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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0107 1986年

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 月刊ダイバーの連載、1986年の事を書こうとしている。エピソードが多すぎて、整理ができない。切れないのだ。カメラマンに編集はできない。自分のカットが切れないのだ。書きたいことは全部書いて、編集にカットしてもらおう。と決めた。



 昭和61年 1986年
 
 2月
 ☆ニュース・ステーション流氷ロケ、潮美 参加
 ☆知られざる世界 日本テレビ、知床ロケ 西沢くん、竹村さん 後藤監督
 
 3月
 ☆1日 スガ・マリンメカニック事務員、大森ともこ、JPの五十嵐くんと結婚、披露宴
 五十嵐は、女にもてすぎる。何かがあったら、何時でも戻って来い。五十嵐は親友だから良いのだが、来客はみんな普通の人、次第に固まってゆく。恐怖のスピーチ、と言われた。ともこは、しっかり録音して、何かがあったら五十嵐くんに見せると。その後、生まれた子、日本潜水会の忘年会に連れてきて、僕が抱いて孫とした写真をとった。その写真はどこかに消えている。後藤さんのお別れ会に出られないという電話が僕の携帯に入った。僕の携帯は相手が登録していないとでない。スガ・マリンメカニックの方にかけなおして、言付けを、その子が25歳になって、結婚の話が持ち上がっている。たしか女の子だった。
 (この話は原稿と関係ないが、どこかできっちりと書こう。)

   大森とも子と潮美 多分1982年


 ☆潮美、就職を諦め、テレビのレポーター一本でゆく事を決意
 ☆大阪湾、潮美は特別出演、ABC放送
 ☆風邪で咳がひどい
 ☆ニュース・ステーション西別川ロケ、猛吹雪  
  撮影後、襟裳岬に移動、襟裳の春はなにもない春、なんにもなかった。

 4月
 ☆十和田湖ロケ レギュレーター凍結 水深40mからの急浮上
 
 5月
 ☆撮影部分を分社してアアクファイブテレビとすることにした。
 ☆ニュース・ステーション積丹ロケ
☆八丈島で水中スクーターのテスト、潮美
☆ニュース・ステーション小笠原は、潮美が行かないかないことになり、中川がカメラマンとして出ることになった。初めての一本立ちだ。
☆テレビフォーラムの柿田川ロケ

 6月
 ☆ ニュース・ステーション佐渡ロケ出発 ナイトダイビングで平根崎の温泉、コブダイなど
☆水曜スペシャルの「女探検隊」メンバーのダイビング訓練のために八丈島へ、
 ☆新しく購入するHL79E の検査に池上電気にゆく。
 ☆田沼健二ガ、コモロ島からシーラカンスを持って帰ってきた。
 ☆ニュース・ステーション佐渡のオンエアー、海中温泉で寝ているコブダイ
 ☆伊豆大島、水曜スペシャル、女探検隊ロケ、みみず浜の海の蟻地獄、実はこの蟻地獄が海の中の噴火口なのだ。
 1986 7月
☆日本テレビ山中さんとテレビのロケではない遊びにアラスカにゆく。
若いカメラマンの田口茂雄が、ブルックスの滝で熊と対決する。
☆ニュース・ステーション 三宅島ロケ ジャック・モイヤーさんの話、レンテンヤッコの産卵行動
☆「日本テレビ、フォステックスのマイクテストを東亜のタワーでやる。友人石崎の娘栄子にモデルを頼む。次の年、栄子は自動車事故で死亡、18歳
 1986 8月
☆ニュース・ステーション長崎ロケ
☆ニュース・ステーション 天草ロケハン
☆三宅島オンエアー視聴率は6%しかとれなかった。惨敗、しかし内容的には評価された。
☆中川が小笠原からもどってきた。良いカメラワークで映像にキレがあった。
☆ダイブウエイズ、新型のフルフェイスマスクができる。まだ、吸気音をマイクが拾ってしまう。
☆ニュース・ステーション長崎ロケ、潮流が速くて苦労する。
☆ニュース・ステーション天草ロケ ナイトダイビングで、トサカの林を撮る。
☆船の科学館流れるプールに海水浴?に行く。

 1986 9月
☆バイカル湖ロケ 日本テレビ 米田をアシスタントにする。監督、野呂さん、陸上カメラ朝田さん。
☆鶴町くんに任せていた、沖縄でのシャークの撮影は成功、タイガーシャークとシュモクザメが餌を撮るところが撮影出来ている。
☆ニュース・ステーション瀬戸内海ロケ、僕も潮美も低調で、人間関係の行き違いが多くなる。日振島の海蝕洞、すごい洞窟で、調子を取り戻した。豊後水道、佐多岬、流れが速く、水深45m
☆山中さんの引退前、最後の知床ロケ、僕はニュース・ステーションのからみがあるので、カメラマンはできない。日本テレビ社員、勝見くんがやる。中川のパーティで、このごろ、いつも会う。今は日本テレビ子会社の社長さんだ。山中さんとは、世界を一緒に巡ったのに、最後のロケにつきあえない。

1986 10月
☆豊後水道のオンエアーがあり、出来もよく視聴率も10%で首がつながった。
☆久しぶりに茨城の人工魚礁調査、水深は50mでのスチル撮影 水深が深いと駆り出される。透明度2mで最悪。
☆ニュース・ステーション 紅葉の十和田湖に出発
 潮美は耳のトラブルで頭痛、低調で叱られてばかりいる。しかし、痛いとは一言もいわなかった。戻ってきてから医者に行く。内耳のトラブルの疑い。
☆カイ・エンタープライズ(ニュース・ステーションの仲介元請け)が手形が落とせないと連絡してきた。700万円、僕の体調が悪くなる。お金のこと、潮美の不調、田沼の神経性減圧症、中川に予定している大分での60m潜水の理由のない不安、次の知床ロケが迫っている。

1986年11月
☆ニュース・ステーション知床ロケ出発 鮭の産卵、鮭漁など
☆伊豆大島の噴火、ニュース・ステーションロケに出発 噴石落下の中で撮影。船のガラスは全部割れた。大島の人と一緒に避難。
☆潮美、ニュース・ステーションスタジオに初出演
☆ニュース・ステーション 伊豆大島水蒸気爆発の可能性のある水中噴火口撮影に出発、水曜スペシャルの蟻地獄がそれだった。大島への接近は禁止だから、不法?強行、爆発が起きれば僕は終わりだ。変色海域の水中撮影、潮美は連れて行けない。
やがて、伊東の手石島で水蒸気爆発が起こり、僕達のチームは危機一髪。

1986 12月
☆知床の秋から冬、オンエアー 12.2% まず合格。水中撮影は勝った。
☆全日本潜水連盟の理事会、お金のことでもめる。
☆日本潜水会忘年会
☆ニュース・ステーション忘年会
☆海中開発技術協会の緊急理事会 全日本潜水連盟との関係について。
☆冬の知床ロケに備えて、レギュレーターの凍結防止の工夫をダイブウエイズで打ち合わせる。低圧弁のレバー周辺にシリコングリースを塗れば解決する。毒ではないか、気分が悪くならないか人体実験。
☆スガ・マリンメカニック忘年会、いくつかのトラブル発生、中川が席を立って消え、鶴町が会社をやめるという。
☆1986年は大変な年だった。

1989年 1月
☆、ニュース・ステーション知床ロケ、中継 大雪、レギュレーターの凍結、マイナス1℃潮美のマイクの不調、

2月
☆ 与那国に出発
☆ 与那国のあと西表に向かう。西表では、ダウンカレントに引きこまれて、カメラのケーブルで助かる。ガイドをお願いした佐伯さんは、二度と僕のロケには付き合いたくないという。

ここで日記が終わる。


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