2月2日、3日の二日、本当に濃い二日間だった。この二日間のことをブログに書くだけで、4日と5日が消えてしまいそうだ。
まず、2月2日、辰巳国際水泳場のダイビングプール、17時から19時という、特別の時間帯で、とっている。原則として、日本潜水会の辰巳練習会は、19-21,21-22時でやっているのだが、17-19という、この時間帯出ないと来られない人もいるし、それにしても、あまりメンバーが来ないので、ゆっくりとスクーバとか、自分のやりたいこと練習ができるというのが目標だ。
事前の申し込みは、戸田市の消防の村上さん、あとはいつも来てくれる何人かだったが、その日になってSTEVE―O の直美さんも来てくれたり、中川がリブリーザーの練習、寺内羊子もスクーバの練習に来る。
僕の練習は、水中通話のロゴシーズの練習、延縄式インターバルカメラをギリギリまで浮きとウエイトを減らして、中性浮力+少し沈みにしたもののテスト、それにもちろん、自分のトレーニングだ。
ロゴシーズは、マスクバンドへの取り付けはかなり慣れた。会話は、鈴木くんに隣に並んで通話のテストをしようかと思っていたのだが、羊子にレギュレーターの取り付けなどを手伝っている。そんなこと、自分でやれなくてはダメではないかというが、鈴木くんは鈴木コーチと呼ばれるくらいのもので、人に手を取り、足を取りで世話をして教えるのが好きだ。
ロゴシーズは、通話指示の内容を5種類ぐらいにシナリオを作っておくのでないと、実用にはならない。シナリオを作って、こんどの15日の調査実験に使ってみよう。
インターバルは上手くいき、直美さんが興味深そうに撮影して、フェイスブックにのせていた。すでに報告書にも載せているし、秘密ではないから構わない。同時に何枚かの写真も撮ってくれた。せっかくだから、それを使おう。
延縄設置のG0Proをここでは動画で撮って、フリスビーをやった。羊子は、スクーバで参加した。混んでいれば危険だが、人数が少ないから大丈夫だろう。急浮上の危険が心配で見ていたが、全く危なげなかった。身のこなしとか動きについてはほぼ一人前になった。もともとスキンダイビングは上手だし、運動のセンスはいいから、一緒に潜るのに差支えはない。頭のいい人だから、あと一回プールでのスクーバをやれば、Cカード段階は卒業だと自分で判断していた。
2月3日
朝10時から習志野国際水泳場での浦安海豚倶楽部の練習。浦安のプールが冬の間の修理で、3月いっぱいまで使えない。習志野は、辰巳よりも遠いので、その点は困るが、プールとしてはとても好きだ。水中のデザインが良い。プールで3mmのウエットスーツを着るようになってから、時間いっぱいまで泳ぐ。
最初にプールの縁を周回するラウンドだが、バラクーダが重い。昨日の辰巳にひき続いてだから、疲れているのだろう。10時35分、(15分から泳ぎ始めているので20分だ)まで周回して、25m往復、50mのダッシュをする。意外なことに調子は悪くなく、25mの往復、バラクーダを振り切れた。しかし、それでも思うような速さにならないのは、筋肉の劣化だと思う。それでも自分としては、満足している。
水平潜水に移る。最初の数回は、25mが潜りきれない。2-3回目で、とにかく25mまで行くことにする。何度か繰り返していると、炭酸ガスの呼吸中枢刺激に体が慣れてきて。楽に25m潜れるようになる。みんなを集合させて、同時スタートで、25mを潜る。あいかわらずまとまって泳ぐことができない。何人かは一緒に潜るよりも遊びだから、バラバラになる。何度言っても同じだ。
ジャグジーに入ると、もう、三々五々練習を切り上げる。僕を含めた何人かは最後(12時近く)まで潜る。僕が好きなのは、このプール全体で、一人で泳いでいるイメージである。かめらを対岸に置いて、動画を回したままにしている。カメラには、この広いプールに一人しか居ないイメージを撮りたいのだが、なかなか一人だけに映らない。ようやくワンシーン撮った。
更に人数が少なくなり、ワンマンシーンが撮りやすくなったのだが、カメラの1台、福田くんに直してもらった、G0Pro3のバッテリーが無くなってしまった。」
12時5分前に上がった。
毎度は、みんなで食事をして帰るのだが、多摩聖蹟桜ヶ丘の社会スポーツセンターでの室内選手権大会の反省会がある。その前にダイブウエイズにスクーバタンクを持っていか無くてはならない。
社会スポーツセンターには3時50分に着いた。議論はいくつもあるが、その中で、シニアダイバーレースの新設案がでたが、これには全く反対だ。全日本潜水連盟の玉置さんが84歳で100mを泳ぎ、それに何人かが伴走して、泳ぎ切り、好評だったことを受けての提案だと思う。それはそれでいい。また同じことをやればいい。僕はそれには出ない。2014年と同様に、でるとすれば、50mの普通のレースにでる。僕がレースに出るのは65歳以来だから、15年ぶりになる。それでも、レース前の整列で、他の選手に混じって、一緒に泳いで得るところが大きかった。このレースのことがもう一度あらためてわかった。顔なじみ、も何人もいる。スクーバワールドの岸くん、青木くんは辰巳のコースを借りて、周年練習している。だから早い、青木くんは50m50代で優勝した。僕が特別レースではなくて、みんなと一緒に泳いだことを歓迎してくれた。僕の隣のコースの横井孝吉さんは70歳で60代の部で、ダントツの34秒で優勝した。これまでに連続10回とか優勝している。彼の所属している、セントラルフィットネスクラブ西台は、すごい。僕と同じレースでも、榎本茂さん72歳、前のレースの岡部さん54歳、女子は竹内孝子さん80歳、彼女は玉置さんと一緒に表彰されていた。篠田久枝さん65歳、三浦幸子さん65歳、全部がセントラル西台だ。これこそ、生涯スポーツだと思う。チームとして表彰される価値がある。そして、今度の大会では、このチームを取材してくれるように東京新聞他に声をかけよう。そして、まだ今度の大会からなのだが、西台のように歴史はないが我が浦安海豚倶楽部は、玉田さん、鶴町さん、真玉橋さん400mで73歳の最高齢、よれよれになってゴールした、100mの小松武夫さんは、69歳で2位に輝いた。次回は、もっと多くが出る。70歳以上のランクを作って、表彰するならば悪くはないが、60歳代と競って勝っているのだから、特別扱いするのは失礼だと思う。
それにしても「80歳以上は危ない」という意見が出ているそうだ。ぼくのことを指しているのかもしれない。人間は必ず死ぬ。ダイバーが高齢で潜水で死ぬのは事故ではなくて、陸上人間の老衰死と同等だと思う。それでも、その時に迷惑を掛けることは避けたいので、トレーニングもする。トレーニングで限界も確認する。河合先生の定期診断を受け、薬も山ほど飲む。60歳以来酒は一滴も飲まない。タバコは35歳で完全にやめている。
それが生涯スポーツだと思う。これを否定するならば、生涯スポーツなどと口にしないことだ。高齢者は全部隠居して、長い寝たきり介護を10-20年受けて死ぬことを義務付けることと同じだ。
ただ、生涯スポーツといっても、60歳の人が最高に健康であっても、それからダイビングをはじめるのであれば、完璧なチェックが必要だろうし、それにしても、海に出る前に50mダッシュのトレーニングで限界を確認してからにするべきだと思う。そして、何があろうが全ては自己責任であり、絶対に自分の行動の結果の責任を他に転嫁してはいけない。
なお、ダッシュを100mでなく、50mとしているのは、西台の高齢者チーム全員が50mのレースだし、救助もわかりやすい。自分について言えば、50mで40秒を切りたいと練習しているが、」無理かもしれない。
もう一つ、今年の大会について、一般の人がマスクマウントででたら、どうするか?という話題がでた。ぼくはもちろん積極的に推進だ。推進力の補助になる理由のものでもなく、抵抗になるのだから、ライバルから反則だと言われるものでもない。
潜泳競技、バディブリージング競技など撮影したい人も出てくるのだろう。その迫力のある映像が、ネットで流れたりすれば、この競技会のPRになる。
PRについていうならば、事後の雑誌発表だけではなく、事前のPRを雑誌などで行うべきだろう。その時に使う写真としては、これまでぼくの撮ってきた写真が一番良いが、それはまあ、どうでも良いことだ。
チアリーダーによる応援という案もでたが、参加者を増やす、本質的なことではない。「やればー」という感じ。メーカーの展示即売という案もでた。これは、参加者に対するサービスと考えれば、悪くはない。