Quantcast
Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1388

1222 シンポジウム 

$
0
0
 それにしても、この学連の話題が長くなっている。
この一年2014年のずいぶん大きな部分、長い期間を、シンポジウムで学連のことをテーマにするために、思い悩み、もうやめようと思ったりもした。そして決行した思い入れがある。2014年度の備忘としてどうしても、書き残して置かないと、次の展開にならないし、年を越せない。

ここで、少し、東京海洋大学から離れて、12月7日のシンポジウムで作ってPPのアウトラインからSAIの部分を抜き出し書き写しながら経過を説明する。

1.学連については、二年が一年を教え、三年が監督する体制で指導が進行する部が多い。
各部に安全対策の委員がいる。トレーナーもいるし、みんな、一生懸命にやっている。そしてその過程が大きな教育効果をもたらすことも知っている。しかし、客観的に見て、「何もなければ良いが?」という心配が常にあった。繰り返していうのだが、学生の部活としてのダイビングは自己責任ではない。元来自己責任であるスクーバダイビングで自己責任ではないのだ。誤解の無いように言っておくが、自己責任だから、一般のレクリエーションダイビングでインストラクターに賠償責任がないという意味ではない。自己責任と賠償責任とは別の次元のことだ。賠償責任は、命が失われた事による遺族の逸出利益について賠償するもので、失われる命は賠償することはできない。失われる自分の命については、自分の責任で確保しなければならない。
学生の部活動では、その自己責任であるべき生命についても、指導する者は責任をもたなければならない。人の命に責任など持ち得ないが、教育の一環として行われる部活動であれば、学校の責任も問われる。

当時発生した、大瀬崎での学生クラブ(学連ではない同好会)の事故があり、世話をしていた「羽衣」が、あれは前の晩に酒盛りをやりでたらめだ聞いた。学連の報告書をみても、飲酒の可能性が高い。式根島での自分のダイビングは、学連の合宿の宿とは別のサービスを使っているが、学生の宿を引き受けられない、半ば嫉視もあるのだろうが、学生の行動はあまり評判がよくない。もしもの場合には周辺の人の評判が大きく斟酌される。

2.2003年SAIを結成した。
当時、学連の各クラブの監督・コーチ、OBとのおつきあいは全くなかったので当時の学連の執行部と語り合って、二年と一年を監督する三年生の資格を作ろうとも考え、スチュウーデント・アシスタントインストラクターというタイトルで研修会を開催した。
学生の学生生活についての知識も無く、これが不可能であることを知らなかった。学生が現役だけで、安全管理、危機管理の向上を図る方策はこれしかないと思った。

3.東京医科歯科大学の真野先生、順天堂大学の河合先生と相談して、バックアップをお願いした。そして、第一回のSAI研修から、医科歯科大学の教室を借りて、真野先生、河合先生、そして山見先生(当時医科歯科大学)の講演を聞くことにした。これによって、もしも、学連に事故が起こって訴えられた場合。安全対策についての研修を、医科歯科大学で、行っているということで、真野先生、河合先生に鑑定書を書いていただき、危機管理の役に立てたいと考えた。もちろん、安全管理の方策を検討するのだから、安全にも役立つ。もちろん、これによって責任を免れるものではないが、マスコミ関係の野放しであるという非難を躱すことができる。前の法政アクアの事故では、マスコミの報道が遺族を痛く刺激し、真相が知りたいということで遺族の意向が大きくなって、訴訟の行方に影響した。もしも、あの時にSAIのようなものがあれば、その場にいた学生が訴えられるとしても、早く和解が成立したと思う。
そして、このSAIの時に、現役の学生執行部と、監督、コーチの間の連携が全く無いことを知った。学生を通して呼びかけても監督もコーチも存在が感じられなかった。

4.2006年
学連には、の安全対策主将会議というのがあるが、報告書を見たことがなかったので、そんな会議があると知らなかった。SAIを通して、危機管理についてのアンケートを依頼し、2006年の報告書をもらった。主将の危機管理について、まったく牧歌的であり、学連として、規範を考えて行かなくてはならないと思った。

5.2008年
学生がどのような練習をしているのか、そのマニュアルを書いてもらった。よくできていて、今もあまり変わらないと思えるので、報告書に載せた。
この2008年に学連の40周年記念のパーティ、学連OB会が新宿住友ビルで開かれ、呼んでもらった。この時に初めて、僕の空白時代の母校のOBたちと顔を合わせることができた。
母校の水産大学にOB会がない。僕の責任だとかんがえて、これをきっかけにOB会を作るように働きかけた。

6.ここまでのSAIの付き合いで、学生には継続性が無いことを痛感した。そして、4年生は卒論、就活で忙しく、とてもアシスタントインストラクターなどやれないだろうということもわかった。2008年の学連OB会で知り合った、監督・コーチに働きかけ、今後は監督、コーチとも付き合い、SAIを一緒にやろうと考えた。

7.2010JAUSを結成して、その第一回のシンポジウムで学習院大学監督の宮崎さんにお話をしていただいた。SAIを通じた現役との連携に加えて、コーチ監督とのおつきあいができれば、その融合もできるのでは、そしてさらに医科歯科大学での研修会を続ければ、と想定していた。
2011年、3月18日に監督・コーチを集めたミーティングを計画していたが、東北大震災で流れた。

8.2012年、SAIの休止。学生がSAIの研修会の代わりに、ベテランインストラクターの話を聞く会を設定した。学生としては、真野先生らの安全についての話に飽きて、もっと具体的な話を聞きたかったのだろう。SAIは、SAIで別に実行されることを、依頼したが、行われることがなく、こちらもJAUSに忙しく、フォローが無かった。

9.監督・コーチの方向では2012年、芝浦工業大学、2013年、中央大学の報告をシンポジウムでしていただき、監督・コーチの視点からのクラブ活動については、理解することができた。
10.2014年には学連の加盟大学からのアンケートを書いてもらい、これらを総合して報告書に掲載した。これによって、現状の関東学生潜水連盟の全貌がわかる、はずである。

12月7日のシンポジウム
次々と卒業して行ってしまう学生だけでは、将来の50周年を語ることはできない。監督、コーチ、OBと、現役の学生、次の年度の執行部と同じ壇上に登って話をすれば道がひらけるのでは、とパネルディスカッションを行った。

まとめ 次の展開
監督,コーチが居る大学、あるいは、ここにOBがおいでいただけている大学でも、それぞれ、自分の仕事に忙しくて、自分が監督する部で精いっぱいであり、学連にまでは気が廻らない。
監督、コーチの横の連絡は無い。
顧問の先生は名前だけの部も多いと推察できる。
孤立無援の中で頑張っているのが現役の学連執行部のようにみえる。
危機管理ができるバックアップ組織が必要だと思う。ただし、OB会だと、OBでない監督、コーチ、顧問を包含できない可能性がある。潜水医学、スポーツ医学、法律の専門家がバックアップする形、そして、現役が担当を決めて、運営する。SAIには担当が居たはず
社会スポーツセンターのバックアップも考慮に入れたい。

 これにそって、来る12月29日に、12月7日のパネルディスカッションのメンバーが再度集まって今後の展開を議論し、打ち合わせする運びになった。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1388

Trending Articles