殺しても死なない奴ばかりをチームに集めたのに、次々と病に倒れる。今度の米田は立ち上がって欲しい。治る可能性を信じて闘うしかない。
一方で、僕も決して治ることのない病気、高齢と闘っている。これは、決して勝つことのない闘い。それも、一番難しいステージに来ている。僕も米田もダイバーだ。減圧症など屁でもない。高齢を予防する減圧表はない。米田の癌も再圧治療では治らない。
昨夜のフェイスブックで書いた。
「 病に倒れている、僕のチームメート、決して裏切らない米田を見まいに、鶴町さんに連れて行ってもらいました。明日にでもブログに書きます。彼はブログを見てくれているそうです。少しでも励ますことができればと願います。二人で旅をした場所、バイカル湖、アラスカ、なぜか北国が多いのです。ニュース・ステーションでも一緒でした。バイカル湖です。風に名前がついていて、ベルグズインと呼ぶ突風が吹くところです。風が吹かないように、コインを投げて通過します。」
でも、昔の楽しかったころのことを書いたとして、それが彼の慰めになり、勇気を振り起す助けになるのかどうかわからない。でもしかし、バイカル湖に行った時のこと、オリホン島という、バイカルの中の島への10日ほどのクルーヅ、ロケだつたのだが、クルーズの前後はリストビャンカンカという湖畔の町のホテルに泊まる。
ロシア、その頃はソ連のロケには必ず、通訳、コーディネーターの役人が付いてくる。もちろんエリートの役人で僕たちについたのは、名前は忘れたので、頭に浮かび上がってくる名前は「アンドレイ」だから仮にアンドレイとして、アンドレイは東海大学に留学していて、日本語は達者。
ソ連の若い男はみんな恰好が良い。観光に来ていたアメリカ女にはもてる。
アンドレイが、夜、自分の部屋で寝ていることはほとんどないと誰かが言っていた。
食事の後、飲んでいるときに観光客とテーブルが一緒になった。米田が気に入ったらしい女の子がいて、米田は、アンドレイに通訳を頼んで、口説こうとした。
僕は横で見ていて「馬鹿か、おまえは」と思った。予想とおりに、アンドレイとその女の子は消えた。
バイカル湖の研究所のボートをチャーターしての10日近いクルーズ、潜水のこともたくさんあるが、食べ物のこと、食べ物は、出航するときに全部買いこんでゆく、クッキングするおばさんもソ連では資格は公務員であり、国中全部公務員らしい。もちろん日本とは公務員という概念がちがうみたいだから、国民全部が公務員なのかもしれなかった。おばさんもコックの有資格者で、ライセンスを持っている。だから、食べるものについては、絶対的な権力者である。そのおばさんが、10日分の献立を考えて食材を買い込む。
この船に冷蔵庫はない。初の2日ぐらいは、ステーキは食べられた、3日目ぐらいから肉は腐る。ロシア人にとって、肉の腐った味も味覚のうちに入っているのかもしれない。日本人だった、鮒寿司なんていうのもある。しかし、僕は食べられない。野菜のたくさん入ったボルシチだけは食べられる。ボルシチを要求したが、あれは、一日に一度昼だけという献立になっている。変更は不可、船の食事だから仕方がない。豊潮丸のクルーズなら港に入るけれど、バイカル湖には港なんてない。目的地のオリホン島まで、30年前に建造された河船はとことこ、ノンストップでゆっくり走る。減量するしかない。
夕暮れ時になると、イルカがジャンプする。イルカはバイカル湖にはいないはずだ。あれはなんだ?とガイド役の研究所のチーフダイバーに聞くと、「バイカルあざらし」だという。僕たちはこのバイカルアザラシを撮りに来た。世界の海で、アザラシもアシカも人懐っこい。がバイカルアザラシは違う。人間に見つかり次第獲られて食べられてしまう。
ようやく、バイカルアザラシが群棲する島に到着した。水中撮影の予定だったが、とても無理。冬に湖が凍結している時ならば撮れるだろう。そんなこと、ここまで来て言われても困る。しかし、監督はドキュメンタリーの監督だから、やらせはしない。無理なものは無理なのだ。群棲地にも海から回れば逃げられてしまう。後ろ側の山をよじ登る。音を立てたら逃げる。山の上から、そっとそっと頭を出す。居ない。留守だ。
居ないものは居ない。どうすることもできない。バイカルアザラシを求めての僕たちの旅は終わった。
しかし、居ませんでした、で戻るわけにはゆかない。水中撮影で何とかしなければならない。そのことも書きたいけれど、これで時間が尽きた。JAUS総会の書類つくりをしなければならない。グラフィティの再校もある。
米田にはエピソードが書ききれないほどある。書きたいこともたくさんある。ニュース・ステーションの旅もほとんどが一緒だった。小早川監督は、米田にカメラをもたせれば、必ず何かは撮ってくる。何もいなくてもだ。何もいないどこかの川だった。「カワガラス」が水中を飛ぶ映像を撮ってきた。ちらっとだけだったが。
とりあえず、元気になれ。
一方で、僕も決して治ることのない病気、高齢と闘っている。これは、決して勝つことのない闘い。それも、一番難しいステージに来ている。僕も米田もダイバーだ。減圧症など屁でもない。高齢を予防する減圧表はない。米田の癌も再圧治療では治らない。
昨夜のフェイスブックで書いた。
「 病に倒れている、僕のチームメート、決して裏切らない米田を見まいに、鶴町さんに連れて行ってもらいました。明日にでもブログに書きます。彼はブログを見てくれているそうです。少しでも励ますことができればと願います。二人で旅をした場所、バイカル湖、アラスカ、なぜか北国が多いのです。ニュース・ステーションでも一緒でした。バイカル湖です。風に名前がついていて、ベルグズインと呼ぶ突風が吹くところです。風が吹かないように、コインを投げて通過します。」
でも、昔の楽しかったころのことを書いたとして、それが彼の慰めになり、勇気を振り起す助けになるのかどうかわからない。でもしかし、バイカル湖に行った時のこと、オリホン島という、バイカルの中の島への10日ほどのクルーヅ、ロケだつたのだが、クルーズの前後はリストビャンカンカという湖畔の町のホテルに泊まる。
ロシア、その頃はソ連のロケには必ず、通訳、コーディネーターの役人が付いてくる。もちろんエリートの役人で僕たちについたのは、名前は忘れたので、頭に浮かび上がってくる名前は「アンドレイ」だから仮にアンドレイとして、アンドレイは東海大学に留学していて、日本語は達者。
ソ連の若い男はみんな恰好が良い。観光に来ていたアメリカ女にはもてる。
アンドレイが、夜、自分の部屋で寝ていることはほとんどないと誰かが言っていた。
食事の後、飲んでいるときに観光客とテーブルが一緒になった。米田が気に入ったらしい女の子がいて、米田は、アンドレイに通訳を頼んで、口説こうとした。
僕は横で見ていて「馬鹿か、おまえは」と思った。予想とおりに、アンドレイとその女の子は消えた。
バイカル湖の研究所のボートをチャーターしての10日近いクルーズ、潜水のこともたくさんあるが、食べ物のこと、食べ物は、出航するときに全部買いこんでゆく、クッキングするおばさんもソ連では資格は公務員であり、国中全部公務員らしい。もちろん日本とは公務員という概念がちがうみたいだから、国民全部が公務員なのかもしれなかった。おばさんもコックの有資格者で、ライセンスを持っている。だから、食べるものについては、絶対的な権力者である。そのおばさんが、10日分の献立を考えて食材を買い込む。
この船に冷蔵庫はない。初の2日ぐらいは、ステーキは食べられた、3日目ぐらいから肉は腐る。ロシア人にとって、肉の腐った味も味覚のうちに入っているのかもしれない。日本人だった、鮒寿司なんていうのもある。しかし、僕は食べられない。野菜のたくさん入ったボルシチだけは食べられる。ボルシチを要求したが、あれは、一日に一度昼だけという献立になっている。変更は不可、船の食事だから仕方がない。豊潮丸のクルーズなら港に入るけれど、バイカル湖には港なんてない。目的地のオリホン島まで、30年前に建造された河船はとことこ、ノンストップでゆっくり走る。減量するしかない。
夕暮れ時になると、イルカがジャンプする。イルカはバイカル湖にはいないはずだ。あれはなんだ?とガイド役の研究所のチーフダイバーに聞くと、「バイカルあざらし」だという。僕たちはこのバイカルアザラシを撮りに来た。世界の海で、アザラシもアシカも人懐っこい。がバイカルアザラシは違う。人間に見つかり次第獲られて食べられてしまう。
ようやく、バイカルアザラシが群棲する島に到着した。水中撮影の予定だったが、とても無理。冬に湖が凍結している時ならば撮れるだろう。そんなこと、ここまで来て言われても困る。しかし、監督はドキュメンタリーの監督だから、やらせはしない。無理なものは無理なのだ。群棲地にも海から回れば逃げられてしまう。後ろ側の山をよじ登る。音を立てたら逃げる。山の上から、そっとそっと頭を出す。居ない。留守だ。
居ないものは居ない。どうすることもできない。バイカルアザラシを求めての僕たちの旅は終わった。
しかし、居ませんでした、で戻るわけにはゆかない。水中撮影で何とかしなければならない。そのことも書きたいけれど、これで時間が尽きた。JAUS総会の書類つくりをしなければならない。グラフィティの再校もある。
米田にはエピソードが書ききれないほどある。書きたいこともたくさんある。ニュース・ステーションの旅もほとんどが一緒だった。小早川監督は、米田にカメラをもたせれば、必ず何かは撮ってくる。何もいなくてもだ。何もいないどこかの川だった。「カワガラス」が水中を飛ぶ映像を撮ってきた。ちらっとだけだったが。
とりあえず、元気になれ。