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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1115 奄美大島ー3 鶏飯

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 昔、奄美大島によく行ったのは、鶴耀一郎が生きていた時分だから、もう30年以上前のことだ。いや、もっと前のこと、確か1975年だったと思う。出来たばかりの新宿のドウ・スポーツのマネージャーとなぜか気が合って、一緒に奄美大島に行って遊びのダイビングをやった。その時に、鶏飯の元祖、みなとやに泊まった。みなとやは、宿屋もやっている。その時、当然だけど鶏飯を食べた。皇太子殿下(現在の平成天皇)が奄美大島に来て、昼食にみなとやで鶏飯を食べて、お替りをした。それが、鶏飯のブレイクした始まりだ。という。だから、みなとやは元祖鶏飯を名乗っている。とにかくおいしいと思ったので、以後、鹿児島空港とか、鶏飯のあるところだと、鶏飯をたべている。

 2年前に、やはり中尾先生のチームで、豊潮丸の航海で、名瀬に入り、鶏飯を食べにみなとやに行った。ところが午後の2時に行ったのに、もう店を閉めている。昼食の時だけの営業のようだ。元祖を名乗っているならば、全国からお客がくるはずだ。昼時だけと言うのは、怠慢、ひどい、と怒ったが仕方が無いので、ひさ倉という別の店に行った。ここも鶏飯専門店で、悪くは無かった。今度の奄美の旅でも、13日に笠利に磯採集に行った時に、ひさ倉に行った。もう遅い時間だったので、みなとやは間に合わないとわかっていたので、ひさ倉にした。
ひさ倉の鶏飯
みなとやの鶏飯

そして、14日、空港に向かう途中、時間が良かったので、みなとやに行くことができた。あまり大きくない店だが、(ひさ倉の方が大きい)太ったおばさんがてんてこまいで、一人で店のお客対応をしている。これでは、このおばさんがダウンして、2時に終わっても仕方がない。昔、30年前も、変なおばさんが夕食の給仕にきて、その時は大きなエビが夕食に付いたのだが、尾の部分だけ食べて残したら、「なんで、こんなにもったいない食べ方をするのだ、」と胸の部分をむしってくれた。驚くほど肉があった。しかし、あれはプロの業で、僕にはできない。

出てきた鶏飯は、「やはり鶏飯は、元祖かどうかしらないけれど、みなとやがおいしい」ご飯が足りなくなって、追加してもらった。スープも追加した。もう、トッピングの具が無いので、ご飯にスープだけかけて、僕も、町田も、中尾先生も食べた。石橋君は、追加してから、2杯もスープだけで食べて、きれいに平らげた。その昔、僕が学生時代、駒形の「どぜう」で、鍋は一杯だけ、ネギとご飯を追加して食べたころのことをおもいだした。気持ちの良い、豪快な喰いっぷりだった。結論は、スープがみなとやは美味しいのだ。

 町田君はひさ倉がおいしいと言っていた。食べ物は好き好きだから何とも言えないが、
 僕はみなとやを100として、ひさ倉は、80、鹿児島空港のバイキングは60かな。さすがに、みなとやの後に空港にいったから、あまみ空港はたべていない。なお、むかしたべたばしゃ山は80ぐらいだったか?

 潜水の残りについては明日にでも書こう。


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