ブログを書くと言うこと、考えることだし、考えなくてはなにも前に進まないから、だから書くのだが、そのために、勉強的な読書をする時間が無くなってしまっている。 楽しみのための読書はたくさんするのだが、勉強的に頭を使う読書はなかなか手に着かない。読み始めても、すぐに根が尽きて理解不能になってしまう。なかなか読む時間がない。 ようやくちょっとだけ 「東京湾の漁業と環境」 7号 平成28年3月 中央水産研究所 増養殖研究所 刊 「東京湾の研究を振り返って」小泉正行 読むことができた。ノートを取っておかないと、いけない。 小泉さんはもとの東京都水産試験場、今の東京都島しょ農林水産センター(なんでこんな面倒な名前にするのだ)を平成27年3月に退職した。 在職中、ずいぶん接触があった。一緒にお台場でもぐったこともあった。彼の仕事と僕の仕事がかなり重なっていたからだ。 まず、東京の鮎の話から始まる。東京の鮎は多摩川を遡上する。中流域で産卵し、稚鮎は川を下る。 多摩川は分断されている川だ。東京の水源地多摩川の水は、途中から多摩川上水に引き込まれ、東京の水道となって東京都内を流れ、海に下水として下る。 海に下る多摩川は、玉川上水の取り入れ口から下流に流れ込む支流とか地下水が流れる。それも調布取水堰で止められる。 いくつもの堰で区切られて、鮎の遡上を止める。宿河原の堰から上には上らなかった。そこから上は、なに養殖した稚鮎を放流すれば済むことになってしまう。小泉さんは天然の遡上する鮎がどこまで行くか、その数量はどのくらいかという調査研究をされていた。 僕もそのころ(1990年代)、衛星チャンネルで東京の川というシリーズを撮っていて、小泉さんと重なった。調布取水堰の下流に小さい定置網を設けて、遡上する鮎を捕まえて数を数える。もちろん資源学的な推計で数えるのだが、ちょうど桜の散るころに稚鮎が上ってくる。調布取水堰には魚道があって稚鮎が上る。その数を数える。鮎は壁に張り付くようにして遡上するので数を数えることが可能だ。 その両方とも撮影させてもらうという形で付き合った。彼はそこそこのダイバーであったことも、気持ちが合った。 鮎の遡上数は玉川がきれいになるのと比例して増え、平成24年には1000万匹を越えた。その鮎も前記上流の宿河原の堰でとまってしまう。小泉さんの調査が基になって魚道が改善されたが、それでも全部が魚道を上れるものでもない。それに鮎はそれほど上流出なくても産卵する。沼津の柿田川もその例だ。 アユの産卵 残念なことにこの鮎は多摩川ではなくて、沼津の柿田川 多摩川の鮎の産卵を僕は撮影したい。小泉さんに聞いたが、ピンポイントではわからない。だいたいのところはわかるけれど、とだいたいのところを教えてもらって潜ってみた。鮎はたくさんいるが、産卵は撮影できなかった。しかし、小泉さんの幸せな時期(ピーク)と僕の幸せな時期は重なっていた。 東京湾は鮎のゆりかごで、川の浄化にともなってその数は増え、2012年には1000万尾を越えたという。 小泉さんは1995年、八丈島に転勤された。そのころ、八丈島にあまり行かない時期にあたってしまって八丈島では、ご一緒できなかった。 東京に戻ってこられて、こんどは内湾の研究調査になり、お台場というフィールドで僕と重なった。2004年から2006年まで、お台場にアマモの移植実験をされる。これも、僕たちのフィールドと重なるので、1ー2度は来てくださって一緒に潜ったし、小泉さんがこられないときもそのアマモも見に行った。少し長くなり写すのがしんどいのだが、書き写そう。 お台場に移植されたアマモ、囲いがしてある。
「アマモの全容を把握するために、あえて、夏期から晩秋にかけて株移植する一方、花枝から種を採取して、透明度が良くなる冬季に播種試験も併せておこなった。予想通り、植物プランクトンが発生して透明度が低下する4月以降に毎年衰退した。しかし、この間、繁茂期の葉上には、オオワレカラガ気分が悪くなるほど蝟集するケースや、ギンポやメバル類などの稚魚が集まる様子が観察できた。このほか夏期に移植したアマモには、ムラサキイガイやフジツボ類が全面を覆い、光合成が遮断される負の連鎖をみた。」 ここで一応アマモの記述から外れるので、アマモについてのまとめを私見として書かせてもらう。結局この実験はお台場をアマモ場にするという事業には至らなかった。お台場ではアマモは生育しない。小泉さんの述べられているように、透視度が悪くなり光合成ができなくなること、そして付着生物が葉の全面をおおってしまうことで、これも光合成ができなくなるとともに、重くなって沈んでしまう。 小泉さんは書いている。「得られるものがいくつかあった。観察のため月回ほどの潜水をして、残りの空気を使い切るまで周辺域を観察していたところ、2004年の夏期には、アサリの分布密度がもっとも高い地点付近から岸と平行にアカエイがすり鉢状の穴を掘り始め、10日ほどで、田畑を鍬で耕したように一面が凹凸状態になるのを見ることができた。中略 11月になるとアサリの標本撮影が容易ではなくなるほど、アカエイのすさまじさを知ることができた。」 私見だが、沖縄などで浅い珊瑚礁の中で体を落ち着け、動かないでいると、10分もしないうちにさまざまな生き物が自分の周囲で動き出す。逃げなくなる。この有様を環境ビデオ風に動画を連続撮影したり、していたのに、お台場で僕はそれをしていない。 もしかしたら2時間も撮影を続けている清水まみはしているかもしれない。 そうなんだ。アカエイがアサリを食い尽くしてしまうのだ。 あまりにも長くなるので ここで切って次はアサリとホンビノスのところを、みよう。
「アマモの全容を把握するために、あえて、夏期から晩秋にかけて株移植する一方、花枝から種を採取して、透明度が良くなる冬季に播種試験も併せておこなった。予想通り、植物プランクトンが発生して透明度が低下する4月以降に毎年衰退した。しかし、この間、繁茂期の葉上には、オオワレカラガ気分が悪くなるほど蝟集するケースや、ギンポやメバル類などの稚魚が集まる様子が観察できた。このほか夏期に移植したアマモには、ムラサキイガイやフジツボ類が全面を覆い、光合成が遮断される負の連鎖をみた。」 ここで一応アマモの記述から外れるので、アマモについてのまとめを私見として書かせてもらう。結局この実験はお台場をアマモ場にするという事業には至らなかった。お台場ではアマモは生育しない。小泉さんの述べられているように、透視度が悪くなり光合成ができなくなること、そして付着生物が葉の全面をおおってしまうことで、これも光合成ができなくなるとともに、重くなって沈んでしまう。 小泉さんは書いている。「得られるものがいくつかあった。観察のため月回ほどの潜水をして、残りの空気を使い切るまで周辺域を観察していたところ、2004年の夏期には、アサリの分布密度がもっとも高い地点付近から岸と平行にアカエイがすり鉢状の穴を掘り始め、10日ほどで、田畑を鍬で耕したように一面が凹凸状態になるのを見ることができた。中略 11月になるとアサリの標本撮影が容易ではなくなるほど、アカエイのすさまじさを知ることができた。」 私見だが、沖縄などで浅い珊瑚礁の中で体を落ち着け、動かないでいると、10分もしないうちにさまざまな生き物が自分の周囲で動き出す。逃げなくなる。この有様を環境ビデオ風に動画を連続撮影したり、していたのに、お台場で僕はそれをしていない。 もしかしたら2時間も撮影を続けている清水まみはしているかもしれない。 そうなんだ。アカエイがアサリを食い尽くしてしまうのだ。 あまりにも長くなるので ここで切って次はアサリとホンビノスのところを、みよう。