「ダイビングとはなんだ? これで5回目かな?」
フェイスブックとブログの使い方、使い分けが自分なりに少しわかってきた。ツイッターは、ブログのリストのようなもので、ツイッターからブログを見てくれる人もかなりあるだろうと願っている。ときどき、ニュースを見たいときにツイッターか見る。
フェイスブックは、自分のタイムラインにこだわっていて、自分の思うように並んでいないと気分が悪い。基調としては、水中の青がなるべく並んで見えるようにと心がけている。フェイスブックでは、その人の人柄がでてしまうので、どうかな?と思うこともあるが、自分を確立させておく、修行になると思い込んで続けて行く。そして、時にハッとするような、ヒントをフェイスブックから受け取ることがある。視線、視点の差を見ることができることで、ほんのちょっとしたことから、思い悩んでいることが解決する。メッセージとか通信手段としても、一番使いやすい。通信手段としてのフェイスブックをより便利なものにするべく、タブレットを買わなくては行けないと、思いつつ、できずに時を過ごしている。本当に買わなければならないと思うので、何にするか悩んでいる。
僕のブログの欠陥は、ズルズル書いているうちに、別のテーマに移ってしまって、区切りがつかないところだと思っているが、まとめるというよりは、生活の中で書いているのだから、一冊の本でもないし、人生の下書きのようなものとして、考えレバ、これで良くて、読んでくださる人も、途中でなんだかわからなくなったら、その先を読んだ方が想像してくれるのだろうと、想像して、これはこれで、良いことにしている。
福田克之くんからもらった写真、速そうに見える。
ダイビングとはなんだ?という巨大(ぼくにとって)なテーマを何回か書いて、流れが細くなってしまっているけれど、
なんだ?を考えるときに、自分の立ち位置、視点を確認しておくことがまず必要だ。自分が何で、何をしているのだろう。そして、付き合う相手の立ち位置、視点がわからないと、喧嘩になってしまう。もちろん争いはしたくないけれど、心の中で葛藤がある。
そして、例えば、ダイビングってなんだ、というようなことを考える時にも自分の立ち位置と、そして、議論をするならば、相手の立ち位置を知る、確認することがとても大事だ。そして、多くの場合、立ち位置が違っていて、そのことがわかってしまうと、議論にならなくなってしまう。そうだよね、君の立ち場だったら、そうだろうね。ということになる。だから、この頃では議論にならなくなって、互いに自己主張をして、そこそこに、理解してしまう。
もちろん、すべての出来事、すべての事象はケースバイケースになってしまうのだけれど、ダイビングとはなんだ。というようなことを考えた時には、立ち位置、立場がわかると、それで理解ができてしまう。
そこで、まず、自分とはなんなのだ。何者なのだ、を考える。何者と言っても、人は幾つもの顔をもっているが、幾つもの顔の中で表紙に相当するものが何か?を考える。そこで、この僕、自分は何者だと考えると、幸いなことにすぐに答えが出てくる。僕はダイバーだ。付き合っている友達はダイバーが多いけれど、本質はダイバーであって、世の中での姿は。社長さんであったり、商売人であったり、場合においては犯罪者であったり、エンジニアであったり、研究者であったりする。僕の場合は裏も表もなく、ダイバーであって、他の何者でもない。だから、生きていればダイビングのことを中心に据えて、考えたり行動したりする。言葉を変えるとプロフェッショナルである。先の、社長さんであったり、エンジニアであったりするダイバーは、プロフェッショナルではないのだろうか? それでも、もちろんダイバーに上下の区別はないから、プロでなくてもダイバーであることには間違いない。
ダイビング雑誌を見たら、どこから先がプロなのかという線引きの図があった。ダイブマスターから先がプロだと書いてあった。昔だったら何か違うと思ったりするだろうが、今は、それで良い。立ち位置が違うのだ。遊びという立ち位置で、プロだと思えて、それが幸せならば、それはそれで、やっぱりプロといっても良いと思う。
ここまでは一般論として通用すると思うが、此処から先は、自分という立場、立ち位置での論の展開だから、立ち位置で、全くものの見え方がちがってくることもある。見え方が違うのであって、正しいか、間違っているかではない。その人の視点からはそう見えるのだから、仕方がない。
僕の立ち位置から見たダイバーとは、冒険者なのだ。海に、水に潜るという行為が冒険なのだから、冒険者なのだ。
続く。
フェイスブックとブログの使い方、使い分けが自分なりに少しわかってきた。ツイッターは、ブログのリストのようなもので、ツイッターからブログを見てくれる人もかなりあるだろうと願っている。ときどき、ニュースを見たいときにツイッターか見る。
フェイスブックは、自分のタイムラインにこだわっていて、自分の思うように並んでいないと気分が悪い。基調としては、水中の青がなるべく並んで見えるようにと心がけている。フェイスブックでは、その人の人柄がでてしまうので、どうかな?と思うこともあるが、自分を確立させておく、修行になると思い込んで続けて行く。そして、時にハッとするような、ヒントをフェイスブックから受け取ることがある。視線、視点の差を見ることができることで、ほんのちょっとしたことから、思い悩んでいることが解決する。メッセージとか通信手段としても、一番使いやすい。通信手段としてのフェイスブックをより便利なものにするべく、タブレットを買わなくては行けないと、思いつつ、できずに時を過ごしている。本当に買わなければならないと思うので、何にするか悩んでいる。
僕のブログの欠陥は、ズルズル書いているうちに、別のテーマに移ってしまって、区切りがつかないところだと思っているが、まとめるというよりは、生活の中で書いているのだから、一冊の本でもないし、人生の下書きのようなものとして、考えレバ、これで良くて、読んでくださる人も、途中でなんだかわからなくなったら、その先を読んだ方が想像してくれるのだろうと、想像して、これはこれで、良いことにしている。
福田克之くんからもらった写真、速そうに見える。
ダイビングとはなんだ?という巨大(ぼくにとって)なテーマを何回か書いて、流れが細くなってしまっているけれど、
なんだ?を考えるときに、自分の立ち位置、視点を確認しておくことがまず必要だ。自分が何で、何をしているのだろう。そして、付き合う相手の立ち位置、視点がわからないと、喧嘩になってしまう。もちろん争いはしたくないけれど、心の中で葛藤がある。
そして、例えば、ダイビングってなんだ、というようなことを考える時にも自分の立ち位置と、そして、議論をするならば、相手の立ち位置を知る、確認することがとても大事だ。そして、多くの場合、立ち位置が違っていて、そのことがわかってしまうと、議論にならなくなってしまう。そうだよね、君の立ち場だったら、そうだろうね。ということになる。だから、この頃では議論にならなくなって、互いに自己主張をして、そこそこに、理解してしまう。
もちろん、すべての出来事、すべての事象はケースバイケースになってしまうのだけれど、ダイビングとはなんだ。というようなことを考えた時には、立ち位置、立場がわかると、それで理解ができてしまう。
そこで、まず、自分とはなんなのだ。何者なのだ、を考える。何者と言っても、人は幾つもの顔をもっているが、幾つもの顔の中で表紙に相当するものが何か?を考える。そこで、この僕、自分は何者だと考えると、幸いなことにすぐに答えが出てくる。僕はダイバーだ。付き合っている友達はダイバーが多いけれど、本質はダイバーであって、世の中での姿は。社長さんであったり、商売人であったり、場合においては犯罪者であったり、エンジニアであったり、研究者であったりする。僕の場合は裏も表もなく、ダイバーであって、他の何者でもない。だから、生きていればダイビングのことを中心に据えて、考えたり行動したりする。言葉を変えるとプロフェッショナルである。先の、社長さんであったり、エンジニアであったりするダイバーは、プロフェッショナルではないのだろうか? それでも、もちろんダイバーに上下の区別はないから、プロでなくてもダイバーであることには間違いない。
ダイビング雑誌を見たら、どこから先がプロなのかという線引きの図があった。ダイブマスターから先がプロだと書いてあった。昔だったら何か違うと思ったりするだろうが、今は、それで良い。立ち位置が違うのだ。遊びという立ち位置で、プロだと思えて、それが幸せならば、それはそれで、やっぱりプロといっても良いと思う。
ここまでは一般論として通用すると思うが、此処から先は、自分という立場、立ち位置での論の展開だから、立ち位置で、全くものの見え方がちがってくることもある。見え方が違うのであって、正しいか、間違っているかではない。その人の視点からはそう見えるのだから、仕方がない。
僕の立ち位置から見たダイバーとは、冒険者なのだ。海に、水に潜るという行為が冒険なのだから、冒険者なのだ。
続く。