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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0114 日本潜水会 

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 事務所に行って、年賀状確認、こちらで出した返時の賀状も含めて、これで終了。15日までが松の内とは、よく言ったものだ。住所録の整理をしよう。
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                右側が去年、左が今年、

 8リットルタンクを背負ってのスクアット、割合調子よく、30回までできた。これをやると、首筋が凝り固まって辛くなる。  ノートを買うのが好きなのだけど、1ページ目を書くと、いや違うという感じで、1ページ目だけに何かを書いたノートとなる。ポストイットに書いてノートに貼れば、良いかもしれない。貼って見たら、これならば、別にノートでなくても良いのでは、村上商事のカタログに貼っておいたって悪くは無い。そのほうが良いかもしれない。それでも、どっちにしようか悩む。 昔話というと、なぜか、今の基準から見てでたらめをやっていたように見える。思われる。そして、なんで昔のことは、すべて楽しいのだろう。時、というフィルターが、いやなこと、つらかったことを消し去ってしまうからなのだろうか。 13日、護国寺のサロンで、大学の先生中心の親睦会が開かれた。親睦が深くなった。   海洋大学の千足先生、藤本先生と、白井さんと僕は、この集まりの原点である日本潜水会のことを話した。1967年、日本で初めてのダイビング指導者の資格を自分たちだけで勝手に認め合って、つまり、認定しあって作ってしまった時の話だ。僕たちを認めてくれる権威などどこにもない。自分たちが権威なのだ。若かった。不遜であり、すばらしく自由であった。 実技は、基本的にはアメリカのロスアンゼルスカウンティのプログラムのなぞりだったが、検定、実力の確認となると、できることの自慢、力比べのようなものだから、しごきの材料展示のようなものになった。そしてさらにプラス、水中銃による戦争ごっことか、水中盆踊りなどの提案もあった。水中盆踊り、これは、今、あっても良いな、と思ったりする。 しかし、学科について、これはそれほど自由奔放なものではなくて、僕と浅見が書いた「アクアラング潜水」と言うテキストがあった。これそのままでいい。指導者の資格認定としては、ディスカッション(ディベート)とレポート(論述)テストだった。 そのデイベートのテーマは、これからのダイビング界はどうあるべきか? そして、そこで、「水中銃による魚ハンティング」がテーマになり、禁止を決めてしまう。魚突きをビジネスの芯にしているショップ、世界的なハンターである鶴耀一郎も加わっているデイスカッションで禁止を決めてしまったのだ。数日にわたる、激論になる。 鶴耀一郎は漁師(ウミンチュー)への転職を余儀なくされ、ショップは、水中銃を売ることができない。もっとも、この決定は関東限定であって、関西の奴らは、未だに水中銃を振り回して喜んでいる。 護国寺のサロンには、関西の玉置元全日本潜水連盟理事長から、84歳で今なお、こんな魚を突き殺したという自慢の年賀状が来ていた。 とにかく、日本潜水会の指導者資格検定の一つはデイスカッション、もう一つは、レポート、論文だった。論文のテーマは、潜水事故、できれば死亡事故だった。ダイバーは、どうして、なぜ、どんな風に死ぬかが、テーマであった。藤本先生と話し合った。これは、今も昔も変わらない。懲りないのだろうか。  続く

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