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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0207 ダイビング事故防止について事故当事者の視点から

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  このテーマに入る前に、もう少し、安全について。
ダイビングの安全とは、どういうことなのだろう。人それぞれの個性も考え方もDNAもちがうし、視点もちがうが、僕の考え方は、「危険を避けられる状態を維持していること。」もちろん、これはダイビングについての話で、他の世界のことは考えていない。
危険を避けられる状態はとても幅広いが、前の発表、中央大学海洋研の場合は、安全管理についての遵守事項を決めて、それを守る態勢を維持できる組織を作り、実行している。もちろん、努力なくして、維持はできないし、初心者(一年生)を初心者(二年生)が教える形が学生のダイビング活動の芯だから、監督、コーチにしてみれば、一瞬の気も抜けない。心の中のヒヤリハットは、珍しくないだろう。その監督もコーチもいない大学もあるのだ。インストラクター任せと言っても、インストラクターが30人もの初心者をいつも引き連れて見てくれているわけではない。学生だけで安全を維持するシステムを持たなければならない。それについての具体例、例えば今回の発表で、ナビと呼んでいる役割、動き、レスキューワッチのやり方などについては、また別の機会に検討し、発表できればと思う。


さて、
 2010年5月、発表者の田中さんと奥さんは、沖縄の伊江島近くの中の瀬というポイントに潜水した。ガイドが一緒であり、5日間、毎日2ボートで10本潜る予定であり、その4日目の1本目、通算7本目の潜水で事故が起こった。
海況は波高が05-1m、流れが0.8-0.9ノット、透視度は20-30mであった。
奥さんのダイビング経験はタンク163本であり、水泳も上手でアスリートであったと言える。
まず、奥さんがエントリーし、続いて田中さんがエントリーしたが、奥さんの姿が見えない。続いてガイドが潜降して来て、見まわしたが見えないので、田中さんをボートに上げて、自分は水中で捜索したけれど見つけられない。
救助を頼み、ヘリコプターも巡視船も来たが見つけられない。1時間30分後、フェリーが見つけて巡視船に引き上げられたが死亡、解剖の結果溺死と判定された。
那覇地検で、訴訟調査の結果、業務上過失致死罪で送検されたが、田中さんは、罪を認めたからそれで良いとして、民事訴訟はしなかった。

ここまでは経過についてである。次に事故はどうして起こったのか。
①まず一人になってしまったこと。
②一人になってしまった時、ガイドは水に入って監視しては居なかった。
③一人になることを予測した安全のための対策が取られていなかった。
他にもあるだろうが、この三点、バディシステムが実行されていたら、ガイドが監視していたら、潜降索に伝わって潜っていたら、この事故は起こらなかった。
①は、バディである二人のせきにんであり、ガイドを雇っていない潜水であれば、事故は二人の責任であり、ガイドはそこにいないのだから、責任問題にはならない。②は、ガイドにはいろいろなあ言い分があるのだろうと思うが、訴訟調査の結果がすべてである。検事は業務上過失致死罪として送検し、ガイドはそれを認めて罰金を払った。

①一人にならないこと、一人にしないことについては、言い古されたことであり、安全対策のその一は、如何にしてバディシステムを守るか、守らせるかである。ガイドの言い分があるとすれば、バディシステムは二人がまもるものであり、ガイドが守らせるものではないということだろう。しかし、一般には、このようなケースの場合、その水域、地形のブリーフィングを行い。先に水に入るか、もしくは三人同時に、もしくは二人が水面で一緒になるのを見届けてから、その時はすでにタンクを背負っていて直ちに水に入らなければいけない。
このような手順は常識ではあるが、ルールとして決まっているわけではない。JAUSも、他のすべての団体も、一人にしてはいけないと口が酸っぱくなるほど唱えてはいるが、このような目を離さないための手順を文章化していることはない。
前の発表についての感想で「安全とは、知識と経験の積み重ねです。そして記録を残して継続させることで達成される。」と述べた。
ガイドもしくは安全管理を行うインストラクターは、ボートからの入水に際して、1分以上の時間差があってはいけない。水面でバディが一緒に肩を並べるのを見届けなければいけない。」というようなルールを設けるべきである。発表者の田中さんも指導団体のプログラムとは別に、このようなガイド手順のルール、マニュアルを設けるべきだと発表している。
ここで、ガイドとはそもそも何なのだという議論をしておかなくてはならない。引率するメンバーの命に責任を持たなくてはならないのだろうか。業務上過失致死罪で送検されたということは、あきらかに、業務としてメンバーの命を守る責任があるということの公的な認知である。バディを守ろうが守るまいが、とにかく目を離していて安全のための監視がなされていないときに事故が起これば、ガイドの責任になる。業務上過失致死罪になった理由は、お客を先にエントリーさせ、3分後に入ってきた。この時間関係はダイコンによって判明したのだという。また、このポイントはガイドが初めて来たポイントだった。そして、潜降ロープもなく、アンカーロープも無かった。

お客が先に入って3分後にガイドが入ってきた。なぜそんなことになったのだろう。そこには、ストーリーがあり、多分、ガイドにも言い分があるだろう。その場にいたわけではない者としては、推測による論を述べる他ない。
まず、ガイドが制止したのに振り切って入って行ったということは考えられない。僕の接した発表者の田中さんの人柄からもそんなことは考えられない。穏やかで、まっすぐだけれど、自分のポジションはしっかり持っている。
言うまでも無く、ガイドも、お客二人もバディシステムの重要性については十二分に理解していた。まず、考えられるのは「慣れ」である。5日間、毎日2ボートで10本潜る予定であり、その4日目の1本目、通算7本目の潜水の間に、この人たちならば大丈夫という「慣れ」の気持ちがガイドにあった。
コメンテーターをお願いした久保さんのお考えならば、バディシステムというものの、理解と手順がこの事故の状況とはまるで違うだろう。バディが互いにバディチェックをおこない、ガイドも器材を着けた状態で、このチェックに加わる。そして、ガイドの指示で、適切な間隔でエントリーし、離れずに潜降を開始する。久保さんは、どんな状況であってもそれを忠実に実行する。
僕は少し、いやだいぶちがう。昔、僕のアシスタントをさせていた大西には、まず、自分がタンクを背負ってスタンバイしてから、僕のタンクを背負わせ、チェックしてから、僕がエントリーするのを助けて、僕にカメラを渡して、同時に自分も入ってくる。お客に対するガイドとしても、同じようにさせていた。
最初のエントリーから、ガイドが入ってくるまでの時間は、3分、これはダイコンの記録によるものだという。正確かどうかわからないが、スタンバイしていて、同時に入れる状態で、お客を水に入れたとは思えない。これが業務上過失致死の主因だろう。
ガイドマニュアルというものがあるのかないのか知らないが、ある、もしくは作るとするならば、ガイドがインストラクターであり、指導中であるならば、三人でバディチェックをしながら、生徒二人のバディチェックをしどうして、今後、どこで潜水する時も、このようにしなさいと指導する。
お客商売としてのガイドダイバーであれば、自分は完璧に準備をして、お客の準備を手伝い、その場の状況に応じて、水中ですぐにまとまれるような間隔でエントリーする。
そのいずれでもなかったことは明らかである。
先に書いた、「ガイドもしくは安全管理を行うインストラクターは、ボートからの入水に際して、1分以上の時間差があってはいけない。水面でバディが一緒に肩を並べるのを見届けなければいけない。」という表現でも良い。とにかく、ガイドの行動指針を決めるべきだ。もしかしたら、沖縄県でそのようなものを作ったのを、そのたたき台の原稿だったかもしれないが見たことがある。探したが見当たらない。さらに探そう。

およそ、ダイビングの事故には、ああしていれば防げた、こうしていれば防げたと言える事故と、どうしようもなかったという事故がある。事故を皆無にすることは無理でも、ちょっとした実行可能なマニュアルがあれば防げるような事故は皆無にしたい。
それが、2010年に発足した水中科学協会の主目的の一つである。

この報告の最初に書いた
③一人になることを予測した安全のための対策が取られていなかった。
他にもあるだろうが、バディシステムが実行されていたら、ガイドが監視していたら、潜降索に伝わって潜っていたら、この事故は起こらなかった。
安全確保のためにはソフトと同時にハードも大事だと考えている。ソフトは、ここまで書いてきた①バディシステム、②ガイドのエントリー手順である。ソフトが最重要であり、きちんと守られていれば、別に特別の手間もお金もかからない。しかし、ソフトは必ずしも守られるとは限らない。ここでいうハードとは、何かの理由で、行動が思うに任せない、失敗した時に、救い、補う、空中サーカスの下に張られた安全ネットのようなものである。
僕は潜降索にこだわる。理由は、大学四年生の時に、水深30mの魚礁調査で空気が無くなり、その頃のゴムの合羽のようなドライスーツに浸水していて浮力も失いフィンキックでは浮き上がれない、ウエイトもベルトが絡んで捨てられない状態になり、抜け出そうと必死になり、幸いにして、頭上数メートルのところにそれを伝わって降りてきたアンカーロープがあった。アンカーロープに飛びつき、呼吸できない状態で,手繰り、チアノーゼのような状態で船にたどりついた。これが、潜降索、あるいは命綱と呼ぶものにこだわり続ける原点であった。
ロープに浮環を結んで流しておくとか、エントリーする舷側から、入るとすぐにつかまれる潜降索を降ろしておくとか、これに掴まるように指示しておいてから、掴まるのを見届けて、ガイドがエントリーすれば、間違いはない。
僕はどちらかと言えばソフトよりもハードを頼る。だから、何人かを連れてツアーに行った時、ボートに潜降索が無いと、要求して降ろしてもらっていた。僕が良く通っていた慶良間のボートは、親父さんは僕の顔を見ると潜降索を垂らしてくれていたが、息子の代になり、黙って見ていたら、潜降索など考えていないようだった。
 
 指導団体でも、一般のレクリエーショナルダイビングでも潜降索にこだわることがあまりない。しかし、僕は潜降索、そして、潜降索に続くラインにこだわる。これは、先に述べた僕のトラウマともいうべき体験と、そしてリサーチダイバーの通性であるのだが。
 今、僕と北海道、ポセイドンの工藤さん、共著で潜水士の受験本を書いてている。今少しで完成する。潜水士の規則では、ヘルメット式でもスクーバでも何が何でも潜降索を使わなければならない規則になっている。潜水士で言う潜降索はヘルメットダイバーが潜降するときに墜落しないためだが、一番目の発表の種市高校では、潜降索が無くても墜落せずに自由降下が出来る技術を教えている。そして日本で、僕は一緒に潜ったヘルメットが潜降索に掴まって降りてくるのを見たことがない。それでも潜降索は必要だと思っている。スクーバでは潜降索など必要ないと思っている人が多い。墜落することなどないからだ。潜降索はスクーバダイビングでも船からの潜水では必須だと思う。ただ、それはヘルメット式の潜降索ではなくて、スクーバダイバーのための潜降索でなければならない。スクーバダイバーのための潜降索がどうあるべきか、潜水士テキストの執筆者は考えたこともないだろう。こちら側で考えなくてはいけないといつも思っている。やがて、このことについてもシンポジウムのテーマにしたいが、その中の一つとして、この事故例の潜降索を入れたい。
 潜降索とその使い方がルールになっていればこの事故は起こらなかった。今後も同じようなケースが起こりえる。ちなみに、田中さんが良く行かれている宮古島のダイビングサービスでは、潜降索がつかわれており、事故の起こったサービスでは潜降索がないことに不審に思ったと言われている。その時に潜降索を請求していれば、ともきっと悔やまれただろう。

 田中さんも書いているが、「このようなことをローカルルールとして、マニュアル化して、自主的に遵守しなければいけない。」そのローカルルールには、潜降索のこと、そしてガイドダイバーの在り方について明記されているべきだろう。ローカルルールとした理由は、地域の差があるし、船の設備の差もある。
 昔、八丈島では、お客の頭の上にバックエントリーしたダイバーが居て、バックエントリー禁止になっていた。船のスクリューがダイバーを切った事故があって、ダイビングに使う船にはスクリューカバーを着けなければいけないことになっていた。立派なローカルルールだが、今はどうなっているか知らない。  
昔から僕もバックエントリーをやらない。水面が見えないし、高いところからは飛び込めない。ゴムボートの場合にはバックエントリーで入る。もともとあれは、ゴムボート用のエントリーなのだ。これも昔、サイパンに行った時、船べりに並んで端から後ろ向きに突き落とされた記憶がある。突き落としたのではなくて、どうぞ、という指示があって飛び込むのだが、僕のセンスとしては突き落とされた気持ちになった。

とにかく、ローカルルールは重要であり、事故を防ぐ大きなポイントだ。

 田中さんは発表していて、参加者の反応が無く、違和感を感じられたとコメントしている。この報告を発表に入れようかどうしようか迷ったが、事故具体例のマニュアル化の提案と言いう意味でどうしても発表していただきたかった。  
田中さんはまとめの部分で「これらを防ぐには、指導団体とは別に安全ダイビングの運用マニュアル作成が必要と考える。客観的な視点から安全を考えて作った運用マニュアルこれから目指すものが見えてきたと確信する」とかいてくださった。これこそがJAUSが求めるものであり、今後、大学、あるいはクラブ、などの発表で行いたい核心である。
このような具体例が、大学の潜水部活でもたくさんあり、内規として文章化されているはずである。今度のシンポジウムでの中央大学の発表が、その具体例、内規の発表がなかったと参加されていたIANTDの田中さんが指摘されていたが、今回の中央大学の発表は、「危険を避けられる状態を維持している、組織の在り方についての発表」を依頼しており、具体例として、この田中さんの発表をと考えていた。
そして、もしも、同じような発表がこの発表の前後にあれば、違和感を感じられることは無かったと思うが、後にも先にも自分の体験された事故をこのような場で発表されたのは、田中さんがはじめてで、他にも発表者がと探しては見たが、とんでもないと断られるか、インストラクターやガイドダイバーを加害者とみたてた攻撃的な発表になってしまう。
田中さんには淡々と発表していただくようにお願いした。お人柄もあるのだが、穏やかに淡々と発表していただくことができた。そのことが聴いている参加者に、今後同じような事故を発生させたくないという強い願いのもとに発表されたという事が思うように伝わらないという、違和感として感じられたかもしれない。
 また、ご無理にでも発表をとお願いしたが、これに対する反論も出ることがあるかもしれない。①バディシステム②ガイドダイバーの安全管理の在り方、③もしもの場合に備えるハードの用意が無く、この三つのうちで一つでも機能していればこの事故は起こらず。この三つについての責任は、この状況に置いては、ガイドダイバーの責任であり、そのことが問われての判決であったことには、間違いがない。もしかすると、①のバディシステムの遵守は当人の責任であるという反論がなされるかもしれない。もしそうであっても、それを注意し押しとどめるのがガイドダイバーの安全管理であり、いわゆる予見義務違反に相当する。

 なお、ここに書いたことは須賀の感想であり、決して結論ではない。発表者の田中さんのご意向をうかがった上で、コメンテーターをお願いした久保さんのご意見をまとめていただいて、研究発表誌に結論的にまとめて行きたいと考えています。


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