左端と右端の二人が亡くなる。
字を書く、原稿を書くのが、すごく遅くなっている。血の巡りが悪い認知症ぎみ、それと、左手指が回転しないので、キーボードが片手打ちになり遅い。この前ブログを書いたのが6月だった。以前は月に5本は書いていたのに。
でも、書かなくては、サイエンス・ダイビング1回目の下書きほぼ終わった。日本のスクーバダイビング歴史と自分がすごしてきたサイエンス・ダイビングがごっちゃになり、出版するには量が多すぎて、しかも焦点が合わない。先日亡くなってしまった、白井常雄さんは歴史を先に書けと言っていた。たしかに、その方が早いし出し易い。しかし、リスク・マネージメントの視点からのサイエンス・ダイビングを先行させる。同時に予告をフェイスブックとブログに書いて行こう。
サイエンス・ダイビング構成案
ベース、岸辺のエントリー(エクジット)ポイントとの有形、無形の連結について、70の記録から導き出す。
1 黎明
1953年の日本にアクアラングが紹介された日
1954年の学生の事故で幕が開く
1957年に講習を受ける ダイビングクラブを作る
1958年 卒論:スキンダイビングによるラインサーチ
1958年 人工魚礁危機一髪 エア切れで死にかかる。
2 東亜潜水機
どんな会社か
スクーバを作る。
命綱をおろせ。
3 スガ・マリン・メカニック
水大 水中グライダー有索曳航 13代
ジョテック
15代のブラックアウト
釜石湾口防波堤
沼沢沼
龍泉洞
4、水中レポート
撮影機器の製作
水中レポート 有索 ENG
5 脇水輝之の事故
脇水輝之
ソロ・ダイビング
アランの宝石珊瑚とり
60歳100m システム潜水システム対テクニカル
ケーブル・ダイビング・システムの結末
6 人工魚礁
人工魚礁
土肥
館山湾 波左間
リブリーザ
7 サイエンス・ダイビング
豊潮丸
東大海洋調査探検部
海洋大学潜水部
お台場 ?
8 要約すると