僕が教えていた学生クラブ
関東学生潜水連盟は、毎年、式根島で学連の合宿をやり、それぞれの大学の主将クラスの親睦と、練習方法、合宿ツアーの運営など、一緒に潜水しながら、安全な潜水を追求する。
それは良いのだが、学生が泊まらない近くのダイビングサービスからの情報では、
夜は酒盛りの状況になっている。実際にどのくらい飲んでいるのかわからないのだが
水産大学の潜水部から、もらった合宿のパンフレットには、さあ、飲むぞ!という雰囲気になっている。例え、酒を飲んでも飲まなくても、こんなことを印刷して配布すれば、もしも何か事故が起こった時、社会的に糾弾されるだろう。
そこには、各大学の監督の影も、コーチの姿も見えない。学連の大部分の大学で、「合宿で酒を飲むな」という注意もない。
そして、その合宿のあった2002年だった。これは関東学生潜水連盟ではないのだが、東大生が入っているダイビングサークルが、大瀬崎で死亡事故をおこした。このサークルは幾つかの大学が合同で行っているサークルで、もちろん指導者も同行していない。大瀬崎で宿泊していた羽衣に電話しての情報では、前夜遅くまで酒を飲んで騒いでいたという。咎めるような口調だった。これは関東学生潜水連盟の合宿もおなじようなものだと推察される。
このまま放置するべきなのだろうか。
事故が起こった時、最善を尽くすと言ったのではないか。
ここからは、自分なりに最善を尽くして、敗北する話になる。
その昔、千葉真一が主宰するJAPANアクションクラブという。アクションスター養成の学校でダイビングの指導をしたことがある。僕の教え方は、お客様、ゲストに対する態度とおなじだった。若い子どもたちだから、教師に対する態度はとっていない。一緒に教えていた空手の師範、有名な方だったが名前は忘れてしまった。子どもたちを集めて師範が言う。「須賀先生は、やさしく教えてくれているけれど、先生の教えているダイビングは、一つ間違えば死んでしまう。空手の指導は厳しく、僕は恐ろしいかもしれないけれど、君たちを殺してしまうことはない。」その後、みんなの態度がかわった。そのときから、学生に対する態度は、お客様扱いではいけないのだと自分を戒めている。それでも、学生たちを叱ったり、きつく言うようなことはない。しかし、ダイビングは死ぬのだと教えるようにはしているつもりだ。
学生のダイビング部活は二年半で終わる。リーダーも二年の経験しかない。
せめて、リーダーだけでも後二年、卒業するまで部活に残る制度は作れないのだろうか?
今では、そんなことは絶対に無理とわかっている。でも、さらにその後で述べるように、必ずしも無理では無かったのではないか、とも思う。
とにかく、安全、人の命、若い命がかかっていると思えば、行くしか無い。
これは、僕の潜水人生で、その最後で、もっとも大事なプロジェクトになるのではないかと信じ込んだ。
呼びかけたら、学連の上級生、執行部を卒業しかかっている何人かが賛同してくれた。三年生を集めて講習会を開く、実技については、すでに、経験数も街場のショップのアシスタントのレベルに達している。安全管の方法論、システムを研究し互いに切磋琢磨し、それを記録に残しておけば良いのではないか。酒飲み大会になっている合宿を信頼できる教師、先生にきてもらって、講習とすれば、大幅に安全管理が向上する。ケーブルのオペレーションの実習もやろう。
スチューデントアシスタントインストラクターという言葉も学生が考え出してくれた。そのころ熱心になってくれた学生の名簿を作っておけば良かったが、残っていない。ただ、事務所によく訪ねて来てくれた宮本君を覚えている。慶応のダイビング部だった。学連の場合、周期的に中心になる委員長を各大学に振り分けているようだ。そのころ、慶応立ったのかも知れない。
忘れていた、僕は関東学連の執行部の学生たちとテレビ番組をつくったことがある。「朝まで生テレビ」と言う番組で語り合った。それもSAIの伏線になっている。そのときの学連の委員長は立教の女の子だった。その立教は、今は消滅してしまっている。
各大学の監督、コーチとは全く知見がなかった。学生と、新しい企画を熱心にやっていても監督、コーチの姿は見えない。全然、別、二重構造なのだ。
このことは、後で大きな問題になるのだが、それは置いておいて、話を進めた。
指導をしている誰かに話をしてみようと、法政の山中くんを呼び出した。彼にとっては無駄な時間だったのだろう。僕の方が先輩だから、無碍には反対できないし、賛成もできない。冷静に考えれば、どうすることもできないことと知っている。
東京医科歯科大学の真野先生に相談した。良いんじゃないですか協力しますよ。先生はいつでも僕には協力してくれる。安全という方向であれば。
順天堂大学、河合先生にも協力をお願いした。真野先生のところに居た山見先生を中心にするように真野先生は考えていたようだ。ダイビングの世界では、お医者さんがキーだ。
2003年 10月26日 第一回のSAIセミナーを医科歯科大学の教室を借りて行った。
監督、コーチの影も形も見えない。学生執行部からのアプローチができない。
それでも、自分としては強行突破するつもりだった。しかし、山見先生は、無理をしないで、待った方が良いとい意見だった。
続く