0705
船はよく揺れた。
起きても揺れる船の上で体を動かすのは疲れる。
隠岐の島に到着、9時から潜水開始、小雨で肌寒い。食事に出てこない学生も多い。
800外に出て、まずウエットスーツをきてしまった。
カメラシステムは、オリンパスはあきらめ、GOPROもマスクマウントはやめにして、オリンパスをつけていたカメラステイにGOPROを取り付けて、イノンのライトをつけた。カメラはこれだけとした。
僕たちの潜る場所は、いわゆるダイビングスポットではない。200トン余の豊潮丸錨泊、あるいは漂泊して停止し、ゴムボートを発進させて、安全にダイビングを行い。そしてもどってこられるポイントである。その場所を選定した中尾先生に、その場所の水深は?と聞いても、地形は?と聞いても「わかりません」という答えが返ってくるだけ、ただ、そのポイントは、岸から近く、岸の地形を見ればその連続である海底の地形も予想できる。陸上の地形を見て、判断する。
陸上の地形が断崖のような切り立った岩であれば、その延長線上の水中も岩であり、その岩に付着する無脊椎動物を採集する。ただ、中尾先生はこの豊潮丸による毎年の航海実習を20年以上続けており、僕のお手伝いも10年近く、教えて一緒に潜水してきた学生も初代が前島君、二代が勝俣君、三代が喜納君、四代が今の町田君、次の五代目が石橋君で、それぞれが二年~三年で、二つの代がオーバラップしている。四代の町田君は博士コースなので、もしかしたら六代までオーバラップするのかもしれない。
ゴムボートからのエントリー、水面装着も何とか少しはましになった。
この隠岐ノ島ポイントは、ホンダワラの密生で、水面から見下ろすと、一面のホンダワラであるところどころに岩が盛り上がっている、ホンダワラの根本を探ることになるのだろう。中尾先生の調子が悪く(多分船酔い)て、一度潜ってきたが浮上してエンジン付きゴムボートで本船に戻った。
僕と町田、石川さんと石橋のバディ採集を続けることにした。町田とのバディは、石巻での採集もやったし、意志は通る。彼が指差す、無脊椎動物、主として海綿を撮影し、できれば、ビニール袋への収容も手伝う。残圧、そして帰り道も記憶しておく、ラインを忘れ物したので、帰り道がわからなくなる可能性もある。しかし、水深は10m以下だし、透視度も20m以上あるから、水面に浮いてみれば、ゴムボートは50m以内の範囲に見えるはずだ。ホンダワラをかき分けての採集は、まあまあ順調にできた。自分の残圧が50を切ったので、戻る合図をする。船で充填する圧力は120-150で、今回は130だったから、使えるのは80だ。しかし水深が浅いからだいたい40分前後の潜水になる。50でリターンしてゴムボートの直下に来ても、まだ30は残っているから、10近くまで直下で粘れる。水温22度はウエットスーツでは冷たいので、ゼロまでは頑張らずに浮上する。
GOPROとイノンのライト一灯のシステムはこの用途としては割合うまく行く。しかし、画質として十分かどうかということになると疑問が残る。しかし、オリンパスのTG-2は、タフと名がついていても、僕たちの使い方に耐えられるほどタフではない。ゴムボートの上に放り投げ、上からタンクを重ね、その上をダイバーが踏みつける。
潜水開始 0948 浮上1028 潜水時間40分 水温22.2度
透視度20m、最大水深9.6m 平均 6.4m
135の石段をかけあがる教授と学生たち
午後の潜水はボンベの充填が間に合わないので中止して隠岐の島、黒木の港に入る。黒木には後醍醐天皇が流された御所がある。散歩に行こうということになり、歩いて5分だというので、皆について行った。ところがその御所は、石段を135段上ったおかのうえにある。きっと上るのだろうなと思って、とぼとぼ上っていたら、あとから教授と学生が、駆け足で駆け上がっていった。今頃の研究者はタフで健脚だ。中尾先生は、その昔自転車ロードレースの選手だったし、酒井先生は、ランニングシューズを船に持ってきていて、上陸の時は走る。女性の松永先生も一緒に走るし、ゴムボートに腕の力でよじ登れる。学生も、何かのスポーツを高校時代にやっている。
そのあと、山の上の岩窟の中に建築したという重要文化財の神社を見に行くという。極力断ったが、一人で残るのもさびしく、タクシーに乗った。
その神社へと登る入口には、マムシを叩く棒が置いてある。マムシの巣窟みたいな小道を上る。こっちは沖縄の島草履だ。それでも仕方がないので一緒に上り始めた、5分ぐらい登っただろうか、あとどのくらいかと石川さんに聞いたら、これでまだ五分の一だろうという。この人たちと付き合っていたら殺される。僕は79歳だ。ダイビングに付き合うので精いっぱいだ。ここでドロップアウトしてもとに引き返すことにした。下で待っていれば、戻ってくる。やめて正解だった。これでも左足が少し引き攣っている。
港に入った夜は、街に食事にでる。
記念撮影をして、たちまちフェイスブックに乗せてしまう石川さん。
船はよく揺れた。
起きても揺れる船の上で体を動かすのは疲れる。
隠岐の島に到着、9時から潜水開始、小雨で肌寒い。食事に出てこない学生も多い。
800外に出て、まずウエットスーツをきてしまった。
カメラシステムは、オリンパスはあきらめ、GOPROもマスクマウントはやめにして、オリンパスをつけていたカメラステイにGOPROを取り付けて、イノンのライトをつけた。カメラはこれだけとした。
僕たちの潜る場所は、いわゆるダイビングスポットではない。200トン余の豊潮丸錨泊、あるいは漂泊して停止し、ゴムボートを発進させて、安全にダイビングを行い。そしてもどってこられるポイントである。その場所を選定した中尾先生に、その場所の水深は?と聞いても、地形は?と聞いても「わかりません」という答えが返ってくるだけ、ただ、そのポイントは、岸から近く、岸の地形を見ればその連続である海底の地形も予想できる。陸上の地形を見て、判断する。
陸上の地形が断崖のような切り立った岩であれば、その延長線上の水中も岩であり、その岩に付着する無脊椎動物を採集する。ただ、中尾先生はこの豊潮丸による毎年の航海実習を20年以上続けており、僕のお手伝いも10年近く、教えて一緒に潜水してきた学生も初代が前島君、二代が勝俣君、三代が喜納君、四代が今の町田君、次の五代目が石橋君で、それぞれが二年~三年で、二つの代がオーバラップしている。四代の町田君は博士コースなので、もしかしたら六代までオーバラップするのかもしれない。
ゴムボートからのエントリー、水面装着も何とか少しはましになった。
この隠岐ノ島ポイントは、ホンダワラの密生で、水面から見下ろすと、一面のホンダワラであるところどころに岩が盛り上がっている、ホンダワラの根本を探ることになるのだろう。中尾先生の調子が悪く(多分船酔い)て、一度潜ってきたが浮上してエンジン付きゴムボートで本船に戻った。
GOPROとイノンのライト一灯のシステムはこの用途としては割合うまく行く。しかし、画質として十分かどうかということになると疑問が残る。しかし、オリンパスのTG-2は、タフと名がついていても、僕たちの使い方に耐えられるほどタフではない。ゴムボートの上に放り投げ、上からタンクを重ね、その上をダイバーが踏みつける。
潜水開始 0948 浮上1028 潜水時間40分 水温22.2度
透視度20m、最大水深9.6m 平均 6.4m
135の石段をかけあがる教授と学生たち
午後の潜水はボンベの充填が間に合わないので中止して隠岐の島、黒木の港に入る。黒木には後醍醐天皇が流された御所がある。散歩に行こうということになり、歩いて5分だというので、皆について行った。ところがその御所は、石段を135段上ったおかのうえにある。きっと上るのだろうなと思って、とぼとぼ上っていたら、あとから教授と学生が、駆け足で駆け上がっていった。今頃の研究者はタフで健脚だ。中尾先生は、その昔自転車ロードレースの選手だったし、酒井先生は、ランニングシューズを船に持ってきていて、上陸の時は走る。女性の松永先生も一緒に走るし、ゴムボートに腕の力でよじ登れる。学生も、何かのスポーツを高校時代にやっている。
そのあと、山の上の岩窟の中に建築したという重要文化財の神社を見に行くという。極力断ったが、一人で残るのもさびしく、タクシーに乗った。
その神社へと登る入口には、マムシを叩く棒が置いてある。マムシの巣窟みたいな小道を上る。こっちは沖縄の島草履だ。それでも仕方がないので一緒に上り始めた、5分ぐらい登っただろうか、あとどのくらいかと石川さんに聞いたら、これでまだ五分の一だろうという。この人たちと付き合っていたら殺される。僕は79歳だ。ダイビングに付き合うので精いっぱいだ。ここでドロップアウトしてもとに引き返すことにした。下で待っていれば、戻ってくる。やめて正解だった。これでも左足が少し引き攣っている。
港に入った夜は、街に食事にでる。
記念撮影をして、たちまちフェイスブックに乗せてしまう石川さん。