4月のマリンダイビングフェア2013年は5-6-7で、自分では人の多いところに行くのは、とちょっと抵抗があるのだが、そんなことを言いながら、出かけてゆく。
5日はパスして行かなかったが行くべきだったとおもっている。沖縄から井上慎也君が出て来ていて,逢うとすれば5日の初西しかなかったのに、やや風邪気味で、やめてしまった。6日と7日は、彼が会場でトークをする時間帯に行かれず会えなかった。
6日は、石川さんと同行、10時少し過ぎに到着したら、人が並んでいるので、帰りたくなったが石川さんに「ここまで来て」とあきれられて、パスをもらってきていただいて、並んでいない上の階から入ることにした。
上の階は、世界のダイビングポイントの並び、フェイスブックで友達にさせてもらっているブルーコーラルのヒロさんのところにたちより、高齢のダイビングについて、ひとくさり。タオ島の増子さんに挨拶、最初の出会いがテレビ朝日のディレクター時代で、次が千葉のビッグドック、そしてタオ島、三段跳び人生について少しだけ語る。僕はまだ、タオ島にいっていない。残り少ない潜水人生のうちに行けるかどうか、行ける方向をさぐることにしよう。
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ブルーコーラル
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増子さん
フィリッピンのブルーコーラルにしても行かれることの検討にとどまる。ブルーコーラルは、およそ20年前に創業で、老舗だけれど、僕が水曜スペシャルの川口探検隊でフィリッピンに何回か行ったのは、それよりももっと前だったかもしれない。
他のところも同様で、行ったところはたくさんあるが、すべて時の移り変わりを感じる。
ダイビングフェスティバルの時代に、チュークのキムオさんとチェニーが来ていたのは何年前だろうか。
下に降りて、やはりカメラのゾーン、オリンパスが一番入口に近く人が多い。次にフィッシュアイのコーナーで、大きな一眼のハウジング、こんなものを持って水に入るやつの気がしれないとおもっていたのですが、昔僕が振り回していた70キロ級のビデオカメラに比べれば、ごくごく小さい。それでいて、動画も、昔のビデオカメラよりもよく撮れるというのであれば、やはり魅力がある。仕事があれば買うだろうなと思った。
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社長の大村さんと話をする。大村さんに、何をお使いですかと聞かれて、フィッシュアイのハウジングで、キャノンのデジタルXにフィッシュアイの1000ルーメン、イノンのストロボのセット、二つもフィッシュアイを使っている。毎度ありがとうございますと言われても、このシステムで僕の撮影には足りているので、新たに買い予定はない。
回っていって、マリンダイビングの
舘石さんの写真展のコーナー、僕と一緒に潜って100mの写真があった。あまりにも大きい写真だから目につかないで通り過ぎたのだが、山之端さんに教えてもらって見に行った。つい数か月前、舘石さんが亡くなってから、月刊ダイバーに同じ写真を載せた。
もう一度ぐらい、しみじみと話をしてみたかったと思っている。
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午後は、お茶の水の医科歯科大学に日体協の指導員資格の更新のための講習に行く予定になっている。大阪の山本進さんと同行することになった。なにか食べて行かないとおなかがすいた。通り道のケンタッキーで食べる。
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研修会は、わかりやすい話だったが、それにしても、今頃の研修会は、講演のスライドのPPをレジュメで配るくらいのことは、どこでもやるのに、資料がお粗末だった。お粗末というよりも無い。
7日は、フェイスブックで親しくなった岐阜の井筒さん夫妻と会食の予定、会食まで、30分ほどあるので、またカメラのコーナー、またまたフィッシュアイに行き、池田さんからライトの説明をしてもらう。
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FIX neo とてもいいライトだ。最新ダイビング用語事典にも書いたけれど、人工光は、ライトの時代になりつつある。しかし、これも、今の僕のシステムでとりあえずは、いいから、故障しなければ買い換えられない。
僕が撮影機材を水洗いしない理由。あまり長もちされると、時代遅れになった博物館行きになってしまう。しかし、ライトだけは、何時までも、壊れるまで使うから、水洗いしよう。ストロボは束になってころがっている。フィルムのニコノスのときの105が4台、使える状態で転がっている。ライトならば、今でも使えているはず。
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井筒さんとの会食は、サンシャインの59会、初対面なのに、親しい友達のような気がする。フェイスブックの友達だからだろう。80-80プロジェクト、僕が80歳で80m潜る計画について、話し、そのコンセプトの参考の動画を渡した。長話をして、岐阜に戻る新幹線がぎりぎりになってしまった。
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そのまま、石川さん宅に行き、高野さんの歓迎、杉原の博士合格、海洋研への所属決定、倉田君の年齢、三つの祝賀会をまとめた。出席者、メインゲストの高野さん、芝浦工大の足立先生、米沢君、倉田君、鉄人鈴木(石川さんの付けたニックネームで、僕の水中での生命維持装置の人)、博士になり、本来の元気をとりもどしたのだろう杉原奈保子とその旦那、アロハのマークを付けた斎藤真由美、あとから東大の小久保博士、吉田理事、吉田さんがC-カードを発行したVカードダイバーの三宅さん、が参加、
足立先生に僕の80-80の計画を話して、協力を依頼した。80まで生きられるかどうか微妙だが、とにかく布石はしておかなくてはいけない。
宴終了ご、米沢、倉田、石川、小久保で今年のプライマリーコース実施計画について相談。
石川さんのおかげで、このような宴、話し合いが持て居ることにお礼。
5日はパスして行かなかったが行くべきだったとおもっている。沖縄から井上慎也君が出て来ていて,逢うとすれば5日の初西しかなかったのに、やや風邪気味で、やめてしまった。6日と7日は、彼が会場でトークをする時間帯に行かれず会えなかった。
6日は、石川さんと同行、10時少し過ぎに到着したら、人が並んでいるので、帰りたくなったが石川さんに「ここまで来て」とあきれられて、パスをもらってきていただいて、並んでいない上の階から入ることにした。
上の階は、世界のダイビングポイントの並び、フェイスブックで友達にさせてもらっているブルーコーラルのヒロさんのところにたちより、高齢のダイビングについて、ひとくさり。タオ島の増子さんに挨拶、最初の出会いがテレビ朝日のディレクター時代で、次が千葉のビッグドック、そしてタオ島、三段跳び人生について少しだけ語る。僕はまだ、タオ島にいっていない。残り少ない潜水人生のうちに行けるかどうか、行ける方向をさぐることにしよう。


フィリッピンのブルーコーラルにしても行かれることの検討にとどまる。ブルーコーラルは、およそ20年前に創業で、老舗だけれど、僕が水曜スペシャルの川口探検隊でフィリッピンに何回か行ったのは、それよりももっと前だったかもしれない。
他のところも同様で、行ったところはたくさんあるが、すべて時の移り変わりを感じる。
ダイビングフェスティバルの時代に、チュークのキムオさんとチェニーが来ていたのは何年前だろうか。
下に降りて、やはりカメラのゾーン、オリンパスが一番入口に近く人が多い。次にフィッシュアイのコーナーで、大きな一眼のハウジング、こんなものを持って水に入るやつの気がしれないとおもっていたのですが、昔僕が振り回していた70キロ級のビデオカメラに比べれば、ごくごく小さい。それでいて、動画も、昔のビデオカメラよりもよく撮れるというのであれば、やはり魅力がある。仕事があれば買うだろうなと思った。

社長の大村さんと話をする。大村さんに、何をお使いですかと聞かれて、フィッシュアイのハウジングで、キャノンのデジタルXにフィッシュアイの1000ルーメン、イノンのストロボのセット、二つもフィッシュアイを使っている。毎度ありがとうございますと言われても、このシステムで僕の撮影には足りているので、新たに買い予定はない。
回っていって、マリンダイビングの
舘石さんの写真展のコーナー、僕と一緒に潜って100mの写真があった。あまりにも大きい写真だから目につかないで通り過ぎたのだが、山之端さんに教えてもらって見に行った。つい数か月前、舘石さんが亡くなってから、月刊ダイバーに同じ写真を載せた。
もう一度ぐらい、しみじみと話をしてみたかったと思っている。

午後は、お茶の水の医科歯科大学に日体協の指導員資格の更新のための講習に行く予定になっている。大阪の山本進さんと同行することになった。なにか食べて行かないとおなかがすいた。通り道のケンタッキーで食べる。

研修会は、わかりやすい話だったが、それにしても、今頃の研修会は、講演のスライドのPPをレジュメで配るくらいのことは、どこでもやるのに、資料がお粗末だった。お粗末というよりも無い。
7日は、フェイスブックで親しくなった岐阜の井筒さん夫妻と会食の予定、会食まで、30分ほどあるので、またカメラのコーナー、またまたフィッシュアイに行き、池田さんからライトの説明をしてもらう。

FIX neo とてもいいライトだ。最新ダイビング用語事典にも書いたけれど、人工光は、ライトの時代になりつつある。しかし、これも、今の僕のシステムでとりあえずは、いいから、故障しなければ買い換えられない。
僕が撮影機材を水洗いしない理由。あまり長もちされると、時代遅れになった博物館行きになってしまう。しかし、ライトだけは、何時までも、壊れるまで使うから、水洗いしよう。ストロボは束になってころがっている。フィルムのニコノスのときの105が4台、使える状態で転がっている。ライトならば、今でも使えているはず。

井筒さんとの会食は、サンシャインの59会、初対面なのに、親しい友達のような気がする。フェイスブックの友達だからだろう。80-80プロジェクト、僕が80歳で80m潜る計画について、話し、そのコンセプトの参考の動画を渡した。長話をして、岐阜に戻る新幹線がぎりぎりになってしまった。

そのまま、石川さん宅に行き、高野さんの歓迎、杉原の博士合格、海洋研への所属決定、倉田君の年齢、三つの祝賀会をまとめた。出席者、メインゲストの高野さん、芝浦工大の足立先生、米沢君、倉田君、鉄人鈴木(石川さんの付けたニックネームで、僕の水中での生命維持装置の人)、博士になり、本来の元気をとりもどしたのだろう杉原奈保子とその旦那、アロハのマークを付けた斎藤真由美、あとから東大の小久保博士、吉田理事、吉田さんがC-カードを発行したVカードダイバーの三宅さん、が参加、
足立先生に僕の80-80の計画を話して、協力を依頼した。80まで生きられるかどうか微妙だが、とにかく布石はしておかなくてはいけない。
宴終了ご、米沢、倉田、石川、小久保で今年のプライマリーコース実施計画について相談。
石川さんのおかげで、このような宴、話し合いが持て居ることにお礼。