コラム、冒険と探検について、これで4日間書いている。もうこれで終わりにしなければ。
冒険と探検について、友人の角幡唯介と、割合好きなノンフィクション作家高野秀行は、一冊の対談集を出してしまうらしい。二人とも早稲田の探検部だ。一冊の本にするほどの話題を、僕は920字で書く、時間がかかって当然だろう。
ネットをしらべて、
「冒険とは、死を覚悟して、 そして生きて帰ることである」 冒険家『植村直己』
僕の考え方はちがう。
その他、冒険と探検の違いでネットを調べるとザクザク出てくる。そのどれとも僕の考えは違うので、次第に不安になってきた。
しかし、自分と違う意見がある、多いのは当然のことであって良い。
しかし 角幡唯介が僕の本を見て、笑わない程度の事は書きたい。
そして、これは基本的なことだから、900字では無理だと1800字を目指した。1800字書いたが、900字に縮小した。
これは昨日、ブログのつもりで書いた。今はちがってしまっているが、本になると今の原稿も大幅に変わるかもしれない。
「冒険」=危険が待ち受けていると想像できることを、 あえて行う。そのような場所にあえて出かけること。 「探検」=(その人にとって)未知の場所に足を踏み入れ、 その場所にある(と思われる)何かを探したり、調べたりすること。出かけることが冒険で、探したり調べたりすることが探検だとしている。僕の考えとやや近い。
僕の考えは、探検とは、調べる、探す、目的であり、冒険とは、調べる、探すための行動としている。つまり、探検という冒険をしたり、探検のために冒険したりする。潜水とは、水中という人間の生きていられない世界に踏み込んで行く冒険で、水中という未知の世界を探検する冒険であるという。探検はほとんどの場合冒険をともなう。人が何かチャレンジする行動をすると、冒険をするとか、冒険だったね、などという。探検だったねとわ言わない。一方極地探検というが、極地冒険とは言わない。そして、極地探検には冒険的な行動、冒険する場面がずいぶんあるだろう。冒険とは、命がけになる場合もあるだろうが、すべての冒険に命を懸けていたのでは、命がいくつあっても足りない。
冒険とは、目的を達成するときにハードルがあれば、それについて調べて、対策を講じて、真剣に取り組むことだ。でなければ、ほとんどの冒険は屍の山を築くことになる。表現はもっと簡潔だが、そういうことを書いた。
命を懸ける冒険というのも勿論あるけれど、それは「命をかける」という形容詞が前に付く冒険であり、冒険は、人間の本性から、湧き出すチャレンジであり、ハードルはあるが、いちいち命はかけない。ただ、何時でも、冒険はいのちがけになる可能性はある。それを避けるために最大の努力をしなければいけないが、