マスク式潜水になぜこだわるのか、なぜ興味を持つのかといえば、その多様性である。そして歴史の中での変化がある。そして、そのほとんどのマスクを使ったことがないマスク式について箇条書きに上げてきたが、その一、マスク式潜水は、日本が誇れる潜水機だった。なのだろうか。 1935年、僕が生まれた年なのだが、そのころまでは、日本のマスク式潜水は、世界の先頭を切っていた? しかし、そのころに、世界にはマスク式潜水と呼べるようなものがあったのだろうか。 その前にまず前置きとして、マスク式潜水には二つの流れがある。二つに大別できるということだ。 一つは、垂れ流しフリーフローだ。もう一つは弁を作動させた時だけ空気が流れる、いわゆるデマンドタイプだ。 もちろん原始的なフリーフローの方が古い。ポンプで空気を送って、ホースをくわえれば水中で呼吸できる。この方式は東南アジアた、しかフィリピンだかにあった。口でくわえる代わりにマスクの中に流し込んでやれば、立派なマスク式潜水だ。2000年だったかにインドネシアに宝探しの取材に行ったとき、現地の海鼠採り潜水漁師は、全員、この方式で潜っていた。 結構良いもので、採集型の漁業ならば、これで十分かもしれないと思った。息をこらえて潜る海女漁やウミンチュよりも効率的だ。効率的だから日本の海女漁では禁止されて、息をこらえて潜るのだが。 深く潜るためには大量の空気が必要だと言うことは、実際に潜るダイバーならば、すぐに経験で知ることが出来る。次に考えることは、深く潜るためには空気の節約が大事だと思う。 なぜ、深く潜るのか?ダイバーの本能だ。なぜ、早く走るのか、と同じだ。 水道に蛇口を付けるように、空気の出口に蛇口を付ける。最初は手動だった。 手を作業に使うためには手をフリーにしたい。 歯で弁を咬んで開く、空気はマスクの中に出して鼻から呼吸する方式が「大串式マスク」である。 大串式についての参考書はあんまりない。手元にあるのは、「海底の黄金:山田道幸 講談社 1985」だ。この本はおもしろいけれど、おもしろい部分はフィクションだ。だから、フィクションなのか本当なのかは、こちらで判断しなければならない。 大串式が、何時どのようにしてできあがったのか? 大正5年、1916年、今からちょうど100年前になるから切りが良い。 このことについて検索すると2015年10月10日の自分のこのブログに当たる。 「 http://jsuga.exblog.jp/16240658/ 」 「http://jsuga.exblog.jp/20330768/ 」 「http://jsuga.exblog.jp/20301021/ 」 良くも飽きずに書いていて、また書こうとしている。 タンクを背負った形での実用は疑わしいと思っていたが、本当にアコヤガイの採集にタンクを使って実績をあげたらしい。しかし、タンクを使ってアコヤガイ採取についての実績について、検索しても見つけられない。継続的には使われ無かったのだろう。 そして、歯で咬んでバルブを開くというアイデアも片岡弓八が、出したのも本当らしい。雑談的に出したアイデアから実用になるということも考えられる。 山本式についてもネットで検索すると僕のこのブログが二つ出てくる。「http://jsuga.exblog.jp/24986722/ 」 山本式は、山本虎吉というこれは、片岡弓八とはちがって、本人も潜水をする船長で、片岡氏とどうように商船学校を卒業している。 山本式は大串式の改善型なのかとおもう。それにしては、よく特許に抵触しなかったと思う。山本式の方は、タンクを背負うような使い方は考えていなかったようだ。 詳しくは上記のブログを見てもらいたいが、少し引用する。「第二次大戦前、僕が生まれた頃の1935年頃まで、日本の潜水は世界一だったと思う。安全性とか潜水医学で世界一だったわけではない。その実績、潜水深度、潜水病などをおそれない果敢さ、そして、大串式なデマンド機構を備えたマスク式の潜水機に追風世界一だった。」 「潜水病をおそれない」などとんでもないことを書いているが、時代なのだ。軍艦に砲撃、魚雷などで穴があけば潜水兵が修理しなければならない時代だ。それに、アラフラ海のなどでの白蝶貝採集などもお金のために命を賭けた。大串式八坂丸の10万ポンドの金貨引き上げでも、減圧症の犠牲者がでている。 後に伏竜特攻隊もでてくる。 その時代のダイバーでなくて良かったと思うが、ちょうど僕の時代が少しばかり重なり合っている。 このごろ思う。減圧症と潜水病はちがう。潜水病とは、誘蛾灯に蛾が引き寄せられるように、ダイバーが引き込まれて行く。精神病の一つかもしれない。業というものかもしれない。司馬遼太郎の「木曜島の夜会」を見ると、そう思う。潜水病全盛時代のことが書いてある。 とにかく、1943年にクストーがアクアラングを売り出すまで、デマンドバルブ付きのマスクは日本だけだった。少なくとも実用にして実績をあげていたのは日本だけだった。デマンドバルブ付きのフルフェースマスクは、クストーがアクアラグを作った以後、フルフェースマスクとスクーバのセカンドステージの組み合わせでつくられた。日本の大串、山本式は、クストーのアクアラングとは縁がない。 閉鎖循環式の純酸素リブリーザは戦争に使われたが、これは、マスク式ではなく、マウスピースをくわえていた。 大串式のマスクは船の科学館にある。借りてきてレプリカを作りたかったが、レプリカまでは無理かもしれない。シンポジュウムでは展示出来るはずである。 もう一つの山本式を手にとって見たい。前回のブログでも書いたのだが、真鶴の漁業組合の倉庫に1台あったと新聞にでたことがある。真鶴の組合は、今や岡本美鈴のホームグラウンドだ。彼女に聞いてもらったのだが、なくなってしまっている。そのうちにアメリカのコレクションででるかも知れない。 諸外国といっても米国とヨーロッパだが、それほど、事情に明るいわけではない。米国海軍のダイビングマニュアルぐらいが情報源だ。もっと詳しいマスク式潜水の英語の本を持っていたのだが、海中開発技術協会時代に、野沢徹さん、日野さんの二人と一緒に何かを書いていて、日野さんに貸してしまった。野沢ならば、いつでも取り返せるのだが、日野さんは潜水の世界から去ってしまった。 米国海軍のマニュアルには、ライトウエイトの潜水機としてジャック・ブラウン マスクが紹介されている。 逆三角形で、空気量は、マスクのサイドにある手動のバルブで調整する。コンプレッサーで送気するのであろうから、空気量が多すぎる時に絞るのが目的のバルブである。それはそうだ。空気量が足りないのはバルブを開いても足りない。 米国海軍の送気式潜水は、日本海軍の潜水兵と同じ役割だから、戦闘中の軍艦の補修だから、このライトウエイトは、ずいぶんと役に立ったにちがいない。多分犠牲者もおおかっただろう。 米国海軍のダイビングマニュアルでは、ジャック・ブラウンの隣りはもう、バンドマスクの類 マークⅡになっている。 ジャックブラウンのサイドバルブの位置に、セカンドステージを取り付けたマスクが、僕の東亜時代の参考書だった1960年刊のBASIC SCUBA に掲載されている。 この本では、ジャック・ブラウンではなくて、Desco のドルフィンラングとして紹介されている。 だから、僕はこのマスクをデスコのマスクと記憶している。 DESCO は、Diving Equipment and Supply CO. の略で、もっとも古いアメリカのスクーバ機材メーカーで1937年に創立とあるから、クストーの1943年よりも古い。デスコは第二次世界大戦の米軍の大深度潜水用の機材を提供していたとある。純酸素のりウブリーザも作っている。 日本でいえば、僕の古巣である東亜潜水機のような会社だ。僕も東亜時代、このドルフィンラングを研究した。研究したといっても、この本を熟読しただけなのだが、この三角型のマスクも、僕が作りたいと思っていた形の一つだった。 今でもこのドルフィンラングで潜って見たい。 なお、デスコのヘルメットは JAMSTEC のコレクションの中にあった。
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