暑かった。40分歩くことを含めて、一仕事してきた。もう今日は、クーラーの傘下にいよう。昼寝もしてしまうかも知れない。 昼寝してしまった。 船の科学館に行ってきた。船の科学館の陳列品の、ダイビングの歴史に関する部分を12月18日のシンポジウムの別室に陳列させてもらって、手で触ったりも出来る展示をしたい。とお願いをしに行った。 いろいろあるけれど、今日見せてもらったものでは、ウエイトベルト、これは、今のウエイトよりも良い。これが欲しいかも知れない。多分0.5キロが7個で3.5キロ、これで、ベルトをゴムにしたら、良い。 これは本当に初期のタンク、恭しく箱に入っていて、ピカピカのアルミで、5リットル、二本で10リットル、三本で15リットルか。驚いたのは、バルブにOリングがつかってある。1954年の刻印がある。僕が1956年使ったタンクは、テフロンのパッキンで、レギュレーターはレンチで締め付けていた。まだOリングは日本では普及していなかったはずだ。 「ダイバー」の新しいスタイルが届いた。編集長は大英断だと思う。すっきりとしていい。内容は、自分とは、パラレルワールド。だから、感心して眺めている。なるほどとも思う。 ブログに出して、そのことにコメントをフェイスブックでもらって、議論をするというパターンがいくつか続いていて、主にタイのサムイ島で、ダイビングサービスをされている増子さんがコメントをしてくれる。 今回は、リサーチダイビングからダイビングを始めた学生が、卒業後ダイビングから足を洗ってしまうことが残念だ。ということから始まった。 僕の意見では、何か目標設定をしてダイビングをはじめて、卒業という形でその目標が失われてしまうと、何の目標もないダイビングなど気の抜けた発砲飲料のようなもので、その上にダイビングはお金がかかる。自分の世界を作り上げて行かなくてはならない若者が無目的なレクリエーションダイビングはとうてい続けられない。それを誘うのが、ダイビング業界の世界だ。雑誌ダイバーも精一杯努力している。 学生のダイビングの目標は、僕のテーマで言えば、フィールドリサーチ、学生連盟で言えば後輩の指導、一般には、お金稼ぎのアルバイト、ショップや、サービスのアシスタントなどだ。写真撮影からプロのカメラマンになるコースも多い。 いずれにせよ、ひとたび、この目標を追った若者が、楽しいだけワールドのお客様にはなりにくい。 問題は、海に潜る研究者として残ってくれないことだ。なんとか、M君には、潜水して、海洋生物を研究するところに行ってもらいたい。アメリカ、場合によっては、この前一緒に行ったナポリもジェノアも良いかもしれない。里奈は、ヤップ島、インドネシアで一緒に潜ったリサのようにならないだろうか。リサはアムステルダムで今度自前の研究所を自分で持つようになったと聞く、リサと里奈だから、連想している。 東大は、僕がコーチをしていた海洋調査探検部は、プロの研究者ダイバーとしてフィールドにでてくれる人数が次第に減っている。というより、絶滅の危機に瀕しているようにみえる。三崎の実験所を訪ねたら、高圧コンプレッサーの小屋に蜘蛛の巣が張っていた。
東京海洋大学は、アメリカでイセエビの研究をしていたkさんが、日本に戻ってきて助教になった。ここから、ダイビングによる研究グループが生まれるかと喜んだのだが、その教室そのものがダイビングをやらなくなってしまった。スクーバで研究するテーマはとても少ない。生命に別状のあるような手段での研究をしなくても、テーマはある。
この頃話題になった小説は、潜水艇に乗る話だった。僕は読まない。
もちろん、研究者の置かれる状況は、個々の問題、テーマだが、潜水してフィールドワークを続ける研究者が一人でも増えることを願う。、
東京海洋大学は、アメリカでイセエビの研究をしていたkさんが、日本に戻ってきて助教になった。ここから、ダイビングによる研究グループが生まれるかと喜んだのだが、その教室そのものがダイビングをやらなくなってしまった。スクーバで研究するテーマはとても少ない。生命に別状のあるような手段での研究をしなくても、テーマはある。
この頃話題になった小説は、潜水艇に乗る話だった。僕は読まない。
もちろん、研究者の置かれる状況は、個々の問題、テーマだが、潜水してフィールドワークを続ける研究者が一人でも増えることを願う。、