学生連盟のことを書いていて、こんなことを書いていて、何になるのだろう。 失意の連続だったし、事故のこと、関係者は古いことを持ち出されて、不愉快だろう。それに世の中のことは、なるようにしかならないし、 そして、今、僕がこんなことを書かなくても、事故はもう起こらない。だろうか? 書いていることの結末は現在、だから、それは、本当に現実だけど、未来、先のことはわからない。 そして、たしかに今、監督、コーチが集まった4大学は、事故が起こっても、大丈夫だろう、その他の大学は、ブラックボックスなのだ。立泳ぎ事故からSAIができるまでのブランクの間、同じような事故がいくつか起こっている。関東学生潜水連盟でネットをしらべると、僕の書いた「幻の潜水事故」が上位に出てくる。そして、母校の海洋大学では、どこにも記録がなく、ヘリコプター搬送事故が発生している。それが、SAIを作った時の状況だった。そんなことは学連自体がやるべきことで、OBの一人でしか無い須賀がやることではないだろう、と言ってくれる人が学連の中に居るのならば、ならば、僕を顧問にしてくれれば、学連そのものでやれる。しかし、2002年の学連はそんなことができるところではなかった。だから、学連SAIという形を作った。いずれ学連の中に入れ込もうと。 ここまで書いたのだから、終わりまで書こう。そして、まとめも書いておこう。思い通りにならないことが常だし、書いても自分だけの道標、それも、自分の場合、将来のない途中経過だが。 SAIという資格を着陸させることは、無理が大きい。ひとつには自分のポジションがあった。全日本潜水連盟の理事長をやっていたから、SAIは、全日本潜水連盟の資格にしなければならない。それはできないし、やりたくない。あとでも述べるが、発足したころの学連には、指導団体とは組織としてはかかわらないという内規があった。このことは、後でまた述べる。社会スポーツセンターでその資格を作れば良い。当時、自分は社会スポーツセンターの常務理事だった。出来るポジションであった。しかし、社会スポーツセンターは、社会体育指導者を導入する時、文科省、そしてアメリカ大使館と、そのような直接カードは出さないという約束になっていた、このいきさつは別の機会に書こうと思うが、とにかくそんな約束ごとがあった。しかし、SAIは、C-カードではないのだから、社会スポーツセンターの線で、強行突破できないことはなかった。そうも思った。しかし、それも、バックアップしてくれる、学識経験者、山見先生に慎重にといわれれば、強行できない。多分、真野先生は、GO!だとおもうから、迷った。そのときは無理だと思った。そのときに一緒に努力してくれた現役諸君には申し訳ないことになった。 そこで、SAIとして、考えた戦略は、もしも事故が起こったとき、社会的な糾弾に対応するために学識経験者のバックアップ態勢を作っておき、安全についての講演会を定期的に行っていることが盾になる。 もしも、それまでに起こった事故の時、SAIがあり、原因を追究、議論したならば、学連は違うかたちになっていたにちがいない。事故が起こったときも学連内部で議論はあったかも知れない、しかしその議論は科学的、医学的に追求検討された結果ではなかった。社会的にどう対処しようかという議論のようだ。呼ばれたわけではないから本当のことはわからない。医学的、スポーツ科学的に研究されたことはなかったようにおもう。あったとしても発表されていない。このような議論があったところで、あの立ち泳ぎは、是にはならなかっただろうが、そのような研究がなされて居た上でのあの時の状況であれば、あの事故はクラブの責任者の責任、少なくと社会的な責任にはならなかった筈で、廃部と言うような状況での顧問の先生の苦労も少なくなった筈だ。自分にしても、そのような発想は無かったし、そのように動ける状態にはなかった。本業での戦闘に明け暮れている日々だった。 もしも、循環器のお医者さんで、スポーツ医学にかかわっている河合先生のような方が近くに居れば、学連のあり方もかわり、これに引き続いて起こった幻の事故も起こらなかったに違いない。なぜ、幻と呼ぶかというと、死亡事故が一つだったか二つだったかわからないのだ。どちらも正式な記録がない。 いま、2016年現在これらの事故報告が学連で閲覧できる状態でそんざいするのかどうか、存在することが安全への道ではないだろうか。秘密のうちにあったのでは、あったことにはならない。個人ではつらくてできない。SAIでやろうと思った。一般的通念でいうならば、それは学連がやるべきというだろう。それは、できなかった、今ならば?今の学連でできるか?そのことは、このテーマのまとめで、述べたい。 立ち泳ぎは練習禁止種目になったが、本当に悪い練習方法だったのだろうか。
続く
続く