神戸港に入港し、ネットがつながる。
少し後戻りして、7月5日の日記
7月5日
半日走っただけで、愛媛県の上島町、瓢箪島付近に到着し、錨泊した。石川さんと学生たちでゴムボートを組み立てれば、もはややることも無く、少しばかり原稿を書き、本を読んだ。
朝、5時に起きて、甲板に出る。さすが瀬戸内海で、天気は悪いけれど、海は穏やかで、鏡のようだ。早く寝たために3時に目が覚めてしまって本を読んでいたために、頭がぼやけている。ワイファイはノーサービスでネットにはつながらない。
瓢箪島で潜ることになっているが、どんな海底なのかまるでわからない。中尾先生がダイビング地点を選んでいるのだが、先生だってわかっていない。何もわからない。
瓢箪島は、ほんとうにひょっこり瓢箪島の形をしていた。
チームを二つに分けて、須賀、中尾、町田の早稲田大学チームと、石川、酒井先生、そして北大の学生それぞれ、3人ずつにして、3人は必ずまとまっていること、そして、ゴムボートのアンカーからは、巻き尺を伸ばしてその方向で、ラインからあまり離れないで行動することを決め、ブリーフィングした。北大の学生のキャリアを聞いたら、タンク3本とのこと、大学の研究者のダイビングは、こんなものだ。そして事故が起こる。それを防ごうと水中科学協会をやっているのだが、こちらだけが空回りをしているようで、効果はない。酒井先生は会員になってくれているが、どうにもならない。せめて、こういう時に事故を起こさないようにするぐらいしかできない。
瓢箪島は岩の絶壁の立ち上がったような地形で、急峻、急深で、底は40mとなっている。水深20mぐらいまで、行こうときめた。急なドロップオフには、無脊椎動物が付着しているものと予想した。
僕は5mmのウエットスーツ、上着と肩掛けつなぎのロングジョンでウエイトは腰に2キロ、4キロのブレストウエイトである。重めだが、重めの方が楽だろう。
ダイブコンピュータの記録
0926潜水開始 浮上1020 潜水時間54分 最大水深は10.1mだが、おもに5-7mで行動した。ゴムボートだから、水に入ってタンクを着ける。その時には、流れは緩やかでほとんど流されることなくタンクを着けたが、最近は昔のように素早くは着けられない。
酒井さんはたちまちに消えて、石川さんは後を追った。二つのチームはなるべく離れないようにしようとは打ち合わせていたが、一緒に行動するという文化は酒井先生にはない。まあ、石川さんに任せよう。ところで、予定していた巻尺がない。石川さんが持って行った様子はない。僕は持っていない。すなわち水中に持って入っていないということだ。誰が持つかの指示をしなかった。やはり緊張して抜けているのだろう。仕方が無い。こちらのチーム3人が離れないようにしよう。
石川さんに任せたチームも初心者が居るけど、安定している。
透視度は5-8mだがグリーンの海だ。地形は、陸の崖がそのまま水中に入っていると思っていた予想とは全く違っていて、平坦であり、なだらかな感じのところに着底した。瀬戸内海の典型の海底だ。多様な海藻が生えていて、モクの類とか大型海藻はない。魚は多い。スズメダイの類、ベラの類、キヌバリなどのハゼ、小さいイシダイ、コブダイの幼魚、ハタの類も多い。岩にはあまり海綿はついていないようだ。水深7mあたりから砂地の斜面になる。斜面を下りるのはやめて、岩礁の上を見る。かなり強い流れ、多分1ノットぐらいが、走り出した。岩をつかむようにして、潮上に向かう。中尾先生は潮下に行きたがっているようで、たびたび引き止める。上に上っていれば、水面に出た時にゴムボートから離れていても流されてゆけば良いから、泳がなくて済む。僕の気持ちは浮上してから流されることを恐れていて、どうしても移動が早くなる。二人は採集のために停止する。先生の採集を僕が袋に入れていれば離れることは無いのだが、三人編成としたために、町田君が袋に入れる役割になった。僕が速くなって、二人と離れてしまった。そのまま待ったが来ないので、下って合流した。
豊潮丸の空気充填は120までだ。50に近くなったので、水深4mまで上がり、僕が水面に上がり位置の確認をした。ゴムボートはすぐ近く10mと離れていないところに頭を出すことができた。空気が10ぐらいまで、浅いところで撮影と採集をした。これもいつものパターンである。
僕だけ先に浮上したら、エンジン付きのゴムボートがちょうどよく来ていて、酒井先生たちを回収していた。結果論としてはうまくいっている。
ゴムボートに這い上がり、本船に戻る途中大きな波が来た。基本的には凪で波もないのだが、ゴムボートを着けた時に波であおられて危なかったが、無事に上がり、今日の潜水はこれで終了。
石川さんのマスクマウントを見たが、北大の学生は、落ち着いていて、きちんと潜水している。システムをきちんと組めば、大丈夫だ。このような採集で命を落とした山下君も多分、おなじような状況だったのだろう。一人にならない安全なパターンのシステムが無かった。
しかし、今回は、巻き尺を使えなかったことを反省しなければならない。巻尺を使うだけ仕事が増えるし、回収もしなければならないので面倒だ。今回のようにうまく行けば面倒な巻尺など無い方が良いかと思ってしまう。しかし、今回も、僕と中尾先生が、視界の外に離れてしまった。お互いに動きがわかっているから、すぐに出会うことが出来たが、出会えない場合も考えられる。結果オーライと、予期していて、準備したとおりになっていることとは違う。
石川組も、石川さんのマスクマウントを見直してみたら、ゴムボートから離れて浮上している。20m程度水面を泳げばよいだけだから、これでも良いが、これも、計算通りにはなっていない。もちろん、全然危なげなく、こちらのゴムボートにも泳いでこられる状況だったが、あと少し潮が速ければ、ちょっとした運動になったはずだ。別に、ヒヤリハットまでも行かない、何でもないことなのだが、ラインが無かったために、戻ることに神経を使った。
少し後戻りして、7月5日の日記
7月5日
半日走っただけで、愛媛県の上島町、瓢箪島付近に到着し、錨泊した。石川さんと学生たちでゴムボートを組み立てれば、もはややることも無く、少しばかり原稿を書き、本を読んだ。
朝、5時に起きて、甲板に出る。さすが瀬戸内海で、天気は悪いけれど、海は穏やかで、鏡のようだ。早く寝たために3時に目が覚めてしまって本を読んでいたために、頭がぼやけている。ワイファイはノーサービスでネットにはつながらない。
瓢箪島で潜ることになっているが、どんな海底なのかまるでわからない。中尾先生がダイビング地点を選んでいるのだが、先生だってわかっていない。何もわからない。
瓢箪島は、ほんとうにひょっこり瓢箪島の形をしていた。
チームを二つに分けて、須賀、中尾、町田の早稲田大学チームと、石川、酒井先生、そして北大の学生それぞれ、3人ずつにして、3人は必ずまとまっていること、そして、ゴムボートのアンカーからは、巻き尺を伸ばしてその方向で、ラインからあまり離れないで行動することを決め、ブリーフィングした。北大の学生のキャリアを聞いたら、タンク3本とのこと、大学の研究者のダイビングは、こんなものだ。そして事故が起こる。それを防ごうと水中科学協会をやっているのだが、こちらだけが空回りをしているようで、効果はない。酒井先生は会員になってくれているが、どうにもならない。せめて、こういう時に事故を起こさないようにするぐらいしかできない。
瓢箪島は岩の絶壁の立ち上がったような地形で、急峻、急深で、底は40mとなっている。水深20mぐらいまで、行こうときめた。急なドロップオフには、無脊椎動物が付着しているものと予想した。
僕は5mmのウエットスーツ、上着と肩掛けつなぎのロングジョンでウエイトは腰に2キロ、4キロのブレストウエイトである。重めだが、重めの方が楽だろう。
ダイブコンピュータの記録
0926潜水開始 浮上1020 潜水時間54分 最大水深は10.1mだが、おもに5-7mで行動した。ゴムボートだから、水に入ってタンクを着ける。その時には、流れは緩やかでほとんど流されることなくタンクを着けたが、最近は昔のように素早くは着けられない。
酒井さんはたちまちに消えて、石川さんは後を追った。二つのチームはなるべく離れないようにしようとは打ち合わせていたが、一緒に行動するという文化は酒井先生にはない。まあ、石川さんに任せよう。ところで、予定していた巻尺がない。石川さんが持って行った様子はない。僕は持っていない。すなわち水中に持って入っていないということだ。誰が持つかの指示をしなかった。やはり緊張して抜けているのだろう。仕方が無い。こちらのチーム3人が離れないようにしよう。
石川さんに任せたチームも初心者が居るけど、安定している。
透視度は5-8mだがグリーンの海だ。地形は、陸の崖がそのまま水中に入っていると思っていた予想とは全く違っていて、平坦であり、なだらかな感じのところに着底した。瀬戸内海の典型の海底だ。多様な海藻が生えていて、モクの類とか大型海藻はない。魚は多い。スズメダイの類、ベラの類、キヌバリなどのハゼ、小さいイシダイ、コブダイの幼魚、ハタの類も多い。岩にはあまり海綿はついていないようだ。水深7mあたりから砂地の斜面になる。斜面を下りるのはやめて、岩礁の上を見る。かなり強い流れ、多分1ノットぐらいが、走り出した。岩をつかむようにして、潮上に向かう。中尾先生は潮下に行きたがっているようで、たびたび引き止める。上に上っていれば、水面に出た時にゴムボートから離れていても流されてゆけば良いから、泳がなくて済む。僕の気持ちは浮上してから流されることを恐れていて、どうしても移動が早くなる。二人は採集のために停止する。先生の採集を僕が袋に入れていれば離れることは無いのだが、三人編成としたために、町田君が袋に入れる役割になった。僕が速くなって、二人と離れてしまった。そのまま待ったが来ないので、下って合流した。
豊潮丸の空気充填は120までだ。50に近くなったので、水深4mまで上がり、僕が水面に上がり位置の確認をした。ゴムボートはすぐ近く10mと離れていないところに頭を出すことができた。空気が10ぐらいまで、浅いところで撮影と採集をした。これもいつものパターンである。
僕だけ先に浮上したら、エンジン付きのゴムボートがちょうどよく来ていて、酒井先生たちを回収していた。結果論としてはうまくいっている。
ゴムボートに這い上がり、本船に戻る途中大きな波が来た。基本的には凪で波もないのだが、ゴムボートを着けた時に波であおられて危なかったが、無事に上がり、今日の潜水はこれで終了。
石川さんのマスクマウントを見たが、北大の学生は、落ち着いていて、きちんと潜水している。システムをきちんと組めば、大丈夫だ。このような採集で命を落とした山下君も多分、おなじような状況だったのだろう。一人にならない安全なパターンのシステムが無かった。
しかし、今回は、巻き尺を使えなかったことを反省しなければならない。巻尺を使うだけ仕事が増えるし、回収もしなければならないので面倒だ。今回のようにうまく行けば面倒な巻尺など無い方が良いかと思ってしまう。しかし、今回も、僕と中尾先生が、視界の外に離れてしまった。お互いに動きがわかっているから、すぐに出会うことが出来たが、出会えない場合も考えられる。結果オーライと、予期していて、準備したとおりになっていることとは違う。
石川組も、石川さんのマスクマウントを見直してみたら、ゴムボートから離れて浮上している。20m程度水面を泳げばよいだけだから、これでも良いが、これも、計算通りにはなっていない。もちろん、全然危なげなく、こちらのゴムボートにも泳いでこられる状況だったが、あと少し潮が速ければ、ちょっとした運動になったはずだ。別に、ヒヤリハットまでも行かない、何でもないことなのだが、ラインが無かったために、戻ることに神経を使った。