昨晩、http://jsuga.exblog.jp/ に体罰のことを書いたが、「正論」の「それでも体罰は必要だ;野々村直道、野口健」荒れた教室に立てば、体罰が必要なわけがわかる。以前に、水産高校の先生に潜水を教えていた時、「新聞沙汰になる覚悟がなければ、水産高校の教師にはなれない」という話を聞きました。水産高校へ赴任する後輩が、その学校の校長から、武道は何をやっていると聞かれ、潜水です。考えてみれば潜水は簡単に受講者、生徒を死ぬような目に会わせることができる。しかし、これとスポーツコーチの体罰とは別の話のように思う。
日体協は暴力行為根絶宣言をだした。
「柔道女子の日本代表合宿で監督などによる暴力行為があった問題を受けて、日本体育協会はJOC=日本オリンピック委員会などと連携して、スポーツ界での暴力行為の根絶宣言を出すことを決めました。
これは日本体育協会が13日に開いた理事会で決めました。
日本体育協会は、JOCや高体連=全国高校体育連盟などと連携して、スポーツ界における暴力行為の根絶宣言を作り、加盟団体などを通じて普及や啓発活動に取り組むということです。また、日本体育協会の中に暴力行為などについての相談窓口を近く設置することを決めました。
相談窓口では、身体的、精神的な暴力行為、セクシュアルハラスメント、法令違反行為などについて対応し、電話、電子メール、ファックス文書、面会のいずれの方法でも受け付けるということです。」
日体協のsports Japan に駅伝の中村清監督のことが出ていた。このところ愛読している黒木亮の「冬の喝采」早稲田の駅伝選手だった作者のドキュメンタリーで彼の代表作でもある。その黒木亮がここでも書いている。中村清監督の写真、黒木さんらしい写真もでていたが、中村監督は選手に体罰を与えることなく、自分で自分を殴る、自分に体罰を与える。
体罰の理由は、何とかよくしてやりたいという愛情の表れだともいう。つまり、感情なので、冷静ではない。愛と同じだとすると不合理で、死 まで振れてしまう。コーチングは科学のはず。愛という体罰もあるとは思うが、それは別の世界のことだろう。
ダイビングのインストラクション、ガイドのことも考えたが、これはまた複雑。講習の段階ならば、いいプログラムがあればよいのだが、現場のダイビング、ガイドとなると別のファクターがあり、まだこれは科学になっていないように思う。「空白の5マイル」を書いた角幡君が、漂流のことを書きたいと、言うので、資料を探し出して送った。その時にその資料を読んで気がついたこと、漂流の時、ほとんどのガイドは、助かって漂流していない。この視点から見る必要もあるなと思っている。
日体協は暴力行為根絶宣言をだした。
「柔道女子の日本代表合宿で監督などによる暴力行為があった問題を受けて、日本体育協会はJOC=日本オリンピック委員会などと連携して、スポーツ界での暴力行為の根絶宣言を出すことを決めました。
これは日本体育協会が13日に開いた理事会で決めました。
日本体育協会は、JOCや高体連=全国高校体育連盟などと連携して、スポーツ界における暴力行為の根絶宣言を作り、加盟団体などを通じて普及や啓発活動に取り組むということです。また、日本体育協会の中に暴力行為などについての相談窓口を近く設置することを決めました。
相談窓口では、身体的、精神的な暴力行為、セクシュアルハラスメント、法令違反行為などについて対応し、電話、電子メール、ファックス文書、面会のいずれの方法でも受け付けるということです。」
日体協のsports Japan に駅伝の中村清監督のことが出ていた。このところ愛読している黒木亮の「冬の喝采」早稲田の駅伝選手だった作者のドキュメンタリーで彼の代表作でもある。その黒木亮がここでも書いている。中村清監督の写真、黒木さんらしい写真もでていたが、中村監督は選手に体罰を与えることなく、自分で自分を殴る、自分に体罰を与える。
体罰の理由は、何とかよくしてやりたいという愛情の表れだともいう。つまり、感情なので、冷静ではない。愛と同じだとすると不合理で、死 まで振れてしまう。コーチングは科学のはず。愛という体罰もあるとは思うが、それは別の世界のことだろう。
ダイビングのインストラクション、ガイドのことも考えたが、これはまた複雑。講習の段階ならば、いいプログラムがあればよいのだが、現場のダイビング、ガイドとなると別のファクターがあり、まだこれは科学になっていないように思う。「空白の5マイル」を書いた角幡君が、漂流のことを書きたいと、言うので、資料を探し出して送った。その時にその資料を読んで気がついたこと、漂流の時、ほとんどのガイドは、助かって漂流していない。この視点から見る必要もあるなと思っている。