半日がかり、13時から17時で、ブログの整理を2014年まで終えた。
あと、1年分2015年を終えれば、現在に追いついて、書く毎に整理して行くことができる。
2005年からだから、10年、よくも書いてきたものだと、振り返れば思う。全部整理してみると、一つの財産になっているような気分になる。
此処から先は時系列のファイルとともに、項目別にまとめたファイルを作って行くことで、指針にすることが出来るかもしれない。例えば、お台場、学生クラブ、人工魚礁調査、水中科学協会、幾つかにくくれる。ダイビングの記録、豊潮丸の航海記は、まとめて、さらに整理すれば、南日本潜水旅行記である。
これから先は、書くこと、そのものに疑いをもつことは、無くなると思うが、書くことの質を考えるようになると、これまでのよう自由には書けないかもしれない。
文章のよし悪しも気になっている。書きなぐりの下書きにはできないか?
できれば、あまり構えないで、これまでとは少し良くなるていどで行ければ良いのだが、難しくなった。行けるところまで行こう。
振り返ると、すべてのことは、壊れた夢のかけらのようだ。人のやることは、全部、そ
んなものかもしれない。うまく書き表せないので、なんどか回を重ねて書きなおすかもしれない。一度だけ書いて、それが良いものになるような能力は今の自分にあるとは思えない。
海洋大学の潜水部も、関東学生潜水連盟も、全日本潜水連盟も水中科学協会にしても、
全て、自分が追っていた姿とは違ってしまっている。振り返ってブログを見て、例えば、2012年の方が良かったとか、ちょっと前の2014年には良かったとかおもってしまう。今の2016年も、2018年までもしも生きて、動いていたとしても、2016年の、あの頃は良かった、のあのころになってしまうかもしれない。
全ては、そんなものなのだが、全日本潜水連盟について考えてみよう、関東学生潜水連盟と海洋大学については、今日、整理した2014年に10回以上の連続で書いている。これまでは、同じことを繰り返し書くことも悪いことではないと、書いてきたが、整理すると、あまりの繰り返しは書けなくなる。繰り返すにしても、前のものを見ながら、かくことになる。
スキャンコピーしてあった画像を見て愕然とした。スキャナーの性能が悪すぎて、こんなものだ。
幸い、オリジナルがあるので、スキャンし直そう。といって、これも大変な手間のかかる作業だが。
全日本潜水連盟も、水産大学潜水部も、今となっては夢のかけらかもしれない。
それでは、僕は何を目指していたのだろう。全日本潜水連盟が日本全国を一つにまとめ、各地域に支部のある潜水組織にするというのが目標であったとするならば、それは1973年に達成してしまっている。
人も時代も変わっていく。その中で、達成されたものの継続が目標であったとするならば、それは不可能にちかい。
達成された成果とは、自分たちの命と同様に通り過ぎて行くもの。全日本潜水連盟では、とにかく25周年までは、自分の目標を継続し得た。25周年をヴァンティアンで行ったときこの目標も通り過ぎた。
過ぎてみれば目標はマイルストーンになる。頂上に立てられた旗でしかない。
その後、失意に打ちのめされたことも、マイルストーンになる。
そのうちに、全日本潜水連盟については、マイルストーン刻みで、なにか書くと思う。
関東学生潜水連盟にしても海洋大学潜水部にしても、マイルストーンだけが自分の記憶の中に残っている。 来年、海洋大学潜水部は60周年をむかえる。周年行事というのは、継続していく組織のなかで参加している全員が共有できる分かりやすいマイルストーンである。
出版する本もマイルストーンなのかもしれまい。
報告書とか、ブログはマイルストーンにならない。途中経過記録、つまりログなのだ。
ログがマイルストーン、到達点になるには、到達点、目標をさだめて目標にむかって歩き続けて、そして到達することである。到達したことで、それはもう記録にすぎなくなってしまうのだが、それでも、人間は歩き続けている。歩き続けなければならない。
あと、1年分2015年を終えれば、現在に追いついて、書く毎に整理して行くことができる。
2005年からだから、10年、よくも書いてきたものだと、振り返れば思う。全部整理してみると、一つの財産になっているような気分になる。
此処から先は時系列のファイルとともに、項目別にまとめたファイルを作って行くことで、指針にすることが出来るかもしれない。例えば、お台場、学生クラブ、人工魚礁調査、水中科学協会、幾つかにくくれる。ダイビングの記録、豊潮丸の航海記は、まとめて、さらに整理すれば、南日本潜水旅行記である。
これから先は、書くこと、そのものに疑いをもつことは、無くなると思うが、書くことの質を考えるようになると、これまでのよう自由には書けないかもしれない。
文章のよし悪しも気になっている。書きなぐりの下書きにはできないか?
できれば、あまり構えないで、これまでとは少し良くなるていどで行ければ良いのだが、難しくなった。行けるところまで行こう。
振り返ると、すべてのことは、壊れた夢のかけらのようだ。人のやることは、全部、そ
んなものかもしれない。うまく書き表せないので、なんどか回を重ねて書きなおすかもしれない。一度だけ書いて、それが良いものになるような能力は今の自分にあるとは思えない。
海洋大学の潜水部も、関東学生潜水連盟も、全日本潜水連盟も水中科学協会にしても、
全て、自分が追っていた姿とは違ってしまっている。振り返ってブログを見て、例えば、2012年の方が良かったとか、ちょっと前の2014年には良かったとかおもってしまう。今の2016年も、2018年までもしも生きて、動いていたとしても、2016年の、あの頃は良かった、のあのころになってしまうかもしれない。
全ては、そんなものなのだが、全日本潜水連盟について考えてみよう、関東学生潜水連盟と海洋大学については、今日、整理した2014年に10回以上の連続で書いている。これまでは、同じことを繰り返し書くことも悪いことではないと、書いてきたが、整理すると、あまりの繰り返しは書けなくなる。繰り返すにしても、前のものを見ながら、かくことになる。
スキャンコピーしてあった画像を見て愕然とした。スキャナーの性能が悪すぎて、こんなものだ。
幸い、オリジナルがあるので、スキャンし直そう。といって、これも大変な手間のかかる作業だが。
全日本潜水連盟も、水産大学潜水部も、今となっては夢のかけらかもしれない。
それでは、僕は何を目指していたのだろう。全日本潜水連盟が日本全国を一つにまとめ、各地域に支部のある潜水組織にするというのが目標であったとするならば、それは1973年に達成してしまっている。
人も時代も変わっていく。その中で、達成されたものの継続が目標であったとするならば、それは不可能にちかい。
達成された成果とは、自分たちの命と同様に通り過ぎて行くもの。全日本潜水連盟では、とにかく25周年までは、自分の目標を継続し得た。25周年をヴァンティアンで行ったときこの目標も通り過ぎた。
過ぎてみれば目標はマイルストーンになる。頂上に立てられた旗でしかない。
その後、失意に打ちのめされたことも、マイルストーンになる。
そのうちに、全日本潜水連盟については、マイルストーン刻みで、なにか書くと思う。
関東学生潜水連盟にしても海洋大学潜水部にしても、マイルストーンだけが自分の記憶の中に残っている。 来年、海洋大学潜水部は60周年をむかえる。周年行事というのは、継続していく組織のなかで参加している全員が共有できる分かりやすいマイルストーンである。
出版する本もマイルストーンなのかもしれまい。
報告書とか、ブログはマイルストーンにならない。途中経過記録、つまりログなのだ。
ログがマイルストーン、到達点になるには、到達点、目標をさだめて目標にむかって歩き続けて、そして到達することである。到達したことで、それはもう記録にすぎなくなってしまうのだが、それでも、人間は歩き続けている。歩き続けなければならない。