AM1000 佐多岬沖 これが最後の潜水で、この後、豊潮丸は呉に帰る。 7月25日 舮着けした山川港、大型船が横着けできる大きな市場は閑散としている。月曜日の朝なのに、水揚げする漁船も居ない。漁港は寂れる一方だ。 中尾先生が船から降りて、タラップの向こうに居る。僕も降りて挨拶する。 「対馬をぐるっと回る予定だけれど、一緒に行かれますか、」 僕は、一瞬、豊潮丸の航海のことではなくて別の話か、と思って「行きます。行きます」途答えた。その後で、来年の豊潮丸の航海のことだとわかった。この航海が10回目で、切りも良いので、これで降りるつもりだった。しかし、命がある限り、整理に入っては、いけない。とも思う。来年の航海にも乗れる、乗るつもりで、生きなければ、病気になってしまう。だめならだめで良いのだが、だめになる前に、自分でだめと決めるのはやめよう。 タラップの脇に猫がいた。優しい態度を顔をして、手を伸ばすとすり寄ってきた。なぜてやると、ごろんと横になって無防備の姿勢になる。痩せていて、乳首が目立つ。子供を産んだのだろう。飼い猫だろうか。それとも、漁港に住み着いていて、落ちた魚をもらっている漁港猫だろうか。漁船でにぎわう港でもなくなっているのだが、それでも人から餌をもらっているのだろう。 佐多岬 鹿児島湾の入り口 AM1000 佐多岬沖 これが最後の潜水で、この後、豊潮丸は呉に帰る。 岬だから流れが心配だった。岩の内懐にボートを止めた。 水は、すばらしくきれい。透視度は30mをこえるだろう。気持ちよく潜水できたが、中尾先生的な無脊椎動物、海綿は見あたらないらしい。 何と言うこともなく、気持ちの良い潜水で、この旅の潜水、すべて、取り立てて危険を感じることもなく終了した。チームがきちんと機能してること、ゴムボートを芯にした段取り(運用)が完成していることで、今回の航海すべて危なげのない潜水になっている。僕のマスクのストラップトラブルが、流れの速いところで起こったら、ちょっとばかり困っただろうけれど、ヒヤリハットを感じるところまでは、行っていない。はぐれて少し心配しただけだ。 潜水のフォーメーション 赤いゴムボート(石川さん所有)にタンク7セットを積む。鈴木がこの積み降ろしのすべてをやる。うねりが大きいとこの作業が危なくなる。 エンジン付きゴムボートに横付けにして行き、岸近く、水深3ー6mに赤いボートのアンカーを入れる。エントリーして、水面でタンクを装着する。 アンカーから80mの巻き尺を海底にランドマークとして延ばす。今回の8回の潜水で、このマークがあって良かったと思った潜水が2回あった。すなわち、マークをたどってアンカーに戻った潜水が2回ということだ。 僕と中尾先生のバディ、町田と里奈にバディで鈴木がガイドのスタイルで監視する。北海道大学の酒井先生のバディは、原則としてお互いに見える範囲で動くことにしているが、今回の潜水では、とりたてて、注意はしなかった。このスタイルの練度が高くなっていて、酒井先生バディについての問題はなかった。 トラブルとしては、僕のマスクのストラップ外れ、中尾先生のフィンストラップの切断があったが、危ない海況と重ならなかったので、危ない思いはしなかった。 恐怖心を安全に結びつけることが大事なこと、と、いつも書いているが、流れがあるか、波はあるか、という心配はあったが、好天に恵まれて、不安に感じることは一度もなかった。幸運に恵まれた航海だった。 水面でタンクとウエイトを外して赤いボートにのせ、エンジン付きの迎えのボートによじ登る。腕力とキックで上るのだが、自力で上がれないのは、僕だけなので、腕をひっぱってもらう。くやしい。 里奈は、独力でよじ登るように、這い上がってくる。よじ登れることが矜持なのだ。
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