「連合艦隊解散の辞」明治の文章だ。
先日、追浜のJAMSTECの一般公開の後、海軍カレーを食べに、戦艦三笠公園に行った。三笠でパンフレットを手にしたら、連合艦隊解散の辞の全文が載っていたので、早速買った。以前から、全文が欲しかったのだ。ここに抜粋する。
「過去一年有半、彼の風涛と戦い、寒暑に抗し、頑敵と対して生死の間に出入せしこと、固より容易の業ならざりしも、観ずれば是れ亦長期の一大演習にして、之に参加し幾多啓発するを得たる武人の幸福比するに物なし。」
「神明は、ただ平素の鍛錬につとめ、戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足して、治平に安んずる者より、直ちにこれを奪う。古人曰く、勝って兜の緒をしめよと」
秋山真之が書いたともいわれ、時のアメリカ大統領、セオドアルーズベルトがこれに感動して、英訳して、アメリカ海軍軍人に配布したと言われている。
「坂の上の雲」の最終章に部分的に引用されている。この文章の向こうに明治の人は、坂の上の雲を見たのだと、小説家は書いている。歴史は小説であり、日本人の琴線に触れる小説だとおもう。
「個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということが できる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制化において はこれを超える価値をほかに見出すことはできない。」
「コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原子力発電所の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとして も、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻 すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
福井地方裁判所民事部第2部
裁判長裁判官 樋口英明
裁判官 石田明彦
裁判官 三宅由子
」
平成の裁判官が書いた文章である。
連合艦隊解散の辞、に匹敵する。
僕たちはこの文章の向こう側に何を見ているのだろうか。
原発は再稼働し、うまくすれば、次の大地震に耐えるかもしれない。最悪は、その地域が壊滅するかもしれない。もっと最悪は、人間と言う種が現状を保つことができなくなる。安全管理とか危機管理は、常に最悪の事態を想定してかからなくてはならない。個人にしろ、組織にしろ、国家にしても。
原子力発電は、人の生きている時間では解決の出来ない最悪の事態を産み出すことを、僕たちは知った。自分としては、2011年以来、福島原発地先の海、沖の根に潜り、調べたいと出来るだけの努力を注いできた。望みはかなっていないけれど、かなったところで解決はできない。知ることができるだけなのだ。
「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富」は挽歌になってしまった。日本人はこれをとりもどせるのだろうか。
さっそくのように、週刊誌、マスコミは、これを書いた裁判所、裁判官パッシングを始めた。僕たち国民は、冷ややかな目でそれを見るだけ、どうやっても、どの視点から見ても、この話題は厭世的になってしまう。だから、坂の上に何を見ることもできない。せめて、自分の周囲、周辺のことに努力を注ぎ、命のある間を生きなければならない。
自分の周囲、ダイビングの世界での挽歌、僕の目指してきたのは「シンプルで誰にでも楽しめる冒険スポーツ」だった。誰かが言っていた「致死性の高い商品スポーツ」
先日、追浜のJAMSTECの一般公開の後、海軍カレーを食べに、戦艦三笠公園に行った。三笠でパンフレットを手にしたら、連合艦隊解散の辞の全文が載っていたので、早速買った。以前から、全文が欲しかったのだ。ここに抜粋する。
「過去一年有半、彼の風涛と戦い、寒暑に抗し、頑敵と対して生死の間に出入せしこと、固より容易の業ならざりしも、観ずれば是れ亦長期の一大演習にして、之に参加し幾多啓発するを得たる武人の幸福比するに物なし。」
「神明は、ただ平素の鍛錬につとめ、戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足して、治平に安んずる者より、直ちにこれを奪う。古人曰く、勝って兜の緒をしめよと」
秋山真之が書いたともいわれ、時のアメリカ大統領、セオドアルーズベルトがこれに感動して、英訳して、アメリカ海軍軍人に配布したと言われている。
「坂の上の雲」の最終章に部分的に引用されている。この文章の向こうに明治の人は、坂の上の雲を見たのだと、小説家は書いている。歴史は小説であり、日本人の琴線に触れる小説だとおもう。
「個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということが できる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制化において はこれを超える価値をほかに見出すことはできない。」
「コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原子力発電所の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとして も、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻 すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
福井地方裁判所民事部第2部
裁判長裁判官 樋口英明
裁判官 石田明彦
裁判官 三宅由子
」
平成の裁判官が書いた文章である。
連合艦隊解散の辞、に匹敵する。
僕たちはこの文章の向こう側に何を見ているのだろうか。
原発は再稼働し、うまくすれば、次の大地震に耐えるかもしれない。最悪は、その地域が壊滅するかもしれない。もっと最悪は、人間と言う種が現状を保つことができなくなる。安全管理とか危機管理は、常に最悪の事態を想定してかからなくてはならない。個人にしろ、組織にしろ、国家にしても。
原子力発電は、人の生きている時間では解決の出来ない最悪の事態を産み出すことを、僕たちは知った。自分としては、2011年以来、福島原発地先の海、沖の根に潜り、調べたいと出来るだけの努力を注いできた。望みはかなっていないけれど、かなったところで解決はできない。知ることができるだけなのだ。
「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富」は挽歌になってしまった。日本人はこれをとりもどせるのだろうか。
さっそくのように、週刊誌、マスコミは、これを書いた裁判所、裁判官パッシングを始めた。僕たち国民は、冷ややかな目でそれを見るだけ、どうやっても、どの視点から見ても、この話題は厭世的になってしまう。だから、坂の上に何を見ることもできない。せめて、自分の周囲、周辺のことに努力を注ぎ、命のある間を生きなければならない。
自分の周囲、ダイビングの世界での挽歌、僕の目指してきたのは「シンプルで誰にでも楽しめる冒険スポーツ」だった。誰かが言っていた「致死性の高い商品スポーツ」