Quantcast
Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1388

0818  沿岸漁業とスポーツダイビング 4

$
0
0
沿岸漁業とダイビングのか変わりも、今の視点から歴史的に見ていくと気がつくことがたくさんあり、しかもそれは、次に書こうとしている潜水指導、Cカード、認定証の変遷、とも密接に絡み合っている。が、しかし、ここでは、スピアフィッシングを軸とした沿岸漁業とレジャーダイビングの関わりの変遷から軸足をはずさないようにしよう。  全日本潜水連盟発足 1972年、スピアフィッシングを理由として別になっていた、関西潜水連盟 中部日本潜水連盟、日本潜水会は、社団法人日本潜水技術振興協会の消滅とともにもとの協力関係を復活させた。それに新しくPADI潜水指導協会(現在のPADIとはカードシステムは同じでも経営体が異なる。椎名勝巳が主催する「スポーツマンギャラリー」が中心になっていた。)を加えて全日本潜水連盟が結成される。スピアフィッシングは棚上げしての合同だった。日本潜水会としては、時代の流れはスピアフィッシングをすててカメラ主流になると思っていて、とにかく、一緒になることを選択した。関西、名古屋は、別に日本潜水会がスピアフィッシングをやらなくても、自分たちが勝手にやれれば良いという棚上げだった。 1973年、沖縄返還記念の海洋博が開催され、全日本潜水連盟はロレックス時計をスポンサーとして全国スポーツ大会を行い成功させる。 PADI潜水指導協会(現在のPADIとは経営基盤が異なる)も含めて全国統一組織になる。     漁業調整規則 スピアフィッシングについて、漁業調整規則は、非漁民がやって良い漁獲の方法として、水中めがねをしようしないで、やす(銛)で魚を突いて穫る方法、釣りを上げている。これは法律でよくやる手法で、香れに限りやって良い。すなわち、これ以外は禁止ということで、水中での魚突きは銛でも水中銃でも魚を突いてはいけないのだ。マスクなしは事実上不可能である。ぼくは、それが全国ほぼ同じであり、地域によってローカルな禁止事項が加えられる。  ところが、後に調べると、東京都だけが、水中銃での漁獲を禁止している、とただそれだけだ。非漁民云々ではない。1967年の段階では東京都もほぼ全国と同じだった。それが変わっている。東京都では素潜り、(潜水機を使用しないで)やす(銛)で魚を突くのは禁止ではないのだ。これが、前出のブルーオリンピックを合法的にするために改正されたものであるかどうか調べていないが、素潜りで水中銃を使用しないで魚を突くスピアフィッシングは、東京都では違反ではないのだ。ただし、漁業者の許可は必要であるが。要するに違反ならば、漁業者は許可をすることはできない。違反でないならば、地元の了解のもとであれば良いと言うことになる。違反でなければ、どこでやってもかまわない。海は漁業者のものではないと言う論理もある。これについては、後で大瀬崎に着いて述べる時に取り上げる。  1980年の真鶴半島潜水全面禁止 1962年とほぼ同じような主張を組合が言い出し、禁止になった。1962年とはずいぶん時が経っている。その間になにがあったのかわからない。というか、そのとき僕はわからなかった。要求はおなじころだったのだ。  後藤道夫のテリトリーだから、僕は関わっていない。この禁止の少し前、真鶴に潜りに行き、そのときは後藤道夫の勧めで、漁船を借りている。船頭は組合のかなり有力者であったが、仲良く、水深40mほどの深さのパッパガイを穫らせてもらった。パッパガイとはイタヤガイのことで、ダイバーが近づくと砂地からパッパと跳ね上がる。身はホタテよりも少ないが美味である。パッパガイを大量に穫って船頭にも分けてあげた。 そのすぐ後に潜水禁止である。信じられなかった。後藤道夫は知っていたのだろうが、僕が関わる話ではないと判断したのだろう。  要するに漁師に金を落とせ、船を使えということだったのだろう。 この紛争の解決はPADI潜水指導協会の椎名勝巳それに、関東学生潜水連盟も、真鶴を使うことがおおかったので、これにくわわり、もちろん後藤道夫も間に入って解決した。なぜか、僕は入っていない。そろそろ、カメラマンとして忙しかったのだ。悪いけれど真鶴のことは、後藤道夫が解決するのが筋だ。  結局のところ、 ダイバーが陸からエントリーできるのは、琴ヶ浜と、裏側のごく一部ということになった。結局漁師に金は落ちなかった。 このあたりから、問題は、漁師に、つまり沿岸漁業に金が落ちるか落ちないかが焦点になってくる。 この紛争にかかわらなかったことを今後悔している。

b0075059_12410104.jpg
 NAUI・PADIのスピアフィッシングにたいするスタンス  こんなことがあった。もと都知事の石原慎太郎氏が海のフアン、理解者であることはよく知られている。そして、それはスピアフィッシングを通じてのことであった。全日本潜水連盟は併せ呑んでしまっているから、石原さんのことを歓迎している。 僕の泣き所は、盟友、ほぼ親類のダイブウエイズの武田社長が陸上での熱心なハンターであり、水中でも同様、そして、世界最高の水中銃を繕うとしている。もちろん、僕がダイブウエイズには、このことで言い顔をしたことはない。見てみない振り状態で推移している。 そのダイブウエイズと石原慎太郎氏とは、ホットラインで繋がっている。 その石原氏が、豪華なヨットに乗って日本の領海のそとでスピアフィッシングをやった。そのことは良くはないけれど、個人の趣味だし、日本の外だから漁業調整規則はカバーしていないとも言える。しかし、そのアドベンチャークルーズをテレビ番組で放映してしまったのだ。 そのときのNAUIの理事長は、現在、僕のお台場潜水の相棒である。風呂田利夫だった。その風呂田のNAUIが石原慎太郎のスピアフィッシングにかみついたのだ。PADIもそれに乗った。PADIが先頭だったかもしれない。そのときのPADIはもう全日本潜水連盟に加わっていた指導協会ではなくて、PADIジャパンだった。たしか、そのときの石原さんは環境庁長官だっただろうか。日本の外だからと言って日本の規則で禁止されていることをやって、得意げにテレビで放映するものではない。陳謝を要求した。正論だから、石原さんは陳謝せざるをえなかった。 怒った石原さんは、NAUI、PADIを潰せという指令を、某団体にだした。 もちろん、そんなことで、PADIとNAUIを潰せるものでもない。 東京都で、国際競技場クラス(観覧席は不要)のダイビングプールを作り、外国のCカードは、使わせない程度のことをやれば局面は変わったかもしれない。僕は、その発想がなかったし、スピアフィッシングに反対しているのだから、だめだ。それに、まだ、石原さんは、都知事ではない。  日本潜水会は、全日本潜水連盟を作ってしまったことで、スピアフィッシングについて、アイデンティテイを無くしてしまった。と僕は思っている。その日本潜水会は、全日本潜水連盟のなかで、関東支部と名前を変え、潜水指導の場からは降りて、親睦団体となった。親睦団体となって以後30年以上、毎年恒例の忘年会をやり、大人の倶楽部であることを誇っていたが、次第に隠居するメンバーが多くなり、須賀は、その日本潜水会のメンバーに助けられて、日本日本水中科学協会を作った。スピアフィッシングにはもちろん反対の立場を貫こうとしている。   話を先に進めてしまったが、もう一度時計の針を1960年代にもどそう。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1388

Trending Articles