1998年に水産大学潜水部のOBへのOB 会の通知があった。実はその時点で、潜水部にOB会は存在しない。なのになぜ、OBの集まりがあったのだろうか、企画した現役が39代なのか40代なのか41代なのか知らないが、なぜか、品川のプリンスホテルだったからか、出かけていった。まさか、僕が来るとは思っていなかったらしく、6代の清水信夫が主賓扱いだった。清水君は、海底居住のアクアノートで、深田サルベージの部長だったかだが、僕が深田サルベージの深海潜水研究班のコーチをしていた時の弟子だ。27歳の時の100m潜水で、僕は深海潜水の経験者だったのだ。
その席で、40代の主将、東君に挨拶された。
なにか込み入った事を書いているが、書いておかないと忘れ去ってしまうので、海洋大学の後輩のために書き残して置こうと書いている。どの大学のクラブの誰にでも、僕がここに書くこと、程度の思い出がある。大学のクラブは、それぞれ、それだけの歴史とOBの思いを背負っているのだ。だから、翻って、O Bは、後輩、現役、そして部を大事にしなければいけない。
その東隆司のお父さんが、東亜潜水で僕の下にいたのだ。東君のお父さんは、鹿児島の人で、中卒で、何故か僕のところに押しかけてきた。理由はわからない。天文館通りの自転車屋さんの息子だから、高校に行かれないわけがない。それに、中学では一二を争う秀才だった。いまだにわからない。大変な根性の持ち主だし、期待していたのだが、申し訳ないのだが、ダイビングには才能がない、熱帯魚を専門にするという。引き止めても聞くような人ではない。僕は送る言葉として、英語を徹底して勉強しなさい。しゃべり、本が書ける程に、(自分がそのことを悔やんでいたから)それから、いつも白衣をきて仕事をしなさい。研究者のように見えるから。彼は僕の言うとおりにした。皇太子殿下に熱帯魚のご進講をするまでになり、テレビに出てきた時には白衣を着ていた。今、東大和の東熱帯魚研究所といえば、その関係で知らない人はいない。本もたくさん書いていて、英語でもアロアナの本を書いている。その息子だ。東君(お父さんの方)は、奥さんと子供を連れて、アフリカのどこかの湖に古代魚の研究に行き、現地人の泥棒に襲撃されて、無一文、何もなくなり、そうなんの一歩手前で、アフリカに来ていた日本人似、偶然であって助けられた。探検家でもある。その息子だから、隆司も変わっている。
左から東隆司 ピースサインが吉村くん 小坂くん、僕、そして、ごめん、名前忘れてしまった。確か、調査会社イデアに就職したはず。
思い出した。その年代に僕は、朝までテレビという番組を手がけ、なぜか、学連の子たちとダイビングについて語り合った。その時の学連の委員長が女の子で、立教大学、切れ味のいい子だったが、その彼女が言っていた。東はバカだと思っていたが、そんなことはなく、大変な奴だったと。お父さんの東くんからは毎年年賀状が来るけれど、隆司が、どこで何をしているのか、音信はない。
その次の代、41代の吉村くんは、東京湾の映像を撮ってもらって、板田の海を撮り、優れていたので、一緒に仕事をしたかったが、会社に空きがなく、リブリーザーの田中さんのところにお世話したが、向いていなくて、転職した。申し訳ない事をしたと思っている。43代(2001年卒)の小阪君は、全日本潜水連盟の指導員になってもらい、水産高校の教員になることを強く薦めて、今は小浜高校の教員でアマモの移植保護のエースである。先ごろはアマモサミットを小浜でやった。
45代の今泉くん、井口さん、斉藤さんとは、親しく、親戚の子付き合いをした。今泉、井口は大学院に進んだこともあり、水産大学潜水部のO B会を作るときに中心になってもらった。その次の代46代、2004年卒がすごかった。女が4人、男ら1人で、主将の鎌田さんは、ハーフの美女、柄戸さんもハーフ?の美女、あとの二人の女の子との付き合いはなかったが、この4人が、学連のフリッパー大会での女性部門の金メダルを総なめにした。黒一点の宮坂とは、一度、学生時代にじっくり話したが、よくわからない。最近フェイスブックの友だちになった。彼は外国航路の船乗りになったが、乗船の前に、酒場で喧嘩をして、三人の敵に叩きのめされて、顔を骨折して入院し、船にのれなくなった。今はまた船に乗っているはず。4人のアマゾネス美女に、喧嘩っ早い黒一点、なんだかテレビドラマができそうだ。その後、鎌田さんは、どこかの神主さんと結婚した。神主さんは神楽を踊ることが、これもフェイスブックで知った。
こんな4人の下の代、47代が男一人、大井くんだけになりピンチに陥った。
その時(2004)に同じ海洋大学のダイビングサークル アビスができ、40人を集めた。40:1では比較にならない。アビスについて、ダイブネットで見ると、これは、現時点2014年のものであるが、
ABYSSは、東京海洋大学の学生を中心に活動しているダイビングサークル。
スキューバダイビングを通じて、海を全身で感じることの素晴らしさを伝えるため、2004年に設立されました。主な活動場所は、真鶴(神奈川県)・伊豆半島。現在のメンバーは約80人。男女比はほぼ1:1です。
スキューバダイビングのみならず、イルカウォッチングをはじめとしたスキンダイビング(素潜り)も積極的に行っています。
また、サークルメンバーの海外研修先は実に多彩。サイパン、パラオ、フィリピン、タイ、インドネシア、エジプトなど…さすが、といった感じです。
ライセンス取得は個人の自由ですが、ステップアップを目指す学生は、1年生の6月にOW(オープンウォーターダイバー)、10月にAOW(アドバンスドオープンウォーターダイバー)、12月にレスキューダイバー、そして春休みに海外でDM(ダイブマスター)の資格を取得する流れが多いです。
サークルと部活動について、考えさせられる。自分たちは間違っているのではないかと思う。当然、学生、現役も思い悩むだろう。