富戸のヨコバマには、危なかった思い出がある。それは、1960年の事だったと思う。僕は東亜潜水機に居て、レギュレーターを設計して作った。それまでにも作られていたレギュレーターをモディファイしたものだったが、とにかく自分の手で作ったレギュレーターだった。もちろん、ずいぶんとテストは繰り返した上で製品として、売り出した。その第一ロット、その最初の第一号だったと思う。買ってくれたのは、富戸の漁協、定置網漁業部だった。日本では定置網の点検修繕をするための潜水は歴史が古く、1935年あたり、僕の生まれた年だったが、そのころ、伊東の水産試験場では、定置網潜水の講習が開かれていた。講師は、三浦定之助、山下弥総左衛門で、送気式の山本式のマスク潜水機を使っていた。東伊豆には水産試験場があり、そこの技官、稲葉繁雄さんは、潜水の達人で、潜水病も体験し、潜水指導講習をしていたから、富戸の組合、定置でもこの頃の講習を受けたダイバーが居たのかもしれない。
だから、1960年に東亜潜水機から高圧コンプレッサーを買って、スクーバダイビングが出来るようになっていて、当然かもしれない。
僕の作ったレギュレーターの第一号は、その富戸の組合で買ってくれた。
数日後、定置網のダイビング担当の菊川さんから電話が掛かってきた。水深40mでレギュレーターが停止したという電話だ。とるものもとりあえず、出かけていった。まだ、伊豆急の電車が無かったころだ。伊東からバスで行く。朝東京を出て、午後の3時ごろに到着した。故障のレギュレーターをタンクに着けて吸って見たが、その時には症状はでていない。
今の富戸ヨコバマ 砂地
そのレギュレーターを使って、富戸の湾内で水深40mに一人で潜ってみた。菊川さんが艪漕ぎの小舟を漕いでくれて、多分、ヨコバマの前あたりだったと思う。午後五時ごろだから日は傾いていて、水深40mはほの暗かった。その時はじめて、サクラダイを見た。魚の中で最も美しいと思われるハナダイの類、アンティス(アンシャス)の仲間では一番ありふれているサクラダイだが、魂が飛んだ。午後の光で、水深40m、半分窒素酔いになりながら、見とれていると、足元で砂煙が上がった。大型のヒラメが足元から飛び立ったのだ。
水面に浮上して、なんとも無いと話をして、納得してもらって東京に戻った。すぐ次の日に電話がまた掛かってきた。また停止したという。すぐにレギュレーターの出荷を停止した。まだ、この高圧シートを使ったものは数台しかない。直ちに回収した。送り返してもらって、分解して原因がわかった。新しい高圧弁のシートが抜け出てノズルに貼りついて空気が停止したのだ。ノズルから噴出する高圧空気を抑えているのだから、漏ることはあっても、弁が抜け剥がれてノズルに貼りつくとは想像もしなかった。空気が噴出するときには、部分的に強い陰圧になり、シートを吸い出して、ノズルに張り付かせてしまうのだ。
一人で40m潜っていた時に停止したならば、私の生命は無かっただろうか?
富戸組合の菊川さんは、海士さんで素もぐりの達人だったから、40mに潜っていた時にレギュレーターが停止しても、一人で上がってきた。私もおそらく上がれたと思う。ウエットスーツであり空身での40mからならば上がれるだろう。とはいえ、高圧弁の張り付きは、突然、空気が来なくなる。後で振り返ってみると、幸運だっただけだ。
その頃、群馬県だったか埼玉県だったか忘れたが、お弁当で中毒事故が起こり、弁当屋さんの女社長がそんなことはありえないと、自分も同じ弁当を試食して中毒死したと新聞にでた。私のやったことはそれと同じことだ。
こちらの不備による致命的な故障なのに、菊川さんは笑って済ませてくれた。
潜水器を作ることについて甘く考えすぎていた。一つ一つの部品のミスが命にかかわる。
次にヨコバマに潜ったのは、「伊豆の海」と言う題名の葛西水族館3Dシアター(今はもうない)の3D映像を撮った時だった。海洋公園の友竹進一さんにガイドを頼んだ。友竹さんはすでに癌に冒されていていたが、神様のくれた短い時間とかで、元気で、「いいよ」と簡単に引き受けてくれた。ところが益田一さんからストップがかかった。僕は益田さんのお家に行って、交渉した。その年の夏、友竹さんは最後の家族旅行でモルジブに行っている。モルジブで潜れるのに、地元の富戸で潜れないなんてことはおかしい。癌で死ぬかもしれないけれど、友竹は潜水では死なない。良いじゃないか、最後に僕と潜ったって。でも益田さんは首を縦に振らない。
「わかってよ、潜水では死なないだろうが、その後で悪化したならば、奥さんに泣きつかれるのは僕なんだから」頭を下げられてしまった。友竹の代わりにという事で、マリンドリームの森田君が潜ってくれることになった。
小久保教授のトップ、20年前に買って学生が使っていたウエットスーツを着ている。
今度はヨコバマだとはっきり覚えている。イソギンチャクにクマノミが、冬なのに、元気にしていた。この頃、冬を越すようになったと森田君が言う。しかし、その時の僕の撮影対象は、斜面のクマノミとか小物ではなくて、砂地の魚だった。菊川さんのレギュレーター停止の時に見た、光景が頭に焼き付いていて、それを3Dで撮りたかったのだ。確か、マトウダイ、サクラダイ、ミノカサゴなどを撮った記憶があるが、その時のスチルを2時間かけて探したが見つからない。
去年の秋、海洋公園での益田さんを偲ぶ講演をたのまれた。その森田君の斡旋だった。森田君と一緒に海洋公園も潜る約束だった。益田さんが亡くなってから、海洋公園に潜っていない。残念なことに、時化てしまい、ダイビングクローズになったため、講演会は中止になり、海洋公園には行かなかった。地元のダイビングショップの知り合い、横田君、柳田さん、益田さんをよく知る人たちは、集まる予定をしてくれた。海がクローズになれば、かえって集まりやすいのにととても残念だったが、仕方がない。海洋公園がまた遠くなってしまった。
そんな思いのあるヨコバマだが、今回はそれどころではなかった。しばらくぶりでの海で、僕もややパニック気味、映美とか緑もダイビングは久しぶりのはずだ。そして、背中のウエイトも重くてバランスがとれていない。そんなこんなを気にしていた。水深は18mまで行っているが、ここの砂地は20mよりも下だと思う。
3月だったか、富戸の組合に日吉さんを訪ねた。レクリエーショナルダイビング用の人工魚礁を富戸に沈めないかという提案だった。そのための助成金もあるので、その提案も一緒だった。日吉さんは伊東の漁協直営の食堂でごちそうしてくれて、富戸では人工魚礁は、不要だけれど、稲取ならば話を聞いてくれるだろうと、その紹介もしてくれた。
僕がイメージしていた魚礁
これは、僕のプレゼンが失敗だったからだと思う。僕のそろえた資料が、JAUSの人工魚礁研究会の資料であり、館山の人工魚礁を見に行く計画と混線してしまい。館山の定置には人工魚礁は役に立つが、富戸では天然の良い礁があるから、人工魚礁など無くても魚は廻ってくる。定置のそばに、ジャンボ人工魚礁も入っていて、ボートのポイントになっている。という事で、その話は打ち切った。
しかし、今度、ヨコバマに潜ってみて、この砂地の25mあたりに、それほど大きくなくても良いから良い魚礁があったらどうだろう。今でも、魚礁などなくても、ダイバーはエキジットラッシュになっているが、良いターゲットがあり、ここに魚礁を入れれば魚が群れることは間違いないのだから、そして、ここにショップを構える大西は、かつての僕の助手で人工魚礁の本格的調査も手掛けている彼と、海洋公園周辺の知り合いのダイバーたちがこの魚礁を定点にして観測をすれば、それはゲストにとってもすごく興味のあることだと思う。
ここに潜るレクリエーショナルダイビングのショップのダイバーも、そして、ここで潜るゲストも想像してみてほしい。この砂地に、人工魚礁があれば、一日に二本のダイビングに変化を付けることになるし、ダイビングが充実する。もう一度提案をし直そうかと思っている。
だから、1960年に東亜潜水機から高圧コンプレッサーを買って、スクーバダイビングが出来るようになっていて、当然かもしれない。
僕の作ったレギュレーターの第一号は、その富戸の組合で買ってくれた。
数日後、定置網のダイビング担当の菊川さんから電話が掛かってきた。水深40mでレギュレーターが停止したという電話だ。とるものもとりあえず、出かけていった。まだ、伊豆急の電車が無かったころだ。伊東からバスで行く。朝東京を出て、午後の3時ごろに到着した。故障のレギュレーターをタンクに着けて吸って見たが、その時には症状はでていない。
今の富戸ヨコバマ 砂地
そのレギュレーターを使って、富戸の湾内で水深40mに一人で潜ってみた。菊川さんが艪漕ぎの小舟を漕いでくれて、多分、ヨコバマの前あたりだったと思う。午後五時ごろだから日は傾いていて、水深40mはほの暗かった。その時はじめて、サクラダイを見た。魚の中で最も美しいと思われるハナダイの類、アンティス(アンシャス)の仲間では一番ありふれているサクラダイだが、魂が飛んだ。午後の光で、水深40m、半分窒素酔いになりながら、見とれていると、足元で砂煙が上がった。大型のヒラメが足元から飛び立ったのだ。
水面に浮上して、なんとも無いと話をして、納得してもらって東京に戻った。すぐ次の日に電話がまた掛かってきた。また停止したという。すぐにレギュレーターの出荷を停止した。まだ、この高圧シートを使ったものは数台しかない。直ちに回収した。送り返してもらって、分解して原因がわかった。新しい高圧弁のシートが抜け出てノズルに貼りついて空気が停止したのだ。ノズルから噴出する高圧空気を抑えているのだから、漏ることはあっても、弁が抜け剥がれてノズルに貼りつくとは想像もしなかった。空気が噴出するときには、部分的に強い陰圧になり、シートを吸い出して、ノズルに張り付かせてしまうのだ。
一人で40m潜っていた時に停止したならば、私の生命は無かっただろうか?
富戸組合の菊川さんは、海士さんで素もぐりの達人だったから、40mに潜っていた時にレギュレーターが停止しても、一人で上がってきた。私もおそらく上がれたと思う。ウエットスーツであり空身での40mからならば上がれるだろう。とはいえ、高圧弁の張り付きは、突然、空気が来なくなる。後で振り返ってみると、幸運だっただけだ。
その頃、群馬県だったか埼玉県だったか忘れたが、お弁当で中毒事故が起こり、弁当屋さんの女社長がそんなことはありえないと、自分も同じ弁当を試食して中毒死したと新聞にでた。私のやったことはそれと同じことだ。
こちらの不備による致命的な故障なのに、菊川さんは笑って済ませてくれた。
潜水器を作ることについて甘く考えすぎていた。一つ一つの部品のミスが命にかかわる。
次にヨコバマに潜ったのは、「伊豆の海」と言う題名の葛西水族館3Dシアター(今はもうない)の3D映像を撮った時だった。海洋公園の友竹進一さんにガイドを頼んだ。友竹さんはすでに癌に冒されていていたが、神様のくれた短い時間とかで、元気で、「いいよ」と簡単に引き受けてくれた。ところが益田一さんからストップがかかった。僕は益田さんのお家に行って、交渉した。その年の夏、友竹さんは最後の家族旅行でモルジブに行っている。モルジブで潜れるのに、地元の富戸で潜れないなんてことはおかしい。癌で死ぬかもしれないけれど、友竹は潜水では死なない。良いじゃないか、最後に僕と潜ったって。でも益田さんは首を縦に振らない。
「わかってよ、潜水では死なないだろうが、その後で悪化したならば、奥さんに泣きつかれるのは僕なんだから」頭を下げられてしまった。友竹の代わりにという事で、マリンドリームの森田君が潜ってくれることになった。
小久保教授のトップ、20年前に買って学生が使っていたウエットスーツを着ている。
今度はヨコバマだとはっきり覚えている。イソギンチャクにクマノミが、冬なのに、元気にしていた。この頃、冬を越すようになったと森田君が言う。しかし、その時の僕の撮影対象は、斜面のクマノミとか小物ではなくて、砂地の魚だった。菊川さんのレギュレーター停止の時に見た、光景が頭に焼き付いていて、それを3Dで撮りたかったのだ。確か、マトウダイ、サクラダイ、ミノカサゴなどを撮った記憶があるが、その時のスチルを2時間かけて探したが見つからない。
去年の秋、海洋公園での益田さんを偲ぶ講演をたのまれた。その森田君の斡旋だった。森田君と一緒に海洋公園も潜る約束だった。益田さんが亡くなってから、海洋公園に潜っていない。残念なことに、時化てしまい、ダイビングクローズになったため、講演会は中止になり、海洋公園には行かなかった。地元のダイビングショップの知り合い、横田君、柳田さん、益田さんをよく知る人たちは、集まる予定をしてくれた。海がクローズになれば、かえって集まりやすいのにととても残念だったが、仕方がない。海洋公園がまた遠くなってしまった。
そんな思いのあるヨコバマだが、今回はそれどころではなかった。しばらくぶりでの海で、僕もややパニック気味、映美とか緑もダイビングは久しぶりのはずだ。そして、背中のウエイトも重くてバランスがとれていない。そんなこんなを気にしていた。水深は18mまで行っているが、ここの砂地は20mよりも下だと思う。
3月だったか、富戸の組合に日吉さんを訪ねた。レクリエーショナルダイビング用の人工魚礁を富戸に沈めないかという提案だった。そのための助成金もあるので、その提案も一緒だった。日吉さんは伊東の漁協直営の食堂でごちそうしてくれて、富戸では人工魚礁は、不要だけれど、稲取ならば話を聞いてくれるだろうと、その紹介もしてくれた。
僕がイメージしていた魚礁
これは、僕のプレゼンが失敗だったからだと思う。僕のそろえた資料が、JAUSの人工魚礁研究会の資料であり、館山の人工魚礁を見に行く計画と混線してしまい。館山の定置には人工魚礁は役に立つが、富戸では天然の良い礁があるから、人工魚礁など無くても魚は廻ってくる。定置のそばに、ジャンボ人工魚礁も入っていて、ボートのポイントになっている。という事で、その話は打ち切った。
しかし、今度、ヨコバマに潜ってみて、この砂地の25mあたりに、それほど大きくなくても良いから良い魚礁があったらどうだろう。今でも、魚礁などなくても、ダイバーはエキジットラッシュになっているが、良いターゲットがあり、ここに魚礁を入れれば魚が群れることは間違いないのだから、そして、ここにショップを構える大西は、かつての僕の助手で人工魚礁の本格的調査も手掛けている彼と、海洋公園周辺の知り合いのダイバーたちがこの魚礁を定点にして観測をすれば、それはゲストにとってもすごく興味のあることだと思う。
ここに潜るレクリエーショナルダイビングのショップのダイバーも、そして、ここで潜るゲストも想像してみてほしい。この砂地に、人工魚礁があれば、一日に二本のダイビングに変化を付けることになるし、ダイビングが充実する。もう一度提案をし直そうかと思っている。