6日の夜は当然宴会になる。ダイビングの前の晩は原則として酒を飲んではいけない。とはいえ、宴会は、ツアーの主要部分ではある。 河合先生は、お酒が大好きだ。だから宴会の翌日は潜水しない。明日、7日も潜水をしないでお帰りになるだろう。6日、一日目にどうしてもボートダイビングを入れたのは、そのためだ。他のメンバーも、宴会の翌日は、抑えたダイビングにするべきだと思う。 連日の酒盛りツアーで、事故が発生するならば、主催者の責任もあるが、本人の責任も大きい。 安全とか健康とかを論ずる以前のことだと思うのだけれど。 その宴会、去年までの富戸では、魚料理だったのだが、魚の良いものが入らなくなったとかで、廃業してしまったそうだ。定置の地元で魚が気に入らないとは、富戸の定置はそんなに不漁なのか?この前、フェイスブックで、驚くほどのブリの大漁を見たけど。周年を通すと不漁なのだろうか。大西に聞くと、赤沢の定置などは可哀相なほどだという。漁協の経済にダイビングが大きくかかわってくること、喜んで良いのか、悲しむべき事態なのか。 魚が手に入らない?ので、今年の宴は、洋食屋さんになった。富戸で、スパゲッティを食べるのは、何だかなーと思うけれど。楽しい宴会だった。 福島での潜水の30分録画を上映した。中川、大西を交えたチームでの映像である。自分の老いた姿が嫌だけれど、全体的には、良いドキュメンタリーだったと思う。放射能がドキュメンタリーになってしまうこと、複雑な気持ちになるが、7年目を迎えて、ひどい、とか未だにということよりも、福島の沿岸漁業の復活を目指して、立ち向かう姿勢を応援するタイミングになったのだと思う。こんなことになってしまった責任の追及とは、別に考えるべきだ。 状況をクールに正確に捉えて、結果に感情を重ねないようにしたい。沿岸漁業復活の資料にすると言う姿勢も感情をできるだけ排除したい。このドキュメンタリーの結論として、たどり着いた今の姿勢だ。 7日の潜水は、赤沢だ。赤沢は僕のホームグラウンドの一つだから、大西のガイドは不要?ともかんがえたが、サービスとしてつきあってくれるというので、お願いした。 僕の赤沢でのビーチは、砂地からエントリーして、堤防を回り、左手に積み上げた磯を、右手に砂地を見て、残圧が80になるまでゆったりと魚を見ながらすすみ、80でターンすると、港の入り口付近で40、その40で、砂地とか、岸近くの海藻林で遊んでもどるというパターンだ。 ここで、圧力の単位だがメガパスカルは、使いにくい。口にしにくい。困ったことだ。 大西にそのことを説明したが、彼のパターンはまったくちがう。砂地を探しながら、僕のコースの半ばあたりで引き返してくる。もちろん、それで良い。 砂地を手のひらで、そっとなでるように掻きながら進む。なんだか小さいイカがでてきた。マクロにして近づこうとすると、砂に素早く潜ってしまう。またかき回す。また潜る。撮れない。名前をボードに書いてくれたがすぐに忘れた。小さい、吹けば飛ぶようなカニも出てきた。これも忘れた。 なお、カメラはsea&seaをあきらめて、ニコン クールピクスを使うことにした。マスクマウントはGOPRO2を使う。後から考えれば、sea&seaで押すべきだった。どうしたら、撮れるかのテストをもう一度チャレンジするべきで、それをしないならば、カメラとストロボの墓地に埋葬するべき、まだ埋葬の決心はついていない。使い方によっては、今の自分にフィットするカメラなのかも知れない。クラシックを使うというのも、悪くない。 ホウボウの幼魚がでた。これは形があるから、マクロで撮らなければとトライしたが、根気がないから、それに、みんながカメラを向けるから、撮れなかった。じっと腹這いになって、5分もかければ、撮れるだろう。 水温16度、ドライなのに寒くなった。インナーを着ないで、夏仕様の長袖だったのだ。 潜水開始 10時22分 最大9、2m 潜水時間52分 水温16度 これで僕については全部の潜水を終了した。 小久保だけは、一人でもう一度出て行った。こういうのをソロダイビングと言うのだろうが、小久保のダイビングの半分はソロだ。東大教授だから、殺してはいけない。バディで、といっても仕方がない。僕との同行だけでも、20年を越える。僕と一緒の時は、僕の世話をしなければならないから、常にバディだ。僕もカメラを持ったら半ばはソロだったが、小久保と一緒のときには、常にバディのポジションをとらせていた。一人でエントリーすれば、完全に自己責任だが、二人でエントリーすれば、バディで行動するべきだ。
戻り道は空いていた。
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