旭式マスク、という軽便潜水機がある。浅利熊記という水産講習所(今の東京海洋大学の前身である東京水産大学のさらに前身)の先輩が、自転車の空気入れで潜れる潜水機を目指して開発したマスクである。後に浅利さんと共同してこのマスクを作り上げた佐藤さんという方が旭潜研という会社を作ってこれを販売したので、浅利式が旭式になっていたた。
自転車空気入れのポンプを少し大きくすれば、ダイバーの一回呼吸量を押し出すことは可能である。しかし、ダイバーが吸い込む時と、ポンプを押すタイミングが合わなければ、つまり、押している時にダイバーが吐いていれば、押し出した空気はそのまま流れ出てしまって呼吸できない。流れ出ないように、空気をためておく袋をマスクに取り付けることを考えついた。これによって、自転車空気入れよりも二回りくらい大きいが、とにかく小さなポンプで潜れるようになった。
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旭式マスク、空気嚢の大きさもいろいろあった。
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このポンプでどのくらい深く潜れるかと言うと、押す力さえ大きくすれば、かなり深くまで潜れる。ダイバーが肺に吸い込む量は、深くても浅くても変わらない。圧力が高くなるだけだ。圧力とは、押す力だから、ポンプを押す力が必要だ。ポンプが壊れない限り、この小さいポンプでも4人で押せば、30mくらいは潜れたはずだ。一人でのんびり押して、10mくらいだ。力のことを何馬力と表現するが、何人力ともいう。
本格的に深く潜るためには、自転車ポンプでは無理で、大きな天秤型の手押しポンプを使う。手押しポンプの両側に丸太を付けて、片側6人、12人ぐらいで押せば、60mぐらいまで潜れるはずだ。
しかし、ポンプを押すのは激しい労働だから、たちまち疲れる。疲れて押すのをやめれば、ダイバーは一巻の終わりになる。3交代、36人で押す。まるで、御輿担ぎのようにして押す。
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コンプレッサーの時代になると人手は少なくて済むようになったが、やはり圧力の高いコンプレッサーは吐出量が小さい。深く潜るためには、高圧タンクに充填したものを使うようになる。
ところで、旭式、空気嚢のついたマスクは深海用ではない。深くても、20mとまりだ。効率が良いのは10m前後である。
この旭式がもっとも多く使われたのは、サケマス独航船漁業だった。今ではもうこの形でのサケマス北洋漁業は、日ソの関係で出来なくなったしまった。昭和63年を最後に中止されるが、最盛期はこれが北海道の花形だった。独航船は母船に付いて行く約30トンの小舟で船団を組んで函館の港をでて行く。漁期を迎えると、いくつもの船団、合計では1000隻をくだらない船が出港して漁場に向かう。長期間、漁期いっぱいの別れ、しかも生きて帰れる保証はない北洋の厳しい海だ。妻子、港の女が涙で手を振る。スピーカーのボリュームいっぱいに上げて、演歌を流して船はでて行く。漁師になりたいと思うのが出船と入船の時だ。
その独航船は流し刺し網という漁法でサケマスを捕る。水面に長い長い網を流すのだ。その網が船のスクリューに絡む。漁師が潜水して、切りほどかなければ遭難だ。そのための潜水器として、旭式が指定されていた。冷たい北洋だから、ヘルメット式と同じような潜水服を着る。スクリューのある水深は5m以下だから、手押しポンプで十分だ。
旭式は、伊豆七島、伊豆半島などの漁業にも使われている。テングサ採り、神津島でのタカベ建て切り網は、網を張り巡らして、潜水して魚を追い込む漁で、これにも旭式が使われた。
旭式は、磯根の調査をする研究者の使う潜水機でもあった。
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学生の実習
1953年にアクアラングが紹介されるまで、東京水産大学の潜水実習は旭式で行われた。水産大学の小湊実習場の磯の岩の上に、潜水台と呼ばれるコンクリートの台地が作られていて、この上に手押しポンプを置いて潜水する。1954年に潜水の実習にアクアラングが採用されたとたんに事故が起こり、二人が日本最初のアクアラング死亡事故で亡くなった。マスク式だけのままであれば、死亡事故はおこらなかっただろう。僕は、その翌年1955年に水産大学に入学するが、以後の潜水実習がまたマスク式に逆戻りするのではないかと心配した。
僕たちの実習も、まず最初はこの旭式マスクで始まる。ホースでつながれているから、どこかに行ってしまう心配がない。1954年の事故は、遠くへ泳ぎだしていってしまったことによる事故だった。
旭式は、鼻をつまむことが出来ないから、唾を飲み込むというオーソドックスな耳抜きを覚えなければ潜れない。
旭式は、顔にマスクをしっかりと締め付けておかないと、送られてきた空気が空気嚢に入らずに、圧力差で上に逃げてしまう。丸顔の人は良いが、とんがった顔の人は、マスクを思い切り強く縛り付けられるので、顔が変形するほど痛い。丸顔の、軽便マスクに合う顔のことをケイベンヅラと呼んだりした。
やがて、小さい効率の良いコンプレッサーが普及すると、これが手押しポンプに取って代わる。空気の量が十分になり、呼吸嚢が不要になった。呼吸嚢を取り去り、顔のあたりを柔らかくして、排気弁も取り去り、意識的にマスクの縁から魚の鰓のように空気を逃がす、鰓式マスクともいうべき海王式(金王式)が出来て、人気を二分するようになった。そのころ(1960年代)伊豆の漁村に行くと、ここからここまでは旭式の部落、ここは海王式の部落と地図分けができた。
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海王式 鰓型マスク
海王式は、ホースの空気をマスクに入れるだけという意味で、最初に紹介したインドネシアのマスクに近づいている。
旭式も海王式も深く潜る潜水器ではないが、マスク式はヘルメット式に比べて、空気を消費する内容積が小さいので、より深く潜れる。
次は深く潜るマスクについて述べる。
自転車空気入れのポンプを少し大きくすれば、ダイバーの一回呼吸量を押し出すことは可能である。しかし、ダイバーが吸い込む時と、ポンプを押すタイミングが合わなければ、つまり、押している時にダイバーが吐いていれば、押し出した空気はそのまま流れ出てしまって呼吸できない。流れ出ないように、空気をためておく袋をマスクに取り付けることを考えついた。これによって、自転車空気入れよりも二回りくらい大きいが、とにかく小さなポンプで潜れるようになった。
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旭式マスク、空気嚢の大きさもいろいろあった。
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このポンプでどのくらい深く潜れるかと言うと、押す力さえ大きくすれば、かなり深くまで潜れる。ダイバーが肺に吸い込む量は、深くても浅くても変わらない。圧力が高くなるだけだ。圧力とは、押す力だから、ポンプを押す力が必要だ。ポンプが壊れない限り、この小さいポンプでも4人で押せば、30mくらいは潜れたはずだ。一人でのんびり押して、10mくらいだ。力のことを何馬力と表現するが、何人力ともいう。
本格的に深く潜るためには、自転車ポンプでは無理で、大きな天秤型の手押しポンプを使う。手押しポンプの両側に丸太を付けて、片側6人、12人ぐらいで押せば、60mぐらいまで潜れるはずだ。
しかし、ポンプを押すのは激しい労働だから、たちまち疲れる。疲れて押すのをやめれば、ダイバーは一巻の終わりになる。3交代、36人で押す。まるで、御輿担ぎのようにして押す。
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コンプレッサーの時代になると人手は少なくて済むようになったが、やはり圧力の高いコンプレッサーは吐出量が小さい。深く潜るためには、高圧タンクに充填したものを使うようになる。
ところで、旭式、空気嚢のついたマスクは深海用ではない。深くても、20mとまりだ。効率が良いのは10m前後である。
この旭式がもっとも多く使われたのは、サケマス独航船漁業だった。今ではもうこの形でのサケマス北洋漁業は、日ソの関係で出来なくなったしまった。昭和63年を最後に中止されるが、最盛期はこれが北海道の花形だった。独航船は母船に付いて行く約30トンの小舟で船団を組んで函館の港をでて行く。漁期を迎えると、いくつもの船団、合計では1000隻をくだらない船が出港して漁場に向かう。長期間、漁期いっぱいの別れ、しかも生きて帰れる保証はない北洋の厳しい海だ。妻子、港の女が涙で手を振る。スピーカーのボリュームいっぱいに上げて、演歌を流して船はでて行く。漁師になりたいと思うのが出船と入船の時だ。
その独航船は流し刺し網という漁法でサケマスを捕る。水面に長い長い網を流すのだ。その網が船のスクリューに絡む。漁師が潜水して、切りほどかなければ遭難だ。そのための潜水器として、旭式が指定されていた。冷たい北洋だから、ヘルメット式と同じような潜水服を着る。スクリューのある水深は5m以下だから、手押しポンプで十分だ。
旭式は、伊豆七島、伊豆半島などの漁業にも使われている。テングサ採り、神津島でのタカベ建て切り網は、網を張り巡らして、潜水して魚を追い込む漁で、これにも旭式が使われた。
旭式は、磯根の調査をする研究者の使う潜水機でもあった。
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学生の実習
1953年にアクアラングが紹介されるまで、東京水産大学の潜水実習は旭式で行われた。水産大学の小湊実習場の磯の岩の上に、潜水台と呼ばれるコンクリートの台地が作られていて、この上に手押しポンプを置いて潜水する。1954年に潜水の実習にアクアラングが採用されたとたんに事故が起こり、二人が日本最初のアクアラング死亡事故で亡くなった。マスク式だけのままであれば、死亡事故はおこらなかっただろう。僕は、その翌年1955年に水産大学に入学するが、以後の潜水実習がまたマスク式に逆戻りするのではないかと心配した。
僕たちの実習も、まず最初はこの旭式マスクで始まる。ホースでつながれているから、どこかに行ってしまう心配がない。1954年の事故は、遠くへ泳ぎだしていってしまったことによる事故だった。
旭式は、鼻をつまむことが出来ないから、唾を飲み込むというオーソドックスな耳抜きを覚えなければ潜れない。
旭式は、顔にマスクをしっかりと締め付けておかないと、送られてきた空気が空気嚢に入らずに、圧力差で上に逃げてしまう。丸顔の人は良いが、とんがった顔の人は、マスクを思い切り強く縛り付けられるので、顔が変形するほど痛い。丸顔の、軽便マスクに合う顔のことをケイベンヅラと呼んだりした。
やがて、小さい効率の良いコンプレッサーが普及すると、これが手押しポンプに取って代わる。空気の量が十分になり、呼吸嚢が不要になった。呼吸嚢を取り去り、顔のあたりを柔らかくして、排気弁も取り去り、意識的にマスクの縁から魚の鰓のように空気を逃がす、鰓式マスクともいうべき海王式(金王式)が出来て、人気を二分するようになった。そのころ(1960年代)伊豆の漁村に行くと、ここからここまでは旭式の部落、ここは海王式の部落と地図分けができた。
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海王式 鰓型マスク
海王式は、ホースの空気をマスクに入れるだけという意味で、最初に紹介したインドネシアのマスクに近づいている。
旭式も海王式も深く潜る潜水器ではないが、マスク式はヘルメット式に比べて、空気を消費する内容積が小さいので、より深く潜れる。
次は深く潜るマスクについて述べる。