水中撮影ハウジング史を書こうと思って、自分の関わったハウジングの資料、写真を集めている。しかし、全部を連続して、まとめて書くことはとてもできない。 散発的に、思いついた時に書いて出し、後からまとめれば良いと決めた。
この巨大カメラ、自分が作ったカメラではない。でも、ダイバーの装備を見ると、TUSAのBC、これは、とても好きなBCでずいぶん愛用した。バッグの縫い目から、空気が漏るので、修理をタバタに頼んだ。とても修理不能、しかし、長らく愛用してくれたということで、新しいBCをもらった。新しいものも悪くはないのだが、ごてごてしている。愛用したBCはシンプルなところが気に入っていたのだから、主に早稲田の中尾教室の学生がつかっている。 フィンはダイブウエイズの空色のトライスターだ。マスクはラクーン、スーツが、見覚えが無いが、こんなのを着ていたこともあるかもしれない。ちょっとあやふやだけど、まず自分であることは間違いないだろう。 拡大してみると、NHKと書いてある。NHKのハウジングで3Dだ。3Dで、サンゴ礁というと、葛西水族園の展示映像を、1994年に「伊豆の海」1995年に「珊瑚礁の海」96年に「知床の海を撮ったはずだ。 いろいろな形で日誌、日記、ノートなどを記していて、かなり詳しいことを書いている部分もあれば、空白の時もある。空白の時には、時系列がわからない。この1994年から97年ぐらいが欠落している時期だ。だから、これは95年か、もしかしたら96年かもしれない。 この3Dカメラは、見てのように、大きい。なぜ大きいかといえば立体のために2台のカメラが入っている。ケーブルで信号を送り、船上で2台の1インチテープのVTRに録画する。2台を同期させて立体にするのだが、道具が大変だった。航空便だと大変なので、コンテナーに入れて、船便で送った。座間味で使った船は、さきごろ無くなってしまった宮平秀保の光進丸を使った。この船は、船室が大きくて、カメラ吊り降ろしのデリックもついている。中村宏治の撮った、「彼女が水着」もこの船で撮った。三浦半島の水中を慶良間で撮るのだから、僕にはちょっと真似できない。いや、僕も北海道の撮影を与論島でやったから、まあ良いか。その話はまた後で。 とにかく、VTR二台と、モニター2台を積んだら船室が満員になった。夏の撮影であり、VTRとモニターの熱で故障する可能性があるので、クーラーまで船室に入れた。今、九州大学の海岸工学教授の清野聡子さんを監修にたのんだことは覚えている。彼女がまだ大学院生のころ、僕がキャスターだった衛星チャンネルでアシスタントをやってもらったこともある。多分、それで撮影のことを覚えて、そのご科学映画のプライズをとったこともある。
記憶しているのは、夜の珊瑚礁のシーンで、コブシメを撮影していたら、目にも止まらない速さで、スズメダイを獲った。船上でこのシーンを見てみんな歓声をあげた。その声が、僕の耳には有線通話で入って来るのだが、ファインダーを通した僕の目には、とまらなかった。清野先生は、当時はイカとタコの研究者だったから、勿論喜んでくれた。 その時、撮影の合間にニコノスでスチルを撮った。その一枚がお気に入りで、いまも自分のPCのデスクトップにしたりしている。全チョウチョウウオの中で、一番好きな、えっつ、名前が頭に浮かばない。図鑑をみて、セグロチョウチョウウオだとわかる始末。一緒に写っているのはクマササハナムロだと思うのだが、クマササハナムロとグルクンの関係がよくわからない。益田さんの図鑑では、グルクンはでてこない。沖縄方言なのだ。そのグルクンはタカサゴのことだとされるが、クマササハナムロまでがグルクンに含まれるのか、クマササハナムロは、タカサゴよりも値は安いらしいが、いずれにせよ、分類学を不得手とした僕にはわからない。尾びれの黒い縞で区別がつくらしいが、写真には尾びれが写っていない。
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