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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1017 マスク式潜水 旭式-2

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 マスク式の事を書いていて、潜水士テキストの古い版を見ている。規則のところで、女子が潜水士になれなかった部分を確認したいのだが、その部分がない。女子も潜水士になれるように改正された時点のテキストが1973年版で、これが僕の持っている一番古い版で、一番最初の版を失くしてしまっている。潜水士の試験が始まって、10年経過した時点のものだ。今となってみると、最初の版をなくしてしまったことが本当に残念だ。まさか、ここに来てこんなことを書くとは思っても居なかった。 歴史は、自分の基本教養だと思っていたけれど、潜水の歴史は、あまり意味のあることとは思っていなかった。潜水のような技術に類することは、現在、そして現在につながる未来が重要である。このことは、現場的には今も昔も変わらない。ならば、技術史に類する博物館などは不要だろうか。そうではないことは、別に論じる必要もないだろう。ただ、自分についていえば、殆ど歴史無視で生きてきた。だから、伏龍特攻隊の技術的な責任者であり、帝国海軍の潜水の神様と呼ばれていた清水登さんと一緒に仕事をしていて、しかも、僕の90m潜水の総指揮までお願いしていながら、図面とか写真とか見せてもらっていないし、そして、当時のことを聞いていない。ただ、忘れられない議論がある。伏龍は、純酸素を呼吸しているのに、水深20mまで潜らせている。それでいて純酸素中毒にかかっていない。と言う。そんなバカな、いや数百人にやらせているけれど、数人、頭がふらついた奴が居るだけだ。そして航空医学の大家である、なんとか少佐の承認を得ている。これはもう議論にはならないと僕は投げてしまった。自分については、ハンスハースの純酸素リブリーザーの記録を読んでおり、数十人までいない科学者グループで、それほど深く潜っていない、たぶん15m程度、で二人が命を落としている。また「どるふぃん」でドレーガーの純酸素リブリーザーを紹介しているけれど、10mをリミットとしている。
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これは、僕の聞き方が悪かったのだ。伏龍のリブリーザーの仕組み、図面、写真などを見せてもらって、検討すればよかった。もしかしたら、純酸素を呼吸していなかったかもしれない。伏龍は、潜水服全体が呼吸袋の役割を果たしていて、ダイバーは、服の中の純酸素を鼻から吸い込んで、呼気を口元の筒に吹き出していた。このあたりに答えがあったかもしれない。一方で、そのころ酸素ラングで死んだダイバーの死因は、水面でマウスピースを離して会話して、窒素を洗い流さないで酸素不足になったからと言われる。これは呼吸袋(カウンターラング)の容積が小さいからだろう、とか、そういう構造技術的な議論ができたのに。しかし、もしもその議論をしたら、実験してみようということになり、僕は命を落としていたかもしれない。 脱線が続くけれど、伏龍といえば、三宅玄造さんにも話を聞いていない。三宅さんは、JAMSTECの前身である海洋科学技術センターにおられて、その後は、尾道のマリンテクノの講師をされていた。僕が、社会スポーツセンターの講師におねがいしていたし、僕もマリンテクノの講師をしていて、長い間、仲良く仕事をしていた。なのに、第二次大戦当時の事を聞いていない。さすがにこれは聞かなくては、写真も随分持っていらっしゃるとか、完全リタイヤして呉にお住い。僕は毎年のように呉を通る。年賀状だけのお付き合いなので、数年前にアポをとろうと、電話連絡したが、不通だった。メールは使っておいででない。マリンテクノの元廣先生を通じて連絡をとお願いしたが、ご存命ではあるが、お話できる状態ではない、とのことだった。せめて、写真、記録の類を散らさないでいただきたい。元廣先生にお願いしておかなくては。間に合うだろうか。 マスク式に話をもどそう。マスク式の図が潜水士テキストに出ている。ヘルメット式と同様の潜水服を着ている。ヘルメット式と違うところは、腰の部分で上着とズボンを分けている。上と下のとの水密は、腰ゴムと腰金で連接している。硬い金属の上に、ゴムを重ねて、リング状のバックルで締め付ける。(上輪 下輪と呼ぶ)実はこの図のスタイルは、マスク式としても古く、足には重い靴など履かないでレッグウエイト、足錘にして軽装にしている。軽装図は2001年版の潜水士テキストのもので、これは実際の姿と違うという意見でなおしたのだろう。せっかくなおしたのに、2012年の版では、また元の図にもどしている。なぜなのだろうか?
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潜水士テキストは、歴史的に重要な文書でもある。潜水士テキスト、歴史的な文書として、とか、基本的な知識を潜水士、ダイバー全員に理解させておく、という部分については、異論はあるにしても、納得はできる。しかし、潜水士テキストは、国家試験の問題がここから作成される。潜水士テキストのフレーズが正解になる。潜水について公文書として最高位にある。事故が起こって、裁判で責任を追求された時、潜水士テキスト違反であったならば、この本で弁論を展開できる。その意味で、レジャーダイビングの章が無いことは、良いことなのだろう。ただ、作業ダイビングについても、執筆者が自分のスタイルの潜水運用を書いている。何時も言っているのだが悪いというのではない。そのスタイルがルールになってしまうことが、問題なのだ。つい、何時も思っていることなので、筆が滑ってしまう。
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二つの旭式の絵で、重い潜水靴を履いて、ヘルメット式とほぼ同じ、ヘルメットがマスクに変わっただけという姿に比べて、レッグウエイトにしたスタイルはかなり軽装、現実の姿に近づいている。装備というものは、その潜水のオペレーション、運用で決まってくる。「沿岸漁業と潜水」について、論じることになる。まだ、系統立てて整理ができていないので、脱線的になるが、論理的にまとめようとすると、今の僕は拒否反応でブログが書けなくなってしまう。旭式の需要の大きな一つは漁船のスクリューに絡む網、ロープなどの取り除きである。これはとても大きい需要で、沿岸漁業の盛んなころには。大きい漁港には、たいてい潜水稼業、海事会社が一つはあった。零細であれば、潜り屋とでも言う。旭式は、この用途に最善だった。潜る水深は漁船のスクリューだから、3mで充分、副動式の小さいポンプは、一人でも押せる。二人でこの仕事はできる。スクリューに網やロープが絡むのは、漁港近くとは限らない。一例を挙げると北洋の鮭鱒漁業がある。漁獲の方法は、流し刺し網、刺し網を流して置くのだから、スクリューにも絡みやすい。この漁業は、独航船と呼ばれる、小さな船で荒れる北洋に乗り出して行く。漁獲は母船が引き取る。船団方式である。網がからみスクリューが動かなくなれば、北洋での遭難につながる。各船に一つづつ、潜水機が積まれる。その潜水機としても、旭式が独占とまでは行かないが、大きなシェアを占めていた。南の海ならば、裸で潜って切り解くこともできるが、北洋では凍死してしまう。潜水服が必須、潜水機が必須になる。この北洋型の絵が、潜水士テキストの簡略型である。  もう一つ、海産物の採取、海産潜りというくらいだから、潜水による漁がある。これはヘルメット式が、主役だった。房総のアワビ漁、三陸のアワビ漁も著名で、南部潜りとは、三陸の海産潜りが始まりである。ヘルメット潜りは、男の仕事だが、マスク式ならば女性でも、つまり海女でもできる。海女漁の中心であるアワビ、サザエ漁は、潜水機で採ると乱獲になってしまうから、海女が潜れる海では、潜水機は使えない。マスク式の潜水漁業で目立って大きいのは、テングサ採りである。テングサは、寒天だから、その需要は大きい。僕らの守備範囲、よく知っているところでは、伊豆半島、伊豆七島がテングサ漁の中心である。海女さんもテングサはマスクで潜っていた。 旭式は、良いマスクだが難点がある。顔にピッタリと合わないと空気嚢が機能しない。おでこのあたりから、漏れてしまえば袋に空気は溜まらない。だから厳重なベルトでしっかりと締める。おでこから洩らないように頭の上にも空気嚢を付けたタイプもあるくらいだ。この厳重に顔に縛り付けると言うのは、長時間は辛い。顔に上手く合う人は、良い。軽便面(ケイベンズラ)と言う言葉があった。軽便潜水で苦労しない顔貌である。でも、合わない人は縛り付けられる。少しばかり技術が進歩して、自転車ポンプでなくても、エンジン付きの船ならば、コンプレッサーで空気を送れるようになった。顔にはピッタリと付ける必要はない。むしろルーズにして、空気を漏らしだしてしまおう。漏れ出る、排気のクッションで顔あたりが良い。魚の鰓のように、マスクから空気を出す。排気弁も必要ない。鰓式マスク。逆転の発想である。これが海王式であり、後に金王式になった。渋谷の金王町に会社があったので金王式になった。岡本さんという関西スタイルの商売人が社長で、僕も随分と仲良くしていた。東亞潜水は、旭よりも金王が親しかった。東亞はコンプレッサーメーカーでもあったのだ。
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                   金王式

伊豆半島も、伊豆七島も、旭式と金王式が入り乱れた。潜水機と言うものは、良かれ悪しかれ、自分の身体の一部分にならなければ使い物にならないから、それぞれ、自分の道具に固執する。今、どんな様子になっているのかよくわからないが、旭式も金王式も製造販売を続けては居ないだろう。供給が途絶えると漁師は困る。昔のマスク式がそのまま新しく作られないと困るのだ。今度のシンポジウムは、マスク式が一つのテーマなので、その問題を一つとりあげようとしている。 

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