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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1214 学生連盟(4)

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 12月7日のシンポジウムの講演でもこの事故についてのスライドを作った。
•「この時の法政アクアは、これでクラブを消滅させなかった。その後見事に立ち直って、今年50周年をむかえた。つまり、危機管理ができたということである。
•30周年記念誌では、決してこの事故を風化させてはならないと書いてある。
•この時学連は、法政を一時的に除名し、遺族との和解の後復帰となった。
•しっかりしたOB会、OBが居たことが危機管理の成功につながったのだと思う。
 
 このスライドはシンポジウムの話では使わなかった。事故と危機管理については、自分の事故例、そして、自分の行った危機管理について述べた。
 やはり、実際にあった事故の話をするのは辛かった。別に誰を責めるのでもない。危機管理の成功例として話すのであっても、避けてしまった。
 その当時に詳しいことも、どこかで書いたような記憶もあるが、ここでは書かない。自分のしたことといえば、遺族に3通手紙を書いた。事故について、子供たちを責めることになる形での訴訟はしないで欲しい。それは、亡くなった彼をも責めることであり、悲しむだけだと書いた。自分の例として、大学4年の時に人工魚礁調査で死にかけて、もしも死んでいたら、母親は、指導教官であった宇野先生を訴えるのだろうか、訴えないで欲しいと思ったことを書いた。この大学4年の九死に一生については、ニッポン潜水グラフィティに書いた。
 お父様からは、僕の気遣いについてお礼の手紙をもらった。しかし、母親は、どうして?がはっきりしないと納得できないという内容だった。この手紙は今も大事に持っている。
そして、学生4名と、顧問、学校が訴えられたが、幸いなことに、学生との訴訟は、長引かずに和解が成立した。学校当局との訴訟は残っていたと記憶するが、その後のことはわからない。
クラブの再開については、並大抵ではない努力があったと思うが、小松君、村田君などNAUIインストラクターが指導し、練習を見る、ということで解決した。
言いたかったことは、学校からは、解散命令が出され、遺族は訴訟を起こしたその時に、学連は除名という方法しかなかったのだろうか?僕は当事者ではなかったから、本当のことはわからない。その時、法政と学連との間にどのような話し合いがあったのかわからない。学連は今と同じように現役学生だけの組織であったであろうから、対応が難しかったと思われる。
事故の状況、その後の対応などについては、30周年記念誌、「法政アクアの曙」に16期の徳武氏が書いている。端的に言えば、立ち泳ぎ練習での事故であった。
この立ち泳ぎ練習は、僕たち日本潜水会が始めた方法であり、訓練方法としては、間違っていないし、その後の映画など見ると、海猿でも、そして米国の沿岸警備隊のことを描いた「守護神」にも出てくる。BCのない時代、立ち泳ぎ能力が溺れを防ぎ、レスキューにも重要な役割を果たす。
後にあった、東大の海洋探検部のブラックアウトでは、ブラックアウトして沈みかける溺者を引き上げるのに時間がかかっている。これは立ち泳ぎ能力の問題である。現今のスキンダイビングであっても、ブラックアウトして沈むダイバーを引き上げる能力は、立ち泳ぎの強さにかかっている。
しばらく前だが法政の練習を辰巳で見たときには、ウエイトを持たない立ち泳ぎ練習を行っていた。
負荷をかけた立ち泳ぎも悪いとは思っていない。ただ、そのケアが十分であったかどうか問題ではある。スポーツのトレーニングは、記録が伸びるのと同様に、練習の負荷も増えてゆく。現在ではフリーダイビングがスポーツとして盛んになってきている。これは、専門のコーチが、そばに付き添っていて責任を負っている状況でなければできない。フリーダイビングのトレーニングでは、ブラックアウトすれすれのところで行われる。学生がこの専門家のトレーニングをうけて、それを自分たちの練習に取り入れたとすれば、危険が大きい。もちろん、自己責任で、フリーダイビングのチームに入り、世界を目指すのは悪くない。繰り返していうのだが、大学の部活としてのダイビングは自己責任ではない。同好会については、よくわからない。同好会と部活の区別をきっちりと付けて、新入生にアッピールする必要が有る。今、ダイビングは致死性の高い商業スポーツとされている。学生スポーツとは、一線を画さなければいけない。商業スポーツで事故死は賠償責任保険で償われる。それで終わりである。同好会も同様だろう。


 一般に体育会系が厳しく、同好会系が緩やか、そういう見方もあるが、違うと思う。以前、海洋大学潜水部が、人数が集まらず、また入部してもやめてしまう例が多く、ピンチにたったことがある。一年生、新人は神様、二年生は奴隷のつもりになれと説教し、もしも、一年生が二年生に不満があれば、言って来いと指導した。僕の水産大学時代は、一般の運動部は、一年生奴隷、二年神様だったが、1957年に潜水部を作った時の僕の一級上の上級生、竹下さんと橋本さんは本当に優しくて、まるで僕が上級生のようだった。このことも、ニッポン潜水グラフィティに書いた。それが伝統になればよかったのだが、後に誤解が生まれたらしい。今の体育会系は、下級生を徹底的に大事にして、下級生は上級生を尊敬しなければいけない。ダイビングで、昔の体育会系をやったら危ない。またあとでもこのことについて触れる。


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