一緒に泳いでいた場合、岸で見張りをしていた場合、現場に居ないで文書による報告を受けているだけの場合、一緒に泳いでいた場合だけが、確実に過失請求ができような感じがする。そばにいたのだから。マニュアルを作り、検討すればそれで、あと一切の責任は事故者にあると考えられないだろうか。 コーチは、事故が発生するような空気を察知して、僑正する義務があるとはおもう。 学生の場合、責任者が居るのかいないのか、居た場合の責任の範囲と量、責任者が居なければだれも責任をとらないで良いのか。ならば居ない方が良い?しかし、父母は、クラブとかサークルとか、部とか言った場合、責任者が居ると思って、許可した。とすれば、責任体制の杜撰にたいして、学校に対して訴えを起こすことができるのだろうか。インカレサークルというのがあり、学校に関係なく誰でも入れる。そのサークルの責任者を訴えるのか、それとも、付き添っていた上級生を訴えるのか。その上級生が賠償責任保険に入っていたとすれば、その子が訴えられる。保険に入っていなければ、訴えられない?友達どうしが、一緒に遊んでいて、事故が起こったら一緒に居た友達がうったえらるのか? 僕の場合、ブログは思考を整理して書いていないので、何時も混乱している。  この講演を聞いて、思いついたことが事故について、事故防止について、過失について、多数ある。書き並べると際限もない。整理しなくては。

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