石巻へ、
2013/07/29 05:23
朝起きて、至極疲れているというのが日常になってしまった。それがむかしからのことなのか、このごろからなのか、よくわからない。高校生の頃は、バスケの選手だったが、よく合宿などで熱をだしていたのを思い出す。今の僕は具合は悪いけれど、倒れて寝込んでしまうことはない。朝起きて、2時間ぐらいの間に動けるようになるが、元気あふれて活発には動けない。
旅にでている時は日記スタイルで書く。
昨日27日は、お台場の潜水、これも大変だった。GoProをあの透視度の中に落としてしまった。ビニールテープでバーに縛り付けていたのだが、エントリーして、フィンを履こうとしてブイロープに絡んでもがいている時に落としたらしい。そのときに気づかないで、撮影ポジションにきて、スイッチをと手にしたときに落ちていたことがわかった。ほぼ絶望。とにかく、来たコースをもどった。そして奇跡的に目の前に見た。運がよかった。
午前よりも午後の方が濁ってしまって、だめだな、午前にマハゼ、ツバクロエイを撮っている。イシガニも撮っている。メバルも撮った。それでも、と進んで、いつもの石に来て、岩ノ下のメバルを接近して撮った。DWのマスクの具合が悪く、マスクが曇っているのか、水が曇っているのかわからない。メバルを切り上げて先に進もうとしたときに、大型のイシガニが現れた。石の下にいれば、この濁りでは目に入らないのだが、外にでてきていて、はさみを振りかざすから見えてしまう。こいつは、こちらからカメラを近づけるとダッシュして襲ってきた。はさまれては痛そうな大きなはさみだから、思わず手をひっこめた。根性のあるカニで、おかげで、良いショットが撮れた。8月の無酸素で生き残ることができるだろうか。はさみを広げると横に30cmほどだから、昨年の夏の無酸素は越している。今年も越せるだろうか。今年はイシガニが多い。
事務所にもどって、このカニをPCで確認し、フェイスブックに静止画にして送って石巻に向かって出発した。東北新幹線になぜか東京駅から乗らずに、上野に来てしまった。東北イコール上野というすりつけは、遙か昔のことなのだが、最近の石川さんとの会話で、上野駅の新幹線の地下の深さがすごいということを話したので、スイッチが上野にはいってしまった。「はやて」は混んでいて、入り口通路で立っている乗客もかなり、満席なので、あまり乗り心地はよくない。それでも一時間30分ぐらいで仙台についてしまう。仙台は東北の入り口なのだ。
石巻は何度も来ているのだが、新幹線できた記憶が脱落している。仙台から仙石線にのりかえようとしている。仙台ー石巻線とおもうではないか。仙石線は時間がかかる。ちょうど、そのときに町田から携帯が入った。この子はすごい。僕が仙台駅を歩いているときに電話してくれる。
東北本線に乗って小牛田へ、そして石巻線と知らせてくれた。何度も来たから大丈夫という記憶が間違わせる。自分の記憶がたよりにならないという恐怖。
石巻での泊まりは、「アパートメントホテル」復興の作業員を泊めることを目指して作ったと思われるホテルで、駅から10分ぐらい歩いた、普通の土地に建てられた、新築アパートそのものだ。とても良い。必要なものは、すべてあり、新築のアパーに引っ越してきて、まだ自分の荷物、家具の類がなにも入っていない状態と考えれば良い。
朝の食事も必要なだけはある。せっかくのアパートメントホテルだが、空いている。建設の需要はあるのだが、建築材料が間に合わないため、低調とのことだった。
古い古い友人の福田君が経営している福田海洋企画にすべての手配、ガイドを頼んでいる。6年前、やはり中尾先生に同行した採集行と同じ、その連続だ。変わったことは震災で、舟を出す漁港、鮫浦部落が壊滅していることだ。津波が、ここまで来たという印に樹木が折れている位置を見上げる。と信じられない高さだ。亡くなった人も多数。残っている家屋はほぼゼロ。お願いしている舟の船頭さんも、石巻から通っている。
6年前と同じ位置に潜水する。雨が多く、このところ透視度は1.5m。お台場は、良くて1.5mだったのだから、なにも問題ない。4人が密集体型で中尾先生を先頭、町田、須賀、そして福田が最後尾で動き採集する。僕はライトを手に持ち、マスクマウントのGoPro、採集標本を撮影するときには、マスクからはずして手にかまえる。
海底は、津波でリセットされたのか、半ば磯焼け状態だった6年前に比べて海藻も多くアワビも見える。
海綿の採集では、福田君手作りの携帯ジェットポンプが効果的だった。
径50mmくらいのホースにタンクから導いた空気を噴出させて、そのジェット吸い込みによって、た薄皮のような海綿を吸い取って上部に取り付けた袋に貯める。
水深が浅いので、50分潜っても70ぐらい残っている。ウエットスーツの中尾先生が寒くなったので、浮上、一回の潜水で終了。
町田君が本当にたよりになるようになった。
午後からは、もう一つの仕事であった石巻市内の泥採取を行った。これは震災のあった2011年6月に行った調査と同じ地点での採取だった。僕の直接の仕事ではないので、2011年の時も今回も見物兼撮影だった。石巻の市内、大被害のあった被災現場は、まだまだ復興は遙か彼方。中尾先生曰く、ここに昔の通りに住宅地を作るのだろうか、それとも、住宅は後ろに下げて、下は生産拠点の誘致にするのだろうか。
GoProによる撮影の動画を編集して、2分~8分のクリップを作っている。瀬戸内海クルーズ、28日のお台場、29日の石巻、静止画は、ここから切り出せば良い。
2013/07/29 05:23
朝起きて、至極疲れているというのが日常になってしまった。それがむかしからのことなのか、このごろからなのか、よくわからない。高校生の頃は、バスケの選手だったが、よく合宿などで熱をだしていたのを思い出す。今の僕は具合は悪いけれど、倒れて寝込んでしまうことはない。朝起きて、2時間ぐらいの間に動けるようになるが、元気あふれて活発には動けない。
旅にでている時は日記スタイルで書く。
昨日27日は、お台場の潜水、これも大変だった。GoProをあの透視度の中に落としてしまった。ビニールテープでバーに縛り付けていたのだが、エントリーして、フィンを履こうとしてブイロープに絡んでもがいている時に落としたらしい。そのときに気づかないで、撮影ポジションにきて、スイッチをと手にしたときに落ちていたことがわかった。ほぼ絶望。とにかく、来たコースをもどった。そして奇跡的に目の前に見た。運がよかった。
午前よりも午後の方が濁ってしまって、だめだな、午前にマハゼ、ツバクロエイを撮っている。イシガニも撮っている。メバルも撮った。それでも、と進んで、いつもの石に来て、岩ノ下のメバルを接近して撮った。DWのマスクの具合が悪く、マスクが曇っているのか、水が曇っているのかわからない。メバルを切り上げて先に進もうとしたときに、大型のイシガニが現れた。石の下にいれば、この濁りでは目に入らないのだが、外にでてきていて、はさみを振りかざすから見えてしまう。こいつは、こちらからカメラを近づけるとダッシュして襲ってきた。はさまれては痛そうな大きなはさみだから、思わず手をひっこめた。根性のあるカニで、おかげで、良いショットが撮れた。8月の無酸素で生き残ることができるだろうか。はさみを広げると横に30cmほどだから、昨年の夏の無酸素は越している。今年も越せるだろうか。今年はイシガニが多い。
事務所にもどって、このカニをPCで確認し、フェイスブックに静止画にして送って石巻に向かって出発した。東北新幹線になぜか東京駅から乗らずに、上野に来てしまった。東北イコール上野というすりつけは、遙か昔のことなのだが、最近の石川さんとの会話で、上野駅の新幹線の地下の深さがすごいということを話したので、スイッチが上野にはいってしまった。「はやて」は混んでいて、入り口通路で立っている乗客もかなり、満席なので、あまり乗り心地はよくない。それでも一時間30分ぐらいで仙台についてしまう。仙台は東北の入り口なのだ。
石巻は何度も来ているのだが、新幹線できた記憶が脱落している。仙台から仙石線にのりかえようとしている。仙台ー石巻線とおもうではないか。仙石線は時間がかかる。ちょうど、そのときに町田から携帯が入った。この子はすごい。僕が仙台駅を歩いているときに電話してくれる。
東北本線に乗って小牛田へ、そして石巻線と知らせてくれた。何度も来たから大丈夫という記憶が間違わせる。自分の記憶がたよりにならないという恐怖。
石巻での泊まりは、「アパートメントホテル」復興の作業員を泊めることを目指して作ったと思われるホテルで、駅から10分ぐらい歩いた、普通の土地に建てられた、新築アパートそのものだ。とても良い。必要なものは、すべてあり、新築のアパーに引っ越してきて、まだ自分の荷物、家具の類がなにも入っていない状態と考えれば良い。
朝の食事も必要なだけはある。せっかくのアパートメントホテルだが、空いている。建設の需要はあるのだが、建築材料が間に合わないため、低調とのことだった。
古い古い友人の福田君が経営している福田海洋企画にすべての手配、ガイドを頼んでいる。6年前、やはり中尾先生に同行した採集行と同じ、その連続だ。変わったことは震災で、舟を出す漁港、鮫浦部落が壊滅していることだ。津波が、ここまで来たという印に樹木が折れている位置を見上げる。と信じられない高さだ。亡くなった人も多数。残っている家屋はほぼゼロ。お願いしている舟の船頭さんも、石巻から通っている。
6年前と同じ位置に潜水する。雨が多く、このところ透視度は1.5m。お台場は、良くて1.5mだったのだから、なにも問題ない。4人が密集体型で中尾先生を先頭、町田、須賀、そして福田が最後尾で動き採集する。僕はライトを手に持ち、マスクマウントのGoPro、採集標本を撮影するときには、マスクからはずして手にかまえる。
海底は、津波でリセットされたのか、半ば磯焼け状態だった6年前に比べて海藻も多くアワビも見える。
海綿の採集では、福田君手作りの携帯ジェットポンプが効果的だった。
径50mmくらいのホースにタンクから導いた空気を噴出させて、そのジェット吸い込みによって、た薄皮のような海綿を吸い取って上部に取り付けた袋に貯める。
水深が浅いので、50分潜っても70ぐらい残っている。ウエットスーツの中尾先生が寒くなったので、浮上、一回の潜水で終了。
町田君が本当にたよりになるようになった。
GoProによる撮影の動画を編集して、2分~8分のクリップを作っている。瀬戸内海クルーズ、28日のお台場、29日の石巻、静止画は、ここから切り出せば良い。