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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0724 サイン

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信濃町は、慶応大学病院と創価学会の街だ。グラフィティを出した成山堂書店までの道はほとんど創価学会関連のたてものだ。大聖堂というのもある。一度中に入ってみたいものだが、門仲のお不動様のようなディズニーリゾート風にはなっていない。

信者になれば入れるのだろうか。亡くなった母親がいつの間にか創価学会員になっていた。母親は浄土宗の寺に嫁に行き、やがて夫である、前途有望な坊さんがチブスでなくなってしまい、浜町の待合の女将になり、戦災で焼かれ、いつの間にか創価学会のかなりの地位に上り、亡くなってから弘法大師のお寺のお墓に入っている。生生流転だ。創価学会が尽きると成山堂書店に到着する。

 全部創価学会の建物だ、ひっそりとしてガードマンだけがいる。中に何が?

    成山堂書店

 成山堂書店にきたのは、ニッポン潜水グラフィティのサインをしにきた。この前100冊サインして、今日も100冊、あと一回サインにくればなんとかなるだろう。100冊サインするのに小一時間かかる。明日から書店に並ぶそうだ。僕としては、売らなければならないノルマがあるから、こちらからサイン本を買ってほしい。suga@suga.name にメールで氏名住所を書き、申し込んでください。送料と代引き手数料がかかるので、コーヒー一杯分ほど高くなるけれど、僕も残り少ない人生なので?、きっと値打ちが出ると思う。
  

       サインした本

 もう一冊か二冊、本を出したい。80歳の80m潜水もノンフィクションにしたい。日々の暮らし、ダイビングを積み重ねて80:80に至る。つらい胸突き八丁の日々だから、生き続けるだけで冒険だ。後期高齢者は、毎日毎日が冒険。そんな視点で日々を見て、ノンフィクションのつもりで書いてゆこう。
冒険とはなんだ、探検とはなんだ。ニッポン潜水グラフィティを書きながら、考え続けてきた。夢と冒険を追い続けた、1950-1960年代の潜水、軽い気持ちで夢と冒険と語ってしまったが、本の中で、1964年の100m潜水では、危険な冒険になってしまったと反省したりしている。
  今の僕は思う。冒険とは自分の心の持ちようであって、主観的なものだ。自分が冒険だと思ってチャレンジすれば、なんでも冒険になる。日々の暮らしも、冒険だと思えば冒険だろう。一方、探検の方は、人に評価される記録を残さなければならない。ネス湖とか、ニューギニアとか、コンゴだとか、怪獣を追う探検も、撮影された写真が無いことから、探検がスタートする。記録されていて撮影された画像があり、客観的に正しいという評価を受けて、探検といえる。グラフィティでは、ニューギニアの湖に怪獣を追う探検に行こうという話も書いている。
範囲を広げると、非日常の世界へのチャレンジも探検と言える。PADIは、ダイビングは水中探検だと言っている。言ってもかまわない。それにしても探検だから何らかの記録が欲しい。水中撮影は探検であると言いなおそうか。
  ニッポン潜水グラフィティを書くのは、冒険だった。80:80プロジェクトは、探検だろうか?冒険であることはまちがいない。潜る先になにか探るべきものがあれば、探検になる。いや、潜水はすべて水中世界の探検だと定義してしまえば、どちらともいえる。

    犬の聡太が花火大会の名簿をチェックしている
 夜は石川さん宅へ、グラフィティのサインに行く。90冊、7月26日、両国の花火大会を両国の路上へ茣蓙を引いて、花火を見上げるイベントで売ってくれる。130人を集める、大イベントだ。夕方、雷雨があった。26日は大丈夫だろうか?冒険。

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