今、浦安運動公園で、スノーケリング講習をしている。 日本でのスノーケリングの定義は、浮力体を着けて、沈まない、潜らない水面遊泳、水面からの水中観察ということになっている。でも、この講習がはじまった15年前には、まだ、スノーケリング=水面遊泳の定義は広まっていなかった。僕はその関係者だったが、スノーケリングとは、無理をしないスキンダイビングと同じことだと考えていた。 ここで少しばかりスノーケリングとスキンダイビング、そしてフリーダイビングの事を書こう。多分、3回連続ぐらいになるだろう。 まず、スノーケリングについて、大昔、エルビス・プレスリーの映画、もしかしてエルヴィスのことを知らない人、歌を聞いたことも無い若い人がいるかもしれないけど、そのプレスリーの映画、「ブルーハワイ」で、浜辺で泳ぐのに、片手にフィンを持ち、片手で女の子と手をつないで駆けて行くシーンがあった。ハワイでは海水浴もフィンを履くのかと感心した。それと前後した、大学一年生のころ 僕は,逗子駅前の釣り道具やで、フィン、そしてマスク、これは海女さん用だった、を買って、葉山の海で潜って、ダイビングを始めた。 それから60年、日本でもフィンを履いて海水浴場で泳ぎ遊ぶ人が増えてきた。この前の式根島でもフィンを履いている人が多かった。他の伊豆七島、沖縄でも同じだろう。 海水浴では、毎年、ある程度決まった数の溺死事故がおこる。8月の第一日曜がそのピークで、まず二桁の溺死事故が起こる。おぼれた人がフィン、マスク、スノーケルを持っていれば、スノーケリングの事故ということになる。フィンとゴーグルだったら、微妙だが、スノーケルを持っていれば、スノーケリングに分類される。 今やスノーケリングと海水浴を区別する方法はない。フィンを履いたら人は溺れなくなる、というマジックがあればいいのだけれど、ない。 ダイビングを初めた60年前。 まず、最初は素潜りで、水中眼鏡で魚を突いたり、サザエを拾ったりする。フィンを履くようになると、スキンダイビングとなり、すべての水中活動の基本とされるようになる。 今では必ずしもスキンダイビングが基本ではなくなっているダイビングスタイルも生まれている。進化にともなう多様化である。 息こらえ潜水も多様化していく。 海女についてはまた別に考えたいが、海女の素潜り漁、スタンダードなスキンダイビング、より深く、より長くを目指して、特別なトレーニングを必要とするフリーダイビング、そして、問題のスノーケリングがある。これらについては「スキンダイビング・セーフティ」という本に詳しく書いた。読んでいただけると嬉しい。 まずスノーケリングだが、 スキンダイビングがスクーバダイビングの基礎、基本であるというと、スキンダイビングの方が安全性が高いのだろうと、誤解する。基本的には、スキンダイビングはスクーバよりも安全なのだが、その運用方法によっては、むしろ危険性が高い。そこで、安全性の高いスキンダイビングと、通常のスキンダイビング、高度で危険なスキンダイビングを分けて考えようとした。日本で、危険性の少ないスキンダイビングをスノーケリングと呼び初めたのは、1970年代のことである。別に定義はなかった。ただ、余り無理をしない安全重視のスキンダイビングをスノーケリングとよんだ。そして、1980年代、僕は、耳抜きをしなくても済む深さ、2-3mぐらいまでのスキンダイビングをスノーケリングと呼ぼうと提案した。このスノーケリングとスキンダイビングの区別があるのは、日本だけで、諸外国では、スノーケリングとスキンダイビングは同じものと考えられている。なお、シュノーケリングとは、スノーケリングングのドイツ語読みである。スノーケリングとは、安全のために素潜り、スキンダイビングにはめられた枠であり、リミットであると考えるとわかりやすい。 やがて、1990年台になり、絶対と言うことはこの世にないのだが、ほぼ絶対に安全を目指して浮力体、ライフベストを着けての水面遊泳をスノーケリングとしようという提案がなされた。安全と言うことが何よりも優先される時勢となり、この考えが優勢になった。
ベストを脱ぐだけでなく、フィンまで外して泳いで見せている。
度々紹介しているけど、彼女は今大学3年生、一緒にスクーバで潜っている。
「我は海の子白波の」の唱歌の時代、その末期が僕の世代だが、海で子供がよく死んだ。身体を鍛えないと生き残れないという認識がまだ残っていた。そして、子供の事故は、学校が、社会が責任を追う時代になり、殆どの小中学校にプールが作られ、その引き換えに、臨海学校が消滅した。おぼれによる死亡事故をほぼゼロにして、臨海学校を復活させたい。というねらいで、常に浮いているライフベストを着けた水面遊泳を盛んにしようとする動きがうまれた。 チャレンジする本能が人類を進化させてきた。スノーケリングでフィン・マスク・スノーケルで泳ぐことを覚えたらベストを脱いで、泳ぎたい潜りたくなる。 一方で、海水浴とスノーケリングの区別がなくなること、すなわち、海水浴すべてがフィン・マスク・スノーケルを着けるようになることは僕たちが目指した理想の一つなのだが、海水浴も全て、スノーケリングベストをつけるようになれば、理想だが、見回したところ、難しそうだ。 西伊豆の中木にヒリゾというスキンダイビングポイントがある。2012年日本水中科学協会の映像発表で、ヒリゾの先駆者?ともいうべき鹿島君が発表した映像のタイトルは「秘境ヒリゾ」だったか。 その後、福田君が行って、これもすばらしい映像を撮って日本水中科学協会シンポジュウムで発表した。 僕はまだ、行っていない。 今年の海豚倶楽部の海洋実習と言う名の遠足で、ヒリゾも話にでた。混雑が予想されるのでやめにして、式根島に行った。
離島、沖縄、小笠原でないスキンダイビングポイントが少ない。陸続きで行かれるという範疇で、ヒリゾのように評判の良いところはない。 通船に乗るのに、長い行列ができるポイント、浜が個人用テント埋め尽くされている写真をみる。 海水浴場のような芋洗い状態にはならないとしても、安全の確認は難しい状態なのではないかと心配する。 行ってみていないので何も言えないが、だれか、この状態でのベストを着けたスノーケリングと着けていないスキンダイビングの人数比を調べてもらいたい。 親子連れが多いという。海水浴の進化形であれば当然だろう。そこで、ベストを付けた浮いているだけのスノーケリングが多ければ、安全と言う視点からは良いのだが、良いポイントであれば、浮いているだけは済まないだろう。誰でも潜りたくなる。 事故は必ず起きる。そのときにどのような扱いになるのだろうか。本物のスノーケリング事故、スキンダイビング事故である。 続く。