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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0220 自分と減圧表(5)

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  自分と減圧表(5)

 館山に行ったことも、まだ書き足りていない。自分の体力の衰えとともに、海との付き合い、潜水との付き合いが、タフに感じるものになってゆく。子供の頃(学生の頃)からダイビングをやっていると、素人が海に対して持つ感覚はわからない。自分が次第に素人に近くなってゆくから、その感覚に近づいてゆく。まだまだ、引き下がる、大事を取るというところまでには至っていない。常に突撃あるのみの気持ちで、そうでないと、冷たく、透明度が無く、波のある海には飛び込んで行かれない。しかし、海に飛び込んだ時の不安定さは、ついこの前、75歳あたりまでは無かったものだ。安全とは、おそれの気持ち、ネガティブと、突き進むポジティブの釣り合いのことだ。
 
 自分の置かれている環境も本当に劇的に変化してゆく。水中科学協会の運営委員会が昨夜あった。水中科学協会をつくろうと、古い友人を集めてスタートした。古い友人も中心を作ってくれているが、動くのは新しい友だちだ。亡くなってしまった後藤道夫が、新しい人が集まって、これはすごい、というようなことができなければ、新しい組織は生まれないと言っていた。まだ、なにもできていない混沌だが、もがいて進んでいる。

 振り返れば、いつも、常に混沌だった。
 1983年、全日本潜水連盟は、社団法人海中開発技術協会と合流的な提携をした。社団法人海中開発技術協会の前身は1957年に発足した潜水科学協会で、この潜水科学協会(水中科学ではなくて、潜水科学)で、僕は潜水を始めた。言葉を変えれば、僕に潜水、すなわち人生を教えてくれた師匠たちが、この協会を作った。僕は一番弟子のつもりであり、若者頭(やくざか)になろうとしていたが、1966年この協会は、70年代の海中開発時代を前にして、スポーツを切り捨て、海中居住計画への脱皮してしまった。捨てられた僕たちは日本潜水会を作り、関西潜水連盟をつくり、その他各地の連盟を作って、合流して全日本潜水連盟を結成した。それは、かなり成功して、日本全国を統一する組織になった。アメリカの、というか国際的な団体としてPADIが、日本にも上陸して居たが、これはまだ混沌であり、これは、やがて遊びのダイビングがビジネスに脱皮して行く過程で、力関係の変化が起こるのだが、まだそれは先の話だ。
 一方、海中開発技術協会は、産業的な意味での海中開発には失敗し、国の施策としての海の研究開発は、海洋科学技術センター(現在はJAMSTEC)が行うことになり、宙にういてしまった。僕たちはそこに里帰りをして、みんなで立てなおそうという、ことになった。無論、新しい全日本潜水連盟の中心になっている人たちは、合流には反対した。せっかく軌道に載っているのに、古い衣をまた着ようとしている。しかし、僕は師匠たちをすてられなかった。次の段階で、また裏切られて、(但し、僕の視点からの裏切りだが)次に進むのだが、本当にこのあたりは太平記で、書いておかないと行けないと、薦められるのだが、まだ、その時期ではない。
 ダイビングの指導にはテキストが必要である。全日本潜水連盟には本当によくまとまった、要部だけのテキストを、僕と石黒さんが作って持っていた。本当にシンプルで、良いテキストだが、国際的なダイビング団体は、プログラムというコンセプトを持ち、分厚いバインダーのようなもので売り出している。僕たちもテキストを充実させなくてはいけない。一方海中開発技術協会も、スポーツの世界に再び復帰するに当たり、テキストが必要だと、テキストを作成中だった。
 そこで合流が起こった。二つの原稿は、どちらかを捨てなければならない。僕はその両方で執筆している。どっちにも、プロデューサーの役割を果たしている。「エイ!面倒だ。合冊させてしまえ。」結果として最善の選択だったと思う。全日本潜水連盟部分は教育プログラム的な実際が中心で、海中開発部分は理論資料的なコンセプトが強く、記述に重複があっても、読む人にとって、それは、表現を変えて同じことを二回教えられる事になり、理解が進む。

今でも僕はこのテキストが、これまで日本で書かれたダイビングテキストでの最高のものだったと思っている。もちろん、時が進み技術も一変する。その後のダイビングはBCが中心になる。このテキストは、ライフジャケットから、胸掛式のBC、そしてスタビジェケット、への変遷の間であった。
 そして、この1983年頃が、僕の潜水人生の最高点でもあった。僕は45歳で、それまで、ダイビングの停年を45歳だとおもって生きてきた。全日本潜水連盟もこの時が最高地点であった。

 このテキストで、全日本潜水連盟はRNPLの減圧表を採用している。RNPLとは、Royal Naval Physiological Laboratory 英国海軍生理学研究所である。
 テキストではこんな風にかいている。原文のまま。
 いま、私達が取り扱おうとしている減圧表は3種類です。
 ①労働省が潜水士のために定めた減圧表
 日本の労働省では、労働基準法(労働安全衛生法)に基づいて、潜水士問おいう制度を設けています。この規則によれば、労働基準法の適用を受ける潜水は全てこの減圧表に従って行わなくてはならないことになっています。使い勝手が悪いために、労働基準法の適用をうけないスポーツダイビングでは、実際にはほとんど使用されていないのが現状です。しかし、日本の法律に基づいて居るただひとつの減圧表ですから、潜水士の資格を持っているダイバーは必ず使用法を学んでいます。
 ②米国海軍標準減圧表
 使いやすい工夫、配慮がいろいろとなされているために、日本でもスポーツ代がに最も広く普及している減圧表です。
 それぞれ、ちがうところで潜水の指導を受けた何人かが、グループを作って潜水に出かけようとする時、減圧表が異なると困る場合があります。NAUI、PADIはこの減圧表を使用していますし、スポーツダイビングの範囲であれば、この減圧表を使用することに、特別悪いこともありませんので、JUDFでもこの減圧表を使用するようにしています。
 減圧表の使用法については、海中開発技術協会編集部分に述べてありますので、個々では省略します。
 ③RNPL 減圧表
 この減圧表は、減圧停止深度が5mきざみになっており(米国海軍は10フィート:3m)メートル方で支持されていますので、フィート表示の米国海軍のものより日本人には使いやすく、しかも最も減圧症になりにくい表だとされています。
 中略
 いろいろな理由で、JUDFではこのRNPLを使いたいのですが、日本では米国海軍がふきゅうしているので、なかなか難しい状況です。せめて無減圧の限界だけはRNPLを使用することにします。
 無減圧の限界(減圧停止不要限界)とは減圧停止をしないで、1分間に18m(当時の数字、現在は毎分8m)以内の上昇率で水面までまっすぐに浮上して良い潜水時間を言います。
 中略
 RNPLの無減圧限界
 水深9mを超えなければ無制限
 水深10mを超えなければ 230分 水深15m:80分、水深20m:45分、水深25m:25分 水深30m20分、水深35m:15分 水深40m:11分


 この時間表をいつも持っていて、僕の場合には、水深25mで25分という数字はわかりやすいので、これを基準にして、潜水計画を立てる。
 このほか、繰り返し潜水も、2回の潜水で潜水深度が異なる場合など、簡単に数字をもとめられる。
 この表で潜っていて、全日本潜水連盟のメンバー及びその周辺で減圧症に罹患した人を知らないし、噂も聞かなかった。いまのダイブコンピューターよりも、安全率は高かった。


 このテキストの全日本潜水連盟部分は、須賀、田村和子(ドウ・新宿のチーフ、現在は合気道の師範)伊庭一男(大川ダイビングセンターのオーナー)寺島英一郎(後の全日本潜水連盟の理事長)笠原健男(後にCMAS JEFを創立 故人)壇野清司(後にNAUIのインストラクター、スリーアイ、そしてJCUEの役員をやっている)が執筆者に名を連ねている。

 続く

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