「ダイビングってなんだ」 ダイビングは冒険スポーツだ、と書いた。では、冒険とは?と次に書いた。では、この表現でのスポーツとは?あとで説明するとペンディングになっている。こういうことは、一気に書いてしまわないと途切れてしまうのだが、息が続かない。その後、習志野のプールで泳いだことを書いたり、月刊ダイバーの原稿について書いたりして浮上してしまった。
スポーツとは?簡単なようで、ダイビングをスポーツと定義する場合のスポーツは、やっかいだ。前に編纂した最新ダイビング用語事典でもずいぶん迷った。「ダイビングはスポーツではない。レクリエーションだ」という議論をしたことがあったからだ。スポーツだと定義すると、政府管轄が文部省になる。レクリエーションとなると、経産省になる。いまとなっては、そんな縄張り争いはナンセンスで片付けられるが、海中開発技術協会が今のレジャー・スポーツダイビング産業協会に衣替えするときに問題になった。ちなみに文科省にはスポーツダイビングという言葉がタイトルになっている法人はない。そして、西が丘にある国立のスポーツ研究所には、スクーバはもとより、スキンダイビングももちろんフリーダイビングについても研究するセクションがない。他のすべてのスポーツについては研究されている。また、山岳の事故が多いということで、国立登山研修所があるが、ダイビングの事故が多いからといって、国の研修、研究機関はない。その理由は、ダイビング業界が、スポーツということで国に研究されるのは迷惑だと拒否したからで、まあ、それも一理あるのだが、ここのところ、こだわっている大学の部活動としてのダイビングなどを考えると、各学校での活動に関連する部分だけでも、文科省に研修センターなどがあり、海洋高校の潜水プールなみの、施設が西が丘、もしくは品川の海洋大学あたりにあったら、事情が全く変わったのにと残念だ。これも、僕の息が続かなかった。
結果として、文科省に関連する公益法人としては、わが社会スポーツセンターだけがあるが、その力は室内スポーツ選手権大会がようやくできる程度である。でもこれが、目下のところ、最後の砦だ。高齢化社会の到来にアダプトすることをめざして、生涯スポーツとして、自分でも泳いだりしている。
茨城県海洋高校の潜水プール
国はスポーツとして援助はしてくれないが、最新ダイビング用語事典では、スポーツダイビングと項目名をつけて、レジャー、あるいはレクリエーションの上位の概念としてスポーツを取り入れている。
ところで、港湾土木、漁業、あるいは研究的調査潜水もスポーツという概念からは完全に外れている。と思っていいだろう。しかし、僕は、工事の潜水も、調査もスポーツ感覚でやってきた。スポーツ同様の楽しさがある。そのうえに賞品としてお金をもらえて、生活ができる。趣味を仕事にしてしまう、という言葉はあまり好きではないのだが、明確にそれに該当する。
沖縄とか八重山のウミンチューは、仕事だから、漁業だから、非漁民には禁止されているスピアフィッシングを、免許制ではあるが、お金を稼ぐ途として、楽しめる。最近ちょっと世の注目を浴び出した海女さんも、最高のスポーツだ。スポーツなんて楽な気持ちで、仕事の潜水はできるものではない、という人もいるだろうが、体がきついことでは、トライアスロンなんてものもある。あれに比べれば、たいていの労働はらくなものだ。
サルベージ作業もオイルビジネスのシステム潜水も、そしてもちろん宝探しも最高のスポーツだ。スポーツではない、スポーツ感覚でやってはいいけないダイビングを探すのは難しい。唯一、汚水の中に潜るのは嫌だが、これもスポーツと思えば我慢できる。ぼくはそうやってやってきた。
そして、水の中に人間が潜る活動は、すべて冒険だから、すべてのダイビングは冒険スポーツである。と言い切ると、反発されるかもしれない。自分は仕事としてやっているので、スポーツというような遊びではないと。実は、その部分、スポーツと仕事の分岐点、アマチュアとプロの分岐点でもあり、身体運動と労働の分岐でもあるのだが、そこまで踏み込むと、ロジェ・カイヨワ(遊びと人間)の論理に行ってしまう。実は、このカイオワの世界、僕は正確にはよくわからない。わかる人は少ないでしょうが、最新ダイビング用語事典では、フロー経験という項目で、チクセントミハイ(心理学者、「楽しむということ」「スポーツを楽しむ、フロー理論からのアプローチ」、などの著書がある)について、少し触れてる。思えば、カイヨワについて、ちょっと触れておけばよかった。
脱線しないで、だから、すべてのダイビングは、冒険である。これは人間が生息環境である陸上から水中へ生身の体で踏み込むわけだから、言い切っても良いと思う。そして、スポーツ感覚で労働をするひとにとって、潜水という労働は冒険スポーツである。
個人的に言えば、僕はスポーツ感覚で仕事をしてきたし、そのことについては、全く後悔していない。
ダイビングは冒険スポーツであり、ダイビングによる労働はスポーツ感覚(あやふやな言葉だけど)で行うことができる。
なお、冒険スポーツという言葉は成立(使えるが)冒険レジャー、冒険レクリエーションという言葉は使われていない。ディズニーランド的な疑似体験でしか、レジャーとしての冒険は存在しないように思う。この部分は次の展開、「安全性の追求」部分に大きくかかわってくる。
なおこのブログは僕の思考過程の覚書のようなものであり、論理展開として確立しているものではない。いわば下書きであり、印刷発表するようなことがあれば、全く書きなおさなければならないかもしれない。
月刊ダイバーの連載も、全面的書き直しになって、今取り組んでいるところ。
スポーツとは?簡単なようで、ダイビングをスポーツと定義する場合のスポーツは、やっかいだ。前に編纂した最新ダイビング用語事典でもずいぶん迷った。「ダイビングはスポーツではない。レクリエーションだ」という議論をしたことがあったからだ。スポーツだと定義すると、政府管轄が文部省になる。レクリエーションとなると、経産省になる。いまとなっては、そんな縄張り争いはナンセンスで片付けられるが、海中開発技術協会が今のレジャー・スポーツダイビング産業協会に衣替えするときに問題になった。ちなみに文科省にはスポーツダイビングという言葉がタイトルになっている法人はない。そして、西が丘にある国立のスポーツ研究所には、スクーバはもとより、スキンダイビングももちろんフリーダイビングについても研究するセクションがない。他のすべてのスポーツについては研究されている。また、山岳の事故が多いということで、国立登山研修所があるが、ダイビングの事故が多いからといって、国の研修、研究機関はない。その理由は、ダイビング業界が、スポーツということで国に研究されるのは迷惑だと拒否したからで、まあ、それも一理あるのだが、ここのところ、こだわっている大学の部活動としてのダイビングなどを考えると、各学校での活動に関連する部分だけでも、文科省に研修センターなどがあり、海洋高校の潜水プールなみの、施設が西が丘、もしくは品川の海洋大学あたりにあったら、事情が全く変わったのにと残念だ。これも、僕の息が続かなかった。
結果として、文科省に関連する公益法人としては、わが社会スポーツセンターだけがあるが、その力は室内スポーツ選手権大会がようやくできる程度である。でもこれが、目下のところ、最後の砦だ。高齢化社会の到来にアダプトすることをめざして、生涯スポーツとして、自分でも泳いだりしている。
茨城県海洋高校の潜水プール
国はスポーツとして援助はしてくれないが、最新ダイビング用語事典では、スポーツダイビングと項目名をつけて、レジャー、あるいはレクリエーションの上位の概念としてスポーツを取り入れている。
ところで、港湾土木、漁業、あるいは研究的調査潜水もスポーツという概念からは完全に外れている。と思っていいだろう。しかし、僕は、工事の潜水も、調査もスポーツ感覚でやってきた。スポーツ同様の楽しさがある。そのうえに賞品としてお金をもらえて、生活ができる。趣味を仕事にしてしまう、という言葉はあまり好きではないのだが、明確にそれに該当する。
沖縄とか八重山のウミンチューは、仕事だから、漁業だから、非漁民には禁止されているスピアフィッシングを、免許制ではあるが、お金を稼ぐ途として、楽しめる。最近ちょっと世の注目を浴び出した海女さんも、最高のスポーツだ。スポーツなんて楽な気持ちで、仕事の潜水はできるものではない、という人もいるだろうが、体がきついことでは、トライアスロンなんてものもある。あれに比べれば、たいていの労働はらくなものだ。
サルベージ作業もオイルビジネスのシステム潜水も、そしてもちろん宝探しも最高のスポーツだ。スポーツではない、スポーツ感覚でやってはいいけないダイビングを探すのは難しい。唯一、汚水の中に潜るのは嫌だが、これもスポーツと思えば我慢できる。ぼくはそうやってやってきた。
そして、水の中に人間が潜る活動は、すべて冒険だから、すべてのダイビングは冒険スポーツである。と言い切ると、反発されるかもしれない。自分は仕事としてやっているので、スポーツというような遊びではないと。実は、その部分、スポーツと仕事の分岐点、アマチュアとプロの分岐点でもあり、身体運動と労働の分岐でもあるのだが、そこまで踏み込むと、ロジェ・カイヨワ(遊びと人間)の論理に行ってしまう。実は、このカイオワの世界、僕は正確にはよくわからない。わかる人は少ないでしょうが、最新ダイビング用語事典では、フロー経験という項目で、チクセントミハイ(心理学者、「楽しむということ」「スポーツを楽しむ、フロー理論からのアプローチ」、などの著書がある)について、少し触れてる。思えば、カイヨワについて、ちょっと触れておけばよかった。
脱線しないで、だから、すべてのダイビングは、冒険である。これは人間が生息環境である陸上から水中へ生身の体で踏み込むわけだから、言い切っても良いと思う。そして、スポーツ感覚で労働をするひとにとって、潜水という労働は冒険スポーツである。
個人的に言えば、僕はスポーツ感覚で仕事をしてきたし、そのことについては、全く後悔していない。
ダイビングは冒険スポーツであり、ダイビングによる労働はスポーツ感覚(あやふやな言葉だけど)で行うことができる。
なお、冒険スポーツという言葉は成立(使えるが)冒険レジャー、冒険レクリエーションという言葉は使われていない。ディズニーランド的な疑似体験でしか、レジャーとしての冒険は存在しないように思う。この部分は次の展開、「安全性の追求」部分に大きくかかわってくる。
なおこのブログは僕の思考過程の覚書のようなものであり、論理展開として確立しているものではない。いわば下書きであり、印刷発表するようなことがあれば、全く書きなおさなければならないかもしれない。
月刊ダイバーの連載も、全面的書き直しになって、今取り組んでいるところ。