ダイビングとはなにか?どういうスポーツか、ダイビングという側面からとらえて、スポーツとはなにか、そしてもちろん、ダイビングの安全性とその危険はなにかということを、考えることはとても大事で、ダイビングを始める前から、十分に考えてはじめなくてはいけないし、ダイビングを習う、Cカード講習に参加している時も、そして、ダイビングを始めるようになり、次第に経験を積んで、一人前になり、そしてベテランになり、あるいはその途中で中止する時も、常に考えていなくてはいけないことで、それを考え続けることが、ダイビングを安全なものにするか?いや、ダイビングで安全ということはないので、危険を避けられるか、乗り越えられるかに関わってくる。自分のことを言えば、ダイビングを始めた時から、そして、それから60年経った今でも考え続けている。そして、それは、いつも変わり続けている。大学2年生の時と今80歳になり、同じ考えであるはずもない。 ここまで書いてきて、この文をのせるのに気が進まなくなってきている。というのは、中田誠さんの本を題材にしていて、そういうのがあんまり好きではない。爽快ではないのだ。すっきりとしない。しかし、ダイビングとは冒険スポーツだというためには、致死性スポーツには、冒険は一切許されないとしている、中田さんの本について、触れないと、先に進まない。
ダイビングとは何か、自分にとって、そして一般ダイバーにとって、そして社会にとってなにか?前にも書いたが、人それぞれの立場で、そして視点、性格、DNAによってそれは変わってくる。そして時々刻々変化を続けているのだから、一言で決めつけるのは到底無理、しかし、僕にとってその最大公約数は「ダイビングとは、冒険スポーツである。」
いろいろなことを、一言で、あるいは箇条書き的に3つくらいに集約、まとめるようにいつも考える。とても難しいがとにかく、定義を上げておいて、それについて説明をして行き、考えるのが僕の思考パターンだ。
中田誠さんはダイビング事故に関連して、沢山の本を書いている。僕が今手元にもっているのは、「誰も教えてくれなかった。ダイビング安全マニュアル:1995」「事故に遭いたくない人のための ダイビング生き残りハンドブック」1999」「ダイビングの事故、・法的責任と問題 」2001 「商品スポーツ事故の法的責任 2008」 「リキッドエリアの幸福、誰にでもできる安全ダイビングの手ほどき 2011」 まだ、他にも何冊かあるが、持っていない。全部お金を出して買った。他にも何冊かある。最初煮出された、本はなくしてしまった。
中田誠さんとは、一番最初の本を出された時相談を受けて、夜遅くまで、たしか新宿のどこかで語り合ったことがある。彼の書いた本、すべての基調となっているハワイでのエア切れ、急浮上による事故と、現地ショップの対応が悪かったことの恨みについてで、僕もその恨みはもっともなことだと思い本を出されることに賛成した。その本のゲラも送ってくれたのだが、幾つか例としてあげた別の事故の関係者の肩書が違っていたので指摘させてもらったが、なおされていなかった。そんなことは些細な事であり、その後の著作では、用心深く書かれている。
そんなこともあり、最初にあげた彼の著作のほとんどを、僕は丁寧に見ている。フアンと言ってもよいのかな。
先に示した本のうちで、「誰も教えてくれなかった。ダイビング安全マニュアル:1995」「事故に遭いたくない人のための ダイビング生き残りハンドブック」そして、この前に出された同じような本で、本当に寄せては返す波のように、まず、自分のハワイでの事故について書いている。漫画にまでしている。先にのべたように、彼のダイビングについての論の原点なのだ。
詳しくは引用できないし、前にも書いたことがあるのだが、同じことは何度書いても良いのだ。自分のへんかともに変わっているし、同じことを若干の表現を変えてかくということは、その人の立場、意見を明確に印象付けられる。このことはニュースステーションで一緒に旅をした立松和平に教わった。毎日同じことを喋っても、聞く人の方は変わっている。一回書いて終わりでは多くの人に伝わらない。中田さんの事故も何回も同じことを書いているから、それだけ広まったのだろう。ここにその概略を述べるけれど、正確な引用ではないので、間違っている部分もあるかもしれない。
1993年、彼は、日本のどこか、パディのショップで講習を受けてCカードをとった。ハワイに遊びに行くことになり、そのショップの紹介で、ハワイのダイビングショップを紹介してもらった。そして、ボートダイビングで沈船に向かうツアーに参加した。何人かの混成で、知らない人ばかり、彼のバディと決められた人についてもなんの情報もない。引率したイントラだかガイドダイバーも一人だった。ブリーフィングを受けたが、残圧が1500ポンド(100キロ)になったら、ガイドダイバーに見せるように、そして、その時点で引き返すか、浮上するかを指示されるものだと、中田さんはおもった。最大水深が27mだったから、妥当な数字だ。中田さんは体の大きい方で、空気の消費量は大きいと想像できる。そして、初心者、ものごとを論理的に考えるような人だ。
予定通り、彼の空気はあっという間に戻る残圧(現在ではこれをターンプレッシャーなどというが)100に近くなり、インストラクターに見せて、確認をしてもらったが、そのまま戻る気配はない。だれでもわかるように、このパターンで事故が起きる。中田さんは若干パニックになったが、そのまま後について入った。本当に浮上しなければいけないという圧になり、バディに空気が少ないサインを送ったが、当然無視され、やがて、苦しくなって、だれかからバディブリージングで空気をもらおう(当時はまだオクトパスは普通にはない)とも思ったが、相手がくれないのに、奪い取ることはできない。本当にギリギリで浮上するのだが、その時に水を飲んでいる。肺にも多少入ったのだろう。浮上して、ボートにあげてもらったが、この事態になってもインストラクターのケアは十分ではなかった。救急病院に搬送され、集中治療室に入った。幸いにして、 日の入院で退院したが、命を失っても全くおかしくない事故であった。
現地のショップに補償を請求したが、満足できる対応ではなく、訴訟を起こすのだが、アメリカで起こった事故はアメリカの裁判所に訴え、アメリカ人の弁護士を頼まなければならない。結構な金額がかかって、それでも、なんにも結果が出なかった。そのことを、日本に帰って、日本のパディにも話しているが、日本で起こった事故ではないから、なにもしてくれない。そこで中田さんは自分の経験を書くことによって、同じような目に合う人がいなくなるように啓蒙するとともに、その本の原稿料で、損害を補填しようと考えた。その時にお話を伺った。
今ならばもちろん、その当時でも、彼の話だけを聞いている限りでは、ハワイのショップは全面的に悪い。これが、日本で起きた事故で合ったら、日本のパディは誠実に対応して、然るべき金額を保険から支払ったと思う。しかし、アメリカの一ショップ、それが日本人経営であっても、そのことについてどうしようともしないだろう。
僕は、この事故例を、自分の講習での事故例として使わせてもらった。戻る圧について打合せたならば、必ず、全員一緒に戻らなければならない。空気の早そうな人には、別のアシスタントを付けなければいけない。そして、本人、初心者の受講者には、空気が浮上圧、普通には30-50になった時には、サインを出して、サインを見てくれる人が居なくてもその場で浮上する。今度の大震災で津波「てんでんこ」という言葉があったが、ダイビングも最後は「てんでんこ」なのだ。中田さんは自分の意志だけで浮上するなどということは頭に浮かばなかったという。講習で教えてくれなかった。僕は教える。今頃安全停止なんてことを金科玉条にしているが、空気が尽きそうになって、そのまま浮上しなければ、減圧症になりたくてもなれない。「空気が尽きるまで、水中にいるのを馬鹿という。」
しかし、講習で教えられていなくても、生命が危険になれば生理的な本能にかられて、陸棲の動物である人間は、水面の上の空気を死に物狂いにもとめて浮上する。に死のうとする。中田さんはもそうした。だから、生きて本をたくさん書き、若干、鬱憤を晴らしたと思う。彼が店の名前を実名で、自分の本で何度も書いている。いまはどうなっているだろうか、ネットで調べてみたら、元気に商売を続けている。
しかし、彼の本を書く動機が告発が原点だから、文体も、そして書く内容もそれに沿ったものになる。
事故、次に来るものは法的な訴訟だから、やがて、彼は法的視点を中心にして調べ、論じるようになった。だから、彼の「ダイビングの事故、・法的責任と問題 」2001 「商品スポーツ事故の法的責任 2008」は、レジャー潜水業界に対する、彼としての法律的責任追求なのだ。
彼のダイビング業界に対する恨みについて、フィルターで漉しされば、この本は、事故例と、その訴訟例の資料として役に立つ。日本の各指導団体の状況についての、視点を変えての資料としても役に立つ。そして、その記述については、僕とは全く違う視点から、違う姿勢で、ダイビング事故について論じているのだから、ああ、こういう考え方もある、こういう人もいるのだ、と自分との差を知ることができる。同じ意見の本などみても、触発されることがない。
続く