夢と冒険を追う、なんて歳がいのないキャッチフレーズで日本潜水グラフィテイを書き、今も続を書いている。一方で、冒険はいけない。冒険になってしまってはいけない。などと言われる。
土曜日に一緒に潜っていた小俣君が、人喰いバクテリアに取り憑かれて、一日遅れたら足の切断、一週間遅れたら命があぶないというたいへんなことになり、入院してしまった。早く,復帰を願うばかりだが、彼も、いつも夢と冒険を口にしている。立派な会社の社長さんが、冒険を追って良いのかな?と心配したりしていたが、今度の病気でも 夢と冒険が彼の支えにならなかったら、不安と、拷問のような痛みに、耐えられないだろう。、「こんなことで、僕の夢は消えやしない。」という。何もしてあげられないのがつらい。エールをおくるだけだ。
僕の書いた「日本潜水グラフイティ」をそばに置いてくれるということだ。優しい人だから、社交辞令だと思うけれど、うれしい。僕はこの本を冒険ノンフィクションのつもりで書いた。小俣さんのおかげで、胸を張って夢と冒険を追うと言える。
僕にとって、80歳を越えて生きる今は、日々が冒険だ。高齢化、そして逃れよもない死へと向かうこと、人生最大の冒険と思わなければ、希望のなさに押しつぶされてしまう。
昔、1980年代、平凡社が出していた、「アニマ」という雑誌があった。休刊になるまでのほとんど全部をもっていて、ときどき手に取る。その特集号で「冒険ダイビング」というのがある。今も活躍している、当時は本当に若手の、人たちも名前を連ねている。残念だけれど、僕はこの雑誌に寄稿していない。このアニマが休刊になってしばらく後に、平凡社の三代目社長と知り合いになった。
1987年のアニマ、今活躍している人が名前を連ねている。このアニマが自然写真家の登竜門でもあった。
ここでは、海の生物の研究はすべて、正々堂々と冒険だったのだ。僕の定義によれば、観察したり記録したりすることは探検だとしているのだが、ここでは探検もすべてひとくくりにして冒険なのだ。
心をわくわくさせるような、冒険もあるし、痛みと恐怖に耐えるという冒険もある。高齢という、死ぬまでの時間を過ごす冒険もある。
僕は、ダイビングは、スポーツダイビングもリサーチダイビングもそして作業潜水も冒険だと思っている。たとえば作業潜水は、冒険と思わなければ、陸上の鳶職よりも少ないギャラで、生命を失うかもしれない水の中の労働などやってられない。
スポーツとよぼうが、レクリエーショナルダイビングと呼ぼうが、レジャーダイビングと言おうが、どうでもいいけれど、その遊びのダイビングが冒険ではなくなって、致死性の高い商業スポーツだと呼ばれるようになり、面白くもなんともなくなった。
どうも、冒険というと、イコール危険だと思っている人がいるらしい。
冒険とは、危険、辛さに耐え、切り抜けて行く心の持ち方であり、危険とか安全とかは、その場、今そこにある事実である。もちろん危険を無視した無謀な冒険とか、一か八かやってみよう的な冒険とか、準備周到な冒険とか、冒険には形容詞がつく。それぞれの責任で途を選び決定することだ。
とにかく、僕はスポーツという行動、活動を商品としてしまうことには、反対だ。それは、プロのダイバー、インストラクターもガイドダイバーもプロであれば、その知識、経験、労働を売って生活しなければならない労働者である。お客はその知識、経験、労働に対価は払うけれど、スポーツという商品がそこにあるわけではない。人間が生き続けて行けない水中に入るという危険な行動が商品になるものなのだろうか。商品であれば、安全でなければならない。だから僕はケーブルダイビングシステムという、お客を有線通話ケーブルで繋いでおく道具と使い方を商品として売ろうとした。残念ながら失敗した。安全は商品として売れなかった。なぜなら、ダイビングは冒険だからだった
土曜日に一緒に潜っていた小俣君が、人喰いバクテリアに取り憑かれて、一日遅れたら足の切断、一週間遅れたら命があぶないというたいへんなことになり、入院してしまった。早く,復帰を願うばかりだが、彼も、いつも夢と冒険を口にしている。立派な会社の社長さんが、冒険を追って良いのかな?と心配したりしていたが、今度の病気でも 夢と冒険が彼の支えにならなかったら、不安と、拷問のような痛みに、耐えられないだろう。、「こんなことで、僕の夢は消えやしない。」という。何もしてあげられないのがつらい。エールをおくるだけだ。
僕の書いた「日本潜水グラフイティ」をそばに置いてくれるということだ。優しい人だから、社交辞令だと思うけれど、うれしい。僕はこの本を冒険ノンフィクションのつもりで書いた。小俣さんのおかげで、胸を張って夢と冒険を追うと言える。
僕にとって、80歳を越えて生きる今は、日々が冒険だ。高齢化、そして逃れよもない死へと向かうこと、人生最大の冒険と思わなければ、希望のなさに押しつぶされてしまう。
昔、1980年代、平凡社が出していた、「アニマ」という雑誌があった。休刊になるまでのほとんど全部をもっていて、ときどき手に取る。その特集号で「冒険ダイビング」というのがある。今も活躍している、当時は本当に若手の、人たちも名前を連ねている。残念だけれど、僕はこの雑誌に寄稿していない。このアニマが休刊になってしばらく後に、平凡社の三代目社長と知り合いになった。
1987年のアニマ、今活躍している人が名前を連ねている。このアニマが自然写真家の登竜門でもあった。
ここでは、海の生物の研究はすべて、正々堂々と冒険だったのだ。僕の定義によれば、観察したり記録したりすることは探検だとしているのだが、ここでは探検もすべてひとくくりにして冒険なのだ。
心をわくわくさせるような、冒険もあるし、痛みと恐怖に耐えるという冒険もある。高齢という、死ぬまでの時間を過ごす冒険もある。
僕は、ダイビングは、スポーツダイビングもリサーチダイビングもそして作業潜水も冒険だと思っている。たとえば作業潜水は、冒険と思わなければ、陸上の鳶職よりも少ないギャラで、生命を失うかもしれない水の中の労働などやってられない。
スポーツとよぼうが、レクリエーショナルダイビングと呼ぼうが、レジャーダイビングと言おうが、どうでもいいけれど、その遊びのダイビングが冒険ではなくなって、致死性の高い商業スポーツだと呼ばれるようになり、面白くもなんともなくなった。
どうも、冒険というと、イコール危険だと思っている人がいるらしい。
冒険とは、危険、辛さに耐え、切り抜けて行く心の持ち方であり、危険とか安全とかは、その場、今そこにある事実である。もちろん危険を無視した無謀な冒険とか、一か八かやってみよう的な冒険とか、準備周到な冒険とか、冒険には形容詞がつく。それぞれの責任で途を選び決定することだ。
とにかく、僕はスポーツという行動、活動を商品としてしまうことには、反対だ。それは、プロのダイバー、インストラクターもガイドダイバーもプロであれば、その知識、経験、労働を売って生活しなければならない労働者である。お客はその知識、経験、労働に対価は払うけれど、スポーツという商品がそこにあるわけではない。人間が生き続けて行けない水中に入るという危険な行動が商品になるものなのだろうか。商品であれば、安全でなければならない。だから僕はケーブルダイビングシステムという、お客を有線通話ケーブルで繋いでおく道具と使い方を商品として売ろうとした。残念ながら失敗した。安全は商品として売れなかった。なぜなら、ダイビングは冒険だからだった