7月7日
潜水事故の原稿を書きながら潜水する。というのはすごいプレッシャーだ。しかし、自分で考えて絶対と思う態勢をとってダイビングを続ける他に途はない。こういう、僕のプレッシャーは、表には出さないようにしている。しかし、先生たちもプレッシャーを強く受けているのかもしれない。ノー天気に商売繁盛を歌い上げているダイビングショップのオーナーも同じなのかもしれない。人の心の奥底はみえない。僕がこんな風に書いたりして表に出すことが良いのか悪いのか。良いとおもうから書いている。明日、何が起こるかわからないと、口にだし、説明を続けていることが、事故防止の役に立つのだと思う。と言って、あんまり神経質に細かいことをぐずぐず言い続けていても、不安をあおり、パニックのもとになるかもしれない。
いろいろたくさんの出来事があり、日記に書ききれない。東京に戻ってから、反芻するとしても、とにかく書いておかなくてはいけない。
本船、豊潮丸からゴムボートタンデムで出発する時、これから何があるのか、どんな海なのかまるでわからない。そのわからないことが探検だとすれば、うれしいはずだが、必ず初心者の学生を連れてゆくから、そのプレッシャーは大きい。恐ろしいのは流れと波だ。
若いころは荒海の男だと自任していたのだが、もう若くないどころか、高齢も通り過ぎている。
アドレナリンが出まくっている。が年の功で、表面は平気な顔をするが、ゴムボートだと、体力的に、人をたよってしまう。今日は、神戸空港のテトラ護岸の辺りを潜る。岩礁があるというのだが、その位置は定かではない。とにかく行こう。
ダイコン 記録
0920潜水開始 浮上0952 潜水時間32分
最大水深8.0m 平均7.0 水温26・1度
流れは、0.5ノット以下だが、それでも、水面でスクーバを着けている間に10mほど流されてしまう。水面脱着がのろく、手際がわるくなっている。10mが20mになると、水面を泳ぐのがつらい、水深5mだから、潜って行こう。町田君が船酔いで調子が悪く、潜って来ないので、採集ネットがとどかない。水面に浮上してもらおうとするが、ネットがない。石川さんが持って行ったのかと思って下で待つが、120しか詰めてもらえないタンクがすでに80になっている。水面で泳ぎ、空気を消費してしまった。中尾先生の方がスマートに入ってきている。超初心者連れの、酒井先生のチームは、順調に採集している。学生は見違えるほど安定していて上手になっている。若いのだ。
石川さんが来たが、袋は持っていない。狭いゴムボートの上での準備作業で、段取りが上手くできないと、こういうことになる。
僕だけが先に上がった。
もどりのゴムボート、風が出て、波が出ている。横つなぎのタンデムだから波には弱い。
頭からしぶきをかぶるような波で、水がどんどん入ってくる。石川さんのボートもどんどん浸水し、転覆しそうになり、石川さんと町田は、海に投げ出された。落下したタンクはBCに空気が入っていたので、無事だったが、僕の買ったばかりのイノンのライトと、町田君のフィンの片方がながれてしまった。ボートはやや速度を落として、本船に戻った。遭難と言えば遭難だろう。
原因はゴムボートの浸水を排水しようとして、波が高いのに速度を上げたため、二つのボートを繋いでいる索が切れたためだった。
ゴムボートは決して沈まないが水が入ると、速度を上げて、後尾の栓を抜いて走る慣性で水を排水する。
7月7日 和歌山
和歌山県の加太で潜水の予定だったが、突風の心配があり、船長の判断でパス、上陸して磯採集に切り替えた。スノーケリングなので、僕も同行したが、スノーケリングできるような磯が無く、女の子がいるのでこれもパスして、加太を観光する。陸から海を見ると、波はほとんどなく、行けそうな感じがしたが、ゴムボートの転覆が利いたかもしれない。慎重になることで、悪いことは何もない。
淡島神社という、かなり由緒があるらしい神社がある。門前の店は3軒という規模だが
そして、商売熱心で、何でもある。僕はお守りの根付を買った。カエルは帰るというどこにでもありそうなお守りだったが、カエルコレクションの河合先生にお土産のつもりだ。もどったら、定期診断に行かなくてはいけない。カエルは700円だったが、お守りは500円、1000円が相場だから、しかたがない。でも、僕は500円のつもりだったから、高いとおもってしまう。値段は付けられていない。ついていたら売れない?少なくとも僕は買わなかった。絵馬もやっている。御神籤もあり、木の枝に結び付ける。そして、この神社は人形供養もしている。人形は魂、心があるように、大事にしていた人の心が乗り移っているように思えてすてられない。神社に収めて供養してもらう。しかし、それにしても、人形に類するようなものはすべて供養させられている。狸もネズミも、招き猫も供養されたのか、置かれている。花嫁人形はなぜか縁の下だ。
古い旅館の今はもう使っていないで、営業は新館の方に移動している建物が文化財的に残されている。伊豆大島の港屋は同じような建物で中は公開されているが、ここは公開されていない。大正時代の建物かと思ったら、昭和8年の建築だった。僕の生まれた年に先立つこと2年、築80年だ。多分、60年ほど使ったのだろう。使えなくなったわけではなくて、これでは営業できなくなって、新館に移ったものなのだろう。しかし、壊すのはもったいないような建物だ。吾妻屋という旅館だ。
帰り道、東京にもちょっと無いような超大型のショッピングセンターに立ち寄り、夜のバーベキューの仕入れをした。およそ5万円分買ったとのことだ。
そして、夜は船の横で、恒例となっているバーベキューをやる。若い大学生だから、肉の類はあっという間に消える。
僕たち、中尾先生組と北大の酒井先生組は、スクーバダイビングだが、広島大学のスノーケリンググループは、スキンダイビングよりも本当にスノーケリングに近い。亡くなってしまった鶴町がこの航海のアシスタントをしてくれている時、僕たちも一緒にスノーケリングをやり、撮影したこともあった。今回も一緒に泳ぐつもりで加太にはフィンをもっていったのだが、安全そうな良い磯がなかった。引率する堀先生によれば、この一週間の航海から戻ると、学生が一皮むけるのだという。旅は人を成長させる。三つの大学の学生が船の旅を合宿する。堀先生は海藻の専門家で、教授!という言葉がぴったりする。温厚、親切、を絵に描いたような人だ。
僕にも若い時、学生時代があり、月刊ダイバーでグラフィティ、過ぎた好き日々のことを書いている。ここにきている学生も、あと40-50年たち、今のこの時、この航海をグラフィティに書く、書かなくても心の中にきっと残る好き日々であってほしい。きっとそうなっている。
終わって上甲板でネットとつないでいると、何人かの学生が来て、話し込んだ。北大の学生がいう。酒井先生(教授)は、「何でも良いから、とにかく生きて戻ることを考えろ。それだけで良い。」と教えられている。二人の学生は初心者だ。しかし、これが教育だとおもう。協力している。人は危ない思いをすることで成長する。若いころに危ない経験を安全に経験することで、やがて、幸せになれるための何か、ポイントになる。