0601
6月になった。日曜日でいい天気、海に出ている人はきっといいダイビングができているだろう。僕はといえば、辰巳国際水泳場、抽選会、ジャンケンの日だ。僕はとにかくいいバランスで五回、五日は確保しなければならない。実はかなりのプレッシャーになっているのだ。
19時から21時に枠は7つしかなかった。希望者は12、5つはあぶれることになる。それをジャンケンで決める。このごろは、担当の中村さんと全員のジャンケンをまずやって、勝った人どうしがジャンケンで決める。いつもは、一回のジャンケンで順位をきめていたのだが、今回はなぜか、一回一回をジャンケンで決める。勝った人はひとつの権利を得て、抜けてゆく。残った者が、このプロセスを繰り返してゆく。何回かジャンケンを楽しめる?ストレスの高い方法だ。僕は、かろじて7番目に残ることができた。ラストなので、良い日はふさがっていて、9月30日、月末最後の日だ。21ー22時の枠は、19ー21時をとった人が優先権があるが、遠慮すれば、それを取ることができる。この優先権方式には、疑問があるが、まだ、異を唱えるほどのことではない。僕は二つの枠をとって、そのほかに15時から17時の枠を一つ、サブプールを土曜日にとってこれで五つ。毎度こんなことの繰り返しだ。
結果はホームページに出している。 http://homepage2.nifty.com/j-suga/index.htm
なんとなく肩の荷をおろして、帰りは帰途途中にあるヤマザキ電気に立ち寄る。午前中のためもあって、ガラガラだ。これだけの売場面積、維持して行けないのではと心配になる。ほとんどすべての商品はアマゾンの方が安いし、価格コムで調べる値段の方がやすい。
さらに、なんとなく解放感があり、コーヒーを飲みながら、タブレットを打とうと、イトーヨーカドーに立ち寄り、スタバは満員なので、モンタボーのパン屋に入った。アップルパイとコーヒーで510円、残念ながら、満足しなかった。雰囲気は好きだけれど、アップルパイが100円のものと大差がない。
グラフィテイの校正に入っている。ページの肩に入れている写真が気に入らなかったので、なしにするか、それとも差し替えてくださいと申し出て差し替えてもらえることになった。ページ全部を同じ写真というのも飽きるので5ー6枚を用意した。すべてスキンダイビングの型、フォルムにしよう。僕のダイビング技術の基本は60年前も、そして今もスキンダイビングである。国際水泳場のジャンケンもスキンダイビングのためだ。
これは、提案なので、どのように決まるかわからないのだが、選んだ画を紹介しよう。
まず、1970年代、実はこの写真は1970ねんだいの撮影ではない。潮美が大学2年か3年だから1980年代にはいっている。しかし、スタイルとしては、1960年以来、1990年代にドルフィンスイムが始まるまでは、こんなもので変わっていないから、これで良いだろう。
これは、ケラマの座間味だ。そのころ、水深20mまで潜り込んでくることを練習させていて、18mぐらいまでは降りてきて、あと2mが到達できなかったころの撮影だと思う。
これも1980年代としているけれど、実際は1990年代だ。そのころU-3(ユースリー)というちょっとしたダイビングショップをやっていて、そのインストラクター、兼事務員、兼アシスタントの塩脇アツ子がモデル。彼女も素晴らしいダイバーだった。これは、伊江島での撮影である。
時代は飛んで、2000年代に入ると、浦安海豚倶楽部もはじめるし、国際水泳場での練習会も始まる。これは、僕で、この画を作っているときは、かっこいいとおもっていたのだが、こうして見ると不格好だ。使ってほしくないからやめようかとも思うが、自分の写真も必要かと思ってだした。
伊江島の写真まではフィルムだが、2000年以降は、デジタルだ。そして、ほとんどが動画で撮って、静止画を取り出す方法である。2012年以降主に使っているGoProでは、最初からスチルを撮るよりも、動画からスチルを切り出したほうがシャープでありきれいだ。
これらの絵は、動画からスチルをとりだし、さらにトリミングして補正をかけている。
この方法で、展覧会に出展できるような作品を作ることは困難だろうけれど、、雑誌の表紙ぐらいまでならば、何とか使える。ブログもそして、著作も特に大きく使うのでなければ大丈夫だ。
一枚一枚シャッターを精魂込めて押していた時代に比べて、なんとなくインチキくさいが、フィルムの時代でも僕の撮り方は、ニコノスⅤに20mmレンズを着けて、それを2台持ち込んで、72枚をあっという間にとる、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるスタイルだった。そして今、プロのスチルカメラマンももちろんデジタルであり、秒に何枚という連写で撮るのが普通になってきている。
カメラの進化は動画もスチルも区別をなくしつつあるから、そのうちには、プロのカメラマンも、すべて動画で撮るようになるだろう。
やがて、写真展へ出すプリントもこの方法で撮るようになるに違いない。
フィルムの時代、大伸ばしする作品は大判サイズでとらなければならないと言って撮っていたが、すべて35mmサイズになった。今はデジタルも大判サイズも使われるようになったが、とりあえず、その辺は僕には縁がない。
6月になった。日曜日でいい天気、海に出ている人はきっといいダイビングができているだろう。僕はといえば、辰巳国際水泳場、抽選会、ジャンケンの日だ。僕はとにかくいいバランスで五回、五日は確保しなければならない。実はかなりのプレッシャーになっているのだ。
19時から21時に枠は7つしかなかった。希望者は12、5つはあぶれることになる。それをジャンケンで決める。このごろは、担当の中村さんと全員のジャンケンをまずやって、勝った人どうしがジャンケンで決める。いつもは、一回のジャンケンで順位をきめていたのだが、今回はなぜか、一回一回をジャンケンで決める。勝った人はひとつの権利を得て、抜けてゆく。残った者が、このプロセスを繰り返してゆく。何回かジャンケンを楽しめる?ストレスの高い方法だ。僕は、かろじて7番目に残ることができた。ラストなので、良い日はふさがっていて、9月30日、月末最後の日だ。21ー22時の枠は、19ー21時をとった人が優先権があるが、遠慮すれば、それを取ることができる。この優先権方式には、疑問があるが、まだ、異を唱えるほどのことではない。僕は二つの枠をとって、そのほかに15時から17時の枠を一つ、サブプールを土曜日にとってこれで五つ。毎度こんなことの繰り返しだ。
結果はホームページに出している。 http://homepage2.nifty.com/j-suga/index.htm
なんとなく肩の荷をおろして、帰りは帰途途中にあるヤマザキ電気に立ち寄る。午前中のためもあって、ガラガラだ。これだけの売場面積、維持して行けないのではと心配になる。ほとんどすべての商品はアマゾンの方が安いし、価格コムで調べる値段の方がやすい。
さらに、なんとなく解放感があり、コーヒーを飲みながら、タブレットを打とうと、イトーヨーカドーに立ち寄り、スタバは満員なので、モンタボーのパン屋に入った。アップルパイとコーヒーで510円、残念ながら、満足しなかった。雰囲気は好きだけれど、アップルパイが100円のものと大差がない。
グラフィテイの校正に入っている。ページの肩に入れている写真が気に入らなかったので、なしにするか、それとも差し替えてくださいと申し出て差し替えてもらえることになった。ページ全部を同じ写真というのも飽きるので5ー6枚を用意した。すべてスキンダイビングの型、フォルムにしよう。僕のダイビング技術の基本は60年前も、そして今もスキンダイビングである。国際水泳場のジャンケンもスキンダイビングのためだ。
これは、提案なので、どのように決まるかわからないのだが、選んだ画を紹介しよう。
まず、1970年代、実はこの写真は1970ねんだいの撮影ではない。潮美が大学2年か3年だから1980年代にはいっている。しかし、スタイルとしては、1960年以来、1990年代にドルフィンスイムが始まるまでは、こんなもので変わっていないから、これで良いだろう。
これは、ケラマの座間味だ。そのころ、水深20mまで潜り込んでくることを練習させていて、18mぐらいまでは降りてきて、あと2mが到達できなかったころの撮影だと思う。
これも1980年代としているけれど、実際は1990年代だ。そのころU-3(ユースリー)というちょっとしたダイビングショップをやっていて、そのインストラクター、兼事務員、兼アシスタントの塩脇アツ子がモデル。彼女も素晴らしいダイバーだった。これは、伊江島での撮影である。
時代は飛んで、2000年代に入ると、浦安海豚倶楽部もはじめるし、国際水泳場での練習会も始まる。これは、僕で、この画を作っているときは、かっこいいとおもっていたのだが、こうして見ると不格好だ。使ってほしくないからやめようかとも思うが、自分の写真も必要かと思ってだした。
伊江島の写真まではフィルムだが、2000年以降は、デジタルだ。そして、ほとんどが動画で撮って、静止画を取り出す方法である。2012年以降主に使っているGoProでは、最初からスチルを撮るよりも、動画からスチルを切り出したほうがシャープでありきれいだ。
これらの絵は、動画からスチルをとりだし、さらにトリミングして補正をかけている。
この方法で、展覧会に出展できるような作品を作ることは困難だろうけれど、、雑誌の表紙ぐらいまでならば、何とか使える。ブログもそして、著作も特に大きく使うのでなければ大丈夫だ。
一枚一枚シャッターを精魂込めて押していた時代に比べて、なんとなくインチキくさいが、フィルムの時代でも僕の撮り方は、ニコノスⅤに20mmレンズを着けて、それを2台持ち込んで、72枚をあっという間にとる、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるスタイルだった。そして今、プロのスチルカメラマンももちろんデジタルであり、秒に何枚という連写で撮るのが普通になってきている。
カメラの進化は動画もスチルも区別をなくしつつあるから、そのうちには、プロのカメラマンも、すべて動画で撮るようになるだろう。
やがて、写真展へ出すプリントもこの方法で撮るようになるに違いない。
フィルムの時代、大伸ばしする作品は大判サイズでとらなければならないと言って撮っていたが、すべて35mmサイズになった。今はデジタルも大判サイズも使われるようになったが、とりあえず、その辺は僕には縁がない。